081 悪い大人の盤上遊戯 ―ルジェーロ


 甥であり、まだ七歳になったばかりのショーディーが、レナウス・ヴァーガンをはじめとする令息たちをぶちのめした事件は、ルジェーロを大いに笑わせた。
「あっははははは! っはぁっ、いっひひひひ、は、く、苦しいっ。ぶっ、ぶははははははは!」
「もう、笑いすぎです、お兄様」
 妹のフォニアから愚痴交じりに顛末を聞き、ルジェーロは腹筋が攣るかと思った。面白おかしく生きているつもりだが、世の中に面白いものは尽きないようだ。
 いまは移動している馬車の中なので、激しく身をよじることもできず、ルジェーロは揺れに任せて息を整えた。
「はぁっ、はぁ……あの子は、本当に面白い子だねえ。いやはや、私たちの父に似ているなんて言われているようだけれど、なかなかどうして……しっかりブルネルティの子じゃないか」
「……」
 フォニアは眉間を険しくしてため息をつくばかりで、ノーコメントのようだ。どう言っても、自分の子供であることには変わりがないせいだ。
「それで、ヴァーガンから文句を言われたんだ?」
「ええ。ですから、ショーディーから聞いたことを、そのままお伝えしたんですよ。貴族家子息にあるまじき、物乞いを嗜めたら剣を抜かれたので、素手で応戦した、と」
「ん゛っふふふ。も、物乞い……」
 身分をかさにきた収奪を物乞い扱いするのもどうかと思うが、たしかに、やっていることは野盗と変わらない。犯罪者呼ばわりしなかっただけマシかもしれないが、より馬鹿にしているのは確実だ。
「まったく、なんのために護衛をつけたのか……」
「仕方がない。貴族相手に、護衛とは言え、平民が下手なことはできないからな」
 ヴァーガン家は公方家ではないが、ブルネルティ家やマリュー家よりも格上の、国政に票を持つ貴族だ。
「しかも、どちらも子供で、相手は多数の年上で剣を抜いて、こちらはひとり素手。目撃者も多数ということだし、話を大きくして恥をかくのはむこうだ。早々に手打ちになると、ショーディーはわかっていたんだろうな」
「悪知恵ばかりが逞しくなっていくようですわ」
 母親としては、悩ましい所なのだろう。
「それに、いつの間に戦えるようになっていたのか……モンダートの修練を見ていたのかしら」
「スハイルを仕えさせるには、文句などつけようがない、りっぱな主人だ」
「……まあ、惰弱でないのは良いですけれど」
 フォニアも、末息子がもはや己の庇護に収まるものではないと、諦めの境地のようだ。
 そんな妹を慰めるように、ルジェーロは両腕を開いて見せた。
「ショーディーは惰弱でもなければ、私のような不良人間でもないよ。誕生日祝いの時にもあの子と話したが、実に謎めいた子だった。しかし、ひとつ言えることは、己に嘘をつかない誠実な人間だという事だ」
 自分を見つめてくるフォニアに、ルジェーロはにっこりと笑った。
「あの子は、私がどんな人間か見抜いている。そうでなければ、賢い悪人の思考を聞いてくることなんてないよ」
 自分は善い人間だと思わせて民を騙して煽動し、狙って滅びへ向かわせるような人物が、なにを考えているのか。そう訊ねてきた甥に、少し思いつめたような色が見えた。だからこそ、ルジェーロはこう答えた。
『焦ってはいけない。悪い奴というのは、なるべく自分で手を汚さず、そうと気付かれないように、取り巻きや手下にやらせるものだ。つまり、犯行が明るみに出て批判を受けても、真犯人だけは悪くないと大衆に思わせることが、とても上手なのだよ』
『報復の結果として相手を破滅させようとしている……つまり、相手を滅ぼすことが最終目的であることを除けば、相手の破滅のその先に・・・・、その人物の目的、あるいは得になるようなことが、必ずあるはずだ。それを見極めるまでは、軽率に決めつけてはいけないね』
 少しは思考の枷が外れたのか、納得した顔で真摯に礼を言った甥の、進む助けになっているとよいとルジェーロは思う。
「フォニア。ショーディーのスキル【環境設計】は、『望む状態に整えるための知恵』と言っていたよね?」
「ショーディーは、そう言っていたわ」
 ルジェーロは軽く頭を左右に揺らし、薄笑いを浮かべた。
「なるほど。たしかに、悪知恵の働く子のようだ」
「違うの?」
「たぶんね。だけど、本当のことを言ったら、今以上にブルネルティ家に危機が迫る。私が言ったことは、聞かなかったことにしてくれ」
「……お兄様がそうおっしゃるなら」
 素直に飲み込んでくれたフォニアに、ルジェーロはひとつ頷く。
 むかしから妹は、時々よくわからないことを言う兄を立ててくれた。厳格で細かいところまで目が届く父親に似たのに、黙って飲み込むことができる包容力と肝の太さは、母親から受け継いだようだ。
「さて。では、我々は、我々の仕事にとりかかるとしよう」
「お兄様のやらかしの、後始末ではなくて?」
「痛い、痛い。聡明なる我が妹よ、本当のことを言わないでおくれ」
 速度を落とし、やがて停まった馬車から出ると、そこはマリュー邸の正面エントランス。
