043 嵐をやり過ごす旋風児たち


 いま僕とモンダート兄上は、宿の窓を薄く開いて、荒れ狂う空を見上げている。
「うひょっ、つめてっ」
 吹き込んだ雨粒に当たった兄上が、窓から離れてゴシゴシと顔を拭った。
 その間にも、僕はビシャビシャゴロゴロと鳴る雷を見上げていた。
「なんで緑色なんだろう? 変なの……」
 城館に住んでいた頃は、嵐になったら部屋から出してもらえなかったし、何より幼すぎて雷を見た記憶がない。実家を出た後も、アトリエや箱庭に籠っている間に嵐が来ていたら、もちろん気付けない。
 この世界に来て初めてといっていい雷雨を見上げて、僕は目をぱちぱちと瞬いた。雨粒のせいで、顔じゅうが濡れていたけれど、それよりも見たことのない現象に釘付けだった。
 重く垂れこめて雨を降らせる雲に走る稲光は、黄や白や紫ではなく、緑色の光を放っていた。
(大気の層が地球と違うのか、磁力が違うせいなのか……不思議だな)
 地球でも、スプライトという雷に似た現象は赤い光だし、グリーンフラッシュという一瞬だけ空が緑色になる現象はあるけれど、緑色の稲妻というのは聞いたことがない。
(こういうのも、いずれ解明されていくといいなぁ。面白そうだ)
 『魔法都市アクルックス』で一番高い塔は、もちろん魔法学園のものだ。そこに気象と天体の観測拠点を置いて、毎日の天気や気温、雲や星の動き、そういった変化を記録してもらっている。
 他にも迷宮都市を創った時には、同じように観測拠点を設けるつもりだ。この世界の人間が気付く前に教えることはないけれど、記録というのは毎日の積み重ねが大事だ。
「ショーディー、そろそろ閉めるぞ」
「はぁい」
 鎧戸をしっかり閉めると、部屋の中は暗く、雷雨の音も屋根越しに聞こえるだけになった。
「うわ、お前も顔がびしょびしょじゃないか。ちゃんと拭け」
「うにゅ。あぃがと、ごじゃいましゅ、あにゅぅえ」
 兄上にハンカチで頭から顔までごしごしされた。うむ、髪の毛まで濡れていたな。このまま部屋を出たら、姉上やハニシェに叱られるところだった。
 僕らは今、アクルックス近郊を出て、南の鉱山地帯を目指している。
 あいにくの嵐に遭遇したけれど、そろそろ夏も終わりに近づき、移動しやすい気候になってきたところだ。
「雨が止めば、明日にでも出発したいところですが、道が壊れていないとも限りません。安全確認のために人を出しますので、明後日の出発とさせてください」
 本来なら外が明るい時間なのに、宿の中はランプをつけても薄暗い。昼食後に姉上の部屋に集まった僕たちに、今回の護衛隊長であるオッシュが申し訳なさそうに報告する。
 オッシュはダートリアの代官邸に再就職した元冒険者だ。商家の三男の出で、すぐに障毒にかかってしまったように戦闘センスはないが、行儀作法や計画に沿って差配することに関しては、ライノが太鼓判を押して推薦してくれた。なんなら、護衛じゃなくてアンダレイの助手にしたいくらいだ。
 姉上、兄上、それに僕と、さらに従者や侍女も入れた大移動ではあるものの、従者や侍女のほとんどが元冒険者なので、護衛専任役は少なくて済んでいる。
「わかりました。重要な街道なのに、嵐が来ただけで悪くなってしまうのは問題ね」
「あー……、姉上。道が崩れていても、俺が直せるんじゃ?」
「「あっ……」」
 ネィジェーヌ姉上とオッシュが、同時に声を上げた。
「申し訳ありません、モンダートさま! その、決してモンダートさまを軽んじたわけではなく……!」
 冷や汗をダラダラ流しながら平身低頭するオッシュに、兄上は笑って手を振った。
「大丈夫だよ。姉上だって忘れてただろ」
「ええ、ごめんなさい。モンダート」
「だから、いいって! なんかあっても、俺たちが出て行っちゃダメだって、家じゃ言われるもんな」
 学園で半年ほど過ごし、心身ともに成長したモンダート兄上は、落ち着いて周囲を見渡せる精神力を手に入れたようだ。
 そのうえで、自分にできることをしたいという、自主性や献身的な心が育ったみたいだ。相変わらず、僕にも優しいし。
「あにうえ、ドロドロ地面を操れるようになったんですね! すごいです!」
「へへん。俺に任せておけ、ショーディー」
「はい! あにうえ、とってもかっこいいです!」
「はーっはっはっは!」
 兄上の調子に乗りやすいところは、やっぱり父上譲りだろうか。
