第十六幕・第四話 若村長と湖畔のキャンプ


 シャンディラの東側には、低い山に囲まれた湖沼地帯がある。ちょっとした避暑地で、貴族の別荘もあったらしい。
(そういえば、スヴェンのお母さんたちが船上茶会で亡くなったのも、この辺の湖なのかな)
 人工的に作った池じゃなくて、本物の湖の上で茶会をしていたからの事故だったそうだが……。本当に事故だったのかは、今もわかっていない。
 俺は時々停車すると、窓を開けて浄化魔法をかけていった。スタッフオブセレマのおかげや、俺自身の力が上がったこともあって、一発で数キロは余裕で浄化できるようになったのだが、どうもこの辺りは瘴気が濃い気がする。
「瘴気って、けっこう残っているんだな。シャンディラが浄化されたのは、もう数ヶ月前なのに」
「そうですね。さいわい、アンデッドは徘徊していないようですが」
 道の両側には、かつては豊かな森があったのだろうが、葉が落ち枯れて折れたりして、ずいぶん見通しが良くなっている。ダンジョン産の魔獣は多少生息していると思われるが、大きな車に警戒して近寄ってこないようだ。
「おっ、開けてきたな。建物もあるし……おぉぉ!」
「ユユイ湖ですね」
 たっぷりの水をたたえた湖が見えてきた。シャンディラに一番近い湖だが、他にもラサ湖やビンジンダ湖などが点在している。
 ユユイ湖の側には町があるようなので、まずはそこまで行ってみることにした。
「わあ……。入ってはみたものの、廃墟だな」
 浄化魔法で周囲の瘴気は払ったが、窓越しに見るボロボロになったかつてのリゾート街は、陰鬱な雰囲気を漂わせている。
「でもとりあえず、休憩にするか」
「はい」
 広場に車を停めると、やっぱり寝ていたノアが起きてきた。
「たー、ついた?」
「休憩だ」
 車外に出て、俺はすぐに顔をしかめた。
「……なんだ、ここ」
 瘴気は掃っているはずなのだが、あたりは異様な気配に包まれていた。さびれたリゾート街は、かつての賑わいをしのばせたが、しんと静まり返った様子は不気味の一言だ。なにより、漁港の磯臭さを百倍にした感じというか、思わず鼻をつまみたいほど、ものすごく生臭いのだ。
(どこかに生魚を山積みにして、ほったらかしにしているんじゃないだろうな)
 もちろん、そんなはずはない。俺たちが来るまで、少なくとも一年以上は無人のはずだ。それ以前に生ものが放置されていたとしても、十分に土に還る時間が経っている。
「リヒター様」
 ガウリーもおかしいと感じたのか、警戒態勢で周囲に鋭い視線を巡らせている。
 この町は湖に面しているので湿気を感じるのはおかしくないのだが、それが肌に重くまとわりつくような、じっとりしたもので気持ちが悪い。ディアネストの長い夏もそろそろ終わりだが、どこか肌寒く感じるほどだ。
「戻ろう、ガウリー。滅茶苦茶嫌な感じがする」
「はい」
 コッケ達と車外に出ようとしていたノアを押しとどめてガウリーが戻ると、俺もさっと運転席に戻ってスターターを押した。
「このまま、町を通り抜けるぞ」
 ……さいわいなことに、車はちゃんと動いた。こういう時、怖い話だとエンジンがかからないとか、あるあるだからな。
(魚人が出てくる話は、海辺じゃなかったか?)
