第十五幕・第四話 若村長と幼女エイェル
厄災神エイェルといえば、俺たちにある外見イメージは、ディアネスト王国国王デニサス二世だ。それがなぜ、ケモミミ幼女の姿でここにいるのか。
「うむ、うむ。美味じゃ、美味じゃ」 俺の分まで、もちゅもちゅと桃を頬張る厄災の神。尻尾が機嫌良さそうに、ぼふぼふと俺の胸に当たる。 エイェルが語ったことをまとめると、だいたい以下のような事情だった。 そもそもエイェルとは一人二人と数えられる存在ではなく、この世界にあまねく浸透した「厄災」という概念である。 よって、受肉を果たしたエイェルを一体倒せたとしても、それは末端を削ったに過ぎない。ちなみに、俺たちの目の前にいる幼女は、ロイデムで暗躍しているエイェルの、さらに末端だったが、オーズオーズに引っ剥がされた上に俺に召喚されてしまったので、そちらとの繋がりは切れてしまったらしい。それでも、本体のエイェルとはリンクしているので、厄災神としての力は揮えるそうだ。 エイェルはこの世界に在ることを認められた基幹システムの一部なので、除去することは、俺の【身代わりの奇跡】を用いても、事実上不可能である。下位のシステムが、上位のシステムを覆すことができないのと同じだ。もたらされる災いを無かったことにできても、災いが起きる仕組みを無くすことはできない。 「ノアの魔法からも逃げられたように見えたのは、そういう理由だったのか」 本体が地下茎のようなものだ。地上に見えているものを刈り取ったとしても、大地に広く張られたその根を取り除くことはできない。やがて、どこからかまた、地上に芽が出てくるのだ。 「シャンディラでのことじゃな。くっそぉぅ、そこな道化と糸目のせいで、とんだめに遭うたわ! 特にあのチビッコ! あれはちょっと、本気で痛かったんじゃぞ!」 いまはお前の方がチビッコだけどな……という言葉を呑み込み、俺は膝の上でキーキー騒ぐ幼女の頭を指先でつついた。 こいつは確かに、鬱屈したデニサス二世に憑りつき、瘴気をばらまいてたくさんの命を奪った。生き物も、大地そのものも、かつての豊かさを取り戻すのは大変だろう。でもそれは、エイェルが「そうあれ」と定義された存在だからだ。 (存在意義を否定することはできないが、力の方向を逸らしたり、クッションを挟んで結果を緩和させたりすることは、できるはずだ) この非常に強力で困った存在との共存の道を探るのが、殺されかけたことで縁ができた俺の役目だろう。 「なあ、エイェル。お前さん、祀られる気はあるか?」 「は?」 果汁でベタベタになった口のまわりを拭ってやりながら、俺は『俺』も同じ考えだったやり方を提案した。 「神様として、人間にちゃんと祀ってもらうんだよ。神殿を建てて、お供え物をしてもらうんだ」 「……なんで、儂がそんなことを?」 エイェルは不服そうに唇を尖らせるが、俺は利点をひとつずつ話すことにした。 「だって、エイェルは厄災の神なんだろ? 神様としての自意識は、自分の存在価値を正しく認識し、誇りを持つためにも重要だ。ちゃんと敬わない人間には、災いをどんどん降らせてやればいい」 「別に祀られなくても、災いは降らせるが?」 「祀ってもらえれば、お供え物で、 「!」 その考えはなかったーーー! みたいな、愕然とした表情をする幼女エイェル。 「おぬし、天才か?」 「このやり方を最初に考えついたのは、俺じゃないけどね」 祟る怨霊を鎮める、日本の文化だ。菅原道真とか、平将門とか、千年以上経っても、人々の信仰を集めていた。 「以前、リューズィーへの信仰を集めることで、眷属のカイゼルをパワーアップさせることができた。