第十八幕・第一話 若村長とやり直せる人


 女神アスヴァトルド以外の神々について研究したせいで追放された、大神官で神学者のサイ=ワンと、彼に保護された五人の子供たちは、シャンディラ東にある粘土採掘場の洞窟で、腹持ちがいいというには不思議すぎるゴチソウダケで命を繋ぎながら、一年以上も瘴気に耐えていた。
 俺たちは彼らを救出したが、ゴチソウダケを食べ続けたせいで体が光るようになってしまっていたため、治すための薬草を育てるついでに、いったんリューズィーの村に預けることにした。
「何から何まで、手を尽くしていただき……ありがとうございます」
「礼には及びません。領民を護ることが、現領主の望むことです。我々は公爵代行閣下の手足として、当然の仕事をしているにすぎません。この村は安全ですから、十分に休まれるのが良いでしょう」
 頭を下げるサイに、ジェリドは薄く微笑んだ。
(ジェリドって、相手がずっと年上で、地位とか名声のある人でも、全然動揺しないよな。大貴族の子息として王城勤めしていたらしいし、肝が据わってるよなぁ)
 ジェリドの話し方がつっけんどんなのは、今に始まったことじゃない。従者のリオンによると、セントリオン王国にいた頃は、もっと事務的で、感情の起伏も少なかったらしい。「親しくもない相手に対して、気遣う言葉が出てくるようになっただけ、ものすごい進歩です」って言ってたし。
「ダンさん、すみませんが薬草畑のこと、お願いします。そもそも魔素のない所で育つかわからない、ダンジョン産の植物ですから、育成が捗らなくても気にしないでください。育たなかったら、他の方法を考えますから」
「はい、リヒター様」
 ダンさんは、リューズィーの村の村長代理をしているおじさんだ。村長業務をこなしているのだから、村長を名乗っても構わないのに、かたくなに固辞しているそうだ。
(カイゼルのせいだな……)
 カイゼルが俺のことを「ソンチョー」と呼ぶせいで、遠慮してしまっているのだろう。シャンディラ攻略に出発してから、俺はちっともこの村に居ついていないというのに。
(落ち着いて行政区画とかを整備するようになったら、正式に任命してもらおう。そうでないと、代々の村長が「代理」を付けて名乗りそうだ。……あと、カイゼルにもソンチョー呼びは止めてもらうか)
 俺の最終的な腰の落ち着け先は、まだとうぶん、決まらなさそうだしなぁ。頑張って浄化業務をこなさなくては。
「それじゃあ、出発だ」
 俺とガウリーとノア、金鶏とサンダーバード。それに、ジェリドとリオンを加えた一行は、リューズィーの村を出発して、まずは『大地の遺跡』まで徒歩で向かった。
「あれ、みんないなくなってる」
 少し前までは、俺と一緒に旧フーバー侯爵領から来た農夫たちがいたが、すでに移動したらしい。川の船着き場や馬車の停留所などには人がいるが、みんな交易関係の人ばかりのようだ。
「キャロル嬢が公爵代行閣下の婚約者になってリューズィーの村から離れたので、森の外のミルバーグ村に移ったのだと思います。いままで耕してもらっていた畑には、果樹を植えてありますよ。ここは公爵家の公開私有地にする予定なので、細かいルールは後で決めるとして、基本的には実っている物は誰でも自由に食べて良いことにしました」
「ほうほう」
 結構広く森を拓いて耕されていたから、管理する人がいないのはもったいないと思ったが、果樹園にするならいいだろう。将来無人になって、完全に野生化したとしても、その後の時代に誰かがここに逃げてきたら、季節によっては食糧があるという事だ。
「苗が植わっていない場所は、牧草地になっていますね。頻繁に馬車が通りますし」
「ここに押し込められていた頃は、軍馬の餌を調達するのも大変そうだったなぁ」
 人間用の食糧とは別に、飼葉を山盛りにした船も来ていたんだ。
