第十九幕・第五話 若村長と用意された道


 『永冥のダンジョン』からシャンディラに戻ってきた俺たちは、『星の遺跡』の転移魔方陣の側で、血相を変えたリオンに出迎えられた。
「ジェリド様!」
「どうしました?」
「移民に混じって、ロイデム大神殿の神官たちが来ました。悪知恵の働くことに、貧しく見える旅装で来て、到着したら神官服に着替えたんです。同様に、アタナス大神殿か聖地からの、諜報員らしき姿もあります。行動は共にしていないようですが、どちらも狙いはメラーダのようです。シャンディラ大神殿跡地を中心に、情報を集めようと街中をうろついています」
 俺たちはさっと顔を見合わせ、ジェリドが出す対策を待った。
「私やリヒター殿ではなく、メラーダ……、そうでしょうね。魔境の瘴気はすでに掃われ始めています。いまさら大きな顔をして、住人達に受け入れられるはずがありません。メラーダ取引を国から追及されている大神殿としては、証拠品の破棄か、あるいはメラーダの種や苗を手に入れたいと考えているでしょう。ほとぼりが冷めたら、自分たちの手と目が届く範囲で、また栽培するために」
 そこで、ジェリドはにこりと微笑んだ。
「いいでしょう。彼らに、メラーダが栽培されていた場所を教えてあげましょう。水や食料も、売れるだけ売って構いません。ただし、冒険者が彼らの護衛をすることは阻止しましょう。ギルドを通じて、こちらが先に依頼を取り付けます」
 ジェリドが何をしたいのか察した俺は、引きつった笑いが出そうになった。
「デアリングモスの餌……」
「はい」
 ジェリドは、大変いい笑顔を浮かべる。
 ブランヴェリ公爵領南東のシューガス地方にある、ディアネスト王家所有だった狩猟林。山を五つも内包した広大な敷地で、王家から入場を許可されていたシャンディラ大神殿が、メラーダの木を密かに栽培していた。だが、夏にサルヴィアとジェリドとリオンが調査に行った時には、すでにデアリングモスという獰猛な魔獣の一大繁殖地になってしまっていた。
「デアリングモスって、冬眠はしないのか。大きくても、一応、蛾だろ?」
「寒さで多少活動は鈍くなると思いますが、魔獣ですからね。それに、『永冥のダンジョン』がある南西方向とは違って、むこうはまだノアくんが狩りに行っていません。特に、我々が調査した時は、シャンディラからバーレークまではショートカットしているのです。その間にどんな魔獣がいるか、いまもって、まったく不明です」
「あー」
 それはそれは……超大型魔獣もいっぱいだろうなぁ。
 精霊たちのサポートがあるジェリドが一緒にいるとか、メロディが貸してくれるステルス機能付きの移動住居を持っていないんじゃ、何人で行っても厳しいだろうな。
「しかも、これから一番寒さが厳しくなります。いくら温暖なシューガス地方とはいえ、人里すらない場所を旅するのは大変でしょう。暖かくなったらなったで、デアリングモスの活動が活発になりますし」
「生きて帰ってこられるかって言うと、まあ、無理だな」
 背中に鬼を宿した格闘家とか、禁呪をぶっ放す美少女魔導士とか、一撃必殺ヒーローとか、不死身の対化物専門異端審問官とか、そういう存在がチート的設定の転生者が進むっていうならともかく、大神殿所属の神官や戦士じゃ、まず進むことも戻ることもできなくなるだろう。
 俺たちは軽く打ち合わせをすると、『星の遺跡』のあるシャンディラ魔術学園跡地から地上へと出た。
「……」
「ジェリド様……」
「うわぁ」
 軽快だったジェリドの足が重く止まり、目が、一気に虚ろになった。そりゃあ、これだけキラキラな光が集まって、大歓迎されたらなぁ……。
「精霊に祝福されている人間が玉璽を持つと、こうなるのか」
「うふふふっ! みんな、よかったね!」
「は、ははっ……ありがとう、ござい、ます……」
 みんなと言うからには、ノアには狂喜乱舞する精霊たちが見えているのだろう。ジェリドは気をしっかり持て。
『ガウリー、ちょっと聞きたいんだが、今の状態だと、俺とジェリドの、どっちが目立つ?』
 コソコソと囁いた俺に、ガウリーは謹厳な表情を崩さず、わずかにこちらへ顔を寄せた。
『僅差で、ジェリド卿でしょう。……喜ばないでください』
 俺が笑顔で拳を握ったのが見えたらしい。だって嬉しいじゃんか。これで俺が、ちょっとは目立たなくなるぞ。
「まったく……一時的なものですよ、きっと。一年中お祭り騒ぎなんて、人間でもしないでしょう? それに、いまの私なら、静かにするよう命令だってできるんですから」
「くっ……言われてみればそうだな」
 ぬか喜びした俺を、ジェリドたちは呆れたように笑う。俺の苦労をみんなも味わえばいいのに!
