第十七幕・第三話 若村長と異端の聖職者


 道中の魔獣はだいたいゼガルノアが片付けてきたというので、俺たちはキャンピングカーに乗り、ノアの案内で採掘場の奥を目指した。
「お、本当に生きている人間がいる」
 掘っ立て小屋が見えたところで、俺たちは車を下りた。ここに置いておくわけにもいかないので、魔石には余裕があることだし、車を【空間収納】にしまう。
「先生!」
「ヤール、よかった!」
 ゼガルノアが連れてきた子供は、ヤールという名前だったらしい。掘っ立て小屋からこちらを窺っていた男が飛び出してきて、子供を抱きとめる。あの服装は……。
「神官?」
 汚れてボロボロではあるが、見覚えのある形をしている。アスヴァトルド教の神官の服装だ。なるほど、浄化魔法があれば、ある程度の瘴気は防げるが……だからといって、限度があるだろう。
「すみません。生きている人間がいるとは思っていなくて、うちの者が勝手に連れて来てしまいました。怖がらせるつもりはなかったのですが……」
 子供を後ろにかばった男は、五十歳前後といったところだろうか。薄くなった髪はぼさぼさで、痩せて汚れているが、強張った顔にかけた眼鏡の奥には、責任感の強そうな目が見える。
「リヒター様、ここは私が」
「そうだな。頼む」
 ただの農民である俺よりも、神殿の内部を知っているガウリーが話した方が、信用してくれるだろう。
「私は、元ロイデム神殿騎士団第八大隊隊長、アイザック・ガウリーと申します。こちらは、魔境と化したこの地を浄化してくださっている、聖者リヒター様でいらっしゃいます。あの瘴気の中を、よく耐えられました。ご無事でなによりです」
「エ、エルフィンタークの、方ですか……?」
「一応、そうなります。戦争は終結しまして、シャンディラを中心に復興が始まっております。ここは魔獣も多いので、シャンディラへの移住をお勧めします」
「それは……ぜひにも。ですが……」
 急なことで戸惑っているのか、それともここから離れられない理由があるのか、神官服の男は少しためらった後、掘っ立て小屋の中へ俺たちを誘った。
「なにもおもてなしできませんが、詳しくお話を伺ってよろしいでしょうか。あの、瘴気が溢れた後のことなど。この国がどうなったのか、なにもわからないままなので」
 ガウリーがこちらを見たので、俺は頷いてみせた。
「わかりました。移住するにも、先に状況を整理する必要がありますから」
 神官の男について掘っ立て小屋に入っていくガウリーの後ろを、俺はノアやコッケ達と一緒に続いて行った。

 神官の男はサイ=ワンと名乗った。シャンディラ大神殿に所属していたが、神官というよりも学者としての活動が多かったそうだ。
「ワンの称号をお持ちなのですか!?」
「ただの異端者ですよ。研究テーマからの神殿外での活動が疎まれまして、流れに逆らえないまま、ここに」
 サイは苦笑いを浮かべて謙遜するが、ガウリーによるとアスヴァトルド教の神学において、優秀な学位を修めた人に贈られるものらしい。
(大学教授と大神官を合わせたような感じなのかな?)
