第十六幕・第七話 若村長と水神からのご褒美


「御見事」
 寝転がったままで目を開けた俺を、青い肌をした男が間近から見下ろしていた。
「……」
「エイェルを丸め込んだ手腕も天晴であったが、まさか、あの荒魂までも鎮めるとは思わなんだ。ほんに面白き、器用な男よ」
 しゃがんで俺を見下したまま、クスクス笑う男の目は金色。重力に逆らうように逆立った髪の色は白金。しゃべり方は時代がかっているが、外見の年齢は俺より少し上なだけに見える。
 俺はこの男の容姿を、メロディから聞いていた。
「……リューズィー?」
「いかにも」
 よっこいせ、と水神リューズィーは立ち上がると、蒼い着物をずるずると床に引きずりながら歩いていき、長椅子にゴロリと横になった。
 起き上がって辺りを見回すと、床も柱もピカピカに磨かれた大理石のようだ。古代ギリシャの趣があるが、インテリアはラタンで出来ているように見える。外には緑が茂って、水量の多い滝まであった。
「まあ、座れ。茶ぐらい出すぞ」
「ああ」
 リューズィーが寝転がっているソファに向かい合うように、俺もラタン編みに見えるソファに腰かける。大理石っぽいテーブルに、持ち手のないカップが現れた。
(飲んだら帰れなくなるとかじゃないだろうな)
 死者の国の食べ物を連想したが、俺の思考を読んだらしいリューズィーに笑われた。
「そうはならんよ」
「なら、いただきます」
 薄茶色のお茶は、冷たくて香ばしい香りがした。茶葉だけでなく、豆やハーブが入っているみたいだ。渋みが少なく、すっきりした飲み味だ。
「美味しい」
「そうであろう」
 自慢げに頷くリューズィーに、俺はまず礼を言った。
「いままで、たくさん協力してくれてありがとうございます。ガウリーの首輪を外す時も、シャンディラでカオスドラゴンロードを倒した時も。加護をもらえたおかげで、『永冥のダンジョン』の攻略も間に合った。それに、この前の嵐の時は、雷をたくさん鳴らしてくれたでしょう」
「なんの。礼には及ばん。貴様にもキャロルちゃんにも、毎日お祈りしてもらっているしの」
 キャロルちゃん……。自分の巫女ができたの、本当に嬉しかったんだな。
「他人の嫁には手を出さんぞ。安心せい」
「そこは心配していません。それより、なぜ俺を呼びだしたんです?」
「礼を言うのはこちらの方、だからだな。貴様はようやっとる。吾輩たちの期待以上に」
 エイェルに関しては、すでに基幹システムに取り込まれてしまったあとでは、神々にもどうしようもなかった。だから、俺たち“世界の構築に使われたゲームをプレイした経験のある異世界人”の魂を召喚して転生させ、エイェルが引き起こす厄災に対処させてきた。
 そこにきて俺が、エイェルの一部を神獣召喚することで、人類がコンタクト可能な窓口を作った。他の神と同じように祀ることで、正体不明、予測不能な厄災システムを、わずかながらでも制御……というか、人類に認識させ、対応可能にさせた。
 この世界に生きる、転生者でない一般の人間一人一人の、信心や道徳心、行動力に頼るところが大きいが、エイェルの抑制方法をひとつ、構築することができたのだ。それはもしかすると、転生者にしかできない発想だったのかもしれない。
「厄災システムでしかないエイェルを、神のアバターである他の神族と同等に扱うことになる。それについて、神々からは不満はないでしょうか」
「ないな。あの厄介物を抑え込めれば十分よ」
 厄災をまき散らすエイェルと、そのせいで機嫌を損ねた創世神に、神々はよほど辟易していたのだろう。きっぱり言うリューズィーにさえ、やや疲れた声色を感じる。
「エイェルのことだけではない。貴様自身に関することもだ。アレを完全に取り込めるとは思わなんだ」
「……」
 俺は『俺』の完全吸収に成功した。俺の魂は二人分あっても、一人分に収まった。
「俺だけの力じゃない。あれは、『俺』さんが協力してくれたからこそだ」
「それが奇跡というものだ。貴様の魂を直すために呼んだとはいえ、アレは貴様たちの思想に照らし合わせて言うところの、修羅道に落ちる魂だぞ。それを慰め、鎮められただけで、徳ポイントが山積みだ」
 はじめは正義、あるいは善い事のために力を振るっても、その成果を越えて無闇に戦い続けるなど、かえって妄執や感情に囚われて止められない人を指して、阿修羅、あるいは修羅という。仏教の考えのひとつだ。
「あの男は生きていた時に……」
「待ってくれ。あの人は忘れたがっていたのだから、それは俺が知っていい事じゃないと思う」
「……ふむ。それもそうか」
 リューズィーは少し考え、ならばと話題を少し進めてくれた。
「事件のその後ならよかろう。貴様も知っている通り、あの男はけっこう優秀だった。それゆえに、冷静に、ひとつの取りこぼしも無いよう丁寧に、最高の結果を求めすぎたのだ。自分の感情に蓋をしてな」
「……そうか、すべてが終わった時には、もう心が……」
「そういうことだ」
 痛ましい事だと思う。完璧な制裁とか、社会的な抹殺とか、そういうものを『俺』さんはやってのけたのだろう。だけど本当は、幻覚を見せる藻の怪物に斧を振り下ろし続けたように、ただまっすぐに、自分の手で憎しみをぶつけたかったに違いない。
 外向きの結果を重視するあまり、自分の心があげる悲鳴を蔑ろにしてしまったせいで、記憶を手放しても、魂に深く刻み込まれた感情が暴走していたのだろう。それだけ、彼がこうむった悲劇は大きかったに違いない。
「俺は、俺を助けてくれたあの人の助けになりたかった。リューズィー、彼は俺を棺として、何にも煩わされることなく、すべてを手放し、忘れて、安らかに眠れているでしょうか」
「間違いなく」
「そうか。それなら、よかった」
 リューズィーのお墨付きを得て、俺は心から安堵のため息をついた。生まれてから頼りきりだったあの人を、やっと休ませてあげられたのだ。
(おやすみなさい)
 胸に手を当てて自分の内に囁くと、温かく穏やかな感情が返ってきた気がした。これでもう、『俺』さんと言葉を交わすこともできなくなっただろう。それでいいのだ。
「さて、本題に入ろうか」
 リューズィーは寝転がっていた椅子に座り直し、俺にニヤリと笑いかけた。
「貴様の功績に対し、褒美を取らせることになった。なにがいい?」
「なにがって……俺はそんなの気にしないでやっただけだし、徳ポイントももらっているし……」
 いきなりご褒美くれるって言われても、困るな。
「うーん、じゃあ、ガウリーの鎧を瞬時に着脱できるマジックアイテムが欲しいです。腕輪とか、そういう感じのやつで。車に乗るのに鎧が邪魔なんだけど、あいつ俺の守護騎士だし」
「……」
 なんか、リューズィーの目が半眼になった。そんなに変な事を言ったか?
