幕間 ある近衛騎士が受けた命令


 リチャード・アレックス・ファインブルーが参上した時、この国の第一王子ルシウス・オデロン・ゼ・エルフィンタークは、執務机に沈み込みそうな勢いで頭を抱えて憔悴しきっていた。
「リチャード……」
「ど、どうなさいましたか、殿下」
 真っ青な顔色をしたルシウスの、明らかにただ事ではない様子に気を取られたが、その場には次期ルトー公爵ダニエルと、トゥルネソル侯爵令嬢オフィーリアもいた。
「あー……どこから話せば……」
「僭越ながら、殿下。当事者となった、トゥルネソル侯爵令嬢から概要を説明していただくのが、一番わかりやすいかと」
「そうだな……すまないが、頼む」
「かしこまりました」
 そして、オフィーリアから聞かされた、王妃たちが起こしたデンゼリンでの一件に、リチャードも思わず口が開きっぱなしになりそうで、慌てて手で顎をなぞった。
「なりゆきを見届けさせた者によりますと、聖者様は完全にお怒りになられ、『欲深く愚かなエルフィンターク王家は、厄災神エイェルに踊らされるのがお似合いだ』『助ける義理は無い、潔く滅びるといい』と宣言されたそうです。デンゼリンは東西南北に交易路を備えた街です。この話が各地に伝わるのは、もはや時間の問題でしょう」
「身の安全を確保していただくために王城から遠ざけた結果がこれだ!」
 ルシウスは執務机をぶっ叩き、悔しさに唇をかみしめた。母を案じてのことだったが、それが裏目に出た。
「……その、聖者様とは、交渉の余地は?」
「そんなものは最初からない。そもそもの方は、魔境を平定しに行ったブランヴェリ公爵代行の、個人的な友であるにすぎない。たとえ身分差があったとしても、ディアネスト王国を魔境にしてしまった我々が、なにか言える立場ではないのだ! ……それを、よりにもよって……!!」
 王妃たちは恥を知れと罵倒されたそうだが、ルシウスも同じ気持ちなのだろう。相手が王族でなければ、あるいは他国の王妃だったならば、リチャードも私的な場所で口を滑らしたかもしれない。そのくらい、公人としてあるまじき言動だった。
「……早急に、聖者様への謝罪をしなければならない。もちろん、国全体に向けても、少なくとも、この僕が頭を下げたと知らしめなければならない。オデット妃殿下の実家であるバリエ侯爵家が、大神殿のメラーダ取引に関与していたために、我が国が生産地を独占しようと隣国を侵略した、などという未確認情報まであるのだ。遅くなればなるほど、王家に対する民からの支持が無くなる!」
 王子であるルシウスがそこまでしなくても……とリチャードは思ったが、廃人のようになってしまった国王に任せていたら、状況は悪くなる一方だろう。王太子のアドルファスも、つい先日、聖女マーガレッタと共にエマントロリア遺構へ向けて出発してしまった。
「まだ問題があるぞ、リチャード。聖者様がわざわざブランヴェリ公爵領から出てきて、何処に向かったと思う?」
「……まさか、エマントロリア遺構ですか」
 青い顔で頷くルシウスに、リチャードは今度こそ天を仰ぎたくなった。絶対に、王太子たちとトラブルになる。それは目に見えていた。
「あそこには、神殿騎士団の第八大隊が駐屯しているが、現在聖者様の護衛に付いている聖騎士が、元第八大隊隊長のアイザック・ガウリーだという噂がある。もしそれが本当ならば、彼がエマントロリア遺構に入るのは、アドルファスたちよりも容易なはずだ」
 オフィーリアは彼らと実際に会ったが、彼らは愛称に聞こえるよう偽名を名乗っていたし、そもそもガウリーとも面識がないので、確認が取れなかったそうだ。
「聖者様は、なぜエマントロリア遺構に?」
「どうも、あの神託が問題らしい」
 オフィーリアが聖者と呼ばれる男から聞いた話によると、現在、女神アスヴァトルドからの神託は下りないはずなのだとか。そして、神託の内容から、ディアネスト王国を瘴気まみれにした、厄災神エイェルの仕業であると断定したらしい。
「『厄災神エイェルに踊らされるのがお似合いだ』……とは、そういうことですか」
「うむ。……おそらく聖者様は、民の為にエマントロリア遺構に向かわれたのだ。エルフィンターク王家われわれの為ではない」
 まさしく、聖者としての姿勢といえるだろう。こちらも誠意ある態度を示さねば、文字通り見殺しにされかねない。
「そこで、リチャードに頼みがある」
「はっ」
 この時点で、リチャードはなにを命令されるのか予想できたし、また事実、予想通りの命令を受けることになった。

