第十七幕・第六話 若村長と発芽への祈り


 洞窟で暮らしているサイたちを、ひとまずリューズィーの村に住まわせるために、『永冥のダンジョン』とカイゼルのダンジョンを経由することにした。
「プリマ、お前の恰好は子供の教育に悪いから出てくるな。それか、着替えろ」
「ご主人さまのご命令ならば、いかようにも」
 そう言って着替えたプリマの恰好は、タイトスカートのスーツだった。開襟シャツから谷間が見える。
「……」
「これはこれで、色々歪めそうだな。OLというか、女教師というか……エナメルボンテージよりはマシだけど」
 額を押さえる俺の横で、メロディは感心したようにプリマを眺めている。
「プリマに会うために、ダンジョンに潜る冒険者を目指すようになるなら、悪いばかりじゃないんじゃね?」
「ものすごく前向きな解釈をアリガトウ」
 もうそれでいいや。
「二郎、転移スクロールを売ってくれ」
「かしこまりました」
 手持ちのスクロールでは足りなかったので、俺は二郎ホープからまとめ買いすると、『永冥のダンジョン』の転移ゲートルームを指定した。
「我は先に、カイゼルの所に行っている」
「え、そろそろ夜になるし、移動は明日にするぞ」
 いくら知っている道とはいえ、暗い森の中を移動するのは危険だし、なにより体が光っている人たちがいきなり現れたら、リューズィーの村人だってびっくりする。
「カイゼルのダンジョンで遊ぶ。新しいマジックバッグがあるからな」
 ふふんと胸を張るゼガルノアから、俺は苦笑いでノアのマジックバッグを受け取った。代わりに、ショッピングタブレットで買っておいた、おやつのドライフルーツケーキと牛乳を渡す。ダンジョンの中なら、魔王のゼガルノアはあまり腹も減らないだろう。
「わかった。明日俺たちが行くことも伝えておいてくれ。あ、ゴミはその辺に捨てるなよ。持ち帰ってこい」
「うむ。来た時よりも綺麗に、だな」
 ノアの時に言い聞かせたことを、ちゃんと守る魔王に育ったな。
 ゼガルノアが転移ゲートに消えると、俺も洞窟行きのスクロールを取り出した。
「じゃあ、また明日の朝に来る。通過するだけだから、特に起こさんぞ」
「おっけー」
「お待ちしております」
 メロディとプリマに見送られ、俺はガウリーとサイたちが待っている洞窟に転移した。


「ただいま」
 真っ暗な中に降り立って、俺は目を瞬いた。少し臭うひんやりした空気は、あの洞窟のものだ。
 辺りを見回すと、少し離れた所でトーチの魔法が光り、それに続いてコッケ達の姿が見えた。どうやら奥の通路に入っていたようだ。
「おかえりなさいませ。……ノア殿は?」
「あー、それなんだが……晩飯にしながら話すよ。みんなの分も作る」
 俺はガウリーを連れて一度洞窟を出ると、キャンピングカーを出しておかゆを作った。水とキノコしか食べていない内臓では、脂っこいものや香辛料がきついものは、受け付けないだろう。
 十分に柔らかく炊いた白米に魚介出汁を注ぎ、塩で味を調えてから小葱を振りかけ、器によそって配った。おかずはお好みで、温めたおぼろ豆腐と出汁巻き卵を用意した。ゴチソウダケのためにあまり空腹を感じていなくても、これからは普通に食事をとっていく。その為にも胃腸を慣らさなければいけないだろう。
 おかゆと少々のおかずだけでは足りないだろうガウリーのために、鉢に大盛にした筑前煮を出しながら、俺は『永冥のダンジョン』で得た情報を話した。
「そういうわけで、解毒剤ができるまで、ちょっと時間がかかりそうなんだ」
「たしかに、弱っている体に魔素が濃すぎるものは避けるべきですね」
 薬草を育てるところから始めなければならない事には、ガウリーも納得して頷いてくれた。
 魔素を体に取り込むと、魔獣ならば魔石ができるが、人間はそうじゃない。まずマナの巡りが悪くなってしまうらしく、そのまま摂取し続けると、体のあちこちに不調がでるらしい。これはプリマに教えてもらったことだ。ダンジョンの外だと一般的に魔素が少ないために、頻繁にダンジョンに関わる地域に住んでいるのでもない限り、そういう知識を人間が持つことが少ないのは当たり前のことだ。
