第十七幕・第一話 若村長と堕落の起源


 領内の浄化をするために、手始めに領都シャンディラの東にある湖沼地帯に向かった、俺、ガウリー、ゼガルノア、サンダーバードと金鶏は、キャンプをしたユユイ湖に棲み付いていた巨大なカメ型魔獣マクスケリスラクスと、誰かが堕落フォールした藻の怪物と戦って勝利した。
「たしかに……デカすぎだな」
「うむ」
 ゼガルノアにマクスケリスラクスのドロップ品を持っていて欲しいと言われて、俺たちは昨夜戦いがあった湖畔にやってきた。そこに転がっていたのは、まさしくマクスケリスラクスの甲羅だった。
「メロディがくれたリュックでは、サイズオーバーらしい」
「いくらマジックバッグとはいえ、ノアが背負えるサイズの開き口じゃあ、限界もあるだろうな。わかった」
 目の前にある甲羅の大きさは、ちょっと例えが難しい。高さは王都の城壁、横の広さは大貴族のお屋敷が庭ごとすっぽり入ってしまいそうだ。俺は甲羅を掴むと、自分の【空間収納】に放り込んだ。
「特に何かの材料になるというものではないが、我らは新たな開拓をする時に、拠点として使うことが多い。とても頑丈で、屋根があるからな」
「なるほど。広さも十分あるし、シェルターとして使うのか」
 マジックバッグなどで簡単に持ち運ぶことができれば、初期拠点としては充分だろう。シャンディラにいる職人たちに見せたら、もしかしたら新しい使い道を見つけるかもしれないが。
 甲羅を退けると、押し潰していた地面があらわになる。脆く折れた枯れ木もそうだが、黒っぽい水草のような物が、辺りに散らばっていた。もちろん、あの藻の怪物の残骸だ。
「ガウリー、俺は堕落フォールについて詳しく知らないんだ。アスヴァトルド教では、なんて教えているんだ?」
「はい。最初に訂正させていただきますと、堕落はアスヴァトルド教に限ったことではなく、世界で一般的に認知されている現象です。人間がなんらかのきっかけで、妖魔か悪魔と融合した際に、あのような怪物になるそうです」
 宗教的な括りじゃなかったのか。ほーん。
「元々、その現象が自然に起こることは稀だったのですが、ある国で軍事利用を目的として、生物兵器を生み出すために堕落現象の研究をして失敗。そのせいで、ラヴィエンデ大陸にあった国々は滅亡してしまいましたが、堕落という現象については広く知られるようになりました。およそ、三百年程前の出来事です」
「……ラヴィエンデ?」
「はい。現在では暗黒大陸と呼ばれていますね。普段我々が東大陸と呼んでいる、バローザ大陸のさらに向こう側、カロルック島嶼海域を抜けた先で……かなり遠いので、我が国が関わることはないと思います。ただ、セントリオン王家の始祖が、大昔にラヴィエンデ大陸から流れてきた者だという伝説があるそうですよ」
「……おぉ」
「どうかされましたか?」
「いや……」
 俺は片手で顔を覆って、動揺を誤魔化した。
(ラヴィエンデ大陸がっ、滅びていましたーーーーッ!! 知らなかったよ!!!)
 俺が転生してきた時には、『ラヴィエンデ・ヒストリア』のストーリーは、まさかのバイオハザードだかマジカルハザードだかで終了していたらしい。人工的にフォールさせて、あんな怪物を作ろうなんて、狂っているとしか思えない。人間が制御できるはずないだろうに。
(ロードラル帝国のライオネル帝や、セントリオン王国のジェリドが生まれてきたの、奇跡じゃないか!)
 いやむしろ、ラヴィエンデ大陸に人が住めなくなってしまったので、他の大陸に出現したのか。そうだよな、レノレノだって妖精族だし、妖精族はこの大陸の北西地域から各地に広がったんだった。ラヴィエンデ大陸でなくても出現可能だ。すごい事実を知ってしまった。
「……なるほど。ということは、現在の……暗黒大陸? は、ブランヴェリ公爵領とは比べものにならない魔境になっているのか」
「おそらく。誰かが行ったとして、その情報が我が国まで届くかという問題もありますが」
「そうだよな」
 思わず遠い眼差しになった俺だが、ふと気が付いて首を傾げた。
「もしかして、ラヴィエンデ大陸が滅びたのって、エイェルの仕業か?」
「……ありえなくはないと思います。というより、おそらくそうではないでしょうか」
 ガウリーも、やはり厳しい表情で頷いてくれた。
 エマントロリアダンジョンにいるエイェルに直接聞けば、詳しく教えてくれるだろうが、自慢げにそっくり返りながら「儂の鮮やかな手腕を聞きたいか? そうじゃろう、そうじゃろう!!」と言うのが目に見えるので、聞く気になれない。さんざん振り回された俺たちとしては苦々しい限りだ。
(でも、いまはとりあえず、おいておこう)
 俺は頭を振って、現実的な思考に戻した。
「ハエ女になったミュージャ公女だけとは思っていなかったが、このフォールによる怪物は、まだ領内の各地に巣くっていそうだな」
「ええ。……あまり考えたくはありませんが、対抗できる者も限られております」
「ゼガルノアのような魔王クラスってことだよなぁ……。仕方がない。領民に被害が出る前に、俺たちでいっこいっこ潰していこう」
「はっ」
 今回のように一ヶ所に留まってくれているならまだしも、ミュージャ公女とコープス伯爵のように、あちこちを移動されると捕捉が大変だ。ジェリドが公爵領に帰ってきたら、その辺の注意喚起と情報収集をお願いしておこう。
「前回は流れで燃やしてしまったが、今回も死体は燃やした方がいいんだろうか?」
「そうですね。基本的には、灰になるまで燃やすことになっております」
 俺たちは折れた木の枝で残骸を寄せ、そのまま火を点けた。
(誰だったんだろうな)
 人外になってまで生に縋ってしまった人が、生前はどんな人だったのか、俺たちに知るすべはない。俺たちに害を及ぼしたから討伐したが、堕落自体は誰にでも起こりうる現象だ。
(眠れ、安らかに)
 図らずとも『俺』の妄執と情念を昇華させ、俺との融合を叶える一助になってくれた誰かにも、静かな安らぎがあるよう俺は祈った。

