終幕 断罪劇と不屈の意思
昼は暖かな日差しが届くようになったこの季節、エルフィンターク王国王立高等学院は最高学年の卒業式を迎えていた。
壇上では卒業生代表として、オフィーリア・トゥルネソル侯爵令嬢が答辞を述べている。彼女の堂々とした佇まいに、いっそう拍手が大きかった。 式が終わると、この後は場所を移して、夕方からパーティーがある。平民などは出席しない者もいるが、貴族は全員出席することが不文律となっていた。もちろん、パートナーの帯同が推奨される。 見るからに宝剣とわかるショートソードを佩いた黒髪の貴公子が手を取っているのは、量の多い青い髪をまとめ、眼鏡をかけた、どこか垢抜けない娘。上品なドレスを着ているが、どうにも着られている感がぬぐえない。 「は、はわぁ。マーティン様、かかかっこいいです……!」 「もう、それ何回目だよ、ティアベリー。君だって可愛いじゃないか」 「ぷ、ぷひぃぃ〜」 顔を真っ赤にして意味不明な悲鳴を上げる、リンドロンド商会の商会長令嬢。 「ふふっ、卒業式で論文を表彰された時は、きりっとしていたんですよ。マーティン様の前では、いっつも蕩けちゃうんだよね」 「ロ、ロビンちゃん、ロビンちゃん……!」 「うん、知ってた」 「まーてぃんしゃままでっ!」 顔が赤くなりすぎてぴーぴーと音がしそうなティアベリーを、マーティンとロビンは揶揄うが、ロビンをエスコートしている背の高い男は微笑を浮かべているだけだ。 「今日は、仕事はお休みですか、ジョーダン卿」 「もちろんです。同僚には悪いですがね」 パーティー会場の壁際には、近衛騎士団員の姿が散見される。今夜は次期国王である、ルシウス王太子も出席するからだ。そして、卒業生であるアドルファス王子も……。 ひそひそとさざ波のように伝わってくる声を避けるように、ティアベリーとロビンは色違いでお揃いの扇をさっと広げ、四人揃って会場の奥へと移動していく。 明らかに憔悴した様子のアドルファスの隣では、そんなパートナーをまったく気にした様子のないマーガレッタが、輝くような笑顔を振りまいている。つい先日養母が死去し、その遺産を他兄弟が放棄したので、すべて受け継いだそうだ。 (遺産といっても、たいしたものはなかったからな) 内心で肩をすくめるマーティンの認識通り、兄弟にとって生母の遺産など、はした金もいい所だった。たしかに平民からすれば、一生生活に不自由しない金額かもしれないが、貴族にとっては数年ももたないだろう。そもそも、ブランヴェリ公爵家の財貨は、一年半前にあらかた没収されているのだ。 「あら、皆様、ごきげんよう」 話しかけられないように移動したのに、マーガレッタはアドルファスを引きずるように連れて追いかけてきた。いまだ貴族ですらないマーガレッタが話しかけるなど無礼なのだが、マーティンは表向き義兄だし、ティアベリーも平民だ。アドルファスが向こうにいるならば、無視するわけにもいかない。 「何の用だ、マーガレッタ」 「その言い方、ひどぉいですわ、お兄様」 ティアベリーとロビンが慎ましく礼をするのを背にかばうように、マーティンとジョーダンが前に出る。だがそれを見たマーガレッタは、なぜか嬉しそうにはしゃぐのだ。 「卒業祝いのお言葉くらい、おねだりしても良いと思うのですけれど!」 「留年しなくてよかったな」 「殿下、お加減が悪いようでしたら、お休みなりますか?」 マーティンの冷ややかな目は、むしろマーガレッタを通り越してアドルファスに突き刺さっている。エマントロリアからの醜態を見られているジョーダンの嫌味にも言い返せず、アドルファスはうつむいたままだ。 その時、王太子到着を報せる声が高らかにホールに響き、ざわめきと共に人波が割れていく。 