010 時間がない!
僕の母上フォニアは、現代日本の記憶がある僕からすると、ちょっと古風な思想の人だ。
曰く、男児は強くあれ。曰く、女児は大人しくあれ。女は男の後ろに付き従い、年下の者は年上の者に逆らってはいけない。 (でも、僕は生意気な事を言うし、剣術も魔法もできないんだよなー) まだ五歳だし、モンダート兄上が活発な性格なうえに魔法の才があるので、いまのところうるさくは言われていないけれど、そのうち城館の兵士に混じって運動しろと言われかねない。 前世でも太らない体質のインドア派だったので、厳しい上下関係と汗臭さの中にわざわざ入るのは抵抗がある。 (まあ、護身のために対人技術も学んだ方がいいんだろうけど。いまはいいかな) 運動して疲れたせいで寝てしまい、夜アトリエに籠れない、なんてことになりたくない。いまは他に、やらなきゃいけないことが多い。 母上がそんな考えなのに、姉上が文武両道なのは、おじい様に可愛がられた影響が大きいらしい。 建国に貢献したというおじい様は、僕が生まれる前に亡くなられたけれど、初孫の女の子にデレデレだったそうだ。しかも、母上がモンダート兄上を妊娠中に、まだ二、三歳の姉上が棒きれを持っておじい様の剣術トレーニングを真似し始めたので、「この子はよい剣士になる」とはっちゃけてしまったそうだ。 それからは、長子でもあるしと父上が普通に教育に力を入れ、姉上もそれを受け入れて育ったせいで、日本にいれば優等生な感じになったようだ。 (姉上が優秀だから、表立って文句は言わないけれど、母上はあんまり気に入らないんだろうなぁ) 僕たちのスキル鑑定があった日から、領主夫人としての振る舞いや心構え、教養なんかを、今まで以上に厳しく姉上に詰め込み始めたので、やっぱり姉上が領主になるのは反対みたいだ。 女領主になっても、領主夫人の教養は無駄にならないので姉上も頑張っているけれど、なかなかに大変そうだ。まだ十三歳だからね。 そんな姉上から少しでも母上を引き剥がすために、僕は最近、母上をモデルに絵を描いていた。 「まぁ、素晴らしいです! ショーディーさまは多才でいらっしゃいますね、奥様」 「ほほほ。そうね、今度新しい画材を取り寄せましょうか」 「ほんとですか、母上! うれしいです!」 献上品か贈答品か、あるいは戦利品かは知らないが、僕が今使っている豪華な画材セットは、美術品や使ってない家具が雑多に詰め込まれた倉庫で埃をかぶっていた。 どうも父上の血筋は脳筋らしく、こういう芸術系には疎いようだ。僕が勝手に持ち出して使っても、何も言われなかったし。 (画材の専門知識はないけど、意外となんとかなるもんだな) 絵画ではなく、画材ということは、これも稀人の知識で作られた物だろう。水彩画やアクリル画を描いたのは高校生までで、大人になってからはもっぱら建築塗料の類しか知識に取り込んでこなかったけれど、原料不明な硬い絵具は、僕の力になってくれたようだ。 「絵具がかわけば、完成です!」 下地が整えられた板に、僕が描きあげた一枚。椅子にもたれて座った母上に窓から差し込む光が柔らかく当たっていて、優しそうな表情やシンプルなドレスの陰影なんかも、五歳児が描いたとは思えない出来になった。額縁代わりに周囲を花や葉の絵で装飾したので、ぱっと華やいだ印象になっている。 「あら……あらあら……まあ……これが、ショーディーから見たわたくしなのね」 「はい!」 本当は厳格な性格がにじみ出てる表情を、だいぶ、だい〜ぶ穏やかに描いたのだけれど、僕の絵を見てうっとりしている母上の気分を壊すことはない。 僕はハニシェと一緒に急いで画材を片付けると、侍女たちとキャッキャしている母上の隙を突いて引き上げた。 「坊ちゃま、お荷物は私がお部屋に持っていきます」 「ごめん、おねがいね!」 僕は画材を全部ハニシェに預けると、家令見習にして領地の授業の先生であるアンダレイの後について移動を開始した。急ぎ足なアンダレイとのコンパスの違いで、僕はほとんど駆け足だ。 (もうギルドの人、来てるよね。急がなくっちゃ!) 今日はアンダレイが約束してくれた、冒険者ギルドの人が“障り”の分布について教えに来てくれる日だった。 “障り”について知りたいと言い出したのは僕だけど、領内についての授業の一環なので、当然、姉上が優先される。それなのに、母上が姉上の苦手な刺繍の練習に呼び出そうとしたので、完成間近だった絵を持って、僕が間に滑り込んだのだ。 城館に外部の、それも平民が招かれるのは稀なので、この機会を逃したくはない。 「おまたせしました」 アンダレイがドアを開けてくれた部屋に息を切らせて入ると、そこには姉上だけでなく、父上も同席していた。 「なにをやっている。お前が知りたいというから、手配を許可したのだぞ」 「ごめんなさい」 待たせた自分が悪いので素直に謝ったけど、領主権限で便乗している上に妻をほったらかしにしている自覚のない父上に、僕はちょっとイラっとした。 