第十八幕・第六話 若村長と太陽の魔法
傷付いた神殿騎士たちの治療するために、領都で留守番中のシームルグを一時的に呼び寄せた。しかし、ガウリーの下に飛ばすためには、間にいるトロールを避けなくてはならない。
トロールを引き付けるために、ゼガルノアとサンダーバードが飛び出したが、やはり敵の尋常でない再生能力に苦戦中だ。 「ゴオォォオオオオオォォ!!」 「ハッハァ! すごいな、まだ生きているぞ!」 「コッケコッケコォォォォ!」 ……苦戦のはずだ。楽しそうだが。 (あのなんでも灰燼にする魔法すら凌いだぞ……) 真っ黒になった表面が灰を落としながら、その下に新しい骨肉が盛り上がり、皮膚ができていく。本当に、ゼガルノアの魔法にすら抵抗できるんだな。 どこからどう見ても化物だが、その素になった者のせいで、俺は複雑な思いがあった。 (倒さないといけないとは、わかってはいるんだが……) かつて俺を殴り殺しそうだったティーター・フーバーは、それでもまだ十四歳くらい。俺の感覚では子供だ。 巨大なハエに姿を変えたミュージャ公女には抵抗を感じなかったが、なまじ素体を知っているせいで、どうにもやりにくい。 「カタルシス! レギオン・アイアンメイデン!」 絶え間なく漂う瘴気を掃いながら、動きを阻害するために乙女たちを飛び掛からせたが、彼女たちはあっという間に打ち払われたり、握り潰されたりしてしまう。 「うっそだろ。なんて頑丈なんだ」 頑丈なだけじゃなく、図体のわりに意外と素早い。 「ボオォォェェェェェ……!」 「!?」 腹に響く鈍重な叫び声が上がった次の瞬間、さっきまでよりもっと素早い動きで、光の乙女がデカい手に握り潰されてしまった。 「こっちはバフ担当かよ!」 金切り声が魔法防御、低音ボイスが素早さを上げ、トロールの能力不足な部分を補っているらしい。 (あと足りない……弱点なんて、アタマくらいか?) 観察するに、フィジカルが優れすぎていて、真っ正直にぶつかり合うのは分が悪い。搦手で行くしかないだろうが……。 (素体の知能基準だったら、そこから上でも下でも、あんまり参考にならないな!) ティーターが秀才だという噂は、寡聞にて知らない。 「……坊ちゃん、坊ちゃん! ティーター坊ちゃんじゃありませんか!?」 ゼガルノアはぎょっとしたようにこちらを見たが、俺は自分に防御系のバフをかけ、枯れた並木や岩陰に隠れるように移動しながら呼びかけてみた。ダメで元々、なにか反応があれば、罠に嵌める方法も取れると思ったんだ。 「ティーター坊ちゃん、どうされたんですか!? ティーター坊ちゃん、御用はなんでございましょう!?」 「グ、ウゥ……?」 驚いたことに、あのトロールは自分がティーターである自覚があるようだ。無闇に暴れるのをやめて、俺の声の出処を探すように、きょろきょろと足元を見始めた。 「ティーター坊ちゃん、お屋敷には帰られないんですか!?」 「カ、カエル……カエラナァアアアアァイィィィィ!!」 「イイィィィギィィィイイイイイィ!」 「ゴォオォォォオオオォォ!」 すごい叫び声にふらついた俺は、足を滑らせてしまい、尻餅をつきながら両手で耳を塞いだ。 「いってぇ……同時に叫ぶな……!」 尻も痛ければ耳や頭も痛い。どうにかして黙らせられないだろうか。 (トロールの癖に、人間の言葉は通じるし、しゃべれるんだな。やっぱり元人間のせいか……) いまさらながら、トロールが言葉を話せることに、若干の驚きがある。 「ボォグゥノォォ……ボグゥノォ、ダ、モォォォォンンン!!」 「うおっ!?」 ティーターがその場で、ダンダンダンと激しく足踏みを始めたので、せっかく立ち上がりかけた俺は、バランスをとるように腰を落とした。