第十九幕・第六話 若村長の望みを護りたい人たち
ガウリーはジェリドに許可を取って一人で来たが、目の前で喚く醜いものにウンザリしていた。
「こんなことをして、ただで済むと思うな!」 「ただで済まないことしたのは、そちらでしょう。そうですよね、エーレンダー大神官」 簡易的な牢屋にぶち込まれている神官たちの中で、赤色のサッシュをかけた中年男が、顔を真っ赤にして震えている。このように屈辱的な扱いを受けるなど、彼の経歴と実力からすれば許しがたいことなのだろう。 だがリヒターが使う神聖魔法を知っているガウリーとしては、目の前の男の神聖魔法など素人同然に思えた。神聖魔法を得意とする赤系サッシュの階級も、赤色の上は真紅と、多少回復魔法も使えるワインレッドのみだが、リヒターと比べては失礼なほど、実際の能力は稚拙だった。 「黙れ、ガウリー! 裏切り者の脱走者が! 背信の徒が!」 「人聞きの悪いことを言わないでください。だいたい、信仰も人々も裏切っていたのは、貴方がたの方ではありませんか」 ガウリーが一人で来たのは、リヒターに彼のことを知られたくなかったからだ。目の前にいる中年男が、ガウリーに『隷属の首輪』をはめた三人のうちの一人だと知ったならば、リヒターは激しく怒ることだろう。 (怒りを突き抜けて冷酷になられたら、悔いても悔やみきれない) もうリヒターに、殺しをさせたくなかった。 「ロイデム大神殿の次席大神官という職にありながら、なぜ貴方がここにいるのか。ロイデムに居づらくなったからでしょう? マレバス団長は大神殿から切り捨てられているはずです。貴方は自分もそうなることを恐れて、こちらへ逃げてきた。違いますか?」 「……」 エーレンダーの次席大神官という地位は、エルフィンターク王国を教区とするトップ、ロイデム大神殿の大神官長を補佐する立場にある。何人か同じ役職には付いているが、そのなかでもエーレンダーはロイデム大神殿の後ろ暗い事を多く知っている人間だった。 「セントリオンにも行けなかったでしょうね。聖地に助けを求めたら、身代わりの生贄にされかねないですから。せめて、生命を保障されるほどの担保、手土産が欲しかった。あわよくば、自分が次の重要ポストに就けるほどの物であれば、なおいい」 「黙れ、黙れ!」 図星を突かれて喚くエーレンダーに、ガウリーは緩く首を振った。 「ひとつ、教えてさしあげます。聖者様は、もうこの地にはおりません。次の、困難に苦しむ人々の所へ旅立たれました。あとは我々が力を合わせて復興させるように、と」 「なんだと!? では、一緒にいた、あの子供を抱えた男は……」 「彼は旧フーバー侯爵家の領民で、耕作地への入植関係の仕事を、ジェリド行政統括官から指示されている人です。確認されればわかることですが、彼は魔法が使えませんよ。聖者様と同じ銀髪なので、よく勘違いされますが、神聖魔法なんて知らなかった、エルフィンターク王国の一般的な農夫です」 「……」 もちろん、ガウリーが言ったことは、まるきり本当ではないが、嘘でもない。リヒターは現在魔法が使えないだけだし、自分の村で暮らしていた頃は神聖魔法なんて知らなかった。この程度の引っ掛けでリヒターを護れるならば、ガウリーはいくらでも弄することができる。 「私は聖者様より、自分を含めたみんなの未来を護る盾になれ、と訓示をいただきました。貴方がたを野放しにするのは不本意ですが、行政統括官の御判断です。『明日の日没までに、領都シャンディラより退去されたし。それまでは、領兵の指示に従うように』、以上です」 まだぎゃーぎゃーと喚く声を背に、ガウリーは見張りの衛兵たちに敬礼を返しながら、牢が並ぶ厳めしい建物を後にした。 