「ダメですか?」
「ダメではないが、そんな物、人間に作らせればよいではないか」
「作れるのか? でも、リューズィーからっていうのが、名誉になるんじゃないかな。ガウリーが着ている鎧は、装飾のモチーフがリューズィーだし」
「なんだと!?」
 あれ? 知らなかったのか。
「わかった、貴様がイメージするものをくれてやろう」
「ありがとうございます。あ、俺からもリューズィーにお願いというか、聞きたいことが」
「なんだ?」
「シャンディラに新しく神殿を作る時に、女神アスヴァトルドの他に、リューズィーとエイェルの神像も建てると思うんです。それで、リューズィーの姿を、いままで通りの龍でいいのか、それとも人の形にした方がいいのかと……。希望の姿やポーズがあれば、カイゼルのダンジョンで手に入るドロップ品として、リューズィーのフィギュアを作って欲しいなって。その方が、人間がリューズィーをイメージしやすいし、信仰も捗るし。あと、お供え物のリクエストがあれば善処します」
 そのうち、エマントロリアダンジョンでも、エイェルの大人バージョン八頭身フィギュアが出るようになると思うんだ。あの厄災神、自己顕示欲強いし。
「……フ、フハハハハハハ!! アッハハハハハ!!」
 なんか、腹抱えて大笑いされた。
「そういうの、ダメですか?」
「いや、いや……。なにを、お願いされるのかと……ふっ、ふはははっ、はぁっ、はらが……腹が、痛い……。貴様、神を、笑い死にさせる気か」
「そんなに笑われるようなことかなぁ?」
 こっちは、どのくらい神様が世界に関われるのか知らないし。眷属の力を神様への信仰度で上げられるし、せっかく神族というアバターがあるんだから、怒られない範囲で使えばいいじゃん?
「まっこと、奇想天外な考え方をする人間よのぅ。吾輩たちは神であるぞ。普通の人間は、関わってほしくないと思うのではないか?」
「異世界人である俺たちばかりを働かせないでもらえます? 神であろうと、この世界の成り立ちから知っていて、さらにもっと安定させたいのなら働いてください」
「くっそぅ、正論を言いおってからに」
 リューズィーは、まだゲラゲラと笑っている。
「よし! そうと決まれば、さっそく吾輩のフィギュアを作るぞ! フハハハハァ!! あ、供え物はなんでもいいぞ! しいて言えば、茶と茶菓子がいいかの! ワハハハハハァ!!」
「わかりました。よろしくお願いします」
 座ったまま頭を下げたところで、俺の意識はリューズィーの神殿からぽーんと放り出された。勝手に呼び出しておいて、お暇もむこうの都合なのは、神らしいな。


 朝遅めに目が覚めてみると、外はいい天気だったので、今日の探索と浄化は休みにして、洗濯をすることにした。夜中の戦いのせいで、洗濯物が増えたんだ。
 枯れ木の間に張ったロープに、服や布がかけられてはためいている。
「リヒター様……」
「おかえり」
 ゼガルノアと一緒に昨夜の戦闘跡を見回って戻ってきたガウリーの目が、若干虚ろになっているが、きっと気のせいだろう。
「腕輪の調子はどうだ?」
「実に快適です」
 ガウリーは寝ている間に、リューズィーから神託と一緒に、武装一式が収納されるバングルを受け取っていた。いま持っているリューズィーの装飾が入った武装限定らしいが、瞬時の着脱が可能。手入れをするときは、着ている状態から普通に脱げばいい。なお、蒸着の掛け声やポーズはいらないそうだ。
「私は今回、何の役にも立っていないどころか、足手まといだったのに、なぜ……」
 ガウリーはバングルの他に、【龍神の加護】をもらったそうだ。攻撃的な【水神の加護】と違って、防衛系の能力アビリティなんだとか。俺からのリクエストでは、与えるはずのご褒美に足りなかったらしい。
「神様は、助けのいらない強い奴に、わざわざ加護を付けないさ」
「……これは本当に、リューズィーが自発的に私に与えたもうたものなのでしょうね?」
「そうだろう」
 神を疑うとは何事だ、などと言えない俺は、曖昧に笑って誤魔化した。少なくともアビリティに関しては、俺はリューズィーからなにも聞いていないからな。
「いい天気だなぁ」
 瘴気が無くなったユユイ湖は、澄み切った青い湖面に、キラキラと陽光を反射させていた。