025 湯治基金


 僕が六歳の誕生日を迎え、その数日後には新年を迎えた。
 僕とハニシェはのんびりとした年越しをしたのだけれど、僕の実家はかなり荒れていたようだ。
 当然、ライノがもたらした『魔法都市アクルックス』の情報が原因なんだけど、ネィジェーヌ姉上とモンダート兄上が冒険者登録をした事が、両親にとって気に食わなかったらしい。
「そんなに怒ることかな?」
「冒険者は害獣駆除を仕事にする下賤な身分、と考えられる方々も多いのです」
「ダッサ。お仕事に上も下もないし、害獣が出て困るのは自分たちなのに」
 ばっかじゃねーの、と呟く僕に、ハニシェは少ししかめ面をしてみせた。
「坊ちゃま、お口が悪うございます」
「ぷー」
「ルナティエさまをお見習ください」
「ぶっ」
 どうしてそこにルナティエが出てくるのか。ハニシェって、ルナティエと仲良かったんだ?
「ルナティエだって、独り言はけっこう乱暴だからね? それとも、ぼくにあんなイヤミな言い方してもらいたいの?」
「そうではありませんが、優雅な言葉で言い勝つ坊ちゃまは、きっと凛々しくお見えかと……」
 そんなこと言って、顔を赤くしてもじもじされたら、僕だって頑張っちゃうしかないじゃないか。
「……んんっ、わかった。ぼくが優雅な言葉を使えたら、ハニシェは自慢していいよ」
「はいっ!」
 優雅な言葉って何だろうな? 母上や姉上に教わったらいいんだろうか?

 そんなことを悶々と考えながら『魔法都市アクルックス』の湯治場に行ったら、ベテランだが障毒で身体が不自由になった冒険者たちに笑われた。
「ライノに相談すりゃいいじゃねーか。あいつ自身じゃなくても、暇な貴族が家庭教師になってくれるだろうぜ」
「領主さまは、そういう家庭教師をつけてくださらないんですかい? あっ、ショーディーさまは、まだそんな歳じゃねーのか」
「どうかなぁ? 兄上にも、まだ社交の家庭教師はいなかったと思うよ。父上って、わりと脳筋だし」
「のうきん?」
「脳みそ……頭の中まで、筋肉で出来ているってこと」
「「ぶははははは」」
 風呂場に大きな笑い声が響く。裸の付き合いはいいね。
「みんな、体の具合はどう?」
「おかげさんで、肌がツルツルでさ。あんなにガタピシ軋んで、固まっていた背中や肩が、嘘みたいだ」
「ありがたいことに、少し走れるようになったんだ。すり足でしか動けなかったのに……。本当に、ショーディーさまのおかげだ」
「ぼくは、なにもしてないよ。ルナティエが用意してくれたんだ」
 僕はプルプルと首を横に振り、ダンジョンに行きたくても障毒のせいで戦えない人たちがいることをルナティエに教えたら、この湯治場を作ってくれたのだと説明した。もちろん、そういう設定・・なのだけれど。
 はじめは、みんな一緒に素っ裸になることにも抵抗があるようだった。ただでさえ身体が不自由なので、とっさに身を守れない、無防備になる、というのは怖かったことだろう。
 ただ、そこにすっぽんぽんになった僕が突撃していって、率先して三助係に体を洗ってもらって、かけ流しの湯船にダイブしたものだから、少しずつ受け入れられていった。受け入れられたら受け入れられたで、その次は、毎回きちんと体を洗うことや、洗い場や湯船の中で放尿しないことなど、エチケットを守らせることも徹底させた。
(“障り”を吸収する迷宮でも、人間が取り込んだ障毒を全部抜くのは難しいかぁ)
 さすがに、障毒の影響を全て消すには時間が経ちすぎていたり、そもそも酷く肉体が傷ついていたりすると、完治はできないようだ。それでも、ダンジョンの奥から引いた魔力温泉に数回浸かっただけで、ずいぶん楽になったと好評だ。
「みんな、元気になって良かった!」
 風呂上がりの牛乳を飲んでくつろいでいると、杖をついてゆっくり歩いてくる足音が聞こえてきた。
「メーリガ!」
 湯治場スタッフに付き添われて歩いてきたのは、大柄な女の人。彼女が、冒険者ギルドフェジェイ支部を預かる、メーリガ支部長だ。
「御曹司殿が来ておられると聞いてな」
「御曹司はやめてよー。そのうち、兄上も来るんだから」
「そうだったな」
 皮膚が厚くて節のある大きな手が、もしゃもしゃと僕の頭を撫でる。
 僕は、豪快な彼女に撫でられるのが好きだ。なんというか、転生前の母親を思い出す。ちょっとおおざっぱだけど、他人を尊重できる、おおらかな人だった。
「えへへっ。メーリガも元気になった?」
「ああ。まさか、人の手を借りずに動ける様なるなんて……恩に着るよ」
「やめてよー。みんなにも言ったけど、温泉作ってくれたのは、ルナティエだからね!」
「わかっているとも」
 メーリガはすごく強い冒険者だったんだけど、溢れた害獣と戦って、みんなを護ってたくさん怪我をしてきたらしい。メーリガと一緒に温泉に入ったハニシェが、たくさん傷痕があったと、こっそり教えてくれた。
 フェジェイにいた頃は、誰かに支えてもらいながらでないと外出できなくて、ほとんど冒険者ギルドに住み込んでいたらしい。