 魚介嫌いの米国人があらわした神話じゃないが、ここは近付きたくない。なにか、得体のしれない事が起きそうな雰囲気があるのだ。アンデッドや邪妖精なら戦い慣れているけれど、こういう気配はちょっと珍しい。
(せめて、実物が目の前にいてくれれば、三枚に下ろせるんだが)
 浦島太郎を読み聞かせられて育った日本人が、わざわざ陸に上がった魚人を怖がるものか。出刃包丁の錆にしてくれる。
 とはいえ、なにも相手のホームで戦うことはない。調査は必要だろうけれど、休憩拠点にするなら、もっと相応しい場所が他にあるだろう。
「どこか、拠点になりそうな所があるといいんだが」
「湖の傍よりも、高台にある別荘のどれかの方がよろしいかと。湖を見下ろせれば、異変も見つけやすいでしょう」
「そうだな」
 このキャンピングカーがすっぽり入るカーポートなんてないだろうが、広くて死角のない場所の方がいいに決まっている。
 ユユイの町から抜け出した俺たちは、そこから少し山側に登ったところにある広場を見つけた。たぶん、周囲の農村からの積荷を集め、仕分けする場所だろう。それか、朝市を開く場所かもしれない。広場の片隅に、荷車の残骸があった。
「ここなら良さそうだ」
 俺は車を停め、最初のキャンプ地にするべく、まずは周囲を確認してまわった。
 広場に通じる道は三本あり、俺たちが通ってきた道以外は、近くの農村か別荘地に通じているのだろう。木々が枯れているおかげで、ユユイ湖を見下ろすことができる。
「よし、今日はここに泊まろう。初日から無理をしても、疲れちゃうからな」
 お茶を淹れて一息つくと、ノアはコッケ達と探検に行き、ガウリーは周囲の警戒と焚火の準備、俺は夕食の準備に取り掛かった。
(キャンプといえば、カレーだろう!)
 さっそくショッピングタブレットでポチポチと欲しいものをお買い物カートに放り込み、百円玉くらいの大きさの魔石を会計口に投入する。これはシャンディラ周辺に出没するようになった、カビールバトンという、大型犬サイズのダニみたいなモンスターから採れた魔石だ。三等級なので、通常ならC級からB級の中堅冒険者が相手をする強さだが、『永冥のダンジョン』から溢れた中ではザコだな。
「下から三番目の等級で三千円くらいか。余裕だな」
 さらに魔石を投入して、飲料水と米と肉と野菜とカレールーを購入。あまり辛いとノアが食べられないと思うので、スパイシーな大人用とは別に、リンゴとはちみつが入った甘口のルーも買っておく。
(炊飯器が付いているって、やっぱ、日本仕様だよなぁ)
 欧米製の大型キャンピングカーやトレーラーハウスには、オーブンが付いていることがあるそうだ。でも、日常的に米を炊いて食べる民族的には、炊飯器が付いている方がありがたい。毎回、飯盒か土鍋で炊くのは面倒くさすぎる。
 ご飯を多めに炊いて、大人用の鍋とノア用に具を小さく切った鍋を用意して、十分に火が通ったところでルーを投入する。あー、いい香りだ。
「美味そうな匂いが外までしますよ」
「ハハッ、夕方に外で嗅ぐカレーの匂いは、格別だろ」
 腹を空かせて家に帰る、ノスタルジーを感じるなぁ。
「たー!」
 そのうち、カレーの匂いに釣られたのか、陽が落ちる前にノアが帰ってきた。いい感じの木の棒を持っているところなんか、実に可愛らしい。魔王専用武器とか持っているのかな? それにしても……
「おかえり、ノア。立派な騎士じゃないか」
「コッケコッケコオォォォォーーー!!」
 ノアは大きくなった金鶏の背にまたがり、首にしがみついていた。
 頭の高さは俺と同じくらいだが、ノアがまたがっている背中の高さは、俺の腰より少し低いくらいだろうか。サンダーバードが巨大化できるのは知っていたが、金鶏までもっちりなまま大きくなれるとは。
「お前も、大きくなれたんだな」
「コケッ」
 のしっと座り込んだ金鶏がしゅるしゅると小さくなり、ノアの両足が地面に着いたところで、ひょこひょこと脚の間から抜け出していった。小さいまま飛んできたサンダーバードは、キャンピングカーのルーフに止まっている。
「あのね、あっちにね、うにょうにょ・・・・・・がいっぱいいてね、きんけーたちが、おいしいってたべてた。もう、おなかいっぱいだって」
「は?」
 ノアが棒きれでぶんぶんと指したのは、湖の方だ。うにょうにょ、って、何?
