055 奴隷市と名伯楽


 翌日、朝食を済ませた僕は、さっそく冒険者ギルドに向かうことにした。
 マリュー家の馬車を出させるわけにもいかないし、天気も良かったので、ネロスが付けてくれた下男のウルダンと一緒に、テクテクと歩いていく。
 僕が出さなくていいって言ってはあったけれど、はじめは馬車を出せないことに恐縮していた。そして、僕が「ハニシェは、こうしてくれる」ってウルダンと手を繋ぐと、もっと慌てていた。僕が迷子になってもいいのかと詰めて、ようやく了承してくれたけど。
「へ〜。八百屋さんやお肉屋さんがまわってきてくれるんだ」
「はい。もちろん、大通り近くに店舗もあるんですけれど、この辺りのお屋敷には、まとまった量の配達をしてくれるのが、普通だと思います」
「ぼくんちも、たぶんそうだったと思うけど……城館って、畑があるし、大山羊カーパーも飼ってるんだよねー」
「ああ、ブルネルティ家のお城なら、飢饉や籠城の備えとかのために、そういう事もしているんですね」
「そうそう。食べられる実が生る木も、何本もあるんだよ。ぼくね、兄上にそういうの取ってもらって食べたんだ! 姉上は母上に叱られるから、木登り禁止だったけど」
 人懐こく田舎の子供らしいエピソードを話せば、マリュー家の乱暴な子供に慣れてしまっていたウルダンは、にこにこと楽しそうにしてくれる。大人の使用人を取り込むのに、子供というアドバンテージは有効活用せねば。
「あはは。お嬢様が木登りをしてしまわれたら、それは使用人たちも困りますよ。坊ちゃまたちもですけどね。危ないですから、腕白もほどほどになさってください」
「むー。でも、兄上は、とっても強いんだぞ! すっごくかっこいいんだから!」
「そうですかぁ。お会いできるのが楽しみですなぁ」
「うん! 楽しみにしてて!」
 和気あいあいと話しながら、高級住宅街を歩き、昨日冒険者に教えてもらっていた、中層にあるギルド通りへとやってきた。
 この辺りには、各ギルドの本部が建ち並び、上流階級と庶民とを繋いでいる。冒険者ギルドは言わずもがな。商業ギルドや運搬ギルドは、各領地を繋ぐ物流を。職人ギルドは大工や石工をはじめ、お針子や宝飾細工師、果ては画家や音楽家や大道芸人すらもカバーしている。
 平民階級である彼らに、金持ちが金を出すことで、庶民が作った物が売れる。有産階級が大きな依頼を出すことで、庶民に雇用が生まれる。金銭に付随した身分に差があったとしても、互いに無くてはならない、普遍的な社会構造だ。
 そんな風景の中、広場で少し毛色の変わった市が立っていた。檻のようなものが見える。
「ん? なぁに、あれ?」
「ああ。教皇国の奴隷商人ですよ」
「ええっ!?」
 リンベリュート王国では、違法ではないのだが、人身売買がされること自体は稀だ。犯罪奴隷という刑罰はあるものの、基本的に金銭で身柄を売り買いするという市場がない。
 それは、リンベリュート王国がまだ若い国で活力があり、さいわいにして飢饉にも見舞われておらず、比較的経済が安定しているからだ。子供が多くて口減らしをしたいとなっても、どこかしら雇ってくれる所があるため、そこへ奉公に出すことが一般的だ。親がなく、特技も伝手もない子は、たいてい冒険者になる。
 結果的に、低い賃金でも雇用という形態に収まり、身を持ち崩してスラムにたむろすることはあっても、人権や生命ごと所有されるという最悪の状態になることは滅多になかった。
「……教皇国って、奴隷がいるんだ」
「噂に聞いただけですがね」
 そう声を潜めてウルダンが教えてくれたのは、グルメニア教の支配圏の広さだった。
 この世界……少なくとも、この大陸だけでも数カ国はある。そして、そのすべての国で、グルメニア教は信仰されていた。つまり、何処へ行っても、稀人の知識はありがたがれ、それを独占している教皇国の影響を受けざるを得ない状態だ。
 そんな中で、何らかの理由で教皇国の裏支配から抜け出そうとする勢力も、いままでにまったくなかったわけではない。ただ、それが成功したためしがない、というだけで。
(そういう抵抗勢力に加担した人間を、こうして売っているってことか……)
 下男のわりに事情通なウルダンの話によると、当事国で処刑されるところをグルメニア教が助命し、教皇国に追放処分という形にしているそうだ。慈悲深い教皇国の方針だと言うが、実情はこのように奴隷として無関係な国に売りさばいているらしい。
(こういうの、なんて言うんだっけ? マッチポンプ? 三国貿易? ちょっとちがうかな)