 同僚のジョーダンと一緒に、リチャードはまず、マロア地方を治めるノーツブロー辺境伯の城まで、疲れた馬を元気な馬に交換しながら急行した。通常ならば、自分の馬を持っている近衛騎士が、伝令兵のように町で馬を乗り変えるなどという事はないのだが、今はとにかく時間が惜しかった。
 火急の要件だと近衛兵に駆け込まれて、代替わりしてまだ日が浅いノーツブロー辺境伯エドガーは驚いていたが、王太子が聖女と共にエマントロリア遺構を目指しているという話を聞いていなかったようで、さらに仰天していた。
「そんな報せは、王太子殿下からはいただいておりません。……えぇ、困ったな。いまエマントロリア遺構には、神殿騎士も入れないのに」
「なんですと?」
 エドガーによると、つい昨日、エマントロリア遺構の第八大隊から連絡があり、遺構内に大規模な異変が起こっているため、大神殿による調査が終わるまでは誰も近付かないようにと、付近に通達したばかりだという。
「恐れ入りますが、エマントロリア遺構まで我々に同行していただけませんでしょうか」
「もちろん、構いません。王都の方には辺境は不案内でしょうし、私もルシウス殿下のご命令であれば、いくらでもお力添えさせていただきます」
 ノーツブロー辺境伯家は、元々北の護りを任されているうえに、数年にわたって先代の容体がよくなかったことなどで、先の戦争には参加していない。マロア地方産の馬とそれを駆る領兵の精強さは、誰もが認めることなので、戦争に参加しないことを残念に思う者もいれば、活躍の機会を奪われることがないと喜ぶ者もいたとか。
 あまり中央への関心が高くない一族で、田舎者と嘲られることもあったが、隣国への出兵に懐疑的だった、数少ない貴族家だ。それゆえに、開戦派だった王太子に対する印象が良くない代わりに、反戦派だったルシウスには好意的なところがあった。
「それにしても、近衛騎士であるリチャード卿たちまで派遣してくるなんて……いったい、なにがあったのですか?」
 弟の拙さを兄がフォローするにしても、近衛騎士に辺境まで馬を飛ばさせるなんてやりすぎだ。エドガーの感覚は当然で、疑問に思うのも無理はない。
 リチャードは、魔境と化した旧ディアネスト王国に赴いたブランヴェリ公爵代行サルヴィアと、その友であり聖者と称えられている、正体不明の神聖魔法使いについて、さらに王妃たちの失態と厄災神エイェルについても、知っている限りを話して聞かせた。
「……」
「戸惑われるお気持ちは、十分にわかるつもりです」
 両目と口が開きっぱなしになっているエドガーに、リチャードは同情の眼差しを向けた。自分も同じ気持ちを味わったのだから。
「……一大事、であることは、理解いたしました。すぐに準備します」
「かたじけない」
 そうして、リチャードたちは、エドガーと辺境伯領兵を引き連れて、間に合え間に合えと念じながら、エマントロリア遺構に向かうのだった。

 先にエドガーから聞いていたとおり、神殿騎士団第八大隊は、エマントロリア遺構から手前の平原に後退していた。エマントロリア遺構に対して駐屯地を盾にするような、大胆な配置だ。
 そして案の定、アドルファス王子たちの遠征隊ともめていた。ただ、リチャードが予想していたのとは、少し様子が違った。
 聖女マーガレッタとの確執が噂されている神殿騎士の女子部隊に、あまりやる気が感じられないのはわかるとして、第八大隊のマクシム隊長の言い方は、明らかに王太子を怒らせるような煽りだ。しかもこの二陣営は、妙に結託しているような気配がある。
(神殿騎士同士ゆえか……?)
 それにしては、互いに視線だけで会話をしているような気がする。
「時間稼ぎでしょうか」
「おそらくな」
 隣で囁いたジョーダンにリチャードは頷く。ジョーダンはまだ若いが、こういう観察眼のあるところが、特に評価されている。
(問題は、何を待っているか、だ)
 アドルファス王子は激昂するにまかせてリチャードの提案にも耳を貸さず、しまいには遠征計画の杜撰さまで、恥ずかしげもなく明かしていた。これにはノーツブロー辺境伯であるエドガーも、第八大隊を率いてエマントロリア駐屯地を管理しているマクシム大隊長も、呆然としていた。王国騎士団は、本当にこれで大丈夫だと承認して送り出したのだろうか?
(王都に戻ってから、調査する必要があるな)
 やがて、王太子たちがマクシム大隊長の制止を振り切ってエマントロリア遺構に入っていってしまうと、女性神殿騎士だけはその場に残った。別行動をすんなり許可されたことも、顔に傷を作っている者がいることをみるに、やはり聖女や王太子から遠ざけられているというのは、本当のようだ。
 元神殿騎士を従えた聖者がこちらに向かったという情報から察していたが、あの神託に疑惑があることを、マクシム大隊長も知っていた。彼もその情報を疑っていないようなので、信憑性はかなり高いと言っていいだろう。
「ロイデム大神殿は、まだ知らないんじゃないかな。実際の神託を確かめたわけじゃないけれど、状況から言って、おそらく、デニサス二世に憑りついて、ディアネスト王国を瘴気まみれにした、厄災神エイェルからのものだ。今度はこの国を滅ぼす気らしい」
「そんな恐ろしい事が……って、誰ですかぁー!?」
 飛び上がるように驚いたエドガーの隣に現れた青年に対し、リチャードは一瞬でも身構えたのを恥じた。
(この方は……!)
 全体的に冷やかな印象を与える容姿をしているが、そのたたずまいは何処までも自然体で、まったく害意を感じない。それどころか、彼がまとうマナの神々しさに、知らず胸が高鳴った。
 次元が違う存在、そうリチャードは感じた。内包する途方もない力が、美しい青年という器から溢れているのだ。
「第八大隊のみなさんには、無茶なことを言って申し訳ありませんでした。楽にしてください」
「もったいないお言葉です、聖者様」
 マクシム大隊長や第八大隊の神殿騎士たちに続き、リチャード達も自然に地面に膝をついた。
(この方は、本物だ……!!)
 圧倒的な存在を前にした畏れと、そんな聖者にまみえることができた歓喜とを、リチャードは等しく感じると同時に、自分が受けた命令を十全に果たせるかどうか不安になった。
(私はこの方に、ルシウス殿下のお言葉を正しく伝えられるのだろうか)
 由緒ある名家に生まれ、国一番の精鋭である近衛騎士団員になって数十年、リチャードはいままでいかに思い上がっていたのか痛感し、深く恥じ入った。これほど自分が不器量で卑賎な凡人であると思い知ったのは、人生において初めてのことだった。