ということは、エイェルへの信仰を集めると、他の芽に比べて、特に貢献度の高いお前が、パワーアップできるんじゃないか?」 「な、なんじゃと……それは真か!?」 俺がメロディに視線を向けると、それまで黙って話を聞いていたメロディも口を開いた。 「いけるんじゃね? 人間の認識が、エイェルといえばこの姿をしているやつ、って固定されればいいし。それに、お供え物だってそれっぽい物を指定した方がいいんじゃない? たとえば、いま食べている桃は、傾国桃樹……『その実を求めて争いが起こり、国が傾いてしまうほど美味しい』と言われているんだ」 「な、なるほど!」 そこへ、ガウリーも参加する。 「美食や大食は悪徳とされる考えもありますからね。それに、アスヴァトルド教の神殿では、清貧が尊ばれています。贅沢な嗜好品は、厄災神エイェルへの供え物として適切でしょう」 「ふむ!」 乗り気になったエイェルへ、今度はレノレノが提案する。 「贅沢といえば、歌劇なんていいんじゃないかな。舞台衣装は華やかだし、腕のいい楽団に演奏させるんだ。エイェルを題材にして、どれほど恐ろしい存在なのかを、人々にわからせるんだよ★」 「良い! それは良い考えじゃ!」 どうもこの幼女エイェルは、マーガレッタにくっついていただけあって、派手で贅沢なことがお好みのようだ。甘い物も好きみたいだし。 「各地に神殿を建てるとしても、領主の了解を得なくてはいけないな。ブランヴェリ公爵領でも祀りたいところだけど、いまだ復興の途中で、すぐには難しい」 「うむ……」 自分が壊した自覚はちゃんとあるようで、幼女エイェルはちょっと視線を逸らせる。 「では、まずは我がダンジョンにて、お住まいいただくのはいかがでしょう?」 「う……!?」 オーズオーズに若干の苦手意識を持ったらしいエイェルだが、オーズオーズの方は構わずに続けた。 「ダンジョンの入り口でエイェルにお供え物をすると、ダンジョンで死んでもワタシに魂を取られない装備アイテムと交換できるようにするのです。チケット売り場みたいですね」 「「ナイスアイディア!!」」 思わず、俺とメロディが同時に叫んでしまった。 「でも、オーズオーズはそれでいいのか?」 「構いませんよ。いまはダンジョンの整備と魔素の研究が忙しいですからね。それに…… 「……そうだな。オーズオーズ、よろしく頼む」 「かしこまりました」 俺は否定できない。俺は幸運にも『俺』と巡り合うことができたが、『俺』のように苦しんでいる人を救う手段が、消えてしまうことしかないのだとしたら、心安らぐことができる可能性を、たったひとつかもしれない手段を、否定して失わせてしまうことはできない。 「なあ、貴様。さっきから儂を膝の上に乗せているが、儂が怖くないのか?」 「ケモミミ巫女服の、のじゃのじゃ幼女だしな」 「むきー!」 元気のいい幼女だ。尻尾がけば立って、タワシみたいになっている。 「冗談は置いておいて、ある意味、感謝している。エイェルに魂を壊されなかったら、俺はたぶん、いまほど長生きできていないと思う」 「……」 「俺が俺だけだったら、知らない間に、自分の意思だと勘違いしたまま、利用されるだけだっただろう。俺はもっと若い段階で……遅くても、スタンピードが起こった二十歳で、ディアネスト王国の民として死んでいたはずだ」 ゼガルノアやジェリドやガウリーを救うことができない代わりに、ディアネスト王国の民は、今よりも生き残っていたかもしれない。それか、デニサス二世によって『護国の鯨』の封印が解かれ、やはり戦乱が起こっていたかもしれない。 結局は巡り合わせで、過ぎた時間にもしもは無いのだけれど。 「俺は『俺』と混ざることができて、本当に良かったと思っている。