第十八幕・第五話 若村長と廻る再会


「金鶏、森の方に行って隠れていろ。呼ぶまで出てくるんじゃないぞ」
「コケッ」
 戦闘力のない金鶏は街道から飛び降り、枯れた下草に埋もれるように、ガサガサと遠ざかっていった。
(三つ首の巨人なんて、どんな奴なんだ)
 まだリューズィーの村で暮らしていた時に、背の高い木と同じくらい大きなフォレストジャイアントを見たが、あれよりも大きのだろうか。
 俺とサンダーバードは町の門から慎重に距離を置き、何が出てきても驚かないように、スタッフオブセレマを構えた。
 ずしんずしんという大きな足音が、ウォォンバオォォンバコンバコンガラガラゴロゴロという、なんとも不吉な音を交えながら近づいてくる。
「リヒター!」
 風を切って飛んで戻ってきたゼガルノアが、すぐに俺を見つけて近付いてきた。
「ゼ……」
「サンダー、飛べ!」
「ぐへっ!?」
 ほとんどタックルされるような勢いでゼガルノアに抱きかかえられ、俺の足は地面から浮いた。悲鳴を上げる間もなく、ものすごいスピードで低空飛行され、サンダーバードも俺たちの上を飛んでいるのが見えた。

 バゴォォォンンガラガラガラガラ……

「な、なっ……」
「バァァオオオオォォォォ!!」
 見渡す限りの空間が震える様な雄叫びに、俺は思わずゼガルノアにしがみついた。
「なんなんだぁ!?」
 ざざっと街道の脇に滑り込んだゼガルノアを見失ったのか、大きな足音はこちらまで追ってこないようだ。
「リヒター、金鶏は?」
「森の方に隠れさせている」
 俺はなるべく頭を上げないよう、地面に這いつくばって、今飛んできた方を窺った。サンダーバードも体の光が見えないように、じっとうずくまっている。
「……なんじゃ、ありゃぁ……」
 月明かりしかない闇の中で、瘴気を噴き上げるその巨体は、両腕を振り回して地団太を踏んでいた。足を踏み下ろすたびに地面が振動して、鼻息なのかフゴフゴと変な音も聞こえる。その向こう側に目を凝らすと、ハルビスの町の門が、半壊しているようだ。
「大きさは、城壁よりは小さいか? でも、でっけぇ……」
 六メートルから七メートルくらいはあるんじゃないだろうか。二階建ての家が動き回っているような感じだ。
「トロールだ。邪妖精と悪鬼の中間だと、聞いたことがある」
「トロール……そうか、昼間は岩になっているのか!」
 見上げるほどの巨体と凄まじい再生能力を持っているが、太陽の光がある間は岩になっていて、夜間しか動くことができない。それがトロールだ。
「ダンジョン産か?」
「『永冥のダンジョン』にもいたけど、あれは違うトロールだ。頭が三つあった」
 あんな暗い所が見えたのか……って、『永冥のダンジョン』の魔族は夜目が利くんだった。
「特異進化個体か」
「それとも違う。魔石を感じない」
「じゃあ……」
「人間だ。瘴気のせいだと思う」
「……マジかよ」
 人間が瘴気に当たると、大抵そのまま死ぬか、死んだ後にグールのような不死者になる。その上で変異すると、ピシャーチャになったコープス伯爵のようになる……場合もある。あれは素体になった人間も特殊だったし、とても珍しいことだ。
「人間がトロールになるなんて、聞いたことがない」
「我もだ。もしかしたら、堕落フォールしかけたけど、踏みとどまったのか」
「ええ……」
「頭が三つあるといっただろう。どれかが抵抗したせいで、きっと、あんなふうになったんだ」
「勘弁してくれよ。それだけ精神もタフってことじゃないか」
「そうだ」
 ゼガルノアは冷静に肯定するが、俺は頭を抱えた。
「人間達も攻撃が効かなくて負けそうだったから、我が引き離した。むこうにはガウリーが行っている」
「神殿騎士だったか」
「そうだと思う」
 マクシムさんがいるなら、ガウリーが話を付けるだろう。
「よくやった、ゼガルノア。人間を助けてくれてありがとう」
「うむ」
 褒められて気を良くしたのか、ニヤリと唇の端が吊り上がるのが見えた。
「神殿騎士の攻撃が効かないなんて、とんでもないな」
「アンデッドではないからな。傷はつけられても、すぐに塞がってしまうのだ。ダンジョンのトロールたちも、再生能力だけなら、ヒュドラと変わらんぞ。腕や頭を切り飛ばしても、一日二日の内ならくっついてしまう。その間、普通に動きまわるし」
「なんつー出鱈目さだ」
 だからこそ、岩になっている昼間に叩き壊して、魔石を取り出して再生不能にしてしまうのが一番らしいのだが……。
「あいつに魔石がないなら、再生不能になるラインがわからんな。それでなくても、昼間に遭遇したとして、あんなにデカい岩じゃ、一日で壊しきれないぞ」
「我かサルヴィアかリヒターの魔法、それかメロディでないと無理だ」
「……一応聞くけど、夜の間に倒すには?」
「我の魔法なら再生速度を上回れる……かもしれん」
「ゼガルノアですら確信が持てないなんて、どんだけヤバいの」
 その時、夜が割れる様な声が響いた。
