第十八幕・第四話 若村長と働き者たち
あまりにも敵が出ないので、俺たちは結局、国境の町ハルビスの門の前まで来てしまった。
「どうしよう……」 「何かいるのは、なんとなく感じますね」 ガウリーの言う通り、瘴気がこもったハルビスの町の中に、何かいるのはわかるのだが、それがまったく動かないのだ。ここまで近付けば、神聖魔法を撃ちまくっている俺に反応しそうなものだが……まったくの無反応だ。 「町中までは入らないってジェリドと打ち合わせたから、今回は止めておくか」 「そうですね。……しかし、あれが瘴気の原因なのでしょうか?」 眉間にしわを刻むガウリーの言う通りだと、俺も首を傾げる。 「なんか、弱そうだよな」 シャンディラで押し寄せる瘴気と力比べをした時を持ちだすまでもなく、ユユイ湖にいた藻の怪物よりも、瘴気の発生点としては、はるかに弱いのだ。 「あれが、リルエルの町に迫るほどの瘴気を出しているようには思えませんね」 「俺もそう思う。原因は他かな?」 俺は肩をすくめて、キャンピングカーに向かって踵を返した。 「ここはちょっと放っておいて、他を探しに行こう」 「わかりました」 俺たちは町を囲う石壁沿いに迂回して、マルバンド地方の中心方面、さらに西に向かって車を走らせた。 「……そして結局、ここに戻ってきた」 二週間ほどかけて、マルバンド地方のほぼ全域と、隣接したブランヴェリ領の端っこ地域を浄化してまわったのだが、あっけないほど瘴気は掃われてしまった。辺境なので大型魔獣にも何度も遭遇したが、全部ゼガルノアが狩っていた。冒険者が狩る分が無くなってしまいそうだ……。 このままウィンバー方面に向かおうかとも思ったが、もう一度だけ確認してみることにしたのだ。 「一度浄化したところも、また瘴気に覆われていたし、発生源には変わらないんだよなぁ」 「討伐しない限り、またブランヴェリ領まで瘴気が来てしまいます」 「うーん……」 リルエルの町のことを考えれば、さっさと片付いてほしいが、これ以上踏み込むのは政治的な問題が絡む。 「ゼガルノア、ジェリドを呼び出してくれないか?」 「わかった」 通信ペンダントでジェリドに連絡を取ると、やはり現状維持と返ってきた。 『ハルビスから出てこないのならば、大神殿が討伐するまで浄化玉で対処します』 「そうか。……とりあえず、一晩ここで待ってみるよ」 『活動時間、ですか……。夜の迎撃は、危険ではありませんか?』 「昼間に比べたらな」 さすがはジェリド。相手が夜行性であるという俺の予想を察してくれた。本当は動きが鈍い今、ハルビスに乗り込んでいって倒したい。それが一番安全だ。 「夜になっても、町から出てこない可能性だってある。夜なら動くのか、それともこのままなのか、それだけでも確認して戻るよ」 『わかりました。無茶はしないでください』 「もちろんだ」 自分で言うのは恥ずかしいが、現状、俺の代わりができる人間なんていないからな。 『ああ、それと。フーバー侯爵家について、少しわかりました』 「教えてくれ」 『侯爵自身は、王都の屋敷にいるのが確認されました。次女のフラン嬢ですが、すでに婚約済みで、屋敷を出ています』 「えっ、まだ十歳にもなっていなくないか?」 フランは末っ子で、ティーターより三つ四つ年下のはずだ。 『ええ。相手は母方の遠縁のようです。そのため、フーバー侯爵夫人もフラン嬢に付いていっているようです。……政略結婚というよりも、もはや口減らしでしょう』 「おう……」 思っていた以上の惨状だった。 『長男のガロードと、次男のイシュターヴと妻のエルザ、四男のティーターが行方不明です。