第十七幕・第四話 若村長と命を繋いだキノコ


 サイは、北の森の中にあるリューズィーの村についても知っていた。アスヴァトルド教から迫害されていた彼らを密かに援助していたが、それがバレたせいでシャンディラの神殿や学舎にいられなくなったらしい。
「北の森の、リューズィーの村には行かなかったのですか?」
「私が行けば、彼らが隠れている場所を見つけられてしまう可能性がありました。見張られている街道を避けていくうちに、ここに落ち着いたのです」
 たしかに、ここに来るまでには貴族の別荘地などがあるから、人通りのわりに公的な警備が薄かったことだろう。貴族の私兵がたくさんいる所では、神殿騎士団も無理なことはできない。
(ガルシャフも、門閥貴族の方が国王より権力が強かったって言ってたしな。下手を打って、せっかく王家直轄地でやっているメラーダ栽培を嗅ぎつけられたら困るだろう)
 肉体労働者たちの怪我を治療したり、身寄りのない子供に読み書き計算を教えるなどの自立支援をしたりする代わりに、サイはこの粘土採掘場の隅にこっそり住まわせてもらっていたそうだ。町や村では神官が常駐したり巡回したりしてくるので、サイを匿っているのが大神殿に知られる可能性があった。
「この子たちは、すでに身寄りがないのですか?」
「……ええ、おそらく」
 ガウリーの囁くような問いに、サイは歯切れ悪く答えた。
「当時、私が庇護している子供はいませんでした。病気で親を亡くした子供を、ちょうど商家へ就職させてやることができたところで……私ももう歳ですから、あまり小さな子供の面倒はみられません。せいぜい、この採掘場で親が働いている間、勉強をみてやるくらいでした」
 サイはそう言うが、ここには五人もの子供がいて、なかにはノアと変わらないほど幼い子もいる。
「私が異変に気付いたときには、すでにこの近くまで瘴気がきていました。浄化しながら町まで行ってみましたが、動ける者は逃げ出した後で……この子たちは、親からはぐれ、瘴気の中に取り残されていたのです。生き残っていたことが、奇跡のようでした」
「なんてことだ」
 愕然とするガウリーのそばで、俺も唇を噛んだ。何人も子供が取り残されるほどの混乱ぶり、そして逃げた大人たちも、国境付近まで逃げられなければ、生存は絶望的だろう。道中には、スタンピードで溢れた魔獣だっていたはずだ。サイと、サイに保護された子供たちは、本当に運が良かったのだ。
 サイは子供たちを保護しながら、使えそうな物資を無人になった町からかき集め、この洞窟に立てこもったのだという。
「通常の瘴気ならば、神官たちが浄化するはずです。いくら戦争中でも、瘴気が出ては双方戦闘が出来ませんから、すぐに助けが来ると思っていました。私も、せいぜいラサ湖周辺で瘴気が発生したのだと思っていたのです。まさか、王都を中心に、国中が瘴気に包まれていたなんて……」
 真っ暗な洞窟で生活し、しかも一口齧るだけで何日も食事が要らないゴチソウダケを食べていたので、時間感覚があやふやになるのはあっという間だったそうだ。外に出ても、濃い瘴気のせいで昼でも薄暗かったからな。
「水はあったんですか?」
「ええ。地底湖とまで言いませんが、飲み水に困らない程度には湧いていますよ」
 外に井戸が見当たらなかったので聞いてみたら、大丈夫だと返ってきた。湖沼地帯でもあることだし、地下水が豊富なのだろう。鉄のように硬い岩盤にぶち当たりさえしなければ、井戸も楽に掘れるのかもしれない。
 とはいえ、これから寒くなる季節だし、はやくシャンディラに移住した方がいいだろう。子供たちもそうだし、サイも老齢といっていい。だが、サイがアスヴァトルド教から睨まれているのだとしたら、その保護にも配慮が必要だろう。
「そこまで迫害されても、サイ先生は、どうしてリューズィーのことを調べていたんですか?」
「元々この国は、水が豊富で稲作が盛んです。女神アスヴァトルドを主神としつつも、水神リューズィーを信仰する人は多かったはずなのです。事実、私の祖父母が子供だった時代には、リューズィーを祀る祠や礼拝堂が、どこの町や村にも必ずあったそうです。私が物心ついた頃には、その多くが跡地や、他の建物になっていましたが」
「へ〜」
 意外な事実に、俺はふと、いままでのことが頭をよぎった。
(ブランヴェリ公爵領にきてから、やたらとリューズィーが絡んできたのって、もしかして元々この辺の土地で力があったからか?)