「イイイイイィィギィァアアアアァァ!!」
「ちっ」
「ひぃっ、なんて声出しやがる……!」
 低い声の雄叫びも腹に響いたが、女子供の叫び声のような、甲高い声まで出せるらしい。耳に刺さるような叫び声は脳を揺らし、離れた場所で耳を塞いだ俺たちですら、気分が悪くなった。
「あの声を出す頭が、結構強い魔法抵抗を持っている。本気ではなかったとはいえ、我の魔法を何発か無効化された」
「えぇ、うっそだろ……」
 ゼガルノアの魔法を防ぐなんて、そんな奴初めて会ったぞ。
「アンデッドのように、効きが薄いわけではない。力押しすれば通るが……」
「むこうの再生速度が早くて、凌がれる可能性があるってことか」
「そうだ」
 ということは、なんとかして再生速度を落とさせないと、勝ちが遠い。俺の水流魔法だって、効いてもその後で再生されてしまう。むこうの生命力が何処から来るのか知らないが、延々と削り合いをしている間、あの腕や脚を避け続けなくてはならない。そんな体力、俺にはないぞ。
「やれやれ。久々に、魔境を感じるよ」
 スタッフオブセレマを握りしめて立ち上がった俺の隣で、同じく立ち上がった魔王の唇の端が優雅にほころんでいる。
「楽しいな?」
「んなわけあるか! こちとら、普通の人間だぞ。ゼガルノアみたいに強くねーの!」
「クックッ……シャンディラにいたムカつく奴ほどではないが、骨のある獲物だ」
「聞いちゃいねー……」
 あの叫び声を耐えるために自分たちにバフをかけ、俺たちはずしんずしんという地響きから慎重に距離を取った。
「ガウリーたちと連携できればいいんだけど」
「立て直すには、もう少し時間がいるだろうな」
 ゼガルノアが負けそうになっていたと言うからには、戦線は崩れていただろう。怪我人も多いに違いない。
「……迂回して、町に入れないかな」
「無理だな。それに、町に入らないとジェリドに言っていただろう」
「……」
 建前とはいえ、俺は入っていないと言えた方がいいんだろうか。
(でも、怪我人がいるのに治療できないのは……神殿騎士でも回復魔法使える人はいるだろうけど、使える人が重傷じゃどうにもならないだろうし……)
 眉間に力を入れてうんうんと唸っている俺に、ゼガルノアは呆れたように声をかけてきた。
「シームを呼べばいいではないか」
「あー、ここに呼べるのかな?」
 神獣召喚って、顕現だけでなくて、転移もできるんだろうか? そういう検証を全然やってこなかったからなぁ。
「仕事終わったら、シャンディラに返せばいい。美味い飯もあることだし」
「……あのうにょうにょ・・・・・・か」
 ユユイ湖産の巨大ゴカイは、サンダーバードと金鶏には好評らしいけど、シームルグに嫌がらせだと思われたら嫌だなぁ。
「とにかく、怪我人を治すのが先か」
 俺は自分の中にあるシームルグとの繋がりを探し、それをぐっと引っ張り寄せるイメージをした。
(シームルグ、ここに来てくれ!)
 伸ばした腕に、純白の輝きと重みが現れた。少し、眠そうな顔で睨まれた。
「急に呼び出してすまない。あの町に、ガウリーがいる。怪我をした神殿騎士たちが大勢いるはずだから、治療してあげてくれ」
「コッコッ……」
「ああ。あのデカブツは俺たちが引きつける。頼んだ」
 バサバサと飛び立ったシームルグは、夜闇の中ではよく目立つ。
「我とサンダーが行く。リヒターはなるべく隠れて援護だ」
「わかった。この前みたいな戦い方だな」
「そうだ」
 ユユイ湖で巨大ガメと藻の触手と戦った時のように、俺は自分ができる援護を考えることにした。
「先に行くぞ」
「コッケコッケコォォーー!!」
 ゼガルノアとサンダーバードが飛び出し、シームルグに気を取られて町に向かいかけているトロールに攻撃を仕掛けていく。
「死ね」
 地上近くから跳ね飛ぶように上昇したゼガルノアの長剣が、鞭のようにしなりながら伸びて、巨体を左右に両断した。たしかに、頭から股間までを切り裂いた、はずだった。
「チッ、早いな」
 ぶちゅぶちゅと気色悪い音を立てながら断面はくっつき、何事もなかったかのように太い腕が空中のゼガルノアを襲う。
「バァオオォォォォォ!」
「ゥンマァアアアアアアァァ!!」
「キイィィ! ギィヤァァァァ!」
「これでも……ダメそうか」
 無数に走った軌跡によって、ゼガルノアを掴もうとした腕がバラバラに崩壊するも、また粘体のように引き合いくっつき合い、グズグズと姿を取り戻していく。
「コッケコッケコォォォォォォォーーー!!!」
 サンダーバードの雷撃で、一瞬辺りが明るくなり、そして轟音が響いた。しかし、その辺の魔獣なら一撃で沈むような威力だというのに、奴は平気で立っている。
 だが何より俺に衝撃を与えたのは、その三つの頭、そのひとつだった。いや、予想はしていた。それでも、見たくなかったというべきか。
「ティーター……」
 癇癪を起こして暴力をふるう、その醜悪な表情を、俺は忘れたことはない。