035 ライノの後悔


 その事件があったのは、いまから三十年くらい前のことだ。
 国土のあちこちに建国の勇士が領地をもらって散らばり、征服から統治へ向かう中で王都の建造も進み、王国としての体裁が整いつつあった頃。
 当時はまだ騎士や兵士が実質的な戦力を持ち、食糧確保のための狩りのついでに害獣討伐も積極的に行ったため、冒険者ギルドの浸透が少なったそうだ。
 そもそも害獣が少ない場所を求めて遠征してきたので、急激な都市化に合わせて増殖する害獣への対処に関するノウハウが不十分だった。同時に、町を捨てるほどの“障り”の中で過ごした経験のある年長者たちの、「昔に比べたら少ない」という誤った認識が、生まれてきた新しい命を危険にさらす結果となった。
 当時、ロロナ王女は十二歳。ライノ少年はまだ五歳ほどだったが、同い年の第二王子の側近となるべく、大人たちに王家の子供たちとよく遊ばされていたそうだ。
 ライノの記憶では、その日、凄く嫌な夢を見たせいでぐずりにぐずっていたが、軟弱者だとか、約束を反故にするなとか、外に出れば気分も変わるとか、そんな理由で無理やり王城に連れていかれた。
 大人たちは城の室内にいて、子供たちは庭園で遊んでいた。メイドはいたと思うが、花壇や植木の茂みでかくれんぼをしていたせいで、どこに誰がいたのかはわからなかったそうだ。そして、害獣が何処から入り込んできたのかも、やはりわからなかった。
 気が付いたときには、草木の茂る庭は、毒液を吐く人間大のダニの群に押し包まれようとしていた。
 ライノ少年は逃げながら悲鳴しか上げられなかったと思ったが、ちゃんと大人を呼べていたらしい。すぐに兵士たちが駆けつけて害獣を駆除したが、第二王子をはじめ、貴族の子女やメイドたちが犠牲になり、生き残れたのはライノを含めて三人だけだった。
 ライノが無事に生き残れたのは、本当に良かった。五歳の幼児が身を護って逃げられたのだ。大正解だ。
 しかし、この世界の人間は……いや、国王をはじめとした当時の大貴族たちは、生き残った者に落とし前を求めた。
 現場は王城の庭園なのに、その警備や害獣が侵入してしまう構造に関しては口を噤み、第二王子を護れなかったライノを処罰し、貴族籍を剥奪してしまったのだ。
「なにそれ! ぜんっぜん、なっとくできない!!」
 ダートリア代官邸の応接室にて、僕はローテーブルに両手をたたきつけて叫んだけど、両手が痛くなっただけで、話してくれたライノはほろ苦い微笑を浮かべるばかりだ。
「ライノのせいじゃないじゃん! ライノ、今のぼくと同じくらいか、もっとちいさかったんでしょ? 武器だって、盾だって持ってなかったんでしょ!? それなのに害獣から王子さまをまもれって、無理に決まってんじゃん!! そいつら、あたまおかしいんじゃないの!?」
「きみなら、そう言うと思ったよ。でも、不敬だから、外では言うなよ。私の両親ですら、その処分を当然と受け入れたし、なんなら家の恥だと叱られたぞ」
「しんっじらんない!! ライノ、よく生きてたね。とってもエライ! ぼくが褒めてあげる!!」
 向かいのソファにまで行って、僕はライノの肩に抱き着くように伸びあがり、頭をナデナデした。整えられた焦げ茶色の髪がくしゃくしゃになったけど、僕は理不尽な目にあった僕と同い年くらいの小さなライノを慰めてあげたかった。
「ライノは、すごく頑張った! 生き残れたの、すごくエライ! ぼくが保証する!」
「ふふっ、この歳まで生きてきて、こんなに褒めてもらえるとは思わなかった」
「褒めたりない! 国民全員で、褒めるべき!」
「ははははっ、わかった、わかった。耳の側で大きな声を出すな。ありがとう。もうよせって」
 髪を撫でつけるついでにライノの指先が目尻を拭ったようだけど、僕は見ていない。見ていないったら、見ていない。
「それで、ライノは平民になって、冒険者になったんだ」
 僕は自分が座っていた席に戻って、ぬるくなったハーブティーを飲み干した。迷宮産魔道具のポットからお湯を注いで、二人分のお茶を淹れ直した。
「そうだ。だが、私はまだいい方だ。冒険者資格ができるまでは使用人の家に預けられたし、身分と引き換えに自由を得た」
 ライノの眉間にぎゅっと皺が寄り、唇が引き結ばれた。
「残された方は、どれほどの苦痛を耐えねばならなかったことか……」
「ロロナ王女さまは、生き残れたんでしょ?」
「そうだ。当時、まだ二歳だったヨーガレイドの嫡男を護って傷を負い、障毒に侵された。殿下はメイドが放り出した赤子を抱きかかえて逃げただけなのに……」
 ライノの両手は握りしめられ、ぶるぶると震えていた。
「疵物を王女として置いておけないから、家臣の癖に王族に護られたヨーガレイドが責任を取れ、と……」
「え……」
 潰れたようなのどから絞り出された事実に、僕も唖然となった。
「まさか、王女様は、その助けた二歳の子の……お嫁さんに?」
「……そのとおりだ」
 信じられない。なんて馬鹿げた話なんだ。