不安定な体勢だと、すぐにふらついて転びそうになる。そのくらい、人工的な明かりのない夜闇の中で、地面が振動するのは怖い。 「ンハハハハァ! ボグノォ、ボグノォォ!!」 (……喜んでる?) なぜか一人で納得して喜んでいるようだが、「ぼぐのぉ」って鳴き声はなんだ。 ( 内心首を傾げる俺の視界に、暗闇に沈む壊れた門が入り込んだ。 (あー、王都には帰らない、ハルビスの町が、自分の物だ、と……ええぇ、父親の領地だって思ってないのか!?) まだ成人していないから、爵位がどうこうという話にもならないし、そのくらいの分別はあると思っていたのだが……。 そこで俺はふと、ジェリドと話したフーバー家の兄弟について思い至った。継承権のある男子は全部で四人だが、そのうちの一人は廃嫡、一人は死亡。残りの二人はそれぞれ母親が違う。 (成人して既婚のイシュターヴと、後妻……現フーバー侯爵夫人の子であるティーターが、仲良く統治すると思うか?) 否だ。イシュターヴについては遊び好きだという事しか知らないが、ワガママですぐ暴力をふるうティーターと、一致協力して新領地の開発をするなんて想像ができない。 (そういえば、長男の廃嫡が表沙汰になっていないって、ジェリドが言っていたな。つまり、現時点では後継者が明言されていない……。ハルビスの町の統治者、イコール、侯爵家の跡取り、ってことになっていても、おかしくないか) 追い詰められたフーバー侯爵が、マルバンド地方の統治を息子たちに投げるついでに、競い合わせて勝った方を跡取りにするつもりか。 「だからティーターは、ハルビスを自分の物だと……」 「リヒター様」 「うおっ!?」 考え込んでいた俺の側で、いきなり声がしてびっくりした。 「ガウリー、戻ったか」 「はっ。シームルグを呼んでくださり、ありがとうございます。助かりました」 ティーターと戦っていたのは、やはり第八大隊のみなさんだったようだ。かなり怪我人が出ていたので、シームルグが行っていなければ危なかったらしい。 「よかった。何とか連携できないだろうか?」 「重傷者は下げていますが、戦える者は城壁の近くで集まっています。……あれは、トロールですね?」 「そうだ。魔法抵抗と高速再生のせいで、ゼガルノアの魔法すら凌ぐぞ」 それを聞いたガウリーの表情が厳しくなったのが、暗闇の中でもはっきりと見て取れた。 「……神殿騎士って、明かりの魔法を出せるか? 昼間のような光だ」 「難しいですね。私のトーチや、リヒター様のライトのような光は出せますが、太陽のような、辺り一面を照らすほどにはなりません」 「だよなー。俺でもそこまでは……あー……んー……」 水素をどうにかすれば、なんとかできるか? 地上からどのくらい上なら……。 「リヒター様? また規格外な魔法を作ろうとしていませんか? 危険は無いのでしょうね?」 すっごい睨まれた。 「いや、さすがにこれは無理だと思う。……他の方法で、なんとかできればいいが」 俺たちがコソコソ話している間も、ティーターはドシンドシンと足を踏み鳴らし、ゼガルノアの魔法とサンダーバードの雷撃を受けては、奇声を上げて回復している。 「ンギャアアァァァ! ボグノダァァァァ!!」 「アレは……」 「ティーター・フーバーの、なれの果てだ」 「フーバー侯爵家の……では、他の顔も、フーバー家の者でしょうか」 「……嫌な予想だな。ティーターと一緒にいたはずの、イシュターヴ夫妻か? 会ったことないから、顔を見てもわからんが……いや、使用人という線も消えないか」 他人を巻き込んで化物になったかもしれない可能性に思い至ると、イラっとした気分に俺の眉が寄った。 ここでも、俺の故郷にしたように、傍若無人に搾取しようとしたのだろうか。