 アスヴァトルド教は周辺国で広く信仰されているが、そのなかでも昔のディアネスト王国では、リューズィーが土地神様のように敬われていたのかもしれない。国境には、ガーズ大河もあるしな。
 広く信仰されていたはずなのに、いつの間にか、迫害の対象にまでされてしまっていた。疑念を持ったサイが、主流に隠された歴史を紐解こうとするのは、当然のことだろう。
「古い文献や、厳重に保管された書類を閲覧する資格を得るために、セントリオン王国の聖地アスヴァトルドにも行き、何本か論文を提出して学位を授かりはしました。ですが、私の本当に研究したいことが、アスヴァトルド以外の廃れてしまった神々についてだと知られると、途端に疎まれるように……」
「怪しすぎるな。ガウリー、ロイデム大神殿でも、そんな感じだったのか?」
「どうでしょうか。私は騎士団の方にばかりいて、神官や神学者の方々との交流は少なかったもので……。詳しく知りません、申し訳ありません」
「いや、謝るな。ずっとエマントロリアにいたんだもんな」
 うーん、大神殿を避けているせいで、詳しい人の伝手がないな。まあ、仕方がないか。
「それじゃあ、サイ先生も一度、リューズィーの村と、カイゼルのダンジョンに行ってみるといいんじゃないかな。リューズィーも喜ぶだろう」
 かつてサイが支援していた、リューズィーを信仰していた人たちの村は、残念ながら一度滅びてしまったが、いまは建て直されている。リューズィーの眷属が支配するダンジョンも近くにできていることを伝えると、サイは大きく頷いた。
「ええ、ぜひ!」
「アスヴァトルド教の傍流にも詳しいなら、キャロルにも教えてあげて欲しいな。彼女はリューズィーの女神官で、ここを治めているブランヴェリ公爵代行の婚約者だ。きっとディアネストの復興にも力になるはずだ」
「リヒター様、いっそのこと、シャンディラ大神殿をサイ殿にお任せしては?」
「鋭いな、ガウリー。実は俺も同じことをジェリドに言おうと思っていた」
 シャンディラ大神殿は、目下再建のめどが立っていない。もちろん、旧組織に対する罪科の追及は続けるが、それはそれとして、人心の安定のためにも新しい組織を作らなければならない。
 新しいシャンディラ大神殿では、アスヴァトルド以外にも、リューズィーとエイェルを祀ることにしている。それを理解して運営してくれる人となると、まったくアテがなかったのだ。キャロルは公爵夫人としての立場があるし、俺は農民として静かに暮らすことをサルヴィアに確約させている。それに、一国だった広さの教区を預かる大神官といえば、それなりに実績と貫禄のある人でないと、外向きに納得させることができないだろう。
「え? ……え?」
 きょとんとしているサイだが、彼なら年齢的にも人柄的にも……つまり、見た目や言動を通して、神殿に参拝に来る人たちを安堵させることができるだろう。取り残された子供たちを護りながら瘴気の中を耐えた聖人だと、大いに宣伝にもなる。
 国を跨いだ対外的なことは、ジェリドやサルヴィアがなんとかしてくれるだろう。今はとにかく、領内の人心安定のためにも、新しいシャンディラ大神殿が必要だ。
「そうと決まれば、まずはその光る身体をどうにかするのが先だな。ちょっと『永冥のダンジョン』に行ってく……あ、転移スクロールが二枚しかないや」
 『永冥のダンジョン』の近くには『空の遺跡』があるし、今は他のダンジョンとの転移ゲートもあるから、『永冥のダンジョン』のコアルームを指定した転移スクロールは、あんまり作っていなかったんだ。