新領地……つまり、ハルビスの町に向かったそうなのですが、リグラーダ辺境伯領でそれらしき人物が目撃されて以降、連絡が取れなくなっているようです』 「まあ、あいつら目立つからな。うるさいし」 『魔境に入ったら僕のお嫁さんを呼んで来い、と言っていたそうですよ』 「うっ……」 やっぱりキャロルのこと諦めていなかったか。早々にサルヴィアとくっつけて正解だぜ。 『それから、これはまだ噂で、確定情報ではないのですが……長男のガロードはずいぶん前に廃嫡されており、ハルビスに向かったのは別人かもしれないと』 「なんだって」 それは初耳だ。ガロードは俺よりもひとつ年上で、侯爵やティーターのような悪い噂もなかった。奥さんが亡くなったニュースがあってからは、とんと様子を聞かなくなっていたが……。まさか廃嫡されていたなんて。 「そうか……何か外聞の悪い原因でもあったのか、逆に理不尽な理由だったから、廃嫡を隠していたのかな」 ということは、長男は身軽になったことを利用して、あの家から上手く逃げ出している可能性もある。貴族の跡取りとしてある程度の教育を受けられているのなら、たとえ流れ者でも、いい暮らしができる仕事か身分を手に入れられるチャンスがあるはずだ。 『恐らくそうでしょう。ブラック伯爵家に嫁いだ長女、マリエールも行方不明ですが、こちらは夫が先の戦争で帰らぬ人になったので、家系断絶による平民落ちです。実家もあの状態なので戻っていません。娘がいたはずですが、共に行方知れずとなっています』 「……ジェリド、無理だと思うけど、ガロードとマリエールの顔がわかる者か、似顔絵を用意できるか?」 『了解しました。ブランヴェリ領に入れない為ですね?』 「まあ……こっちに来るかは、わからないけどな。俺も彼らの正確な為人を知らないから……」 『大人しく平民に混じって暮らすならまだしも、逆恨みされているなんて可能性も、なくはないですからね。警戒はしておきます』 「頼んだ」 ジェリドとの通信を終えると、俺は頭を抱えて唸った。 「今夜が山場だな」 ハルビスに向かったまま、行方不明になっているティーターたちのことは面倒だ。だけど、放っておくのも寝覚めが悪い。 「別に、俺が片す義理は無いんだけど」 「リヒター様は責任感がおありになりますが、それ以上にお優しいですから」 「いくら褒めても、あおさ入り出汁巻き卵か鯖の味噌煮くらいしか出ないぞ、ガウリー。目の前に仕事があると、明日で良くても片付けたくなる性分なだけだ。故郷で散々困らされた奴を、自分でもできたのに他人に成敗されると、もやもやしそうだしな」 包み隠さず本音を言えば、一発ぶん殴っておきたい、という一言に尽きる。 「とはいえ、昼間だからこれだけ弱弱しくて、夜になったら手が付けられないなんてこともあり得る。ここに一晩泊まって、様子を見よう」 「かしこまりました」 俺たちはハルビスの町から少し離れた、もう少し行くと街道が途切れる場所まで下がってキャンプを始めた。ここには浄化玉付きの石碑も置いてあるので安心だ。 今日のショッピングタブレットには、秋刀魚が安く売りだされていたので、七輪と焼き網と炭も買って、ガウリーとゼガルノアに焼かせることにした。鯖の味噌煮は今度な。 (それにしても、このショッピングタブレットは、どこのスーパーに繋がっているんだろうな?) 時々ラインナップが替わるし、季節の特売とかもあるんだぜ。どうなってるんだ。 立ち上る煙と匂いにキャッキャしながら秋刀魚を焼く大男二人を眺めつつ、俺は大根を下ろす。ルーフにいると煙いのか、サンダーバードも地面に降りてきて、金鶏と一緒に地面をつついている。キャンピングカー生活も慣れてきたし、結構楽しい。 