その為に、俺の母親は死んでしまったけれど、代わりに養父にのびのびと育ててもらった。俺のアビリティを理解して匿ってくれるサルヴィアと出会うこともできたし、俺個人にとっては、貴族や大神殿に飼い殺しにされるよりは、ずっといい人生を歩んでいると思う。だから、感謝している。計画の邪魔になるから俺を殺したかったエイェルにとっては、癪に障ることかもしれないけどね」 「……ふん」 幼女エイェルは不愉快気に頬を膨らませ、三郎が用意してくれたアイスイチゴミルクのストローを咥えた。そして、ちゅるちゅるとアイスイチゴミルクが啜られて無くなったところで、唇をへの字にしたまま宣言した。 「よかろう。祀られてやる。その代わり、神殿を建てて、美味しい物をお供えするのじゃ!」 「ありがとう、エイェル」 「しかし、儂は厄災を司る。儂の活動は抑えられぬぞ!」 まだ偉そうに言うエイェルに、メロディは呆れたように諭した。 「そもそもさ、なんでエイェル自身が陰謀に乗り出していくのさ。そういう大きな動きをするから、私らみたいなのに計画を潰されたり、討伐されたりするんだよ」 「なんじゃと!」 「人間なんて、ほっといても勝手に諍いを起こすんだから、ちっちゃなネタを転がすだけでいいんだよ。頭の使いどころがずれているんだ」 労働が嫌いなメロディらしい言い草だが、たしかに的を射ている。 「そうだよな。目玉焼きにかける調味料でもめるし、キノコかタケノコかで戦争になるし。まあ……俺は、卵焼きはしょっぱい味付けにするべきだと思うが?」 「おう、それは甘い卵焼き派の私に対する宣戦布告か? おん?」 俺とメロディが大袈裟に睨み合ったので、エイェルは紅色の目をぱちくりと瞬かせた。 「まあ、こんな風にだな。ある物事に対して、人間の数だけ物の見方があって、そこに利害や好悪がからむと、勝手に争いだす。エイェルが祀られるだけで、それを良しとしない人間が、エイェルを祀ってくれる人間に対してやっかむだろうね」 「特に今は、アスヴァトルド教の不祥事が続いているからな。そこにエイェルが名乗り出るだけで、エマントロリアはずいぶん賑やかになるはずだ。エイェルがわざわざ、性根の侘びしい人間を探し出して暗躍しなくても、人々はエイェルを畏怖するだろう。人間が起こす厄災は、ほんの少しの嫉妬や怠惰や怒りが始まりだ。いつだって、人間と共にある。つまり厄災神エイェルとは、【 メロディと俺で一気に畳みかけると、ガビーンと効果音がつきそうなほどにショックを受けた幼女が、両手をわななかせながら頬を挟んだ。 「れ、れじでんと・でぃざすたー……それが、儂!」 「そうだ。世界を構成する一部であるエイェルは、人間の罪深い側面すらも司っている。だからこそ、心の底から人間から恐れられる。いいか、エイェルは、レジデント・ディザスターだ。あらゆる災いの 「か、かっこいい……!」 無垢な幼女を厨二病の世界に引きずり込もうとしているような気もするが、大丈夫、俺は比較して正しい事をしている。 『たしか、リヒター殿は布教スキルをお持ちでしたね』 『大人になってからこじらせるよりは、絶対にマシだ。見た目が幼女だから許される』 なぜか俺のスキルを把握している三郎とメロディがヒソヒソしているが、気にしない、気にしない。 「では、エイェル様。まずは俺からの信仰をお受け取りください」 「うむ、苦しゅうないぞ。 ……悠然とした態度、じゃな。ふ、ふふふふ……!」 ケモミミ幼女は満足げに髪をかきあげ、俺の膝の上でそっくり返った。何十年後かに、なんであんなことしたんだろうと、頭を抱えて転がりまわるがいい。 リヒター は 厄災神(幼女) を 手懐けた ! |