 俺たちが戦った湖畔から道に出て、ユユイの町の方へ行くと、なにかが燃えたような、焦げ臭いにおいが漂ってきた。
「うっ……。歩いていたのは、コイツ等か」
 昨夜、ユユイの町の方から歩いてきた人影たちをサンダーバードに任せたが、明るい場所で見た正体は、ところどころに鱗が生えた水死体以外の何者でもなかった。
「サハギンとか半魚人の類は、筋肉ムキムキなイメージだったけどな」
「コッコッ……」
「なるほど?」
 サンダーバードが言うには、水気が多くて、電気は通っても、動かなくなるまで焼くのに時間がかかったそうだ。まあ、そうだろうけど……こいつら、そんなに雷撃食らって、よく破裂しなかったな。
 青黒くぶよぶよに膨らんだ肉体は、まったく水死体のそれで、男か女かもわからない。水死体にありがちな損傷が少ないのは、表面を覆っている鱗のせいだろうか。感電死して白く濁った眼球は、文字通り死んだ魚の目で、正面から見ると、妙に両目が左右に離れているように見えた。
「ユユイの町の住人かな?」
「おそらく、そうでしょう。このような魔獣は聞いたことがありません」
 この人たちも、瘴気か堕落の怪物の犠牲者なのだろうけれど、ちょっと困った。
「道が塞がっちゃったな」
 一人の体積が三倍くらいに膨らんだものが、数十人分、折り重なるように、みっちりと道に詰まっている。
「ゼガルノア、前に内臓を燃やしたみたいに、今度は道に沿ってこの死体だけを燃やしきることはできるか?」
「無論だ。現在の我ならば、その程度のコントロールは容易い」
「よかった。それで頼む。犠牲になった人たちのためには、ユユイの町に慰霊碑を置いてもらおう」
「それがよろしいと思います」
 今後の対応を決めると、ゼガルノアが軽く指先を振っただけで、水死体のような半魚人たちの死体が消え、白く焼けた地面が道に沿って現れた。やはり、ノアでいるよりも、魔法のコントロールが段違いだ。
(ハルビスの町に行く途中で這いずる臓腑を焼いた時には、呪文があっても燃え過ぎたもんな)
 あの頃は、『永冥のダンジョン』の中にいた、本体のゼガルノアも大変だったろうし。
「カタルシス! ……女神様のお慈悲がありますように」
 俺とガウリーで慰霊の祈りを捧げると、とりあえずこのままにしておくことにした。シャンディラ方面への帰り道になるが、俺たちはまだこれから、他の湖や粘土採掘場、それに見つけられれば農村も浄化していかなければならない。
「よし、行くか」
「はい」
 キャンピングカーに戻った俺たちは、その日はそのまま休むことにした。昨日の疲れで、俺が起きるのが遅かったせいだ。
 とはいっても、ゼガルノアはまたふらりと探検に出かけていったが。元気だなぁ。
「……うーん」
 俺は『俺』との完全融合を果たしたので、久しぶりに自分のステータス画面を開いてみた。そして、何と言っていいか言葉が出てこない。


