113 人間が危険な国


 オルコラルト国とエル・ニーザルディア国の間に広がるカルモンディ渓谷は、かつては緑あふれる沃野であり、海沿いにはカルモンディという都市国家があったと、古い言い伝えにはあるそうだ。
 それが急激に荒野になってしまったのは、やはり“障り”の発生が関係しているようだ。
(ラビリンス・クリエイト・ナビゲーションの地図で見ると、たしかに太い星を巡る流れの上にあるんだよな)
 その星を巡る流れは、ガトロンショ山脈の奥、現在の聖地シャヤカー大霊廟へ続いている。つまり、星を巡る流れに混ざっている“障り”の影響を、もろに受ける位置にあった。人が住んでいたなら、余計に“触り”が出たことだろう。
 そんなわけで、迷宮都市を建設する絶好の候補地であるのだ。
 僕らは迷宮都市建設予定地を目視した後、渓谷を右手に北上し、エル・ニーザルディアとの国境を遠くに見るまでになった。
「はじめまして。ショーディーです。お世話になっています」
「ブルネルティ家の御子息とは聞いておりましたが、こんなにお若い方とは思いませんでした」
 国境に向けて、四頭立ての大きな山羊車が三台も連なって進んでいるところに遭遇した。覆いが掛けられた荷台に積んでいる物にあたりをつけて話しかけてみたら、やっぱりアレイルーダ商会のキャラバンだった。
 アレイルーダ商会は、僕が王都で借りたカレモレ館の持ち主で、材木や燃料を扱っている老舗だ。このキャラバンは、リンベリュート産の上質な材木を、エル・ニーザルディアまで運ぶ途中だという。
 街道沿いに作られたキャンプエリアで僕と握手を交わしたのは、アレイルーダ商会のジルベルトさん。三十代の壮健な体つきで、映画俳優になれそうな上品な顔面のイケオジだ。貴族とのやり取りもまかせられている貿易部門の実行取締役という……まあ、商会内では上から五指に入る偉い人だ。
「姉上と兄上は、領地でお仕事があるからね。僕は末っ子だし、いずれは家を出なきゃいけないでしょ? だから、いまから好きにやらせてもらっているんだ。いろんなところで見聞を広めて、害獣駆除のいい方法や、冒険者の福利厚生に役立ちたいなって」
「なんとも、立派な志を持った、しっかりされた方だ。エル・ニーザルディアのボンクラ貴族に聞かせてやりたいですよ」
 リップサービスとは思うけれど、ジルベルトさんの目には、悲しいほどに諦めがうかがえる。商売相手をボンクラ呼ばわりするのは商人としてどうなんだとは思うけれど、何か理由があるのだろうか。
「僕ら、ムタスに寄って、貴族令嬢にも絡まれたんだけど……そんなに、エル・ニーザルディア本国って、えっと……ひどいの?」
 思わず声を潜めた僕に、ジルベルトさんも憂鬱な仕事だと隠さずに頷いた。
「子供のころから、この三国を何度も往復していますが、年々ひどくなっている気がします。リンベリュートにも、オルコラルトにも、問題がないわけではありませんが、あの国では貴族以外は人間とみなされません。民は奴隷と変わりませんよ」
「うえぇ……」
 平家以外は人ではない、みたいな感じ? それとも、某ゲームの名台詞「家畜に神はいないッ!!」を素でやってるの? 驕れる者も久しからずで諸行無常ですよ。バブルがはじけた後の怖さは、身に染みてわかっていますんで!
「こうして我々が木材を運ぶのも、エル・ニーザルディアには大木が育っていないという理由はあるのですけれど……。そもそも、土地があっても育てる気がないのですよ」
 大山羊車の積荷に視線を向けたジルベルトさんが言うには、エル・ニーザルディアの貴族の所有地には、景観を重視した樹木しか植えられず、狩りをする森も管理人以外は立入禁止らしい。
 リンベリュート王国と同じで建国から五十年くらいだが、エル・ニーザルディア国内で建材や家具の材料になりえる木は、だいたい採りきってしまったらしい。
「エル・ニーザルディアの貴族の商売に、林業ってないんだ?」
「寡聞にて存じません。自分たちが使うための薪を採る場所は、狩猟用の森か、かろうじて細い若木がまばらにある雑木林くらいで……」
「なんと……」
 植林の概念がなければ、そりゃそうなるだろう。しかし、それでやっていけるのだろうか。
「燃料はどうしているの? 輸入に頼りきりじゃないでしょう?」
「平民のほとんどは、泥炭を使っています。貴族は自領で採れる薪の他に、植物油や蝋、獣油を使う事もあるそうです。こちらは、輸入品も多いですが」
 泥炭が掘れるのか。それならまだ、なんとかなるかもしれない。リンベリュートでも泥炭が採れる地方はあるが、大きな事業としてやっているところは少ない。
「……実は、エル・ニーザルディアへの輸出を減らそうかと考えているのです。今回の交易の後は、しばらく控えようかと」
「え?」
 商人が手を引くという事は、かなり不味い状態なのではないだろうか。
「支払いが滞るとか?」
「滞ると言いますか、あの手この手で値切ろうとするのです。護衛を増やせば、その分売値に乗せなければなりませんし。そのうち、なにかの冤罪をかけられて、荷をまるごと取り上げられやしないかと……」