「相変わらず、アンタも苦労するねえ」 「アイアーラ殿」 勾留所の外で待っていたのは、大柄なマグヌムの女と、その足元にいる小さなリュックを背負った幼児。 「ノア坊経由で、ジェリド卿の指示を受け取ったよ。いま、冒険者連中に広めているところだ」 「ありがとうございます」 「なぁに、こっちも世話になっているからねえ」 ノアに要求されて、ガウリーは肩車をしてあげた。こうすると、アイアーラと視線が近くなるのだ。三人は足早に陰気な場所から離れ、人々が行きかう、活気にあふれた表通りへと歩み出ていった。 「それで、魔法が使えないってのは、本当なのかい?」 何気ない素振りで警戒を怠らないアイアーラが、珍しく声を潜めると、ガウリーは小さく頷いた。 「一時的なものとみられ、投薬で治療中です。……説明を受けても、私にはよくわかりませんでしたが、夜を一瞬だけ昼にするために、太陽と同じ仕組みを空に打ち上げたそうです。たしかに、トロールの動きは止まりましたが」 「なんだって?」 アイアーラが聞き返してくる気持ちはよくわかるが、ガウリーにもそれ以上説明のしようがないのだ。 「そのせいで、体内のマナ経路が損傷しているらしく……」 「馬鹿じゃないのかね……はぁ、本当に滅茶苦茶な奴だねぇ」 ボリボリとバンダナに包まれた頭をかくアイアーラだが、言葉とは裏腹に、表情は実に愉快そうだ。 「ですがこれで、やっとただの農夫に戻れるのです。それが、あの方の望みです。……私を含めて、あの方に生きていく場所を用意してもらった人間は、少なくありません。今度は、私たちが、あの方が生きる場所を守る番です」 「目的も覚悟も決まっていて、いい事だよ。……『永冥のダンジョン』がある場所までは、アタイたちも行くよ。道中がどんなもんか、聞いていいかい?」 「もちろんです。希望者にも集まってもらって、冒険者ギルドで場所を借りましょう。ノア殿、一緒に行かれますか?」 「いく!」 ガウリーはノアを肩に乗せたまま、アイアーラと冒険者ギルドへと向かっていった。 ロイデム大神殿の神官たちを追い出して数日後のこと、ジェリドは自分の執務室に、冒険者ギルドのエルヴェ支部長と、彼に連れられた『鋼色の月』のメンバーを迎えていた。 「たしかに。良い仕事をしてくれました。礼を言います」 「リヒターとは、ロイデムを出発してからの付き合いだからな」 『鋼色の月』リーダーのジェンは、髭面をニヤリとゆがめて胸を張る。ギルドから新人教育を任されることもある、信頼の厚いベテラン冒険者である彼らだが、意外なことに情報工作にも精通していた。町や村での防衛戦や撤退戦で、自分たちが戦いやすいように、一般市民を誘導するためのノウハウから派生したものだが、今回は与太話を信じさせる演技力の方が求められたらしい。 「自分で言っていてなんですが、まさか信じるとは思いませんでしたよぉ」 ヒロゥズは呆れたように肩をすくめるが、人は信じたいものを信じやすいものだと知っているジェリドは、口元に笑みをたたえるにとどめた。 「上首尾に終わったのですから、諸君の仕事が優秀であったということです。謝礼を用意してありますので、受け取っていってください」 「「「ありがとうございます」」」 冒険者たちが退出していくと、ジェリドは不必要な表情をすとんと消して、デスクの上に転がっている物に視線を落とした。 「貴方がたへの恨み、忘れたわけではないのですよ」 その呟きを聞く者はいない。ただ、聖地アスヴァトルド所属を示す、黄金の小さなピンバッヂが数個あるだけ。そのどれもが、下水のような臭いがつき、汚れ、部分的には溶けていた。 ジェリドがアイアーラたち冒険者に頼んだのは、自分たちは嘘だとわかっているが、大神殿が信じそうな話をでっちあげ、あわよくば魔獣の餌にさせることだ。