第十九幕・第七話 若村長と新しい村


 俺と一緒にザナ山地へ向かう移民のほとんどは、王家に取り上げられた旧フーバー侯爵領から離れた人々だった。もちろん、一緒にブランヴェリ領に来た農夫たちと、その故郷の人もいる。
 これからも開拓という苦労があるにも関わらず、彼らの表情は明るく、笑顔が多かった。
「そんなに酷かったのか」
「一度税が軽くなったのに、すぐに戻された上に、不作が重なったからな」
 ボルトンは首を振り、村を支えきれなかったことを詫びるが、そんなことはどうでもいい。みんなが無事なら、それが一番だ。
「うちは不作程度だったが、他の所は凶作に近くてな。離村に躊躇がない者が多かったよ。取り立てが厳しくて」
「チェルは……」
「夏の終わりに。もう歳だったからな」
「そうか」
 チェルが死んでしまったことと、二年連続の不作が確定したことが、ボルトンたちが離村を決意するきっかけだったようだ。
「ユレさんや、リンドロンド商会が手配してくれて……本当に助かった」
 サルヴィアの縁で、ルトー公爵家やリンドロンド商会が手をまわしてくれていることは知っていたが、こうして再会できたことで、感謝の気持ちでいっぱいになる。
(お中元にでも、また傾国桃樹の実を贈っておこう)
 お礼とか、ご挨拶とか、そういうのは大事だからな。
 バルザル地方への入植第二弾には、旧ブランヴェリ公爵領からの移民が多く入るようだ。分割されて他の貴族の領地なったものの、それまでの統治とはだいぶ違ったらしく、元々ブランヴェリ家に雇われていた人たちをはじめ、暮らしにくくなった町や村を捨てる者が後を絶たないらしい。
「ところで、あの子は誰なんだ? リヒターの子には見えないが」
 ボルトンの視線を辿ると、そこには乳幼児を連れた母親たちが乗った荷馬車だった。誰のことを指しているのかと思ったら、マートルの腕に抱かれた赤子を、コッケ達と一緒に、そばでじぃっと見詰めているノアの姿があった。
「ノアのことか。目的地のフェネジーにある『永冥のダンジョン』の、魔王だ」
「は?」
「『永冥のダンジョン』の深層には魔族が住んでいてな。その王様だ。元の姿はすごいイケメンなんだけど、恰好が禍々しい上に魔力の圧が酷いんで、子供の姿になってもらっているんだ」
「……なるほど、ここは魔境だったな」
「この程度で魔境だと納得しないでくれ。これからの道中で出てくる魔獣なんて、ノア一人で片付けられるからな。安心していいぞ」
 まるで俺を知らない奴みたいに見ないでくれ、ボルトン。幼馴染の親友じゃないか。悲しいぞ。
「リヒター、変わったな……いや、全然変わっていない。全然変わってないんだが……」
 ボルトンは俺を見詰めてそう言うが、不意に理解したように笑みを浮かべた。
「なんというか、収まるところに収まった、そんな気がする。こっちで苦労したんだろ」
「ありがとう。嬉しい賛辞だ」
 長い隊列は、瘴気にまみれたディアネストの大地を、シャンディラに向かって行軍していた時を思い出す。
 あの時は必死だった。失敗するかもしれない。みんな死ぬかもしれない。そんな不安がいっぱいだった。浄化玉があるとはいえ、神聖魔法が使えるのが俺だけで、プレッシャーを感じていた。全員の命を預かるサルヴィアも、きっと俺と同じ気持ちだったはずだ。
(でも、いまは……)
 これから魔獣がたくさんいる場所へ行くというのに、何も無い場所で一から大地を耕すのだというのに、心は晴れ晴れとして、歩みも軽い。
「俺、がんばったなぁ〜」
「そうですね、リヒターさ、ん」
「え?」
 後ろからかけられた声に振り仰ぐと、ガウリーが柔らかく微笑んでいた。
「ですが、村長として頑張るのは、これからでしょう?」
「……ああ。そうだな!」
 まだ時々、聖者になって浄化や堕落の怪物と戦うことはあると思う。だけど俺は、とりあえず若村長のリヒターに戻ることができたのだと思う。