ストロベリーブロンドを載せた長身が姿を見せると、マーガレッタは走りだそうとしてたたらを踏んだ。マーティンなどはスカートを踏んでやろうかと思っていたので、よく思いとどまったと残念に思ったほどだ。 「どうして……!」 「どうした、マーガレッタ? トゥルネソル侯爵令嬢なら、王太子殿下の婚約者だ。なにもおかしくないだろう」 「どうして!」 今度は自分に向かって食って掛かるマーガレッタを、マーティンは鼻で嗤った。 「ルトー公爵が、最後のお勤めができて感激していたと聞きましたが」 「慶事だからな。ダニエル兄貴に任せて隠居されるには、いいタイミングだ」 ジョーダンが言う通り、老境を迎えた公爵が、ルシウス王太子からの婚約打診を携えてトゥルネソル侯爵家に向かった時は、この婚約が成ればもう思い残すことはないと言っていたらしい。 「お綺麗ですわぁ〜!」 「本当に……!」 こっちはこっちで、ルシウスと歩くオフィーリアを見たティアベリーとロビンは感激して涙ぐんでいる。そして、その後ろから入場してきた一組にも、声にならない歓声を上げて身悶えた。 黒髪を短く整えて撫でつけた細身の貴公子が、少し緊張した面持ちの令嬢を、幸せそうに見つめながら歩いてくる。彼らの衣装は、今話題の魔境産の魔獣素材を贅沢に使い、野趣と瀟洒が絶妙にかみ合った素晴らしいデザインだった。 「素敵! 素敵すぎます!」 「胸が……私、もう胸がいっぱいで……!」 扇を握りしめて喘ぎだしたロビンの背を、ジョーダンは慌ててさすってやった。 「誰だ?」 王太子として同じ年頃の貴族の顔はひととおり見ているはずなのに、見覚えのない男の登場に思わず呟いたアドルファスだったが、マーティンに本気でため息をつかれた。 「うちの末弟ですが、殿下?」 「えっ!?」 たしかに、言われなければわからないほど印象が違うが、少なくともよく似た顔の兄が目の前にいるのに、予想もつかないとはひどいとマーティンは思う。 「まさか……あれが、サルヴィア? 卒業式にはいなかったぞ?」 「新領地に赴くために、一年半前に卒業資格を得ていますので。……あいつが男だというのは、殿下もご存じのはずでしょう?」 「知っている。でも……なんで……」 混乱しているアドルファスに説明しても埒が明かないと判断したマーティンは、彼の疑問に溢れた呟きを無視して上座に視線を向けた。 サルヴィアが女装を解いたのは、母親のサーシャ夫人が身罷ったからだ。葬式の翌日には髪を切って、男装に袖を通していた。 「……あれ? あの子、どこかで見たような?」 「ジュリアナに似ている……かしら?」 扇の向こうでティアベリーとロビンが首を傾げたので、マーティンは悪戯っぽく微笑んだ。事実、キャロルの実姉であるジュリアナが、呆然としすぎて扇を取り落としそうになっている。 「諸君、卒業おめでとう」 ルシウスの挨拶が始まり、ついでにこの卒業学年と縁が深いからと、重大な発表がされた。 「私、ルシウス・オデロン・ゼ・エルフィンタークは、オフィーリア・トゥルネソル侯爵令嬢と正式に婚約を結んだ。今年の末までに、佳き日を迎えられることを予定している」 ついに、ルシウスが結婚する。この国に次代の国王夫婦が正式に立てられるとなれば、これ以上の慶事はないだろう。昨今は不安定な情勢で国民の動揺も多かったが、これで少しは安定するかもしれない。 喜ばしい出来事を歓迎するざわめきを縫って、開いたままの目をぎらつかせたマーガレッタが飛び出してくる。 「どうして……っ、だって、あたしが……!」 ルシウスの半歩後ろに控えるオフィーリアと、マーガレッタの視線が合う。