俺に対してしたように、働いてくれる人に暴力をふるったのだろうか。気に入らないものはすべて、叫べば誰かが片付けてくれると思っているのだろうか。 (うむ、腹が立ってきた。素が子供だからといって、容赦していいわけじゃない。あれは瘴気を撒き散らす、化物だ) いまこの地を平和に生きる人のために、ディアネストの地から消しさらなくてはいけない存在だ。 「俺が足止めをする。ガウリー、護ってくれ」 「承知」 俺はガウリーと自分にバフをかけ直し、万全の態勢を整えた。 暗がりに目を凝らし、自分とティーターとの距離を正確に把握しようと努める。あとでジェリドに怒られるかもしれないが、他にいい方法も思いつかない。 「水神リューズィーを讃えよ! ……水滴石穿!」 ズゥゥンと地面が縦に揺れ、ティーターの足元に、大きくて深いぬかるみができる。 「バァァオオォォ!!」 突然足首まで地面に埋もれたティーターは驚いて両腕を振り回すが、バランスを崩して尻餅をつく。両手をついて立ち上がろうとするが、辺り一面が泥のぬかるみになっており、あっという間に脛まで沈んでいく自分の重みで上手く乾いた場所に登れないようだ。 「よしっ!」 制御が難しい水流魔法だが、地面を掘れば即席底なし沼の一丁上がりだ。……ボーリングドリルって叫んじゃうと、ダンジョンの穴開けレベルになりそうでさ。 『永冥のダンジョン』では一発でマナを大量消費したが、このくらいの威力に抑えれば、まだ何発か撃てそうだ。ただ、けっして燃費は良くないし、後始末も大変だろう。 「ゥゥ……ウギャァアアアアアアァ!!」 「!?」 いままで以上の癇癪を起こしたティーターが腕を振り回した瞬間、俺の前に盾を持って立ったガウリーに、何かがすごい勢いでぶつかった。 「ヒール! 大丈夫か?」 「問題ありません」 ガウリーの声は落ち着いていて、俺もホッと胸をなでおろした。ティーターはまだ腕を振り回して何かを投げているらしく、あちこちでズダンビシャンと音がする。 「おそらく、泥を投げているのだと思います」 「あちゃぁ……」 足止めはできたけど、泥投げ大会になってしまったようだ。失敗、失敗。 しかしこうなると、やはりガウリーに睨まれた方法を試してみるほかないだろう。これも失敗したら、夜明けまで粘るしか方法がない。 「……仕方がない。サンダーバード、時間を稼いでくれ! ゼガルノア、殲滅の用意だ!」 サルヴィア謹製のマナポーションを立て続けに三本も飲み干し、空に向かって声を張ると、羽ばたくサンダーバードがきらめき、続けざまに雷撃が落ちる。 「陽の女神アスヴァトルドと水神リューズィーに希い奉る」 祈るようにスタッフオブセレマを握りしめ、マナから魔力を練りだす。 太陽は水素の核融合で光と熱を発していたはずだ。人間の俺には無理でも、神様なら俺のイメージを拾い上げてくれるだろう。 「闇重き巌退け、開け、天上の扉……!」 ぎゅうぅぅぅっと体の中のマナが抜けていき、思わず息が詰まった。 「うっ、げほっ……!」 それでも、しっかりと愛用の長杖を握りしめ、うっすらと夜明け程度の明るさが降ってくるのを見上げた。 直視できないまばゆい光りは、高い夜空をチカチカと覆い、空気を震わす重苦しい音と主に地上を照らしてくれた。昼間のような穏やかな光ではないが、それはまさしく、天上の扉が開いたかのような光景だった。 両肩に別人の顔を生やした醜悪な存在が、まるで呆けたように空を見上げる。そこにいたのは、いくつもの魔法陣を従えて翼を広げた魔王。 「リヒターを殴った分くらいは、持ち堪えてみせろ。そして死ね」 両足を地面に埋めて猿のような中腰の格好で、疑似太陽光により中途半端に硬化して動けないトロールの体が、一瞬で燃え散った。 |