「では、明朝に雨が上がり次第、出発しましょう。長雨になりそうなら、またあらためて」
「かしこまりました」
 話し合いは終わったけれど、雨のせいで宿の中に閉じ込められたままで、僕らはとても暇だ。
 姉上が宿泊している部屋で、お茶会をしながら色々話をすることにした。
「あねうえ、うちの領では、水路って、どうやって作っているんですか?」
「うーん、ごめんなさい。詳しく知らないわ。お父様たちが、フェジェイの大工や石工に依頼しているのは知っているけれど」
 さすがに姉上でも、土木工事に関する専門知識は持ってないか。
「うちの領地って、川があるのはいいけど、すぐに流れて行っちゃうところと、ジメジメしているところがありますよね」
「そうね」
「だったら……」
 ため池や遊水地を人工的に造ることで、日照りや、逆に水害に対応すること。農耕地や居住地を造る前に、計画的に水路を整備することで、その後の管理をしやすくすること。高低差のある水路の接続・分岐の仕組みや、下水の沈殿槽の提案、暗渠の造り方などを、いくつか教えた。
 これらは『稀人の知識』グリモワールとして迷宮から供給されるので、いますぐすべてを姉上たちが覚えなければならないことではない。ただ、そういう考え方があると知っておいてもらうだけだ。
「湿地は、大雨になった時に水を蓄えておいて、人が住んでいるところに溢れないようになっている場合もあるので、ちゃんと調べて、対策をしてから、畑や町にするといいと思います」
「たしかに、ラポラルタ湿原にあるアクルックスのまわりは、でっかい濠で囲われてるな。防衛するにしても、無理のないやり方なんだな」
「あにうえ、すごいです! そのとおりだと思います!」
「なるほど、大変な事業になりそうね。まず、資金が必要だわ」
 姉上の尤もな指摘に、僕も頷いた。公共事業をするには、それだけの資金が必要だ。
「そこで、迷宮を使いましょう。いまのところ、ダンジョンから出てくる物や、迷宮で作られている物は、ぼくらが優先的に、領地の外へ売りさばくことができます。現物だけではありません。職人たちに積極的に知識や技術を学ばせて、迷宮の外でも作れる物を商品化するんです」
 領主家は売り上げた職人たちから税金を取るもよし、品物を買い上げて独占的に輸出するもよし。やり方は色々あるはずだ。
「わかったわ。この前、迷宮主の遣いだという人からも提案されたし、なにができるか、お父様たちと話し合ってみる」
 そういえば、ヒイラギは姉上たちに何を言ったんだろうな? 投げっぱなしで、内容を全然聞いてないや。
「はい。大規模な工事をする時も、あにうえにお願いすれば、人力だけでやるよりも早くできると思います」
「任せとけ! それに、石材の切り出しや、煉瓦にする粘土の配合も、俺の魔法が役に立ちそうだな」
 兄上の目も輝いている。
「職人たちといろいろ試して、うちの領地にぴったりな方法を探しましょう」
 公共事業や新しい物を作るというのはいいが、そもそも適切な材料を探すのも大変だ。姉上たちなら、焦らず、コツコツとやっていけるだろう。

 翌日の朝まで雨は残ったが、すぐに雲の切れ間から日が差し始めた。
 僕らが乗っている山羊車は特別製で、ミモザで飼っている大山羊たちのリーダーであるエースに牽かせるために、車体も大きければ足回りも工夫が凝らされている。
「いつも思うのだけれど、大山羊って、こんなに大きくなるのね」
「たぶん、エースがとくべつ大きくなっちゃったんだと思います」
 僕と兄上と姉上と、お世話係にハニシェが同乗して、箱車の扉が閉まる。
 んんべえええええぇぇぇ、とくぐもった鳴き声を上げてエースが歩きだすと、山羊車もぐいぐいと動き出した。
 一頭立てにしては、御者と乗員四名と荷物がゆったり載るほどの、非常に大きな車体だ。なるべく軽い素材を選んでいるけれど、エースのパワーに負けない頑丈さも備えていて、しかもアクルックスのユニコーン車ほどではないにしろ、揺れの少ない、良い車体に仕上がっていた。職人たちの知恵と技術と苦労が詰まっている。
 この車はエース専用なので、今後も僕が使う予定だけれど、汎用化された技術は、ダートリアで姉上が使う車体や、それ以外にも応用されるはずだ。
「嵐もテンション上がるけど、やっぱ出かけるなら晴れている方がいいな!」
「ぼくもそう思います!」
 さっそく窓を開けて流れる風景を眺める兄上に、僕も心から同意した。