疲れた賢者は面倒くさい勇者をフリ続ける ―2―
名門フライゼル家の長子として生まれ育ったジェリドは、王立学院に進学する頃にはすでに頭角を現しており、文武そつなくこなす姿に、末は将軍か宰相かと期待されていた。
父親からは暗くすくんだ金色の癖毛と滑らかな頬を、母親からはモスグリーンの目とほっそりとした鼻梁を受け継ぎ、派手さは少ないものの、その貴族然とした容姿はまず端正と言っていい。愛想はないが、完璧な礼儀作法で社交界デビューを果たし、婚約の誘いは引く手あまただった。もっとも、ジェリド自身は非常に冷めており、政略結婚で構わないが、できればもう少し地位をたしかにしてからがいい、という希望を、父であるフライゼル侯爵も了承していた。 転機が訪れたのは、学院を卒業して二年後。文官として出仕していたジェリドに、聖女を護衛する任が与えられた。 胡散くささには定評のあるアスヴァトルド教会が主導した『聖女選別の儀式』により、平民の少女が聖女として選出された。彼女は確かに治癒や浄化の能力を開花させたが、せいぜい神官程度の魔力しか持っておらず、ゴリ押し気味な選出根拠もあって、某公爵のご落胤であるという噂が、まことしやかに囁かれた。 折しも、隣国エルフィンタークは、魔物の氾濫を起こして国力が激減したディアネスト王国を攻め落とすことに注力しており、我らがセントリオン王国に手出しする余裕はなく、この隙に国内の安定と富国強兵に務めることになっていた。聖女の全国慰問と巡礼は、その一環であり、人心の安定と街道の整備による経済効果を期待するものだ。 政府や教会が予想外の事態に戸惑ったのは、聖女が護衛を平民で固めたことだ。たしかに実績ある冒険者たちだったが、それでは効率も悪ければ、いつどこで行き倒れるかわからない。高位神官も王国騎士の護衛もいらないと突っぱねられ、苦肉の策として、道案内と王都との連絡役として、母が教会に多額の喜捨をしていたジェリドが指名されたのだ。 聖女の慰問が、国庫や教会の資産から支援を受ける、国家的事業だと理解しない聖女は、それにも納得しなかったが、自分が供をすることで格段に聖女の道行が快適になることを、ジェリドが理路整然と説明し、やっと首を縦に振らせることに成功したのだった。 聖女一行の中にあって、ジェリドは特におもねることはなかった。国から指定された大まかな道順から、細かい目的地を設定し、先触れをだし、道中の情報を集め、宿の手配と物資の補給に走り、帳簿を付け、王都に報告を飛ばす。これを一人でやっていたので、最初にジェリドに感心したのは、冒険者の魔法使いと斥候役だった。 「えぇ・・・・・・いま、風精霊と話していましたよね?いったい、何種類魔法を使えるんです? 「さあ。学院にいるときに五十を超えてから、数えていませんね。スキルの開示はご勘弁ください。私の個人情報は、すでに国家機密に属しておりますので」 「地図を読める人はいるけど、描ける人は少ない。集められた各地の情報も細かいし、この書類一束で城が建つ価値だと思う。・・・・・・それにしても、計算が早いな。俺にはさっぱりわからん」 「恐縮です。王城に務める官吏として、給料分の仕事をしているだけですよ。ところで、この先の村が何度か獣に襲われているそうです。人助けついでに、肉を手に入れませんか?」 身分や職権をかさに偉ぶることはないが、毅然とした上品な態度を崩さないジェリドは、侮られることを避けつつ、ゆっくりと一行に馴染んでいった。もっとも、魔獣を一撃で仕留める強さに彼らが驚愕した、という事実も少なからずあったが、その点についてはジェリドの意識の範囲外であった。 彼等の中心となっている聖女は、わがままというより、世間知らずだった。平民らしく、自分の事は自分で出来たが、優しさと聖女の公務をはき違えた言動に、ジェリドはしばしば悩まされた。 「それは領主の責任において行われる仕事です」 「じゃあ、この人たちを見捨てろと言うの?」 「そうではありません。いま聖女様が彼ら全員を癒されても、根本を解決しなければ、継続的な効果が得られないという事です。応急処置はできますが、ご意見は至急領主館に出されるとよろしいでしょう。私からも宰相閣下にご報告いたしますので・・・・・・」 「私は今困っている人を何とかしたいの!」 水利の不備により病気が広がっている村ではこんな調子。 「療養所以外への立ち入りはなりません」 「そんなことを言って、見せられないような悪い環境という事でしょう?こんなにひどい状態になるまで働かせるなんて、あんまりだわ!いますぐこの人たちを解放して!」 「公正な裁判の結果です。彼等に痛めつけられた被害者に、聖女様はなんと申し開きをするおつもりですか」 「こんなにつらい思いをしているんだから、許してあげるべきよ!」 犯罪奴隷が労働に従事する鉱山の町ではこの暴れよう。 「ジェリドは冷たいわ!だから貴族って嫌いなのよ!」 「・・・・・・」 王城の静かな執務室に帰りたいと、何度思ったか知れない。同じ言葉を話しているはずなのに、言葉が通じないのだ。基本的な教養と常識に差があるとはいえ、なによりも感性の露出が違いすぎる。 人が生まれ持った気性を変えることは難しく、育った環境による考え方の違いは当たり前だ。ジェリドだって幼少期は万人に等しく寛容であれと教えられてきたが、それはそれ、これはこれ。人民からの税金で成り立つ統治には、慈悲とは別に、優先順位と取捨選択があって然るべきだ。 世間にもまれた冒険者は、ジェリドの言う事に理があると苦笑いを浮かべたが、聖女の幼稚だが純粋な心情からの発言を咎めることはしなかった。特に、リーダー格の剣士ライナスの聖女への傾倒は大きく、聖女の言う事はすべてもっともだと頷くので、ジェリドのスルー能力が日増しに磨かれていくのは必然であった。 「レーナの言う事は、俺たち庶民が思っていることと同じだし、聖女らしい優しさだ」 「私はべつに、聖女様に逆らったり、意地悪を言っていたりするわけではありません。この国に仕える者として、先人たちが心を砕いてきた仕組みには必然があることを説き、そしてよりマシな結果を得ようと努力する義務があるだけです」 「はん、腰の重い貴族っぽい言い草だな」 お前には代替案を自分で考える頭も、問題を処理するための経済力もないだろう、という侮蔑を顔には出さず、ジェリドはライナスに背を向けた。 しかし、どんなにやりがいを感じなくとも、王命による職務を放棄するわけにはいかず、ジェリドは根気よく聖女を窘め宥めすかし、三ヶ月をかけて、ようやく行程の半分を踏破した。 ジェリドの忠告が無駄になり、聖女の名が地に落ちた事件が起きたのは、聖都アスヴァトルドを後にした、そんな時であった。 |