 ロロナ王女は障毒で身体が不自由になったことが瑕瑾とされ、自分が護った十歳年下のサーエール・ヨーガレイドと結婚することになった。二人の間に子供ができる前に、サーエールが害獣とは関係ない怪我が元で早世してしまった後も、現在までヨーガレイド家預かりになったままだそうだ。
 嫡男を救ってくれた王女だし、王家に責任を取れと言われて迎えた女性を放り出すわけにもいかないだろう。それに、曲がりなりにも王家との婚姻関係というステータスは、王国内のパワーバランスで圧倒的に高い。貴族の中でも最上の公方家と呼ばれるようになったヨーガレイド家としては、王女を冷遇するよりも、より効果的な使い方を考えるだろう。
「ヨーガレイド家が、王女様が降嫁した大貴族だっていうのは知っていたけど、そんな裏話があったなんて……」
「あまり大きな声で言えることではないからな。本当に非があるのは王家の方だと、みな理解していたから」
 現在のヨーガレイド家は、亡くなったサーエールの弟が継いでいるそうだ。そして、冒険者ギルドとリンベリュート王国のつなぎとして、圧倒的な力を持っているのが、ヨーガレイド家となっている。
「あの事件の時、子を失った家は複数ある。それらがヨーガレイド家のもとに集まり、ロロナ様を旗印として積極的に冒険者ギルドの誘致をしたのだ。ギルドは今でも、王家と対立しそうなときは、ロロナ様とヨーガレイド家を頼っている」
「なるほど。リンベリュート王家も、まったく気にしてないわけじゃないんだ」
「自分たちだけ害獣からの護りから除け者にされたくはないからな」
 ライノの視線が皮肉気に揺れたのを見て、僕はなんとなく察した。
「もしかして、ライノの実家も、ヨーガレイド家の傘下になったの? ライノを追い出したのに?」
「私が冒険者として害獣退治をしているからな。勝手に自分たちの手柄扱いしているんだ」
「サイッテー」
 僕はフンと鼻を鳴らしたけれど、ライノは気にしていない様子で肩をすくめた。
「むこうがなにを言っているとしても、私にとっては、もう縁の切れた家だ。それに、冒険者になったのは私の意思だ。それが一番生きていきやすい道だと判断したからだが、ロロナ様の勧めでスキル鑑定をしたのがきっかけでな」
「あっ、【未来視】?」
「……きみに話したか?」
 あ、やべ。ライノじゃなくてハセガワに教えてもらったんだった。これって内緒だっけ?
 僕は冷や汗を流しながら、わたわたと挙動不審になったけど、ライノは僕に隠す気はなかったらしい。
「あの事件があった日、私が酷く怯えていたことを覚えていた殿下が、なにかスキルを持っているのではと、当時のヨーガレイド家当主に何気なく言ったそうだ。危険察知系のスキルでもあれば、ヨーガレイド家が密かに支援して、いずれは手駒にしようという目論見もあったようなのだが」
 実際は【未来視】という、劇薬紙一重のスキルだったわけで、ライノが苦笑いしたのは、そういうことだ。
(地球でも、昔から不吉な予言をする人は遠ざけられるものだったなぁ。たいてい、滅亡フラグなのに)
 なにかぼんやりと良くないことが見えたと話したら、その当事者とは思ってなかった人が被害を受けたかしたんだろう。たとえば、ヨーガレイド当主本人か、それに近しい人とか。
 僕もラビリンス・クリエイト・ナビゲーションで、【未来視】について調べたことがある。個人差はあるものの、おおよそ、その範囲や頻度を自分でコントロールできるものではなく、しかも「ほぼ確定された未来」が見えるらしい。
 この「ほぼ確定」というのが、行動を起こさなければ90%くらいなのか、何をしても99.99999%の確率で起こるのかはわからないが、自分に関する不運を避けることができるならば、それは本人にとって有用だろう。
 ただ、ライノ本人にはどうしようもない、他人の運命であったならば、それは口を噤んでいた方が、ライノが不幸にならないことだってある。
(もしもライノに恨まれて、回避できたはずの不幸を教えてもらえなかったなら……そんな危険を、当時のヨーガレイド家は避けたんだろう)
 身動きできなくなるほど取り込むのではなく、外で自由に泳がせておく方を選んだ。……人質もあったことだし。
「ライノは、ロロナ様のこと好きだったの?」
 子供らしく直球で聞いた僕に、ライノは少し照れ臭そうに答えた。
「臣下として殿下をお慕いはしているけれど、恋愛という意味では違うな。……そうだな、尊敬している人、というのが、きみにもわかりやすいだろうか」
「へー!」
 ライノはけっこうできた人間なのに、その彼をして尊敬できると言わしめるとは。
 目を丸くして驚いて見せた僕に、ライノはまた沈んだ表情に戻り、苦しそうな声で続けた。
「……私は、多少苦労することはあっても、自由に生きてこられた。しかし、生活に不自由はないとはいえ、満足に歩き回ることもできない殿下を、牢獄のような離宮に置いていってしまった」
 それは、当時のライノにはどうしようもないことだった。
 それでも、彼は自分だけが助かってしまったような気持ちを抱え、幼く力のない自分を責め、彼女のもとに残らなかったことを後悔し続けてきたのかもしれない。