015 都合のいい自己欺瞞


 山羊車が停まって、話し声が外から聞こえてきた。
「坊ちゃま、どうぞ」
 御者台側の幌が少し避けられ、僕はハニシェの腕の影からひょこりと顔を出した。
「あ、ライノだ。おはよう」
「おはようございます、ショーディーさま。昨日ぶりですね」
 冒険者ギルド職員のライノが、薄い笑みをたたえて立っていた。まるで、昨日の今日でこうなることが分かっていたみたいな余裕を感じて、ちょっと癪だ。
 山羊車が停まっているのは、表通りではないようだ。辺りを見回してみると、建物の裏手なのか、作業場らしき屋根のあるスペースもある中で、搬出入用の車両を停める場所にいるようだ。肥溜めみたいな臭いはないけれど、血生臭さや刺激臭が少しある。
(動物の皮や内臓の処理とかする場所なのかな)
 工業的に必要な匂いであり、見た目にも不潔さは感じられない。
「こちらが、今回護衛を担当する冒険者たちです。ミュースターの村までお送りします」
 ライノが紹介してくれたのは、男二人女一人のパーティで、三人ともがっちりとした体つきをしていて強そうだ。
「ミュースターって、ラポラルタ湿原の先じゃなかった? その手前まででいいんだけど」
「冒険者の手配ができる最寄りが、ミュースターなのですよ。どうやってフェジェイやお城と連絡を取るつもりですか」
「あ、そうか」
 ノータイムで情報が遣り取りできた前世の感覚と、今の子供の知識不足との誤差のせいか、単純に僕がうかつなだけか、意気込んでいる割にどうも抜けが多い。
「ハニシェ、ショーディーさまを頼む」
「もちろんです」
 城館に帰るジェグズとは、ここでお別れだ。
「ジェグズ、ありがとう! 父上たちをよろしくね」
「はっ。ショーディーさまも、どうかご無事で」
 山羊車がゆっくりと動き出し、僕はジェグズとライノに手を振って別れた。
「さあ、坊ちゃま。また幌を下ろしていてくださいね。フェジェイを出るまでの辛抱ですよ」
「はぁい」
 再び酷い臭いの中を通り過ぎて、やっと幌を上げられるようになった時には、山羊車はフェジェイの町を離れていた。
「ねえねえ、なんであんなに臭かったの?」
 遠ざかる城壁や尖塔を荷台の後ろから眺めながらたずねると、山羊車を右後方から護衛しているパタルという男が答えてくれた。
「“障り”避けにクソを積み上げているからでさ」
「は?」
 なんて? と頭の中が白くなった僕に、パタルは言いにくそうに、それ以上は口を噤んでしまった。
「ハニシェ! なんで?」
 荷台の上を移動して御者台のハニシェに聞けば、やはり困ったように、それでもちゃんと答えてくれた。
「お城でも、捨てる場所はありましたよ。ただ、街中では定期的に城壁外に捨てる前は、道沿いに積み上げるものなのです」
「なんでそんなことするの? 病気になっちゃうよ!」
 六百年以上前から日本人を召喚していたのならば、上下水道の整備には特に警鐘があったはずだ。
 日本でも昔から、人間の排泄物を動物の糞尿と同様に肥料としてきたけれど、発酵不足による病気や寄生虫には悩まされてきた。まして、中世ヨーロッパのように街中に糞尿を放置するなんて、疫病がいつ発生してもおかしくないだろう。
 フェジェイがどの程度の社会福祉を敷いているのか知らないが、路上生活者が皆無だなんて思わない。スラムのような場所はどうなっているのか。
「“障り”避けのためでございます。綺麗にすると“障り”が出やすくなるのです」
「なんで!?」
「えっと……申し訳ありません……」
 しょんぼりとしてしまったハニシェに、僕は慌てて言葉を変えた。
「あっ、知らないなら、しょうがないよ。気にしないで。誰か、理由知ってる?」
 山羊車の左隣に並んで歩いていた、セルルータという女冒険者は首を横に振った。
「アタシも知らないっす。でも、そういうもんだって」
「けいけんそく、ってやつかな」
「ハハッ、坊ちゃんは難しい言葉を知ってますね」
 山羊車の前で先導していた冒険者パーティのリーダー、マナラドが御者台のところまで下がってきて教えてくれた。
「理由はわかっていませんが、地上がきたねえと、害獣が地下水道から出てこねえんですよ。害獣がうろつくよりも、きたねえほうが危なくない分マシってことで。俺たちも退治するのに、害獣を探し回る必要がないし」
「へ、ええぇ?」
「“障り”は邪神の呪いだって、坊ちゃんも聞いたことがあるでしょう? 裕福になるほど“障り”が出やすいんで、金持ちほど風呂に入らないとか、わざと家の修理をしなかったりするんですよ。邪神は人間が稀人の知識で豊かになるのが許せないんでしょうねえ」
「そ、そうなんだ……」
 ちゃんと理由があるのだと、胸を張って子供に教えてくれる大人に、僕は納得したと見えるように、素直にうなずいた。だけど、もちろん心の中では大絶叫だ。
(なんっじゃそりゃぁー!? それでいいと思ってんの!? マジで!? 嘘だろ!? 信じらんねぇぇぇ!!)
 妬みや嫉妬、怒りや悲しみが凝ったものが“障り”だと知っている僕は、「汚いと“障り”が出にくい」という仕組みの真相をなんとなく理解できていた。
(つまり、「あの家が羨ましい」と思わないで、「みんな一緒」もしくは「あいつよりマシ」って思っているから……なんて逆説的というか、不健康というか)
 “障り”があるだけで、資本主義と相容れなさ過ぎてびっくりだ。あるいは「見かけだけ、みんなで貧しい」疑似デフレ状態というべきだろうか。
 そこで、はたと気がついた。教皇国や教会には“障り”がないと。
「……ひょっとして、ライシーカ教皇国って共産主義なのか?」
 ぽろりと出た自分の呟きに、思わず声を上げて笑ってしまった。科学を狂信する国家と赤い旗を掲げた大集会をくっつけようとして、イメージの大崩壊を起こしたんだ。
「坊ちゃま?」
「あっはっはっは。はー、可笑しい」
 煌びやかな服を着た教皇が「同志諸君」とか話し始めたら、それこそ僕は笑い死にしてしまう。(教皇国が独占している)稀人の知識で得た成果は、(見せていい分だけ)みんなで平等に分け合おうね、ってか。嘘くさすぎる。
(いやいや、そんなまさか。きっと、自国に対する信頼や誇りがあって、他国を見下すことで“障り”が出にくいんだろう。……きっとそうだよな?)
 これ以上ライシーカ教皇国のことを考えるのは、カガミの調査結果を見てからにしよう。妄想で偏見が固まってしまいそうだ。
 それはそれとして、この国の平民の意識改革は必要だろう。
「みんなで清潔になって、みんなで綺麗な町に住んで、みんなが健康で豊かに暮らせばいいのにね。稀人の知識はみんなに平等なのにさ。変なの!」
 くしくも僕が「同志諸君」と話し始めそうなことを言ってしまい、またぷぷぷと堪えきれない笑いが出てしまった。
「理想はそうかもしれませんが、“障り”をどうにかしなけりゃ、理想のままです」
「無礼ですよ」
「いいんだ、ハニシェ。マナドラさん、教えてくれてありがとう」
 ものを知らない子供の戯言だと、マナドラには聞こえるのだろう。
(まあ、そうだろうな。“障り”がなにかを研究しようともしない連中にとっては)
 相変わらずニヤニヤ笑っている僕の細めた目に見られて、マナドラはそそくさと定位置に戻っていった。
(いや、ちょっと意地悪な考えだったかな。わからないものを、そういうものだって受け入れるのも、ひとつの生存戦略かもね)
 特に、平均して豆腐メンタルらしいこの世界の人間にとっては、ストレスのかかる行動や思考作業は苦手なのだろう。
「自己欺瞞も過ぎれば、身を亡ぼすよ……」
 助けに縋ることも、妥協も、悪い事ではない。だけど、いつかは自分自身で戦わなければいけない。
 地球と同じ空色に浮かぶ白い雲を見上げた僕は、乾燥した農村地帯の空気を胸いっぱいに吸い込んだ。草と土の、豊かな匂いがした。