もちろん、リヒターを神官たちの目から隠すためであり、そのために噂話の材料も、いくつか提供していた。 ガウリーに『隷属の首輪』をはめたロイデム大神殿の連中は、一昨日の時点で南の緩衝地帯を超えることすらできずに、全滅が報告されていた。「まだ瘴気が掃われていない南東の町に、メラーダが手付かずのまま保管されている」という噂を信じたらしい。 たったいま報告されたのは、「立入禁止になっているジャイプルにある神殿に、瘴気が発生した直後、シャンディラ大神殿から持ち出されたものがあるらしい」という噂を信じた、聖地アスヴァトルドから送り込まれて来た連中の全滅だ。ジャイプルはいまだにダンプウーズが跋扈しており、崩れて足場の悪い所で襲われたら、ひとたまりもないだろう。 (ある程度領内が落ち着いてきたら、復興事業と共に、レベルの低い駆け出し冒険者に端から安全に掃除してもらいますが、それまでは、せいぜい不届き者を食べていただきましょう) 攻略時にさんざん心臓に悪い思いをさせられた相手を、ジェリドはいまさら頼もしく思うのだった。 「罪のない人間を貶め、保身に走り、富を貪り喰う宗教など、滅びればよろしい。いい気味です」 直に触ると汚れそうなピンバッヂを、一度は失った右手でハンカチ越しに掴むと、ジェリドはそれを燃え盛る暖炉に放り込んだ。 年を越える前に、掃除はキッチリ済ませられそうだった。 領都シャンディラにはその日、大勢の人間と、それ以上に多くの馬車が列をなしていた。車を引くのは馬だけではなく、意外と驢馬や牛が多い。人間だけでも、合わせて八百人くらいいた。これからみんなで、バルザル地方に向かうのだ。 その集団の団長として、なぜか俺ことリヒターが就任している。俺が一番首を傾げていたが、この人事に文句は何処からも出なかった。 「俺にこんな大人数をまとめる能力は無いよ」 「冒険者たちはジャン副支部長、職人や商人たちはヨーナス副支部長、移民たちと行政務員はユレにまとめてもらいます。リヒター殿は経験者として、一団が進むか止まるかの判断と、領都との連絡、調整役をお願いしたいのです」 「ふむ」 ジェリドの紹介で、各副支部長とあいさつをした。彼らはこのまま、『永冥のダンジョン』前都市……仮称フェネジーでの支部長に就任するそうだ。 ( 教訓として残した恐ろし気な地名を、再開発をきっかけにファンシーな名前に変えてしまうよりは、戒めとしてはいいのかもしれない。 移民たちをまとめるユレは、フェネジーを中心とした行政代官として、各村の管理もするそうだ。 「あれ……?」 「お久しぶりです」 穏やかな顔つきの青年ユレを、どこかで見たことがあるような気がするのだが、どうにも思い出せない。むこうも俺を知っているようなのだが……。 「彼は旧フーバー侯爵領に赴任した後、アドルファス王子の不興を買って左遷させられていたので、こちらに呼び寄せました。フィラルド卿から、聞いていませんか?」 「ああっ、あの時の代官殿!」 フーバー侯爵領から王家直轄領になった時、俺が村長を辞めて魔境に行くことを伝えた代官だった。 「みんな、貴方のことを心配していましたよ。ほら」 ユレが指し示した移民の団体に目を向けると、懐かしい顔ぶれと目が合った。 「兄さん!」 腕に抱いていた赤子を夫に押し付け、スカートを跳ね飛ばしながら走ってきた夫人に抱き着かれた。出産したせいか、少しふくよかになったようだ。 「マートル……?」 「みんなで、来ちゃった!」 あっけらかんとした笑顔に涙を浮かべた義妹を、俺は力いっぱい抱きしめた。 「無事で、よかった……!」 村を旅立ったあの日からの、緊張と不安とたくさんの苦労が、やっと報われた気がした。 |