 残念な俺以外が和やかな空気になったところで街中へと出ると、兵士たちはもとより、道行く人々からすごい注目を浴びる。そりゃあ、おかしな気配に視線を向けたら、公爵代行閣下の補佐官殿のまわりが、キラキラキラキラしているんだもんな。ほら、あの人も立ち止まっちゃったし、むこうの人は荷物落しちゃったよ。
 だけど、ジェリド自身はいつもと変わらない表情と態度を維持したまま、すたすたと歩いて行く。きっと、鋼鉄の自制心のなせる業だ。
 そんなジェリドの後ろを俺たちはついていくが、ふと歩くスピードが変わったことに気が付いた。
「ん?」
「ロイデム大神殿で見た顔ですね」
 ガウリーの声が緊張で低くなったので、俺は手を繋いでいたノアが遅れないように抱っこした。すでに向こうはこちらを捕捉しており、いまから隠れることはできない。
「おい、そこ、の……なんだ、退きなさい」
 声をかけてきたのは、神官団の中でも恰幅のいい中年の男。サッシュの色は赤色なので、かなり強い神聖魔法使いということか。見た感じ、地位もありそうだ。
 だが、神官団はたちまち走ってきた衛兵たちに遮られて、それ以上俺たちには近づけなかった。
「お下がりください。お名前と御用件を」
「恐れ入りますが、先触れのない訪問は、ご遠慮いただいております」
 おお、さすがはブランヴェリ公爵家の衛兵だ。屈強なだけじゃく、品があるなぁ。
 なんてことを考えながら、騒ぎを無視して歩くジェリドの背中にくっつくように、俺も足を止めずに歩いて行く。
「まだ神殿を崩れたままにしておくなど、やはり異端者ではないのか!」
「追放された外国人が我が物顔で取り仕切っている領都など、実に信用がならん」
「そいつはガウリーじゃないか! 我々は奴を逮捕する権利がある! 卑劣な脱走者だ!」
 ああん? いい加減にしろよ、コノヤロウ……。
『そのまま歩いて』
 反応しかけた俺の背中が、大きな手でそっと押された。
「その銀髪の男が、聖者を騙る不届き者か!」
「落ち着いてください」
「むこうでお話をうかがいましょうか」
 わらわらと集まってくる領兵たちに取り囲まれて、神官たちの喚き声は筋肉と鎧の壁のむこうへ遠くなっていった。
「サルヴィア嬢……いえ、もうそろそろ、代行も外して、公爵とお呼びした方がいいでしょうね。公爵閣下がお約束したように、あなたのことは我々がお護り致します。心配はいりません」
「それは、ありがたいけど……」
 ジェリドはそう言ってくれるけど、あんな風に侮辱されるなんて、腹が立つし、危険じゃないかと思う。だけど、そんな俺の両頬を、小さな手がぺちと挟んできた。きゅるりんとした大きな金色の目が、至近から俺を見詰めている。
「たーはね、のあが、まもってあげる」
「ノアくんの言う通りですよ」
 思わず、俺の頬が緩む。
「……そうか、ありがとう」
 胸が温かくなる。その気持ちだけも、俺は十分嬉しい。嬉しいのだが……。
(こいつらの場合、有言実行を超えて、やりすぎるんじゃないか?)