「若旦那様、フォニアお嬢様、おかえりなさいませ」
「「「おかえりなさいませ」」」
 家令のネロスをはじめ、使用人たちが揃って迎えてくれる。
「もう、お嬢様ではないのだけれど……」
「母上がご存命なのだ。もうしばらくはお嬢様でいるのだな」
 恥ずかしそうにモゴモゴ言うフォニアに、ルジェーロも小さく肩をすくめた。
 本来ならば、ショーディーもこのように出迎えられるはずだった。仕方がなかったとはいえ、ずいぶん無礼で可哀そうなことをしたと、ルジェーロはいまさらながらにバツの悪い思いをするのだった。
 出迎えてくれた使用人たちは、ほとんどが高齢と言っていい年齢で、ルジェーロやフォニアと同世代すら数えるほどしかいない。それだけ、ルジェーロが新たに雇用する人間に苦労したということだ。
「……エレリカお義姉さまのところの使用人は、やっぱりいないのね」
「はい。すでに憲兵が取り押さえておりますれば」
 使用人たちを見回していたフォニアは、振り返って、自分たちが乗ってきた以外の武骨な馬車列に眉を上げた。
「逃げられないようにね」
「まあ、お兄様とわたくしが来るとなれば、悪巧み上手な方々も、分が悪いと考えるでしょうね」
 これまで好き勝手させておいて油断を誘ったが、悪い奴というのはなかなか本体の尻尾を掴ませないものだ。今回もせいぜい、手下を一網打尽にするだけで精いっぱいだろう。
 それでも、ルジェーロは今回の攻勢に満足している。一人では片手落ちになる可能性もあったが、フォニアがサポートしてくれるのであれば、万全の態勢となる。
「では、そちらは任せたよ。フォニア」
「お兄様も、よいお仕事を」
 兄妹は、それぞれに使用人を引き連れて二手に分かれると、屋敷内のそれぞれの持ち場へと移動した。
 ルジェーロの婚姻は、政略とも呼べない、まったくの利害と打算による駆け引きの末のことであった。マリュー家では拒否することのできない命令でもあったので、苦虫を噛み潰したような顔をする父に、ルジェーロは利用する価値はあると笑ってみせたものだった。
「それでもね、君のご両親は、真剣に君のことを心配して、君の幸せを願っていたんだよ、エレリカ」
 二人の息子と共に、グルグル巻きに縛られて床に座らされている妻を前で、ルジェーロはゆったりと椅子に座って足を組んだ。
「ルジェーロ! これはいったい、どういうこと!?」
 ドレスにかぎ裂きをこさえ、髪を振り乱して叫ぶエレリカは、普段のフワフワとした印象からはかけ離れている。
 そんな母を恐れたか、周囲を固める憲兵たちを恐れたか、二人の息子は大人しく縛られたまま、無言でうなだれている。二人とも、しばらく会わない間に、ずいぶん太ってしまったようだ。
「どうもこうも、自分の素行と頭の悪さを恨みなさいよ」
 憲兵が持っている令状には、不義姦通、王命違反、凶悪犯隠匿、ついでに国家騒乱罪もついているはずだ。つまりは、謀反人、逆賊として、毒盃一直線コースだ。
「ああ、シェリックとバラムは、ずぅーっと前に降参しているからね。ご両親に勘当されて、なぜか私に泣きついていたよ。ハハッ」
 息子たちの父親には頼れないと先に釘を刺せば、エレリカは口角に泡をためてギイギイと酷い声を上げた。
「やっぱり! やっぱり変だと思ってた! お前か! いつの間にか二人がいなくなったのは、やっぱり、お前のせいだったのね! このっ……人でなしィィ!!」
「はいはい、人でなしですよ。宰相殿をはじめ、公方家に早まるなと頼まれたから、君のご両親が存命の内は、堪忍してあげていたんだよ」
 間男たちはどちらも公方家に縁のある貴族令息であったが、王命を蔑ろにするような不祥事を起こしては、貴族籍を剥奪されるくらい当たり前だ。
 国王と共謀して、ゼーグラー家から稀人の知識を巻きあげた宰相は、公方家のイクセミア家当主だ。しかし、利用したルジェーロが危険人物であると気付いたのは、それから数年後のシークレットボックスの騒ぎがあってからだった。
 ルジェーロは、一見するとエレリカに有利すぎる婚姻誓約書を掲げてみせた。
「この末尾を、よくごらんよ。『ゼーベルト・リンベリュートの御代に、平穏と繁栄をもたらす、この婚姻の制約は有効である』って書いてあるでしょ」
 それは国王が二人の婚姻を寿いだという証であるが、同時に「平穏と繁栄をもたらさなければ無効」ともとれる。
「愚者の刃がゼーグラー家を踏み台にして我が家に入り込んだ時点で、私はいつでも離婚できたんだよ。もちろん、君を一生養う義務も、僕とは血のつながりがない二人の息子たちの養育義務も、私には一切存在しない。跡継ぎにもしない」
「知らない! そんなの知らないわ! 私に関係ない!」
「君以外は知っているんだよ。……連れて行ってくれ」
「「はっ」」
 まだ騒ぐエレリカを引きずっていく憲兵たちを、ルジェーロは無感動に見送る。ルジェーロが愚者の刃の一員だった者スハイルを匿っていたことを知る者は、ここには一人もいなかった。