 とにかく、神官の中でも敬意を払われる、偉い人のようだ。
 掘っ立て小屋の中は、がらんとして何もなかった。そのまま奥の扉を開けると、半野外の炊事場があった。そして、炊事場の隅、梁から下がっている布をめくりあげると、岩盤に人一人が通れそうな穴が出現した。
 その穴に、ヤール少年が恐れもなく飛び込み、神官の男が続いて行く。俺たちも入ったが、結界やダンジョン特有の空間の抵抗は感じなかった。中は真っ暗で、外よりも幾分ひんやりとしている。ガウリーが点けてくれたトーチの魔法のおかげで、辺りの様子がうかがえた。
「天然の洞窟か」
 天井はところどころで裂け目のように高くなっており、洞窟の奥行きもかなりありそうで、意外と圧迫感を感じない。シャンディラとは逆方向にある狭い出入り口のおかげで、瘴気もあまり入り込んでこなかったのかもしれない。
「この辺りは、大昔に溶岩や火山灰が積もったのです。当時の火山活動の結果、ラサ湖やユユイ湖ができたといわれていますよ」
「へ〜……んあ!?」
 暗闇の中にぼんやりと浮かぶ、サイと、その先を歩いて行くヤールの姿に、俺はあんぐりと口を開いてしまった。
「ひ、光ってないか?」
「そうなのです。面白いでしょ」
「え、えぇ……」
 サイたちの手足や首から上が、ぼんやりと淡い光を放っていた。服を脱げば、全身が光っているのかもしれない。神獣である金鶏やサンダーバードが放っている光よりも、ぼやぁっとしていて、面白いというよりも、はっきり言って、不気味だ。
「わかった。ごちそうだけ・・・・・・をたべたんだな」
「ゴチソウダケ?」
 俺の足元にいたノアから、不意に明瞭な言葉が出てきて驚いたが、外見はノアのままで、意識はゼガルノアのようだ。
「いろんなあじがする、きのこだ。ひとくちで、いつかほど、くうふくをかんじなくなる。ただ、たべつづけると、からだがひかるようになる」
「なんだそれは」
 『永冥のダンジョン』に自生する、不思議な食用キノコらしい。
 生で食べると色々な料理の味がするが、火を通すとただのキノコの味になってしまうそうだ。とても腹持ちが良く、多彩な味が気分を紛らわし、非常食として有用だが、欠点として体が光るようになるらしい。
「光るだけ?」
「そう」
 ただ、『永冥のダンジョン』のような真っ暗な場所では、体が光るとやたらと目立つ。魔獣に見つかりやすくなるし、ダンジョン内の魔族は魔素があれば生きていけるので、食用には推奨されていないらしい。
「まそがなくても、はえるのか」
「ゼガルノアが知らない事を、俺たちがわかるわけがない。そうか、この状態で人が住んでいるところに行くのは、ちょっとな。驚かれるだろう」
 領都とはいえ、まだまだ灯りが乏しいシャンディラの夜に、彼らが光っているのを想像したらしいガウリーが、首を振りながらノアに視線を落した。
「治す方法はないのですか?」
「ある。でも、やくそうがここにない」
「『永冥のダンジョン』になら、あるんだな。魔族さんたちが薬を作ってくれるかな」
「めいれいすれば、もってくる」
 おう、さすが魔王だな。
「なくても、ますたーにいえば、やくそうがはえる」
「それはちょっとなー」
 プリマなら、喜んで生やしてくれると思うけど! ご褒美に踏んでくださいとか言われそうだしな! 最後の手段だ……。
 サイに先導されて洞窟内を歩き、広い空間に出た。二十畳くらいあるだろうか。すえた臭いがこもったそこに、いち、に、さん、し……ヤール少年を入れて、五人の子供がいた。男の子が三人、女の子が二人だ。一番小さい子で、ノアと同じくらい。一番大きい子がヤール少年のようだ。みんな、うすぼんやりと体が光っている。
「先生!」
「先生、おかえりなさい!」
「ただいま戻りました。お客様です。私たちはお話をするので、少し、お静かにお願いしますね」
 ちびた蝋燭が一本だけともり、そこに女神アスヴァトルドの小さな石像と、もっと小さなリューズィーの木像が祀られていた。
「ここに立てこもって、瘴気を浄化し続けたのか」
「はい。私は、あまり神聖魔法が得意ではないのですが……子供たちがいるのに、大人が怖気づいてなどいられません」
 洞窟の中には、地上から持ち込んだと思われる毛布や道具が転がっていた。ここはリビング兼寝室の扱いで、他にキノコが生えている通路や、トイレ代わりにしている場所もあるそうだ。