 そんな不安の結果が想像できなくて、俺は内心ちょっと震えた。

 公爵家公邸に戻ってきた俺は、ジェリドから開拓予定地と入植者の人数の規模を教えてもらい、そこに行くまでに必要な馬車や食料、持ち込む種子や道具の種類と数を確認する仕事に追われた。
「『永冥のダンジョン』周囲の開拓村からは、租税を取りません。メロディ殿が耕してよい場所を限定していますし、作った物は町で消費されますからね。町での営業に税金をかけることで、平均的な物価を高く設定させ、あの周辺を運営する資金にします」
「生半可な人間がダンジョンに入って、あたら命を無駄にすることもないからな」
「はい。町には冒険者ギルドと商業ギルドが、第一弾の入植段階で入ります。同時に、全体の取りまとめをする行政官を派遣しますので、村の運営で困った時は行政官に相談してください」
「わかった」
 『永冥のダンジョン』があるザナ山地を開拓するにあたって、いくら半ダンジョンの領域になるとはいえ、メロディは慎重に土地を造成していた。日本に住んでいた時に、山を削って作った土地は、地震や大雨があると被害が出やすかったことを忘れていないようだ。特にディアネストの地は水が豊富だから、水害や土砂崩れには、十分な注意が必要だろう。
 俺は入植者の資料を眺めていて、その特徴にしばし考え込んだ。
「ザナ山地へ行くのは、エルフィンターク王国からの移民ばかりか。……そうか、元々住んでいた住人は、もういないから」
「はい。『永冥のダンジョン』がスタンピードを起こした時に、ディアネスト王国の南半分に住んでいた民のほとんどが犠牲になっています。特に、『永冥のダンジョン』があるバルザル地方を中心に、エルフィンターク出身の民をまとめようかと」
「ザナ山地はまだいいが、旧領都リブル周辺などの平地が、少し問題だな。稲作のノウハウと蒸し暑さを凌ぐ方法さえあれば、なんとかなるかなぁ。まあ、住人トラブルのリスクは、絶対に避けるべきだろう」
「元ディアネスト王国民からすれば、侵略してきた敵国の人間ですからね。その点、『永冥のダンジョン』は多くの冒険者が集まるでしょうから、かえって誰がどの国の人間かなどに興味は出ないでしょう」
 ジェリドの考えに、俺も同意の頷きを返す。
 田舎はその土地の者ばかりで、余所者はすごく目立つ。その点、人の出入りが多い都会では、わざわざ他人に目を向けることは少ない。特にダンジョンを有する土地では、命がけの冒険者ばかりで、他人に構う者など、ごく少数だろう。
「俺たち入植者と、そこへの物資運搬で道が整えば、冒険者たちも『永冥のダンジョン』に行きやすくなるだろうな」
「はい。開拓団には、土木建築の覚えがある者に加え、『赤き陣風』をはじめとしたマグヌムの冒険者に同行してもらう予定です」
「それがいい。俺も安心だ」
 ノアが倒せない魔獣が出るとは思わないが、人数が多いという事は、それだけ労働力があるという事だ。マンパワーで解決できるところは、そちらでやった方がいい。
「……あれ? ノアがいない」
 やけに静かだと思ったら、執務室からノアがいなくなっていた。昼寝しているんじゃなかったのか。
「ガウリーやアイアーラたちと一緒のようですね」
「なら大丈夫か」
 精霊たちが情報をもたらすのか、ジェリドのまわりのキラキラが、俺には聞こえない声でさざめいている。
「それ、三日くらいは、収まりそうにないな」
「賑やかすぎて、人間の声が聞こえにくいくらいですよ」
 何とも言いにくそうな困惑した表情を浮かべるジェリドに、俺は笑いをかみ殺すのに苦労した。慕われるのはいいことだ。がんばれよ。