 俺たちはジェリドが用意してくれた、幌馬車の荷台に乗り込んだ。御者台にはリオンとガウリーが座っている。
「では、急ぎましょう」
「はっ」
 リオンが鞭を入れると、馬車は緩やかに走り出し、紅葉で色づいた北の森を南北に貫く交易路に侵入していった。

 しばらく来ないうちに、森を切り拓いて作った道は、ずいぶんきれいに整備されていた。
「いつの間に石畳や橋が出来たんだ」
「シャンディラまで補給物資を運ぶのに、この道は重要ですからね。石碑や女神像を作る数が減ったので、そのぶん石工たちに敷石を作ってもらったんです」
 なるほど、無駄がないな。
「いまはシャンディラの再建に力を注いでもらっていますが、なにぶん使える石が少なくて……」
「石切り場があるのは、北東か西だったか。ハルビスの件が片付いたら、石切り場に行くかぁ」
 木材はとりあえずあるんだよな、延々と北の森を切り拓いていたから。辺境に行くほど瘴気の影響が少ないから、石材も辺境の方がいい物が取れるかもしれない。
 道沿いに所々にある小さな広場は、切り倒した木をとりあえず置いておくために作った場所だ。いまは冒険者や馬の休憩所になっていて、屋根がついているところもあった。
 俺たちが乗っている馬車は積荷も少なく、他の馬車を追い抜きながら、かなりの速さで進んでいるので、がたがたごとごとと、揺れがすごい。最近キャンピングカーにばかり乗っていたから、尻が痛くなりそうだ。ちなみにノアは馬用の飼葉の上で、コッケ達と一緒に大の字になって埋もれている。
「久しぶりの実家はどうだった?」
「おかげさまで、二年ぶりくらいでしょうか。みんな元気そうでしたよ」
「そうかそうか」
「そうかそうか、ではありません。みんな、あなたに感謝していました」
 ジェリドは珍しく、少し照れ臭そうに微笑んだ。フライゼル家の人達は、ジェリドが仕事に出たきり、もう二度と会えないと思っていたのだから、きっとすごい歓迎ぶりだったんだろうなぁ。
「家族……特に母が、ぜひお礼がしたいと言っていましたが……」
「えっ、別にいいよ」
 ジェリドに働いてもらうために助けたようなもんだし。それにフライゼル家には、人材を融通してもらったり、魔獣素材の販路を作ってもらったり、キャロルを養女にしてもらったりと、お世話になりっぱなしだ。
「そう言うと思いましたので、フライゼル領にもリューズィーとエイェルの礼拝堂を建てさせることにしました。あの人は信心深いので」
「ぐっじょぶだ」
 さすがはジェリド。隙のない采配だ。
「ああ、そういえば。セントリオンで懐かしい顔を見かけましたよ」
「懐かしい顔?」
 ジェリドは皮肉っぽい微笑を一瞬浮かべ、ユーパの町で会った冒険者を覚えているかと聞いてきた。
「ユーパ……? たしか、ジャイプルの手前で陣地にした町だよな」
 交易都市ジャイプルには水路がめぐらされていて、シャンディラに向かう俺たちが初めて訪れた時は、オークゾンビの巣になっていた。そこでは王女に寄り添ってアンデッドになってしまった、チャリオットを曳く忠実な馬アシや、ヘルライダーたちと激しく戦った。結局は巨大ダンプウーズによって、街自体が壊滅したが……。
 その周辺で出会った人物と言えば、道化師レノレノだが……あぁ、思い出した。
「冒険者って、あのガキンチョどもか!」
「そうです」
 ディアネスト王国の貴族の生き残りで、セントリオンに亡命していた子弟だ。レノレノがシャンディラに侵入する隠れ蓑として利用していたが、ノアとコッケ達に暴力をふるったので、ジェリドがガチギレしていた。
 たしかその後、大人の言う事を聞かずにこっそり付いてきて、ジャイプルの崩壊に巻き込まれた可能性があると言っていた気がする。
「生きていたのか」
「確認できたのは、二人だけですが」