 メーリガは基礎体力が高かったことと、実績と人望があったことで、まわりに助けてもらいながら支部長として働くことができた。だけど、ほとんどの冒険者は、そこまで障毒に染み込まれると、誰かの助けを得ることも難しくて、衰弱していって病気になって、ほどなく亡くなってしまうことが多いらしい。
 僕たちはラウンジの大きなソファに座って、これからのことを話し合った。
「できればねえ、障毒で身体が動かない冒険者のために、基金を作りたいんだ」
「基金?」
「うん。ここで、温泉に入るためのお金を、積み立てられたらなって。ぼくの実家からも寄付させられれば、冒険者の助けになるでしょう?」
 冒険者はハイリスクローリターンな職業だ。危険な割に、報酬は多くない。本来ならば、公共事業とするべきなのに、障毒を恐れて冒険者に丸投げされているのだ。
 そこで、冒険者ギルドは国と交渉して、きちんと報酬が支払われるよう取り決めがされる。国は各領主に、取り決めに従って報酬を出すよう通達する。
 奇妙というか、なぜかこれが上手いことまわっているのは、豊かな領主のところほど害獣が出やすく、貧しい領主のところほど被害が少ないので、だいたい取り決めどおりの報酬で大きな問題が出ないのだ。
(“障り”って、凄いバランスで害獣を出すんだよな……)
 もちろん、貧しければ、その鬱屈や哀しみが“障り”になる。だけど、そもそも豊かな土地よりも人口が少ないので、領地単位で見ると比較して被害が少ないのだ。
 逆に、豊かな土地であるほど、人口が増え、その分“障り”がたまりやすく、豊かであるほど個人の貧富に差が出てくる。人が百人いれば、百人分の喜怒哀楽があり、密集していればいるほど、見なくていいものが視界に入ってしまう。
 蔑みが、妬みが、欲深さが、ささやかな喜びや成長の影で、膨大な憎悪を育てているのだろう。やがて、大きな都市のまわりにスラムができる様に、必然的に害獣の被害が多くなってしまうのだ。
「害獣討伐の報酬は、一応支払われている。だけど、障毒で身体を壊してしまって、働けなくなった後の生活保障が、なにもないのは、問題だと思う」
「まあ、冒険者で蓄財をするような奴は少ないな」
「貯められるほど、稼げないでしょ?」
 宵越しの金を持たないのは個人の勝手だけど、そもそも生活費に対して収入が少ないのだ。動けなくなるかもしれない将来に備えるよりも、現在の防御や攻撃を補うためにお金を使うだろう。
「今回、メーリガたちがお試しで利用した分の料金は、ぼくが払ってる。ほんとうに効果があるか、わからなかったからね。もしもその分を稼いで返す気があるなら、そのお金を基金にして、次に湯治場を利用する人の最初の一回分に充てたらどうかな。元気になったら、足りなかった分をダンジョンで稼いで、湯治場に返してもらう」
「本当に、それでいいのか? 払わずに逃げたら……」
「その時は、命で支払うことになるんじゃないかな。迷宮のルールは厳格だ」
「……」
 ダンジョンの第三層、『魔法都市アクルックス』が出現する前のラポラルタ湿原を模したフィールドには、骸骨戦士が湧く。そしてつい最近、その中に冒険者ギルド証のレプリカをドロップする個体が、探索していた冒険者たちによって発見された。
「ルールを守らなければ、迷宮主に罰せられる」
「そういうこと」
 ドロップ品の冒険者証には、ルナティエに頭を吹っ飛ばされた冒険者の名前と、「1/100」という数字が刻印されていたそうだ。僕も鬼じゃないから、ルナティエが言ったように百回討伐で勘弁してあげることにしたんだ。
「基金が必要なのは、最初だけかもしれない。駆け出しのころにダンジョンで強くなって、そのときにエンを貯めておけば、いざというときに自分のお金で湯治に来られる」
「ギルドからも推奨しておこう。基金をつくるとしても、いま動けないほど不自由している者のために使うべきだ。しかし……これを理解させるのは時間がかかりそうだな」
 庶民の中でも冒険者を生業とする者は、あまり教育レベルが高くない。ライノのような例外はあるが、メーリガだって十分な読み書きができるようになったのは、現場を退いた後だったそうだ。
 ただでさえ精神的に脆弱なところがあるこの世界の人間に、ルーチン以外の先を案ずる計画性や、ルールを守り信用を得る重要性を理解させるのは、けっこう大変だ。
「他の冒険者たちと、よく話し合ってからでいいと思うよ。決まったら、ディーネかルナティエに言えば、制度を整えてくれると思う」
「そうだな。信じられないくらいありがたい話で、私としてはすぐに呑みたい条件だが、勝手に決めるわけにもいくまい」
 迷宮都市の使い方も、少しずつ理解してもらっているところだ。いろいろなことを一気に放出しても、追いついてこられないだろう。
(ここまで来る手段とかも、冒険者ギルドで考えてあげたらいいんじゃないかな)
 美味な果実は用意する。それをもぎ取るために、人間同士で協力し合えるような、健全な動きができる様になればいいと思う。