 こんな何もない場所で、よく一年以上も暮らせたものだ。
「外の様子は、どのようになっているのでしょうか? この子たちが住んでいた町は?」
「私たちは、ラサ湖から直接来たので、途中の集落の様子はわかりません。まず、終戦したところから、お話します」
 俺たちは地面に座り、ディアネスト王国が滅びてから一年半ほどのことが、ガウリーによってダイジェストで語られた。
 ディアネスト王家は断絶し、エルフィンターク王国は瘴気で溢れた魔境の統治を事実上放棄したうえで、戦争に反対していたブランヴェリ公爵家に管理を丸投げしたこと。病弱だった国王デニサス二世に憑りつき、瘴気を撒いていた厄災神エイェルを退け、今年の夏前にシャンディラを奪還したこと。わずかに生き残ったディアネスト王国民が徐々に戻ってきており、各地に入植を始めたこと。浄化活動は現在も継続して行われており、今回たまたまサイたちを見つけたこと。
「……そうでしたか」
「まだ領内には、超大型の魔獣が生息し、堕落の怪物までもいると考えられています。できるだけ、安全な場所に移っていただいたほうがいいと思います」
 サイは頷くが、まだ何か心配事があるようだった。
「あの、大神殿はどうなりましたか?」
「シャンディラ大神殿は壊滅状態です。いまのところ、所属していたと名乗り出ている者は、サイ殿を除いておりません。……もっとも、生き残っていたとして、いま名乗り出る方が危険だと思っていることでしょう」
「どういうことですか?」
「シャンディラ大神殿がメラーダ栽培と、その販売に手を出していたのです。エルフィンターク王国のロイデム大神殿も、セントリオン王国のアタナス大神殿と聖地アスヴァトルドも、いまは混乱中です」
「はあ?」
 まるで初耳だと言わんばかりに、サイの顎が落ちた。これだけで、彼がシャンディラ大神殿の中央から疎外されていたとわかる。本人が言っていたように、研究一筋で異端者扱いだったのだろう。
「で、では、シャンディラ大神殿の大神官長や……」
 現実が上手く呑み込めてなさそうなサイに、ガウリーは痛ましげな目を向けたまま首を横に振った。
「シャンディラ陥落の時点で逃げ出していなければ、瘴気の発生時に飲み込まれたでしょう。我々がシャンディラを奪還する時に、シャンディラ大神殿から瘴気に包まれた怪物が出てきたのが目撃されています。少なくとも、神殿に残っていた何人かは、あの怪物になってしまったかと……」
 俺たちが王宮の攻略を優先してその他を後回しにしたせいで、エイェルに憑りつかれたデニサス二世が、極大魔法を使う時にカオスドラゴンロードの他にも何体か怪物を呼び出していた。そのうちの一体が、シャンディラ大神殿にいた。
 もっとも、レノレノとホープの活躍のおかげで、エイェルの極大魔法自体が不発に終わり、それらの怪物は消滅してしまったのだが。
 しばらく呆然としていたサイだったが、眼鏡を外すと、なんとも言い難い表情にくしゃりと歪めた顔を手で覆った。その様子は、笑っているようにも、悔しがっているようにも見えた。
「……多くの命が失われた。喜ぶようなことではないと、わかっています。でも、我々を苦しめ、迫害した連中は、もう、いない……!」
 それを聞いたガウリーが俺の方を見たが、俺もかける言葉は持っていなかった。俺たちは普通の人間だ。滅びた加害者に対してわずかな憐憫を感じることがあったとしても、それ以上に安堵や歓喜を感じないなどという事はない。サイの気持ちはよくわかった。
(俺たちや子供たちがいない場所だったなら、嬉しくて叫んだろうな)
 しばらく顔を覆って肩を震わせていたサイが、ようやく落ち着いたのか、大きく息をついて眼鏡をかけ直し、あらためて俺たちに向き直った。
「失礼しました、お見苦しい所を。……私は、アスヴァトルド教内において、女神アスヴァトルド以外の神々について調べていました。元は多神教であったはずなのに、なぜ、廃れてしまったのかと。しかし十年以上前に、水神リューズィーを慕う人たちを支援したことが決定的になって、私は中央から追放され、この土地に住む人達の好意に縋って、隠れ住んでいたのです」
 それを聞いた俺は心の中で、腹の底から叫んだ。

 シャンディラ大神殿の連中、っざッまあぁッッ!!!!!