 魔法使いのアルフレッドと斥候係のマリンが、セントリオン王国で他の冒険者パーティーに拾われていたそうだ。様子を見るに、ベテランにしごかれながら、真面目に冒険者をやっているらしい。
「ノアくんを泣かせた連中が生きているのは忌々しいですが、間違いを反省して誠実に生きると決めたのなら、私が追い打ちをかけなくてもよいでしょう。冒険者は、決して楽な生き方ではありません」
「そうだな」
 死と隣り合わせの生活をする冒険者は、たしかに楽な生き方ではない。それでなくとも平民は、貴族として生きるよりも、圧倒的に平均寿命が短いのだ。
(まあ、仲間と思っていたヨシュアにあんな扱いをされたら、愛想をつかすか)
 傲慢な貴族そのものといった態度のヨシュアから、すべての罪を被せられそうになったアルフレッドや、平民であることが最悪であるかのように目の前で言われた、パーティーでただ一人平民だったマリンは、さすがに思うところがあったのかもしれない。
 ジャイプルの壊滅的な崩壊から逃れられ、いまきちんと自立して生活できているなら喜ばしいことだ。
「……そうやって、軌道修正できれば、少なくとも自滅の可能性は減るが」
 低く呟いた俺に、ジェリドは呆れたように首を振った。
「アドルファス王子のことですか? 彼なら王太子を廃されるという噂ですよ」
「いや……え!?」
 俺が考えていたのは別人のことだが、アドルファス王子が廃嫡されるって初めて聞いたぞ。
「じゃあ、第一王子が……ルシウス殿下が次期国王か」
「その見方が有力です」
「いつそんなことが決まったんだ。そろそろエマントロリアから到着するだろうが……」
 俺たちは転移スクロールを使って帰ってきたが、アドルファス王子一行と神殿騎士団第八大隊は陸路を馬で進んでいる。先発隊だけなら到着しているかもしれないが、王子の本隊は怪我人を大勢抱えているし、第八大隊は駐屯地の物資を抱えながら王子を護衛しているのだから、歩みは遅いはず。まだ王都ロイデムに向かっている途中だろう。
「つい昨日のことですね。かなり早い段階で近衛騎士だけが戻ってきて、そこから急激に物事が進んだようです。アドルファス王子が帰りついたときには、すべてが整っておわっていることでしょう」
「なんでそんなこと知っ……ああ、精霊に聞いたのか」
「お察しの通りです」
 ジェリドはにっこりと微笑むが、遠く離れた王都の出来事を細かく知れるって、本当に凄いな。
「リヒター殿がシャンディラに帰ってきて、すぐに報告してくださったでしょう? フライゼル領にいる時から、ロイデムの動きには特に注視していましたよ」
「そういうことか」
 ジェリドが得た情報によると、俺の悪い予想が当たったらしく、国王はメラーダ中毒、ルシウス王子にまでメラーダが盛られそうになっていたらしい。
「犯人は捕まったのか?」
「さすがは公爵代行閣下やダニエル卿が信頼するだけあって、ルシウス殿下の動きは静かで素早かったですよ。王国貴族内に限って言えば、ほぼ一網打尽でしょう」
「ということは、大神殿までは辿れなかったか」
「大神殿もそこまで鈍くはなかったようですね。我々も掴んでいる尻尾を切ろうとしています。でもまあ、そこまでは確実に捕まえられるでしょう」
 弱っているエルフィンターク王家や、復興に忙しいブランヴェリ公爵家では、それ以上追及するのは難しいということだ。
「……根が残るのは、諦めないといけないか」
「ここから聖地を攻撃するのは、さすがに無理があります。かつてのメラーダ生産地を我々の手で潰せるだけ、まだマシかもしれません」
 いまの俺たちでは、アスヴァトルド教の総本山まで相手にする余裕がない。とりあえず国内での大神殿勢力を削り、宮廷内の正常化と安定が取り戻せれば、ブランヴェリ公爵家としては充分なはずだ。
(なにも俺たちだけが苦労しなきゃいけないわけじゃない)
 各勢力が頭を絞って解決してほしいもんだ。