父上と姉上と一緒にテーブルを囲んでいるのは、父上と同じくらい……三十代半ばに見える、ちょっとインテリ風の細身の男だった。がっしりした、いかにもなムキムキ男が来るかと思っていたので、ちょっと意外だ。 「はじめまして、ショーディーさま。冒険者ギルド、フェジェイ支部のライノと申します」 「こんにちは、ショーディーです。よろしくおねがいします」 フェジェイというのは、僕が住んでいる城館から一番近くにある町で、領内で一番栄えているところだ。 (ん?) 僕はライノの視線が僕から離れないのを気にしつつ、アンダレイが用意してくれた踏み台に乗って、テーブルに広げられた地図を視界におさめた。 「わあっ」 それは簡易ながらも、この国のすべての領土を網羅した地図だった。 「ショーディーも来たことだし、はじめてくれ」 「はっ」 父上の号令で、ライノが話し始めた。 「“障り”はどこにでも存在しますが、特に都市部を中心として、人の居住地に多くあるようです」 「はいっ! 山のなかとか、ひとが住んでいないところには、ないの?」 あとから質問しろと言われそうだけど、欲しい情報を得るためには、こっちからどんどんいかないとだ。ライノも、気にした風もなく答えてくれた。 「そもそも人が入り込まない辺境には、害獣よりも、より脅威となる強力な獣が生息しているようです。そのため、“障り”が薄いか、あるいは“障り”に耐性のある強い個体しか生き残れない、と考えられています」 「なるほど……。ラポラルタ湿原のように、ひとがいなくても“障り”がでることのほうが、すくない?」 「そうですね。現在人が住んでいなくても、昔、町だったとか、戦場だったとか、そういう場合は、“障り”が濃くても、不思議ではありません。あまりにも“障り”が酷くなった町は、捨てられますし」 「えっ、まちをすてちゃうの!?」 「はい。ですから、基本的には、“障り”は現在人が住んでいる、都市部とその周辺が多いでしょう」 ライノの指が地図の上を滑り、大きな町を結ぶ街道をなぞっていく。 リンベリュート王国は、建国から五十年も経っていない若い国だ。だから、人が住んでいる場所が、まだ昔と大きく変わらないのだろう。そのうち、暮らしにくくなった町は捨てられ、別の場所に町を作るのだ。 (まるで公害だ。それか、焼き畑農業的なスタイルだな) これが良くない状態だと理解して、自分たちで何とかしようという気概と技術と根性があればいいのだが、その辺に全く期待できないので、僕が転生させられたという……。なんで無関係な世界の尻拭いを僕がしなくちゃいけないの。 思わず、そのまま滅びればいいと心の中で言いかけたけど、頭を振って気持ちを切り替えた。 「そもそも、“障り”って、なんなの?」 「“障り”とは、教会によれば、封印された邪神がこの世界にかけた呪いです。目に見えるものではありませんが、害獣の元になることは事実です」 「はいっ! それは、だれかが実験したの?」 イライラしているっぽい父上の視線が痛かったけど、ライノは真面目な表情で頷き、僕に向き合ってくれた。 「まさしく。ライシーカ教皇国が公表した研究報告にもありますし、我々冒険者が蓄積した記録にも、獣が害獣に変化する瞬間を見たというものが複数存在します」 「おおっ。じゃあ、障毒ってなにか、わかってる?」 「残念ながら。害獣がもたらすもので、我々の肉体を損なうものだという事しか、わかっておりません。治療方法も、見つかっておりません」 「そうなんだ……。じゃあ、障毒をうけないように、害獣をたいじする方法を、かんがえなきゃね」 むん、と気合を入れる五歳児を、ライノは意外そうに目を瞬いて見下ろしてきた。 「そうですな。ちなみに、ショーディーさまは、どうするのがいいとお考えですか?」 「一番いいのは、“障り”がでないようにすること。つぎに、害獣になっちゃう生き物が、まちにいないようにすること。みっつめは、害獣とたたかうひとに、丈夫な鎧を着てもらうこと、かな」 僕の意見に、父上は溜息をついた。 「まったく、子供の遊びだな」 「では、父上のお考えは? あ、稀人をつかうのは、なしです」 僕が付け加えた条件に、父上は目をむき、ライノは完全に面白がる目をした。 「なにを、非効率な……」 「稀人がいるのは、せいぜい三年です。それいがいの何十年も、ほったらかしにするんですか?」 「そのために、冒険者がいるのだ」 「その冒険者を、 怒りと羞恥で顔を赤くする父上から、ライノが視線を逸らせて一生懸命に表情を保とうとしているのを見るに、我が家は冒険者ギルドに支援なんかしていないのだろう。 しかしここで、父上は特大の爆弾を落としていった。 「再来年にも稀人が来るのだ。三年と待たずに、害獣は一掃される!」 「は……?」 ぽかんと口を開けた僕を、父上はどうとらえたのか。 そのドヤった顔面を殴りつけたいと思われているとは、微塵も感じていなさそうではあった。 |