「しーむにも、おみやげとってきたよ! ほら!」
 棒きれを放して、コッケのアップリケが付いた手提げバッグに手を突っ込むと、ノアの小さな手は暗くくすんだピンク色の何かを、ずるぅりと引っ張り出した。
「っぎゃぁあああああ!?!?!?」
「リヒター様!?」
 俺の悲鳴を聞いて走ってきたガウリーに、俺は文字通り飛びついた。
「ひぃいやあああああ!! あれっ! あれぇっ!! ぎゃああああ!!」
「落ち着いて下さい……うっ!?」
 取り乱した俺が指差したものを見て、ガウリーも後退った。
「ノア、しまえ! それ、しまってくれ!」
「うん、わかった」
 すぽん、としまわれた手提げバッグは、時間停止機能が付いたマジックバッグだから、あのぐんにゃりしたものが腐ることはないだろう。だけど、取り出す場所を考えてやらないとな。
「うっ、うっ……。ミミズは慣れているけれど、ああいうのは、ダメだ」
「おそらく……釣餌虫ですね。馬鹿馬鹿しいサイズでしたが」
 細かい脚がうじゃうじゃついてて……ひいぃ。あれ、ゴカイとかイソメとかいう類だよな……? でも、ノアが掴んでいたのは、太さから想像するに、一メートル以上ありそうだった。デカすぎる。
「鳥肌が……」
「信じられない物を見た気分です……」
「そうだよな!? ガウリーもそうだよな!?」
 小さいならまだいいが、あんなにでっかいのがうじゃうじゃいるのを想像したら、鳥肌が止まらない。
 あんなのをコッケ達は食べたのか。まあ、元々コッケも雑食だけど。おなか壊さないだろうな?
「よーし、ノア。先にシャワーにしよう。そうしたら、ご飯だ」
「うん!」
 無理やり気を取り直して、キャンピングカーのわりに広いシャワーブースにノアを連れ込み、石鹸を泡立ててもしゃもしゃと洗ってやる。普通なら節水に気を使うところだが、給水も排水もお手軽な車なものだから、毎日清潔にしてやることができるだろう。
 さっぱりしたところで、カレー皿を持って外に出る。車内にもテーブルはあるのだけれど、せっかくだからキャンプらしくいこうとおもう。車に積まれていた折り畳みのベンチに、三人揃って座り、カレーを食べる。
「ふぉいひぃ〜!」
「これは、美味いですね」
「そうだろう!」
 二人ともがつがつと食べてくれるので、作った甲斐があったというものだ。ノアなんか、小鍋に作った分をぺろりと食べきってしまった。
「たー、もっと」
「む、ノア用のはおしまいだ。よく食べたな。デザートにするか?」
「んーん。かれーもっと」
「でも、俺やガウリーが食っているこれは、大人用で、けっこう辛いぞ?」
 試しに、俺が食べているルーを少しだけノアのスプーンに乗せて舐めさせると、ぴゃっと顔をしかめて舌を出した。やっぱり辛かったらしい。
「むー」
「ノア?」
 空の皿を持ったまま、ノアは車の中に入っていってしまった。拗ねたのだろうか、と思ったら、大きくなって出てきた。
「この姿なら、問題あるまい」
「カレーの為だけに魔王形態になるんかい!」
 ゼガルノアは澄ました顔でご飯とカレーが盛られた皿を持って座ると、満足そうに食べ始めた。
「うむ、美味いな」
「そうか」
 それだけ喜んでくれるなら、まあいいか。また作ってやるとしよう。