079 母は強し


 一般的に、農閑期となる冬は、領主たちの社交シーズンでもある。
 ただ、領地が離れすぎていると、なかなか王都まで出てくるのが大変だ。費用がかかるし、たとえ金があっても時間がかかる。木っ端領主であれば、派閥の盟主の所に挨拶に行くのがせいぜいだ。
 僕の実家であるブルネルティ家の領地は、国土の中では辺境に位置するし、母上の実家が中央の官僚なので、勢力図の中では中立といっていい立ち位置だ。元々、融通の利かない頑固さのある武家の血筋であるし、田舎者というレッテルをいいことに、政争には関わってこなかった。
 ところが、ここにきて迷宮を領地に擁する、ただひとつの領主になってしまったので、各方面からのお声がけが激しくなってきた。僕の母上は、それを華麗に捌いていくも、最近はややうんざりした顔が増えてきた。
「わかっていたことですけれど、どなたも、ご自分の都合がいい事しかおっしゃらないのだから……」
 客を見送って自室に引き上げた母上に、お茶の相手を仰せつかった僕は、差し向かいで視線を落とす。
「すみません、母上。お手を煩わせてしまって」
「ショーディーが謝ることではないわ。これが、わたくしの仕事ですから。ショーディーは、わたくしのやり方を見て、今後のために学びなさい。……あなたはネィジェーヌと違って、すぐにわたくしたちの所から飛び出していってしまうのだから」
「はい。申し訳ありません。ありがとうございます、母上」
 困った末息子で、本当に申し訳ない。
 こうなることは予想していたけれど、母上ひとりに対して何人も、横柄に格下扱いしてきたり、あからさまに媚びたり、脅したり宥めすかしたり、ねちねちぎりぎりのらりくらりな現場を見聞きしてしまうと、謝るしかできないよ。
(こっちが新興だからって、同業大手や老舗クライアントにプレッシャーかけられたことを思い出して、見ているだけで胃が痛い。母上、ホント、ごめんなさい)
 前世で嫌な苦労を経験しているからこそ、母上がヒステリーを起こさないための愚痴吐き相手になるくらい、お安い御用だ。
 そもそも迷宮とはなんなのか、という情報を母上から引き出そうとする者が、びっくりするくらい少なかった。ただ、迷宮から様々な知識が得られ、莫大な富を得られることは伝わっていて、なんとかブルネルティ家を取り込もうとする勢力が、どんどん増えているようだ。
「商業ギルドも、いまさらご機嫌うかがいに来たみたいでしたけど」
「ブルネルティ家直営の商会なんて、それは面白くないでしょうよ。うっふふふ」
 ようやく笑った母上は、ちょっと見たことがないほど、優しいお顔をしていた。
「ネィジェーヌが、がんばったおかげね。ご婦人方の間でも、評判いいのよ」
「それはよかったですね」
 僕がまだミモザにいた頃、ヒイラギの計略により、迷宮産品を利用した商品開発が、姉上主導の下で領内の職人たちと協力して進められていた。これは、現在迷宮都市で生産または製造されている物も、いずれは迷宮外で作れるようになるための布石だ。
(いきなり迷宮製品と同じ物ができるはずがない。研究や研鑽を重ねる経験を、まず積ませることだ)
 この世界の人間は、稀人の知識に頼りすぎて、自分で考えて手を動かし、新しいものを生み出すという、良くも悪くもストレスがかかることに、あまり慣れていない。心のよりどころになっている稀人の知識は取り上げないで、それを手本に自分で考える経験を積む、その精神を育てるところから始めないと、長続きはしないだろう。
 このプロジェクトをブルネルティ家が全面的にバックアップすることで、資金面の不安を取り除き、出来上がったものを売り、エンドユーザーからの反応や要望を吸収する。継続的に利益を上げることにより、資金の調達と作り手の成長を促しながら、成功体験と失敗体験を無理なく積むという、理想的なサイクルを作ることを目指していた。
 いまのところ、迷宮案内所で買い取ってもらえない極小魔力石を使った入浴剤や、アクルックスから製造販売権を譲られた消臭剤、ダンジョンの浅い階層で収穫される木の実を使った保存食、アクルックス製には及ばない簡単な魔道具などが、主な商品となっている。母上が積極的に、上流階級の御婦人に宣伝しているところだ。
 そして、その商品を売る拠点として、このカレモレ館が候補に挙がっていた。いわば、地方の特産品を売るアンテナショップだ。カレモレ館の持ち主であるアレイルーダ商会も、継続的に家賃が入る上に、冒険者資格のない商人では入手できない迷宮製魔道具を持っているブルネルティ家と懇意になるので、前向きに考えているらしい。