 街道の途中にあるトトスという小さな町で一泊してから、僕らはさらに南下した。
 山羊車とは言っても、速度は普通に歩いているのと変わらない。僕や荷物を運ぶ必要があるから、山羊車を使っているだけだ。
 時々、南の鉱山から出た鉱石を積んだ山羊車や、周囲の農村から収穫された農産物を積んだ山羊車とすれ違った。
「坊ちゃん、むこうに見えるのが、ラポラルタ湿原でさ」
 パタルが指し示した先には、葦か薄かわからないものが、一面にぼうぼう生えていた。背の高い木は見当たらない。
「……草がぼーぼーで、わかんない。湿地?」
「はははっ。坊ちゃんの背丈じゃ埋もれちまいますから、入っちゃいかんですよ。地面のどこが底なしになっているか、大人でもわからねえんですから」
「ひょぇっ、怖い」
 荷台にぺしょりと腰を落とした僕は、その荷台よりも背が高い湿地の植物たちが、風に揺られて波のようにうねるのを眺めていた。
「……しかし、静かでやんすね。普段なら、害獣の一匹くらい飛び出してくるもんですが」
「どんな害獣が出るの?」
「イボカエルや沼トカゲですね。嘴の長い大きな青い鳥もいますが、遠くに見えるだけで、人間を襲ってくることは滅多にねえです」
 パタルはそう言いながら辺りを警戒しているけれど、僕が内心でとても満足していることには気づいていないようだ。
「平和が一番だよ」
 迷宮の魔王たるショーディーくんは、人類を欺く魔王らしく笑ってみせた。迷宮への“障り”の吸収は順調のようだ。

 その日の日暮れ前に、ぼくたちは目的地のミュースターに到着することができた。