033 それぞれのやるべきこと


 迷宮の中であれば、僕はほぼ無敵だ。
 誘拐などを企てようものなら、アルカ族に袋叩きになるだろうし、致命的な危害を加えようとしたら、迷宮が被疑者を裁判なしで即決死刑の後、ダンジョンでの無期懲役が待っている。
(問題は、迷宮の外なんだよねぇ)
 その場を即座に迷宮化すれば、逃げることも迎撃することも可能だけれど、誰かに目撃されたら、僕が迷宮建築家だとバレてしまう。
 対外的に、僕のスキルは「迷宮創造」ではなく、「望んだ結果をもたらすための知恵」であることにしたい。だから、『迷宮都市アクルックス』の出現は、あくまで「兄を救いたいという一心が、たまたま、迷宮主が創ったものを、決まった場所に引っ張り出せた」というふうに喧伝している。ちょっと苦しい設定だというのは、僕が一番わかっている。
 こちらに都合のいい設定言い訳を考えてはいるけれど、話を聞かない連中は、自分たちが望む場所に期待どおりのダンジョンを出せとか言い出すだろう。
(無理なものは無理、と突っぱねたとしても、逆上されて殺されたらたまらない。まあ、その時は最悪迷宮化して逃げるけど)
 ただ、“障り”がなくて迷宮化できない……例えばライシーカ教皇国などで処刑されようとすれば逃げられない。そんな最悪な状況にならないよう、立ち回りには注意しなければならないだろう。
 とはいえ、迷宮やダンジョンを出現させるためには、仕様上、現場近くまで行かなくてはならない。建設予定地の選定をして、そこから“障り”を吸収して、あらかじめ建築しておくことはできても、地上に出入り口を設定するには、実際に僕が行く必要がある。
(国外まで手を伸ばすのは、今の僕には無理があるけれど、人間の注目を分散させるためには、早めに次の迷宮かダンジョンを出現させた方がいいな)
 これはヒイラギやカガミとも話し合っていたことだ。『魔法都市アクルックス』にばかり注目が行くと、僕やブルネルティ家に圧力がかかる。
 それを避けるためには、とにかくあちこちに、小さくてもダンジョンを出現させるのが一番だ。
(問題は、僕の移動手段なんだよねー……)
 車やバイクどころか、自転車も発明されていない。
 正確には、自転車の構造は稀人の知識にあるけれど、それを作る技術がないのだ。タイヤ然り、チェーン然り、歪みがなくて耐久力のあるフレーム然り……。
 小学生サイズの僕が舗装されていない道を移動するためには、マウンテンバイクがあれば一番いいのだけれど、この世界に合わせるとポニーの背中になってしまう。それ以外だと、やっぱり大山羊車だ。
(山や川を越えるなら、空飛ぶ絨毯が欲しい)
 飛行機とは言わないけれど、バイク型の空飛ぶ乗り物とか開発できないだろうか。それか、ファンタジーな異世界らしく、ペガサスとかグリフォンとかをテイムするとか。ペガサスやグリフォンがいるなら、の話だけど。
「我が家以上の後ろ盾が欲しいわね」
「それも、ショーディーを利用しようとしない奴だ」
 姉上と兄上は、まだ僕の護衛について相談している。
「んっと、まだ全然決まってないけど、冒険者ギルドのライノに、いい人がいないか相談するつもりなんだ」
「そうなの?」
「冒険者ギルドならいいけど、王族や大貴族相手は厳しいんじゃないか?」
「ライノって、貴族出身だよ。何家かは知らないけど」
 姉上と兄上は当たり前に驚いていたけど、それならなにかと相談しやすいと納得してくれた。
(まあ、なんで実家から出て冒険者やっているのか、理由によっては頼れそうもないけど)
 その時はそのときで、また何か方法を考えるつもりだ。
 とにかく、今の僕は小さすぎて、迷宮都市から移動することなど考えられない。せめて、冒険者登録ができる七歳までは、アクルックス近郊から動けないだろう。
(それまでに、なにかいい方法が見つかればいいだけだ)
 やらなければいけないことは、たくさんある。移動できるようになるまでに、それらを片付けておくのがいいだろう。
「なあ、ショーディー。いっこ気になってたことがあるんだ」
「なんですか?」
 兄上は空になったパフェの器を脇に寄せて、僕の方に体ごと向き直った。
「学園の先生たちが、俺のために迷宮主が創ったこの町をショーディーが出したって言っていたんだ。この町を創った……迷宮主? って、会ったことある?」
「うーん? 会った、とは言わないかなぁ」
 迷宮主って、僕のことだし。
「私も気になっていたことがあるわ。ショーディーが願わなければ、この町は出現しなかった……。そもそも、この町がつくられた理由って、なんだろう、って」
 姉上は姉上で、理論的に疑問に思ったらしい。
「んっと、ぼくにもわからないことはあります。でも、迷宮主が、望んで造ったわけじゃないってことは、感じました。どうでもいい? くらいな」
 姉上と兄上は顔を見合わせ、もう一度僕の方を見た。もうちょっと詳しく話すべきか。
「あのね、内緒にしてくださいね。姉上は、“障り”が出るまえのおはなし、読みましたよね?」
「ええ」
 姉上の表情が苦くなったが、もう酷いショックからは抜け出しているようだ。