リヒター(25歳)
レベル:79
職業 :農民
天賦 :【聖者の献身】
称号 :【優しい若村長】【神罰の代行者】【コッケ道】【魔王の保護者】
     【神々の均衡点】【エクソシスト】【救済の御手】【厄災を退けし者】
     【二人で一人】【迷宮のご主人さま】【弾劾者】【厄災神の飼い主】
     【魂の棺】

能力 :【空間収納】【水神の加護】【女神の加護】【身代わりの奇跡】
特技 :農作Lv7、牧畜Lv5、果樹栽培Lv1、回復魔法Lv8、神聖魔法Lv10
     神獣召喚Lv10、マナ励起Lv10、魔力増強Lv10、布教Lv7、行軍Lv5
     水流魔法Lv6
     Ext:調理Lv4、Ext:自動車運転Lv7

武勇 :47  統率:58  政治力:68
知略 :70  魅力:96  忠誠心:85


  調理と自動車運転はエクステンションスキルか。『俺』さんが持っていたスキルなんだろうけど、この世界の現在の文明では、基本的に無いスキルってことか? あぁ、地球にはあるけど、この世界にまだ存在しない食材や調味料の使い方を知っているってことかな。運転技術も、前世でパイロットだと、航空機操縦とかになりそうだ。
(オーズオーズが生きていた時代なら、また別なんだろうけど。……それは置いておいて、不本意な称号がいくつか増えたな)
 思い出したくもないが、なってしまったものに文句を言っても始まらない。
 パラメーターも、この辺で頭打ちだろう。……なんか、魅力だけ頭抜けているけど。
(元々リヒターは、乙女ゲーの攻略対象だから、そんなもんだろう)
 俺からは見えないけど、たぶんゼガルノアは99かそれ以上だろうよ。
 農民系スキルが全然育っていないので、これ以上レベルが上がったら困る。検証していないけど、スキルと俺本人のレベルって連動してそうなんだよなぁ。そう考えると、前世で習得した自動車運転や調理のレベルが別扱いなのは助かる。
(畑耕したい……収穫したい。もう秋なのに)
 農民の本分を全うしたいのだが、そのためには、頑張って領内を浄化してまわらないといけない。
(よし、せめて晩飯だけは美味いものにして、明日からの活動に備えないと)
 芋を蒸かして、バターを乗せるか。メインの秋鮭は、キノコや野菜と一緒に白ワインで蒸したら美味しそうだ。
 俺はステータス画面を閉じて、ショッピングタブレットに手を伸ばした。