「どうだ、焼けたかー?」 「燃えたぞ!?」 「火が強すぎです、ゼガルノア殿!」 むこうも楽しそうでなによりだ。 表面は真っ黒、身もやや崩れたが、中までちゃんと火が通った秋刀魚を食卓に並べた夕食を終えると、ゼガルノアはコッケ達と一緒に、さっさとベッドに行った。 日が完全に落ち、冬が近づく夜風が肌寒く感じてきたころ、七輪で沸かした茶を飲んでいた俺とガウリーは、揃って視線をハルビスに向けた。 「動いたな」 「ええ。リヒター様の予想がひとつ、当たりましたね」 「当たってほしくなかったけどなぁ」 俺とガウリーがキャンプセットを片付けていると、ゼガルノアがコッケ達と一緒に起きだしてきた。 「やるか?」 「まだわからん。もう少し近付くぞ」 キャンピングカーに乗って、ガウリーの運転でゆっくりとハルビスの町に近付いていくと、なにか遠吠えのような、雄叫びのような声が聞こえてきた。 「こんなにデカい声がでるんじゃ、図体も相当デカいんだろうな」 「コケーッ」 「偵察に?」 「コッコッ」 「わかった。町の中は瘴気を掃っていないんだ、無理はするな。気をつけてな」 サンダーバードが見に行ってくるというので、窓から放してやった。バサバサと羽ばたいて上昇していく姿は、夜闇の中でも星明りを弾いてキラキラとしていた。 町の門が見えるところで車を停めて、しばらく待っていると、サンダーバードはすぐに戻ってきた。 「コッコッコッ、コッケコッケ」 「え……」 「リヒター様、サンダーバードはなんと?」 「すぐに傷が治る三つ首の巨人と、大勢の人間たちが戦っているって」 「え……」 ガウリーまで俺と同じ反応になった。まあ、そうだよな。 「人間は辺境伯側の門から入ってきた、ってことだな」 「第八大隊でしょう。時間的にも、ギリギリですが」 「可能性が一番高いのは、やっぱりそこだよな」 場所がフーバー侯爵領であり、他の貴族の兵士が入ってくる理由がない。王国騎士団がわざわざ出てくるのは、現在の王城の混乱ぶりから考えてありえない。リグラーダ辺境伯の兵ならまだ可能性はあるが、サルヴィアが老獪と評する辺境伯が、自領で迎撃はしても他領に攻め入るような愚を犯すとは思えなかった。 ならば、エマントロリアから帰還したばかりの神殿騎士団第八大隊が、そのまま派遣されてきたと考えるのが自然だ。 「働かされてばかりで、気の毒に」 「慣れております」 「余計に可哀そうだろ!」 大神殿の第八大隊への当たりのきつさに俺は憤慨するが、ガウリーはなぜかクスクス笑うばかりだ。 「我々は戦うしか能がないのです。神殿騎士の職分を全うできることは、そうでないよりも気が楽なのですよ。私を含めて、嫌味があいさつ代わりのロイデム大神殿で、つつがなく働ける性格だと思いますか?」 脳筋全肯定したぞ、こいつ。 「欲しい情報が得られたかどうかは別として、リグラーダ辺境伯領で情報収集は行ったはずです。昼間はなにもないのでハルビスに入り、夜になって動き出したものと戦っているのでしょう」 「サンダーバードが三つ首の巨人だって言っていたぞ。そんな魔獣は聞いたことがない」 「マクシムたちであれば、早々やられはしません。ですが、共闘した方が安全でしょう」 ガウリーの元部下たちへの信頼は厚いが、俺も頷く。もしもピンチなら、見捨てるなんてできない。 「ああ。こちらにおびき出すか」 「まずは、両陣営を見極めましょう。思いもよらない人間が入り込んでいる可能性もありますので。私とゼガルノア殿で見て、判断いたします」 「了解だ」 ガウリーとゼガルノアが夜闇に紛れて行くのを、俺はキャンピングカーをしまいながら見送った。 |