 以前リューズィーの村で、一応可食ラインの魔素野菜を食べていたが、あれも続けていると、けっこう危なかったらしい。病み上がりのジェリドには食べさせなかったし、魔素自体もカイゼルのダンジョンに吸収されていったので、俺たちが不調を起こすほどにはならなかったようだ。
 今回はサルヴィアが人間用にはNGを出した薬草類であるから、なおさら魔素のない場所で育てなければならないだろう。
「魔素がなくても、十分に育ってくれる薬草だといいんだがな」
「リヒター様がお育てになるなら、大丈夫でしょう。それでも心配なら、シームルグの力を借りればよろしいかと」
「うん、そうだな」
 春と秋に育てられる薬草だったのはさいわいだ。いまから蒔けば、冬になる前に収穫できるだろう。
「明日の朝、みんなで『永冥のダンジョン』に行って、そこからカイゼルのダンジョンに飛んで、ゼガルノアと合流してから、リューズィーの村を目指す。そうしたら、薬が出来上がるまでは、しばらくは村で暮らしてもらうことになると思う。体が光らなくなるようになる頃には、シャンディラでもどこでも、好きなところに住めるようになるだろ」
 彼らが生まれ育った町も、粘土採掘場を再稼働させるならば、これから復興するに違いない。
(もっとも、親がいないんじゃ、戻ってもな……)
 シャンディラに孤児院でも建てて、そこである程度育ったら、独り立ちしていくだろう。
 がつがつとおかゆを食べる子供たちは、たぶん俺の話なんて聞いていないだろうが、食べた物は美味しかったらしく、サイに連れられて洞窟に戻っていくときも満足そうな顔をしていた。
 俺はガウリーと後片付けをして、キャンピングカーに戻った。サイたちと一緒に洞窟で寝ようかと思っていたのだが、ガウリーに「なりません」と圧をかけられた。
「まあ、理由はなんとなくわかるよ。防犯とか、身分とか、そういうのじゃなくて」
 メロディに言われて、やっと気が付いた。ガウリーが俺に付いてこず、サイたちの所にいた理由も、同じ原因だ。
「俺そんなに、常人離れして見えるか?」
「一時期よりはマシになりましたが、今の方が……なんというか、神々しさを人の形に無理やり押し込めた凄みがあるのです。ゼガルノア殿と、あまり変わりません」
「うぅ……俺は魔王様でも神様でもないのに。ただの農民なのに」
 統合途中の方が放たれる威圧感というか、メロディが言っていたように危険物感があったそうだ。完全統合したいまは、畏れ多さが増えたらしい。
「サイ殿にはきちんと説明しましたが、子供たちはなんというか、理解よりも本能の方が勝つようで……」
 聖母のような包容力には程遠いという事だ。
(巨大なドラゴンに「怖くないよ〜」って言われても、怖いわな)
 無差別に懐かれても困るが、何もしていないのに怖がられるのも、ちょっと傷付く。俺はもう、普通の人間に混じって暮らせないのだろうか。
「はあ、仕方がないか。それで、サイ先生はなんて?」
「シャンディラの大神官長になることは、あまり真面目に受け取られていないようです。自分より相応しい人がいるだろう、と思っておられるようですね」
「もしも相応しい人がいるなら、紹介してもらおう。人手不足だからな」
 たぶん、そんな人はいない。研究や支援ばかりしていて、追放されてから十年も隠棲していたサイに、伝手はないだろう。仮にいたとしても、もちろん、サイ自身を逃すはずがない。重ねて言うが、人手不足だからだ。
 経験豊富な人材は、いくらいても構わない。知識や技術を持っているならば、持っていない若い人間にも伝えてもらうし、なにより年を重ねた人がいてくれるというのは、いまのディアネストのように何も無くなってしまった所では、働く人の心に余裕を与えてくれるのだ。わからないことがあったら、この人に聞けばいい、という安心感がある。また、そういう相談役として、庶民と貴族を繋ぐ役目もある。俺も村長として、中間管理職的な役割をしていたからな。
