061 子を想う母、母を想う子 ―フォニア
息子が描いた自分の肖像画を眺めながら、フォニアは色濃く激動となった時間を思い返す。きっかけとなった末子の家出から、もう一年も経ってしまった。
末子のショーディーに始まり、上の子のネィジェーヌとモンダートまで家を出てしまい、このままでは良くないとわかっているのに、なにが悪いのかわからなかった。あの苦悩を繰り返さないためには、相手を何もわからない子供と思わず、よく話を聞いてあげることだと、つくづく痛感したものだ。 (子供というのは、意外と見ているし、知っているものね) 自分が子供の頃はどうだったかと思い出そうとしても、規律と躾に厳しい両親の言う事に従っていれば間違いがなかった、としか……。そう言えば、自分の意見をはっきり言うようになったのは、夫となったベルワイスが、領地の仕事はキッチリできるのに、プライベートが抜けているというか、失言が多いというか、あまりにもちゃらんぽらんだったせいで……。 そこまで思考してイラついてきたので、慌てて肖像画に視線を戻す。 (ショーディー……) 肖像画に描かれている淑女ほど、自分は穏やかな顔をしていないという自覚はある。鏡に映るのは、いつも眉間にしわを寄せていた厳格な父に似た、にこりともしない女。ここに描かれた肖像は、ショーディーが願う母の姿なのかもしれない。 その時、慌ただしい気配が自室に近付き、対応に出た侍女のパルティも、やや困惑したようにフォニアに声をかけてきた。 「奥様、旦那様がお呼びです。ショーディー様から、速達が届いたそうです」 「え?」 速達と言えば、運輸ギルドが扱う、緊急に確実に手紙を届ける手段だ。通常の手紙のやり取りに使うようなものではない。 「すぐに参ります」 すでに夕食の時間が終わり、そろそろ就寝時間が迫っていたが、そんな真っ暗な夜道を、速達員を乗せた (王都で何があったのかしら) 急いで身支度を整えて夫の執務室に向かうと、分厚い紙束に視線を落としたままのベルワイスが、うろうろと落ち着きなく歩き回っていた。 「あなた。ベルワイス様、ショーディーになにか?」 「ああ、フォニア……。とにかく、読んでくれ」 受け取った紙束には、ショーディーの幼い字が、一生懸命に事態を説明しようとつづられていた。 王都に無事到着したこと。ただ、マリュー家には問題があり、すぐに別の逗留先として屋敷を探すつもりのこと。祖母には会えたが、認知症が進んでいること。王都では、冒険者ギルドのポルトルルを頼るので、とりあえずの心配はいらないこと。新しい屋敷に落ち着いたら、また連絡すること。マリュー家の問題については、父と母にお願いすること……。 思わず額から顔を覆って、フォニアは大きなため息をついた。 「おお……もう……。なんてこと……!」 「ここまでとは、さすがに……」 ベルワイスも、苦虫を噛み潰したような表情になっている。ショーディーが家出した時の、ミュースター村の村長宅を指定したアンダレイのことを言えなくなってしまったようだ。 ルジェーロとエレリカのマリュー夫妻にあてた手紙は、懇意になったポルトルルのおかげで、冒険者ギルドに頼んできちんと届いたはずだった。しかし、その手紙を届け先が軽視していたのなら、どうにもならない。 「お兄様の頭の中は、いったいどうなっているの!? エレリカお義姉さまは、そんな感じの人だとは思っていましたけれども……それをわかっていて一緒になったのではなくて!?」 思わず地団駄を踏みたくなったのをなんとか堪え、フォニアは問題をひとつずつ解決するため、ショーディーの手紙を挟んで夫と向き合った。 「わたくしがまずショーディーを褒めたいのは、きちんと大人を頼れたことです」 「同感だ。あれに常識は通用しないが、頭の回転が早いし、行動力もある。あの子自身については、あの子の言う通り心配はいらないだろう。ハニシェもついている。ただ、マリュー家に関しては、子供が首を突っ込んでいい話ではない」 「ええ。すぐにマリューの屋敷を離れると決めたのは、良い判断ですわ。これ以上、おかしなことに巻き込まれてはいけません」 伯父が愛人を囲って家に帰らないばかりか、伯母も家政を放り出している。従兄弟たちの評判も良くないし、昔からいる使用人たちは、フォニアの母であるイリアを護ることで精いっぱいだ。 それでも、ショーディーはブルネルティ家の子息であり、まだ七歳にもなっていない子供だ。