その瞬間、ひどく歪んだ表情から迸った魔力を迎え撃とうとオフィーリアが前に出かけた。 しかし、悪意ある魔力はオフィーリアには届かず、パァンと乾いた音は、ペチコートで膨らんだひらひらのミニスカートから繰り出された厚底ブーツの回し蹴りによって、マーガレッタが吹っ飛んだ音だった。 人を巻き込んで、べしゃっと床に倒れたので、周囲では小さく無い悲鳴が上がったが、それを圧す強大な魔力を放つ存在に、すぐ沈黙が広がった。 「KO!」 ぐっと親指を立てて拳を突き上げたバンギャ系ピンクツインテの美少女は、ニヤァっと口を歪めて、指を立てたまま拳を下に向けた。 「ぶっはぁ、全然魔力ないじゃん。軽い軽い。へぇ? これで聖女とか言われてたの? うぅわ、ダッサ! 恥ずかしくない? エイェルの影響下にあって、たったこれだけしかパワーないの? 弱すぎない? もう一回エマントロリアで魂ナデナデされてこよっか?」 煽り方がどこかの天才魔道具師みたいだ、などと知っている人間は思ったが、口は開かず、こちらに来ようとする近衛兵たちに手をあげて制した。 「君は……」 話の途中で乱入されたルシウスを、スタッフオブセレマは振り返って見上げる。その青銀色の眼差しは、まるで値踏みするかのようだ。 「殿下、彼女は僕の盟友が所持する、インテリジェンスウェポンです。彼は、我々が集まる時に悪意を向けられる心配をしていました」 「そうだったか、大公。……私の婚約者を守ってくれて、感謝する。君の所有者にも、御礼を申し上げる」 ルシウスに礼を言われて、スタッフオブセレマはコクコクと頷いた。とりあえず合格、らしい。 「アレ、殺さなくていいの?」 「とりあえずは」 「じゃあ、あの子も殺さなくていいよね?」 スタッフオブセレマが誰のことを指しているのか、ルシウスは唾を飲み込んだ。嘆願書は受け取っていたが、まだ検討中の案件だった。しかし、喉元に刃物を突き付けられているようなプレッシャーに、ルシウスは王族としてのプライドを捨てた。 「もちろんだ」 「ご英断ですわ、殿下」 すかさず囁かれたオフィーリアの声に、ルシウスは胸をなでおろした。身分下の司法にこだわるよりも、公平な司法を優先させるべきだ。自分を縛って、地獄へ導く見栄など、ルシウスには必要なかった。 「それくらいでいいだろう?」 「あーあ。エイェルに唆された馬鹿を、もっとボコしたかったなぁ」 デコネイルの指先を取られたツインテピンク頭が姿を消すと、いまさらのようにアドルファスがよろよろとやってきて、その男の前に立った。 「ほ、本当に……」 ふっと緑色の目を細めた哂い方には、たしかに長い黒髪の令嬢の面影があった。 「君たちの同期である、サルヴィア・アレネース・ブランヴェリは、このたび大公の位を得た。魔境より回復させたディアネストを大公領とし、私ルシウス・オデロン・ゼ・エルフィンタークの名において、これを独立統治することを認めるものである」 実兄の宣言に愕然とし、その場にへたり込んだアドルファスを、サルヴィアは感情のこもらない目で一瞥すると、踵を返して愛しい婚約者の元に戻った。 「おめでとうございます、閣下。やっと、名誉を回復なさいましたね」 「ありがとう。僕の勝利の女神が、ずっと励ましてくれていたからね」 ぽっと頬を染めるキャロルを、サルヴィアは抱き寄せ、その幸せぶりを見せつけるように、驚愕と憧憬にどよめく同期生らに手を振った。 (そんなことはありません。貴方こそが……) あの日奪われた全てを取り戻し、それよりも多くを手にすることができたのは、サルヴィアの不屈の意思が成し遂げたことだと、キャロルは凛々しい青年の横顔を眩しく見上げるのだった。 |