 貴族家がオーナーになっている商会は珍しくないし、そういう商会は商業ギルドに入っていないことが多い。むしろ、弱小商家が貴族家に対抗するために、ギルドがあるのだから。
「王都に持ってくる予定はなかったのだけど、肥料も売った方がいいかしら?」
「まずは領内の農家に分配する方が先ですけれど、行き渡った後でなら、園芸用品として売り出してはいかがでしょう? 各地の領主へ売り込むよりも、王都では、花を愛でる貴族の庭師を相手にするんです」
「なるほどね。いい考えだわ」
 商売に関しては、母上の思考や感性も柔軟だ。儲かるのも嬉しいけれど、それ以上に数字という得意分野で活躍できるので、楽しいのだろう。
「ショーディーからお願いされていた、『迷宮を王家所有にするべき』と考えている諸侯ですけれど、特にヴァーガン家やマロネ家あたりがしつこいわね。どちらの家も、公方家のキャネセル家とつながりが深くて、盟主と仰いでいるはずです」
「キャネセル家ですか……たしか、建国の時に王に付き従っていた、初代魔道将軍のお家でしたよね」
「そうよ」
 初代、とは付くものの、建国以来、魔道将軍の地位を賜ったのは、キッス・キャネセル一人だけ。キャネセル家にはスキル持ちがよく生まれるけれど、魔法使いはキッスだけだったはずだ。
「アクルックスが魔法都市と言われているから、余計に欲しいんでしょうね」
「モンダートに突っかかってきそうで、いまから怖いわ。ロロナ様がアクルックスに逗留されているから、ヨーガレイド家に対してもガミガミ言っているそうよ」
「うっわぁ……」
 怖いもの知らずというか、公方家にしては軽挙妄動というか……。
「そのヨーガレイド家については、どうでしょう?」
「静観の構えね。ご当主がまだ若いし、老練とは言い難いけれど、柔軟なのだと思うわ。ロロナ様の侍女が失態から迷宮に呑まれたことを、ちゃんとご存じだったし、手間をかけたと謝られてしまったもの」
 母上が王都にきて割と早い段階で、ヨーガレイド家からは面会の打診が来ていた。初めての公方家の屋敷は、さすがの母上も緊張したそうだ。
「あそこは冒険者ギルドと繋がっているから、貴族家の中では一番正しく迷宮を把握しているわね。だから、キャネセル家が何を言って来ようと、鼻で哂っているでしょうよ」
「ですよねー」
 ヨーガレイド家の現当主ラムズス卿は、ロロナ様の夫だったサーエール卿の弟だ。まだ三十歳になったかどうかという年齢だったはずなので、たしかに老練とは言わないだろう。ただ、ロロナ様に離宮を脱出されてからの動きの鈍さ、逆に情報収集の早さなどを見るに、どこか底知れなさがある。
(何を考えているのか。やっぱり公方家を敵に回すのは、慎重にするべきだな)
 当主が傑物ではなかったとしても、キャネセル家のように傘下にある多くの家を手駒として動かせるのだ。ブルネルティ家だけで相手をするには、荷が勝ちすぎる。
 我が国の公方家は、現在、五家ある。
 ロロナ様が降嫁したヨーガレイド家。
 ニーザルディア国時代からあるレアラン家。
 初代魔道将軍を輩出したキャネセル家。
 多くの銀山を所有しており、現宰相を任されているイクセミア家。
 第一王女セーシュリー様が当主のヘレナリオ家。
 それぞれの家が派閥を作って、多くの家を傘下とし、リンベリュート王国の権力ピラミッドを形成している。
「わたくしの所へ直接来ないだけで、ヨーガレイド家以外の四つの公方家は、迷宮を自分のものにしたいと考えているでしょうね。ショーディーが考えている通り、表向きは王家所有に、と言うでしょうけれど」
「たとえヘレナリオ家が管理するという事になったとしても、自分たちの無理を通せると考えていそうですね」
「畏れ多いことだわ」
 血筋では紛れもなく第一席になるヘレナリオ家ではあるものの、経済力も政治力も影響力も、すべてにおいて、公方家の中では最下位だ。侮られるのも仕方がない。
「なるべく早く、ブルネルティ家の負担を減らせるようにします。しばらく留守にしますが、お任せください」
「この子は本当に……まあ、言っても聞かないでしょう。気をつけて行ってきなさい。あなたのお父様たちも来られるのですから、あまり遅くなってはいけませんよ」
「はい。ありがとうございます、母上」
 いつも通りの、厳格な雰囲気のお顔に戻ってしまった母上だけれど、僕を心配してくれていることはわかる。
 想定していなかったマリュー家の現状から実家に助けを求めたら、すぐに母上が来てくれたこと、本当に嬉しかったよ。