 俺たちは廃墟になっていたリブルの町を少し片付けて年を越すと、何組かに分けて山を越えて、新都市フェネジーに入植を果たした。もちろん、山の中は凶悪な魔獣でいっぱいなので、俺とノアとガウリーは毎回参加だ。正直、帰りがスクロールで一瞬でなかったら、投げ出していたかもしれない。
 正月には俺のマナ経路も治って、また魔法を使えるようになった。そうでなければ、リブルより先に進むのは遅らせようと思っていた。もうあの人工太陽は撃たないようにしようと、自分を戒める。
「おかえりなさいませ、ご主人さま」
「よっ、ご苦労さん。山道は、多少マシになったかね?」
 スーツ姿のプリマと、ここ数ヶ月動いていなかったせいか少し太ってきたメロディに出迎えられ、俺は最後の一隊を無事に届けられたことに安心して、座り込みたくなった。
「早急に舗装したい。もう馬車が壊れるの見たくない……」
「えらいトラウマになったんだな」
 第一回目に道を拓きながら進んだけど、まだまだ山道のままだ。馬車も要所をドワーフの鍛冶師たちが金属で補強してくれていたけど、車軸が折れるとかさー、どうにもなんないじゃん。まあ、荷物は俺の【空間収納】に入れちゃえばいいんだけど。
「やっぱりジェリドに頼んで、トンネル掘ってもらおう」
「街をつくるにしても、輸送に難ありだもんな」
 そのフェネジーは、だだっ広い平地にぽつぽつと建物があるだけで、物資や食料を入れた倉庫が一番大きいかもしれない。魔族の家は火成岩を整形して造られており、現地ではかなり個性豊かな形をしているが、地上では人間の利便性を優先して、丁寧に削った石材が使われているようだ。
 すでに入植者と『永冥のダンジョン』の住人たちは、ゆるやかな交流を始めていた。魔族たちも、できるだけ人間の姿に近い者を送り込んできてくれているらしく、ノアを見かけると平伏する以外は、ほとんど普通の人間と変わらない生活をしているようだ。
「地上に出ると魔素が少ないから、お腹空くんだって。人間のごはんを美味しそうに食べてたよ」
「ノアもそうだもんな。まあ、魔素が多いと、人間が食べる作物を育てられないから、仕方ないんだけど」
 半ダンジョンとはいえ、魔素は本体の方に集中させてもらっている。リューズィーの村で俺が育てたような野菜は、ちょっとなぁ……。
「食料を確保するために、リヒターは全力で農地の方をやってもらうとして、冒険者たちが獲ったドロップ品を領都に運ぶにも、道路の整備が必要だ。しばらくは、ダンジョンの外で頑張ってもらわないとね」
「ノアとコッケ達もそのつもりだ。各ギルドに、計画的な協力をお願いしよう。それから、早めに山羊や鶏の家畜を送ってもらえるように……」
 俺たちは相談を重ね、各ギルドからの報告書と要望書もまとめた。本当はこの書類の輸送も問題なのだが、とりあえずいまはホープたちを頼ったり、俺が遺跡経由で領都に持ち込んだりすることにしていた。
「とんでもない売り上げですよ」
「領都には、王都からの大店がこぞって店を持ちたいと話が来ているそうです」
 ノアや高ランク冒険者たちが獲ってくる魔獣素材を買い取る各ギルドは、支払いの現金をかき集めるのに忙しい。
「そろそろ酒が恋しいねえ」
「酒場や食事処の充実は、商業ギルドが考えているようですよ。それに、夜のお店も、そのうちできるかもしれませんね」
 俺がそう言えば、冒険者たちのテンションがぶちあがる。うんうん、稼いだ金を使う場所が必要だな。
「アンタも忙しそうだね」
「畑仕事は順調ですよ。皆さんのお腹を満足させられるようなものを、たくさん作ってきますからね」
「楽しみにしてるよ!」
 アイアーラたちに手を振って、俺は自分の担当になっている村に戻ると、春の陽気に実り始めた農地を眺めた。周囲は暗く深い森が広がっており、どこに魔獣が潜んでいるかわからない。
 それでも、メロディが定めた範囲を出なければ、ダンジョン産の凶悪な魔獣に出くわすことはない。その範囲は、猟師が小動物を仕留め、森の恵みを拾い集めるには十分な広さがある。
「……」
 村人に混じって、ガウリーが力仕事に参加していた。騎士の家に生まれ、神殿騎士として最前線で戦ってきた人間には戸惑うことが多いだろうかと思ったが、あの第八大隊を率いて辺境にいたせいか、妙に馴染んでいるように見えて微笑ましい。
 高原の風に髪をなぶらせながら、俺は三羽のコッケ達と一緒に、静かに山道を登る。頂上には、『空の遺跡』があった。
(よく、ここまで来たなぁ)
 初めてここに来た時は、危険すぎて外に出られなかった。だけど、当時すでにここまで影響力を広げられていた『永冥のダンジョン』の奥深くで、ゼガルノアは特異な魂を持つ俺を察知していた。
 二回目に来た時は、星が瞬く黄昏のグラデーションを見上げていた。夜中は魔獣たちが戦う声がうるさくて、なかなか眠れなかったのを覚えている。
 俺は遺跡の石畳に腰を下ろして、【空間収納】から二本の杖を引っ張り出した。最初に手にした悟りの聖杖と、スタッフオブセレマ。
「セレマ」
「なに?」
 厚底ブーツからニーハイソックスが伸び、ガーターベルトを経て絶対領域の向こうに消えている。
「座ってくれないか?」
「えっちだー」
 ペチコートで膨らんだミニスカートを押さえながらしゃがむと、ピンク頭が降りてきた。
「えっちと言われてもなぁ」
「やっぱり、彼女つくって結婚とか、しないんだ?」
「それは変わらないよ」
 俺のステータス画面の能力アビティ欄には、相変わらず【身代わりの奇跡】がある。一子相伝と思われるこの能力を、俺は誰か……まして自分の子供に受け継がせる気はない。
「こんなものは、無い方がいい」
「んー、まあ、それに意見は無いよ」
 俺がなんちゃって人工太陽を打ち上げた時のように、この能力がなければ、人には扱えない魔法だってあるのかもしれない。インテリジェンスウェポンであるスタッフオブセレマにとっては、自分の存在意義とマスターの安全を天秤にかけたことは言えないだろう。
「頼みがある」
「えー。しょーがないなー」
 心底面倒くさそうな声を出すスタッフオブセレマに、俺は苦笑いを浮かべつつお願いをした。
「それが、アンタの意思なんだね?」
「そうだ」
 傍らで勢いよく立ち上がったスカートの中が見えないように視線を逸らせると、ギラギラと派手なバンギャ系美少女は軽やかに俺の前に立った。
「ウチのマスターは、マスターが死ぬまでアンタなんだからね!」
「ああ。もちろんだ」
 しゅるりと黒い長杖に戻ったスタッフオブセレマを【空間収納】にしまうと、俺は悟りの聖杖を握りしめて立ち上がった。

 見晴るかせば、木々に埋もれるように、俺たちの村が広がっている。

 薄青い春の空の高い所で、猛禽が飛んで行くのが見えた。