 テロやクーデターの主犯や実行犯のような、本当にヤバいのは処刑されているだろうから、売られているのは連座させられた使用人とか仲間の子供とか、関係が遠い連中だろう。
 当事国にしてみれば、無罪放免とするには遺恨や禍根があり、さりとて人数ばかりいて、懲役を科すにもその場所や管理に手がかかる。そんな面倒な罪人たちを、一応被害者側の関係者と言えなくもない教皇国が、無償で引き取ってくれるのだから、手間が省けてありがたい話に違いない。
「あまり言葉も通じない外国人ばかりですし、ショーディー坊ちゃまは近付かれませんように」
「言葉通じないのに売れるの?」
「教皇国の言葉は、多少話せるようですよ。だからでしょうね。来年、教皇国の方々が来るのに合わせて、売りに来たのでしょう。この国で、教皇国の言葉がわかる者は少ないですから」
「ほー」
 なるほど。通訳を兼任しているのか。たしかに、元々教育を受けていたような身分なら、語学に堪能な者もいるだろうな。いまからなら、僕たちが話しているニーザルディア語も、付け焼刃程度には覚えられるのかもしれない。
 檻車が並び、お立ち台が設置された、少し異様な雰囲気の広場をチラチラと見つつ、僕らは当初の目的地である冒険者ギルドに到着した。
 本部と言うからには、たくさんの冒険者が仕事を求めてひしめいているのかと思ったが、そんなことはなかった。そういうのはいわゆる下層、下町にある王都リーベ支部でのこと。
「いらっしゃいませ」
 僕たちを迎えてくれたのは、警備の人と、受付のお姉さん。建物の一階は、見る範囲は受付と来客用ラウンジしかないようだ。たぶん、ここからは見えない裏で、職員たちが仕事しているんだろう。
「ブルネルティ家のショーディーだよ。約束は特にしてないんだけど、ギルド長いるかな?」
「はい。どうぞこちらへ」
「えっと、ちょっと待っててもらえる?」
「かしこまりました」
 マリュー家の人間には、まだ聞かれたくないような話も飛び出す可能性があるので、ウルダンはラウンジで待っていてもらうことにした。
 話が通っているのか、それとも貴族階級を相手にすることもあるからか、僕はすんなりと奥へと通された。三階まで上がって、他よりもちょっと豪華なドアがノックされる。
「ギルド長、ショーディー・ブルネルティ様がおみえです」
 中から返事があり、僕は受付嬢が開けてくれたドアをくぐった。
「こんちは、ポルトルル!」
「ようこそ、ショーディー様。夏以来ですな。お元気そうでなによりです」
 執務机から立って、僕にソファをすすめてくれるポルトルルは、相変わらずほっそりした体型だけど元気そうだ。
 僕はエースの毛で織られたマントを脱いで、ポルトルルと向かい合って席に着いた。受付嬢とは別の女の人が、僕とポルトルルにお茶を運んできた。
「ご無事の到着、お慶び申し上げます。王都はいかがですかな?」
「覚悟していたほど臭くなくて、助かったよ」
「ほっほっほっほ。ダートリアやアクルックスが基準では、そうでしょうな」
 僕は新商品であるコーヒーの消臭剤を、お土産だとポルトルルに渡した。そのうち、コーヒー豆やその淹れ方も、アクルックスから伝わってくるだろう。
「これも、兄君のためですな?」
「ふふん、当たり前じゃないか」
「兄弟仲がよろしくて、とてもけっこうでございます」
「あ、その兄弟仲と言えば。ぼくの従兄弟家族がさぁ……」
 僕は逗留先となるはずだったマリュー家の惨状をポルトルルに愚痴り、予定よりずっと早く屋敷を借りる必要が出来たので、その間の王都の案内や護衛を頼める冒険者はいないかと相談した。
「その辺のならず者ぐらい、ぼくの敵ではないんだけど……。王都に来るまでの間に、何度も何度も絡まれると、さすがに学習するよ」
「なるほど、見た目がそれなりな者が、ご要望ですな」
「そうなんだ。頼むよ」
「かしこまりました。直ちに人選を済ませましょう。それと、屋敷を探すなら、私も一緒に商業ギルドへ行きましょうか。ろくでもない物件を掴まされる心配がなくなりますので」
「ありがとう!」
 一応家名があるとはいえ、子供の僕が代表だと、信用が足りない。本当はこれも、伯父上が一緒に行ってくれるはずだったんだ。
「それと……ショーディー様に、耳寄りなお話がひとつ」
「なぁに?」
 声をやや潜めたポルトルルに、僕も思わず身をのりだした。
「ここに来るまでに、奴隷市を見ませんでしたかな?」
「やってたね。教皇国の奴隷商人だって」
 にやりと笑みを漏らしたポルトルルに、僕もはっとなった。
「教皇国を嫌いな人間なら、ぼくや迷宮を裏切らない?」
「目星はついておりますれば」
 ロロナ様やライノが信頼するポルトルルの眼を、僕は全面的に信用することにした。