「では、私はコッケ達とここに残って、もう少しサイ殿と話をしようと思います。『永冥のダンジョン』なら、ゼガルノア殿もメロディ殿もいることですし、危険はないでしょう」
「そうだな、頼む。すぐ戻ってくるから」
 普段は俺から離れないガウリーだが、聖職者同士で詰める話もあるだろう。
「りひたー、ごちそうだけのじつぶつを、すこしもっていこう。われがしっているものとおなじだとは、かぎらん」
「言われてみればそうだな。メロディとプリマに確認してもらってから、魔族さんに薬を調達してもらおう」
 俺はノアを見失わないように抱き上げ、ヤール少年たちにゴチソウダケが生えている場所に案内してもらった。
「うぉっ……すごいな」
 ひたひたと水が滴る岩壁いっぱいに、ぼんやりと薄黄色に淡く光る、茶色い傘のキノコが、小さな棚のようにびっしり生えていた。
「うむ、だんじょんのごちそうだけと、おなじだ。こちらのほうが、ひかりかたがよわいか」
「根元からむしって大丈夫かな……よし、取れた」
 うーむ、どう見てもヒラタケとか、そういうキノコに見える。たしか、よく似た毒キノコのツキヨタケは、緑色に光るんじゃなかったか?
「毒は無いけど、体が光るようになる……。試しに、俺もちょっと齧ってみても大丈夫か?」
「だいじょうぶ」
 キノコの生食は避けるべきだが、色んな味がするというのは興味がある。俺は大きく広がった傘が裂けた、小さな欠片を口の中に放り込んだ。
「ん……ハンバーガー? の味がする。なんでだ」
 歯ごたえはただのキノコなのに、パンや牛肉の風味に混じって、転生前に食べたケチャップソースやチェダーチーズの味がぼんやりとする。
「不思議だなぁ」
 俺はゴチソウダケを【空間収納】にしまい、転移スクロールを四枚取り出した。二枚は、すでに『永冥のダンジョン』行きと登録されているもの。もう二枚には、この洞窟を指定してからしまった。
「よし。それじゃあ、行ってくるよ」
「いってらっしゃいませ」
 スクロールの一枚をノアに渡し、俺は自分の分のスクロールを発動させた。

 モダンな色彩のオフィスショールームのような風景は、そこが『永冥のダンジョン』最深部とは思えないくらい明るい。そんな中にバンガローが建てられているのは、ものすごくミスマッチだが、ここで数日を過ごした経験があるからか、かえって安心感があった。
 ダンジョンコアの前には、小洒落たチェアとコーヒーテーブルがあり、ちょうどメロディが椅子を回転させてこちらに向いたところだった。
「……」
「……」
 俺たちは見つめ合ったが、それは一瞬のことだった。
「おいっ、視線を逸らせるな!」
「ご主人さまの務めだ。私に構わずやってくれ」
 俺の足の裏は、明らかに床ではない、むにゅっと柔らかい物を踏みしめており、足元を見るのが怖い。
「はぁっ、はぁっ……、間に合いましたわ!」
「間に合わんでいい!! この変態!!」
「ああん、ありがとうございます!! おかえりなさいませ、ご主人さま!!」
 俺は床と同化しているプリマから飛び降り、思わず床の固さを確かめるように足踏みをしてしまった。
 俺が転移してくるのがわかるのはダンジョンマスターだからいいとして、なんで俺の足元に滑り込んでくるのかな!!
「マスターは相変わらずだな」
 魔王形態に戻ったゼガルノアは冷静に言うが、俺はぜひ変わってほしいと思う。