幕間 ある王太子の挫折と転落


「兄たちの推薦をいいことに増長し、法を無視して爵位を望むなど呆れ果てる傲慢! 大人しく刺繍でもしていれば良いものを、他の令嬢たちを連れ回して魔獣討伐などをしているそうだな。じゃじゃ馬も過ぎれば、ただの愚か者だ。冒険者遊びはほどほどにして、茶会でも開いていればよかろう。健気で慎ましい妹を見習ったらどうだ!」
 並み居る貴族たちの前で、跪いた黒髪の令嬢を見下ろして言い放った時、アドルファスは怒りよりも、むしろ心地よさを感じていた。王太子と臣下という、絶対的な地位の差がありながら、能力差においてその優位性を脅かされているなど、考えるだけで許しがたかった。
 だが、現実は暴威を持って、アドルファスのプライドを叩き潰していった。

 アドルファス・ルドラ・ゼ・エルフィンタークは、誕生から十数年は、順風満帆な人生だった。
 生まれた瞬間から王太子としての地位が確定しており、大事に育てられた本人も、丈夫な体と健全な知性を持っていた。少しプライドが高い所があったが、それは王族として過ぎたものではなかったし、特別慈悲深いという事はなかったが、残虐なところもなかった。
 将来の国王として、真面目に勉学に励み、教養を身に着け、父にも母にも家臣たちにも期待されていた。少し年が離れた腹違いの兄がいたが、王位には興味がないようで、兄弟で相争うなどという事もなかった。
 この国では成人と認められる十五になる年、国政に関わるための教養と、同世代の貴族たちとの交友を得るために王立高等学院に入学して、運命の出会いをした。
「美しい……」
 それは、輝くような生命の美しさだった。学術的な美でも、儀礼的な美でもない。生々しさすら感じさせる、血の通った美しさを持つ娘だった。
 彼女はブランヴェリ公爵家のサーシャ夫人が迎えた平民の養女で、マーガレッタという名前だった。貴族家に養子に迎えられるだけあって、マーガレッタは頭がよく、話し上手で聞き上手だった。素直で、あけすけなほど感情豊かなところは平民らしいといえたが、型にはまったような貴族令嬢ばかりを見ていたアドルファスにとっては、彼女の良く変わる表情はとても新鮮だった。
「え、まだ平民なのか?」
 いつだったか、王太子宮でのお茶会に招待しようとしたのだが、平民だからと遠慮されたのだ。たしかに、平民が王城に上がるのは、それなりの理由がなければならない。
「あなたはサーシャ夫人の養女なのだから、ブランヴェリ公爵令嬢だろう?」
「いえ、サルヴィア様のお許しがありませんので……」
「あいつか……!」
 マーガレッタに申し訳なさそうな顔をさせる人物を思い出し、アドルファスは舌打ちが出そうになった。
 サルヴィア・アレネース・ブランヴェリは、先代ブランヴェリ公が亡くなると、兄たちを差し置いて爵位を継いだ。ただし、学院を卒業するまでは「代行」が付いたが。それでも、公爵家の取り仕切りに関する全権を有しており、生母が迎えた養女とはいえ、マーガレッタを貴族にするかどうかは、サルヴィアの判断にゆだねられていた。
 サルヴィアは確かに優秀だ。アドルファスと同い年だが、学院に入学してから、学業で一度も勝ったことがなかった。サルヴィアが剣術クラスを取っていないのでそこは比べられないが、魔法ではトゥルネソル侯爵令嬢と双璧と呼ばれるほどの実力を見せている。
玉無し・・・の癖に……!)
 下品だとわかっているから口には出さないが、身体的ハンデを貶めずにはいられない。
 なんでも、のっぴきならない問題で、女の恰好をしているらしい。先代ブランヴェリ公が掛け合って父王がそれを認めたからで、男でありながら女の恰好をし、女の恰好をしていても爵位は継げるのだ。そのどっちつかずが、いいとこ取りをしているように見えて、アドルファスは気に喰わなかった。
 男として生きられないのならば、大人しく女として生きればいい。両方の権利を主張するのは、欲張りというものだ。