「私も同意見です。ジェリド卿と公爵代行閣下が丸めこ……ンンッ、説得してくださるでしょう。後継を育てるという条件を付ければ、サイ殿も固辞はしますまい」
 ガウリーもだんだん俺たちの文化に馴染んできたな。言い直さなくてもいいんだぞ。
「よし、その方向でジェリドに相談しよう」
 サイたちの処遇に関して考えをまとめると、俺たちはしっかり休んで明日に備えることにした。


 翌朝、俺は洞窟の近く……サイの小屋の裏手にある、おそらく雑木林だった所を耕し、プリマにもらった種を少し蒔いておいた。ゴチソウダケが生えている近くに、その毒素を排出させるための薬草を生やしておいた方がいいだろう。
(このまま野生化して、繁殖してくれればいいけどな)
 瘴気のせいで土地は痩せたまま、手入れも何もできないので、このままほったらかしになってしまうが……。
「何もしないよりは、いいか?」
 枯れ木の棒とロープで囲った種まき場所に、俺は祈るような気持ちでじょうろから水を撒いた。
「土に豊かさが戻りますように、っと」
「リヒター様、出発の準備が整いました」
「ん、今行く」
 俺はじょうろをしまい、転移スクロールを取り出しながら、ガウリーたちの所に戻った。
 キャンピングカーもしまい、ノアのマジックバッグも持ったし、忘れ物は無いはずだ。
「それじゃあ、いまから『永冥のダンジョン』の転移ゲートルームに行くぞ。そこから、今度はカイゼルのダンジョンに行く。どちらのダンジョンも、管理しているマスターと俺は知り合いだから、心配することはない」
 スクロールを配って使い方を教えると、子供たちは次々と発動させて転移していった。
「ガウリー、行ってくれ。プリマがいると思う」
「かしこまりました」
 ガウリーが転移したのを確認してから、俺は最後に残ったサイ先生が抱っこしている子供に握らせたスクロールに魔力を流した。
「先生、この子の分も発動させてください」
「はい」
 サイと一番小さな子供が転移したのを確認してから、俺は数枚のスクロールにこの場所を転移先として登録した後、自分も金鶏とサンダーバードを抱えて、『永冥のダンジョン』に向かって転移した。
「全員そろっているか?」
「はい、大丈夫です」
 サイの言う通り、転移ゲートルームには子供が五人全員飛べていた。その子供たちは、全員プリマをガン見している。豊満な体をスーツに押し込め、色気のある美貌を微笑ませたプリマは、さながら女神に見えなくもない。
「おかえりなさいませ、ご主人さま」
「ご苦労、プリマ。魔族さんたちにも、薬の礼を言っておいてくれ。また来るよ」
「はいっ、お持ちしております!」
 蕩ける様な笑顔をこちらに向けるプリマから視線を外し、呆然としている洞窟組を促して、転移ゲートをくぐった。
「ヨク来タナ、ソンチョー。話ハ聞イテオルゾ」
「おはよう、カイゼル。この人が、リューズィーの村を支援していたサイ先生だ。サイ先生、このスライムがリューズィーの眷属で、カイゼルと言います」
「は、はじめまして。サイ=ワンと申します」
「ウム、吾輩ガかいぜるデアル。クルシュウナイゾ」
 『永冥のダンジョン』とあまり変わらない転移ゲートルームには、立派なカイゼル髭のスライムと、ゼガルノアが待っていた。
「積モル話ハアレド、じぇりどガ呼ンデオルソウダゾ」
「あれ、もうシャンディラに着いたのか」
 あと四、五日はかかると思っていた。
 だが、そうではないとゼガルノアが首を振った。
「違う。リューズィーの村で待っている」
「……なんかあったか」
「そうらしい」
「だんじょんノ一階マデ送ッテヤル。急ゲ」
「ありがとう、カイゼル!」
 俺たちはカイゼルのダンジョンから出ると、足早に森の中を歩きだした。