「ダンジョンや迷宮は、その・・代わりなんです。だけど、迷宮主は人間がどうなろうと興味がないから、創っただけで、中に魔力だけがたまっているんです。ラポラルタ湿原が、どういう場所だったか、覚えていますよね?」
 あっ、と開いた目と口を手で覆った姉上は、疑問の答えがつながった衝撃に、言葉もないようだった。
 『魔法都市アクルックス』が出現する前のラポラルタ湿原は、簡単に人が近付けないほど、“障り”に溢れていて、害獣が多い場所だった。それが今は、“障り”も害獣被害もなく、魔力が溢れ出る場所になっている。
「だから、ぼくたちは迷宮やダンジョンから、魔力がいっぱいな物を、外に持ち出す必要があるみたいなんです」
「……そう。そういうことだったのね」
「どういうこと?」
 姉上はわかったけど、前提知識のない兄上にはまったくわからなかったようだ。
「つまり……これは、大きな声では言えないから、モンダートも他の人には話さないで。つまり、迷宮は“障り”を吸収して魔力に変換して、さらに魔力を溜め込む性質があるのよ。いままで現れていなかったのは、迷宮主にその気がなかっただけ」
 そうよね、と姉上からの視線に、僕は大きく頷いた。
 迷宮がいままで現れなかったのは、僕がいなかったからだけど、そこはお口チャックだ。
「そもそも“障り”は、人間が解決するべきことです」
「ええ。そのとおりだと思うわ。……だから、いままで迷宮が出てこなかった。きっと、迷宮主には迷宮を創る義務があったかもしれないけれど、出現させる義務まではなかった。出現させるメリットさえ、なかったのかもしれないわ」
 姉上の表情がいっそう苦くなり、やりきれないと溜息をついたのも仕方がないだろう。
「人間がとんでもなく無知で、原因を考えようともしない。自分たちで何とかしようとしない。いままで迷宮が出現しなかったのは、迷宮主のせいではないわ。私たちが不甲斐ないから……」
 必要以上に責任を感じてしまっているらしい姉上に、僕は慌てて言い足した。
「でも、ぼくが大きな町を出してしまったから、そのうち、あちこちで出てくるかもしれないですよ」
「それなら歓迎すべきことだわ。……でも、そうね、迷宮やダンジョンを独占しようとする人は、出てくるでしょうね」
「そうですね。だから、冒険者しか入れないのかもしれないです」
 姉上はもう一度、あっ、と目を見開いた。権力者の多くが冒険者を下賤な職だと蔑んでいる実情が、ここにきていくばくかのストッパーの役割を果たすことに気付いたようだ。
「よくできているわ。兵士や騎士でも、冒険者資格がなければ迷宮に入れないもの。資格を得て入ってきたとしても、数は多くないはず。迷宮都市に住んでいるアルカ族と比べるまでもないわね」
 しきりに感心してくれる姉上に、僕は照れ臭く思いながらも心の中で胸を張った。
「姉上、まだ終わりじゃないです。迷宮が助けてくれるうちに、人間が“障り”対策できるようにしましょう」
「ええ、必ず。ブルネルティ家に生まれた者として、民が安全に暮らせる世界をつくらなきゃ」
 きりりと表情を引き締めた姉上に、僕はヒントをあげることにした。
「姉上、父上は怖がりだって言っていましたよね? 自分が知らないから怖いんだって」
「そうね」
「じゃあ、知らないことを少なくしましょう。学校をつくって、平民でも知らないことを減らせば、“障り”のうち、怖いの分が減るんじゃないでしょうか。まずは、自分たちが話している言葉の読み書きができれば十分です」
「それだけでいいの?」
 姉上は不思議そうな顔をするけれど、それは自分が十分な教育を受けられる立場だったからだ。子供の時から働かなくてはならない平民全員に字を習わせるなんて、とても難しいことだ。
「そこから、いろんなことを知って、自分で考えることを覚えたら、悪い奴に騙されることも少なくなると思うんです。たとえば、ずるい役人や商人が自分たちを騙そうとしても、お触れ書や契約書に書いていることがわかるんですから。こいつが言っていることは変だぞ、自分が知っていることと違っておかしいぞって気付ける。そうすれば、悲しいとか、悔しいとか、そういう分も減らせないですか?」
「ショーディー、そこまで考えて……」
 平民の識字率というのは、本当に大事だ。それによって、知的水準を上げることができるし、トップの考えを周知させてトラブルを減らすこともできる。
(嘘を嘘として楽しめるようになるにはまだ遠いけど、まずは嘘と真実の区別ができる、嘘を嘘と見抜けるようにならないと)
 疑うことを覚えないと、いつまでたってもグルメニア教とライシーカ教皇国の言いなりのままだ。
「兄上、ぼくは兄上に元気でいて欲しかったんです。そう願ったら、この町が応えてくれました。迷宮主がどう思っているのかは、よくわかんないです」
 姉上から兄上に視線を移した僕は、腕白で飾らない彼が、このまま真っ直ぐ成長してくれることを期待している。
「ぼくは、兄上が学園でお勉強することで、ずっとぼくや姉上と一緒にいられるようになってほしいんです」
「そっか。ありがとうな、ショーディー。俺も頑張るよ!」
「はい! えへへ」
 兄上にぐりぐりと頭を撫でられて、僕も嬉しい。
 なにより、この二人の理解を得られることが、今後、この世界の人間達にとっても、とても重要になってくるだろうから。