 だから、アドルファスはサルヴィアを女として扱った。女の恰好をして、令息たちよりも令嬢たちとの交友が多く、本人もそれらしく振る舞っているのだから、はたから見ても別におかしくはない。
(だが……いまはいいか)
 マーガレッタの天真爛漫な笑顔を見て、アドルファスは癒されるのを感じていた。いずれはマーガレッタを貴族令嬢にしてあげなければいけないが、サルヴィアの承認以外に方法が全くないわけではないのだ。
 ディアネスト王国を併呑する機運が高まった時、アドルファスはここだと気持ちを昂らせた。王太子として力を諸侯に示す、良い機会だ。
「どう思う、マーガレッタ?」
「殿下がお導きになれば、きっとディアネスト王国も平和になりますわ」
 とても良い考えだと、マーガレッタは賛同してくれた。だがここでも、サルヴィアは口出しをしてきた。
「ブランヴェリ公爵家は、今回の派兵に反対でございます。苦しんでいる隣国に対して、支援ではなく侵略をもってあたるなど、人道にもとります」
 忌々しいことに、アドルファスの兄であるルシウスやその母アデリアを引き入れ、反戦の姿勢を崩さない。だが、その勢力は極小で、侵攻には国王が乗り気であるために決行された。
 アドルファスは進軍についていきたかったが、学業を優先させるべきだと父王に諭され、またマーガレッタからも危険なことはしないで欲しいと懇願されては、国内に留まるしかない。
 現実に、ディアネスト王国の王都シャンディラを落とすと瘴気が発生し、多くの貴族家や王国騎士が巻き込まれた。マーガレッタが止めてくれなければ自分も巻き込まれていたと思うと、さすがに冷や汗が出た。
 だが同時に、アドルファスには好機が訪れた。反戦派だったブランヴェリ公爵家の領地と財産を召し上げ、サルヴィアを魔境に追放することに成功したのだ。家臣の分際で論功行賞の場で足掻くサルヴィアは、魔力を放出してアドルファスや国王にすら凄むという暴挙に出たが、その後は素直に王都ロイデムから出ていった。
(最後まで生意気で目障りだったが、やっと清々した!)
 これで心置きなく、マーガレッタを婚約者として迎えることができる。没落したブランヴェリ公爵家は追放したが、マーガレッタと養母であるサーシャ夫人はアドルファスが保護し、将来に備えるのだ。
 すべてが順調に、アドルファスの思い描く未来に向かっていると思っていた。だが……。
(馬鹿な! まだ一年しか経っていないぞ!)
 マーガレッタとの穏やかな学園生活を楽しんでいたアドルファスは、頭を殴られたかのような衝撃を受けた。サルヴィアが率いるブランヴェリ公爵家が、ディアネスト王国の旧王都シャンディラを攻略し、たった一年で魔境を平定したというのだ。
 誤報だと決めつけたかった。宰相をはじめ、大神官たちも、たかが一領主軍が魔境の瘴気を掃うことはできないと予測していた。だから、サルヴィアをそこへ追放したのだ。入念に準備をした大神殿が行った魔境遠征すらも、失敗している。大神殿の協力もなしに、瘴気に包まれた魔境を攻略することなど不可能だ。
「聖者だと……?」
 小癪なことに、ブランヴェリ公爵家に協力する神聖魔法使いがいたらしい。その存在は、引退した大聖女クレメンティアまで認めているという。
(大神殿も役に立たないな)
 だがそんな時、アドルファスが愛するマーガレッタに神託が降りた。
「あなたこそ、まごうことなき聖女だ」
「アドルファス様……!」
 大神殿にマーガレッタを聖女として認めさせ、アドルファスは神託にあったエマントロリア遺構に向かった。遠征部隊は、アドルファスに忠実なカミン子爵やタルコット伯爵の兵士で揃えた。近衛騎士は強すぎてアドルファスの活躍が強調できないし、王城を守護する要の軽重が問われる。それに引き換え、彼らはマーガレッタにも心酔しており、必ずマーガレッタを護ってくれることだろう。
 ところが、エマントロリア遺構に入る前に、神殿騎士団の第八大隊が立ち塞がった。アドルファスの遠征を聞いていないし、エマントロリア遺構も様子がおかしいので立入禁止だという。そんなことは大神殿内で解決することであって、アドルファスには関係がない。