他家の事情を裁断する権限はない。 「ショーディーが推察したように、ゼーグラー家をはじめとした間者が入り込んでいるのは疑いない。早急に、君の母上を保護し、財政も検める必要がある」 「ええ、ええ。……お母様……」 ショーディーが会った祖母は、孫のショーディーを恋人時代の夫と思い込み、娘であるフォニアの名前を聞いてもわからないようだった。 『母上に会っても、母上とは別人だとおっしゃるかもしれません。それだけは、先にご了承を……』 ショーディーが言葉を遠回しに気遣ってくれたが、母に忘れられているという事実は、とてもつらい。それでも、子供のころから知っている使用人たちが頑張っているというのなら、フォニアも娘としてしっかりしなければならない。 「ラナリアは亡くなったのね。そう……彼女の献身にも報いなくては」 なにかと世話を焼いてくれた、かつてのメイド長との思い出も多い。なんとか、使用人たちも助けてやらなければと思う。 「お父様の財産を食い潰しているならまだしも、なにもわからなくなっているお母様の名前で借金でもしていたら困ります」 「そのとおり。下手をすれば、他人の浪費の支払いを、我が家が肩代わりする羽目になりかねん。問題は、ブルネルティ家の人間が、マリュー家の財政を見る権限だが……。なんとかして公的な言い訳を考えるか」 「それなら、わたくしが直接行きますわ」 「フォニアが?」 横やりが入ることがわかりきっている面倒事に、自ら清算に動くという妻を、ベルワイスは心配する。 「わたくしが数字に強いことは、ご存じでございましょう?」 「もちろん、それは疑いもない。だが、危険ではないか」 フォニアは、ブルネルティ家の男らしいベルワイスや、女だてらに剣の扱いもこなす娘のネィジェーヌと違い、身を護る武術などなにも習得していない。 しかし、戦い方はそれだけではないと、フォニアはよく知っていた。 「もちろん、護衛は付けてくださいませ。それに、コロンの検めもまだ終わっていないでしょう? 領地を半年も空けてしまうのに、財政に詳しい者を引き抜いていくわけにはいきませんわ。マリュー家の血筋から言っても、文句が出にくいわたくしが適任です」 幼いころからブルネルティ家に嫁ぐことが決まっていたフォニアは、領地運営に関するあれこれ、特に数字に関しては、軍官僚だった父に叩き込まれていた。領主夫人としての品位を失うことなく、夫以上に出しゃばらずに内助の功を立てるには、しっかりと土台を支えることが重要だと。 「 フォニアが知らず浮かべた口元の微笑に、ベルワイスは小さく引いた。なにより、夫人の戦場は社交界である。そのことを知らない夫ではない。 「久しぶりに、暴れて参ります。たまには、母の雄姿を息子に見せるべきでしょう。娘にも見せられないのは、残念ですが」 「……わかった。君に任せよう」 「ありがとうございます」 ベルワイスの、適材適所であれば、特にこだわりなく女にも仕事を任せるところは、フォニアも大変好感を持っている。 「今年の内に、わたくしだけで先に行きますわ。ベルワィス様は、モンダートと一緒に年明けにいらしてください。新年の祝いに、二人ともが領民の前に出られないのは問題ですから」 「わかった。しかし、少し待ちたまえ。どうせショーディーのことだから、半月もしないで次の便りが来るだろう。逗留先の屋敷が決まった報せが、行き違いになるといけない」 「そうですわね。では、その間に、ネィジェーヌとお土産を選定することにいたします」 「よかろう」 そうして夫婦間での協議が終わり、翌日から慌ただしく準備が始まった。 そして、ベルワイスの予想よりも早く、一週間も経たないうちに、ショーディーから「滞在先が決まった」との速達が届いたのであった。 「ショーディー、いま母が参りますからね」 想定外の厄介事に困惑しているだろう息子のためにも、急いで王都へ行くつもりだ。 (お母様……) 嫁いでから、ろくに帰省もしていなかったが、せめて心穏やかな余生を送っていることを確かめたかった。 庶民の出らしく、大きく金銭を使うことに慣れない、つつましやかな女性だった。見ているこちらが照れてしまうほどの、仲の良い夫婦だった。そして、厳しくも 「行きますよ!」 フォニアは侍女と護衛をはじめとした使用人たちを引き連れ、ベルワイスに見送られながら、ブルネルティの城館を出発していった。 |