「ひどすぎる!」
 そこまでの危機感を持たれるなんて、エル・ニーザルディアはそうとうやらかしているっぽいな。
「せっかく、運輸ギルドと職人ギルドが、大荷物を積んでも長距離輸送に耐えられる、新しい荷車を開発してくれたのに、歯がゆいことです」
 よく見れば、アレイルーダ商会の大山羊車は、ルドゥクが自慢していた足回りに似ているようだ。
(せっかくいい物を作れても、外的要因で活躍の場が限られてしまうんじゃ、意味がないよなぁ。売れなければ、職人たちも困るだろうし)
 なんでも適正価格で売られるべきだと思うし、ニーズがなければ作ればいいとも思う。
「アレイルーダ商会は、木材と燃料しか扱わないの?」
「そうですね。他の商会や運輸ギルドの領分を侵すことになりますから、よほどのことがない限りは」
 気軽に新規参入できないのも善し悪しだが、老舗がトラブルを避けようとするのは当然だ。
「エル・ニーザルディアからは、なにが輸出されているのかな?」
「主に宝石類と、武器や防具ですね。あの国には、旧国から持ち出した稀人の知識があるので、さまざまな加工業が盛んです。それに、質のいい金銀も産出されますから」
「なるほど」
 エル・ニーザルディアは、旧ニーザルディア国から逃げ出した貴族たちが、王族の生き残りを担ぎ上げて作った国だ。たしかに、稀人の知識をいくつも持っていても、おかしくはない。
「旧国時代から持っている稀人の知識って、教会は文句言わないのかな?」
「どうでしょう。少なくとも、教会の建物は普通に見ましたね」
 ジルベルトさんは教会に関してはよく知らなかったが、エル・ニーザルディアの貴族たちには詳しく、色々話を聞くことができた。
 お礼に、こちらからも少し情報を渡すことにした。
「迷宮都市って、知ってる?」
「はい。ブルネルティ領に出現した、冒険者しか入れなくて、稀人の知識が手に入る場所だと。職人ギルドは冒険者ギルドと提携しましたが、商業ギルドは渋ったとか」
「そうそう。その迷宮都市なんだけど、色んな物が産出されているんだ。その中には、魔力を浴びながら育った樹木もたくさんあるはず」
 そこで、ジルベルトさんの表情筋が一瞬動いた。うふふ、商人はそういう所が鋭くて好きだよ。
「いまは、そういうのは武器や防具、魔道具に加工されているけれど、研究すれば、他の使い方もできるかもね? しまった物の劣化を防ぐ家具とか。さすがに、建材にできる様な大木は、持って帰ってこられないだろうけど」
「いえ、十分に、商会長に提案できます」
 事業の多角化ではないけれど、この柔軟さが、アレイルーダ商会が老舗としてやってこられた理由だと思うな。
「もうひとつ。『魔法都市アクルックス』で魔道具の冷凍庫を開発して、オルコラルトの魚介類を輸入するんだ。長距離かつ、重量のある物を運んでいた大山羊車が役に立つよ。ただ、魚を扱う専門職を雇う必要があるし、他の商会との軋轢ができるかもしれないけど」
「海の魚介を扱う者はまだいないので、参入はしやすいと思います」
 せっかく作った長距離輸送用の頑丈な大山羊車を死蔵しないためにも、ジルベルトさんの目は真剣だ。
「最後に……もしも、エル・ニーザルディアからこっちへ帰れなくなってしまったら、これを迷宮の住人に渡してみて」
 僕は『アレイルーダ商会の人をリンベリュート王国へ帰してあげて』と書いた書状と、僕の横顔が刻印されたショーディーメダルを用意した。
「オルコラルトやエル・ニーザルディアでも迷宮が出現する予兆があるんだ。混乱に巻き込まれないように、がんばって帰ってきて」
 ジルベルトさんは、小刻みに震える手でそれらを受け取った。
「ありがとうございます。我々は仕事で行きますが、正直、あの国はおすすめしません。貴族街以外は治安も悪いですし、ショーディーさまは、せめて成人してからになさってください」
「わかった。人攫いも多いんだね……怖すぎる」
 アレイルーダ商会は、旧ニーザルディア国時代からある由緒正しい商会なので、エル・ニーザルディアの貴族も安心して取引しているはずだ。国際問題になりそうなことは滅多にないだろうけれど、それでも、ジルベルトさんのこの感想なのだ。
 仮にも領地持ちだった家名を捨てた僕では、まともな対応をしてもらえるとは思えない。僕らが武力で遅れを取るとは思わないけれど、言いがかりや法を捻じ曲げるくらいやってのけるだろう。
(当初の予定通り、エル・ニーザルディアまでは行かないで、旧ニーザルディア領に行くべきだな)
 避けられる危険は避ける。安全第一だよね。
「ありがとうございます。僕も、わざわざ人間が危険とわかっている所に行く度胸はありません。カルモンディ渓谷での害獣調査をしたら、すぐに引き返すことにします」
「害獣の調査も、十分危険ですけどね。ええ、それがいいと思います」
 僕はもう一度ジルベルトさんと握手を交わすと、エル・ニーザルディアへ向かう彼らと別れて、カルモンディ渓谷の奥へと歩みを進めていった。