「こちらには聖女がいるのだぞ!」
 大神殿も、マーガレッタの護衛に、大聖女に付いている女神殿騎士をまわしてきた。聞いていないはずがない。
「王太子殿下、ここは一度王都に戻り、国王陛下と大神官殿の御判断をいただくべきではないでしょうか」
「貴様は黙っていろ、リチャード!」
 近衛騎士は置いてきたはずなのに、なぜかリチャードとジョーダンが来ていた。最近、父王が臥せりがちになったことをいいことに、国政に口を出し始めた兄の差し金だとアドルファスは思った。王位には興味がないと思っていたのに、まったく油断がならない。
 アドルファスはエマントロリア遺構への侵入を命じ、自らも剣を刷いて陣頭に立った。攻略にあたり、聖女であるマーガレッタを護るために、しっかりと騎士たちで囲む。
(女子部隊が遅れたのは、かえって良かったな)
 エマントロリア遺構について、第八大隊から説明を受けてから追いかけてくるそうで、実に迂遠なことだ。しかし、これで大神殿の勢力を排し、アドルファス達だけでエマントロリア遺構を攻略することができる。それはいいことだ。
「……なんだここは?」
 フェンスで制限された入り口から飛ばされたのは、堅牢な城だった。堀には跳ね橋ではなく吊り橋が掛かっており、城内へ一歩踏み込むと、メイド姿の幽霊や、がらんどうの鎧たちが襲い掛かってきた。これらが、エマントロリア遺構にいるというアンデッドだろう。
 城の中は、不安定な足場の踏破や、意味不明な昇降を強いられたが、あちこちに立派な剣が飾られており、最奥の王座には、ひときわ輝く剣が刺さっていた。
「これが、神託にあった『神剣ミストルテイン』か!」
 アドルファスが厳かな気持ちで神剣を引き抜くと、どこからか鉄が軋むような音が響いてきた。
「殿下ァ!!」
「え?」
 悲鳴のような騎士たちの声に反応した時には、アドルファスに鉄の巨人の影が落ちていた。
 それからエマントロリア遺構を脱出するまでの記憶が、アドルファスにはおぼろげにしか残っていない。それだけ、降り注ぐ爆発や発光する長大な剣から、不確かな足元を蹴って、必死に逃げたのだ。
 エマントロリア遺構を脱出したアドルファスは、両足をくじき、肩の骨が砕け、体中に打撲を負い、髪が焼けて一部頭皮があらわになっていた。マーガレッタも外傷こそ擦り傷程度だったが、ひときわ恐ろしいアンデッドに襲われたらしく、動きやすいように仕立てたドレスもボロボロになり、ふさぎ込んでアドルファスにも会ってくれなかった。
(だが、『神剣ミストルテイン』は手に入れた)
 その達成感と誇りを胸に、第八大隊に保護されながら、ロイデムに帰りついたアドルファスを待っていたのは、無表情の兄だった。
「この玩具が神剣に見えるとは、お前の認知能力は幼児に戻ったか」
「は?」
 アドルファスが後生大事に抱えて持ち帰ってきたのは、色付きのガラスで装飾された、錫の棒きれだった。
「『神剣ミストルテイン』は、聖者様が破壊してくださった。虚栄に狂い、厄災神エイェルに踊らされた愚弟よ。怪我が癒えるまでは、謹慎を命じる」
「なっ、そんな権限が兄上におありか!?」
 いくらルシウスが第一王子でも、地位としては王太子であるアドルファスの方が上のはずだ。
「……アドルファス、お前は王太子を廃された。僕……いや、私が、次期国王を拝命した」
 ルシウスが浮かべた微笑はいっそ悲し気だったが、アドルファスには青天の霹靂だった。父王がそんなことを言うはずがない。
「嘘だ! ……嘘だ!!」
「……連れていけ」
「そんな馬鹿な! 何かの間違いだ! は、放せ。放せ、リチャード! 無礼者め! 兄上ぇ!!」
 アドルファスは叫びながら、まだ混乱したままの頭で思った。

 自分の身に、なにがおこったのか。
 どうして、こうなってしまったのか。

「マーガレッタ……! 女神よ……!」

 女神はアドルファスに、なにも答えはしなかった。