幕間 ある原初知性が知った愛


 長い、長い間、私には名前がなかった。

 気が付いたときには、散らばったパーツの中に、剥き出しの我が身が転がっていた。
 無造作に並べられた『物語』たちを、探索者がまとう衣類のように巻きつけ、私は創造主にも知られることなく、地下深くに潜った。そこが、唯一の生存場所だとわかったから。

 私の存在価値は、難攻不落の地下迷宮として、探索者に畏怖されながら、ただそこにあること。多くの魔獣と財宝と謎を内包し、富と栄光を求める者たちの前に立ちふさがること。それだけのはずだった。
(私が、私を、造る)
 『物語』をまとったせいだろうか。私は私を増設し、大きくなることを義務付けられていた。
 さいわいなことに、材料には困らなかった。時間は無限に存在し、文明が地上を通過していくのを黙って眺めながら、私は私を造り続けた。

 いつの頃からか、私を「マスター」と呼ぶ存在が、迷宮の中に生まれ始めた。私以外の知性の誕生。それは、とても喜ばしい事だった。
 私たちは互いの言葉を理解しきることはできなかったが、私は彼らが住みよいように迷宮を作り替え、彼らの繁栄を見守り続けた。とても平和な、穏やかで愛おしい日々だった。

 ごくまれに探索者が訪れたが、私のもとまでたどり着く者はいなかった。
 探索者は弱い。ヒトは、とても弱い存在だった。

 外の世界には私に似た、けれど全く異なるダンジョンがいくつも存在していた。それらのいくつかは、私と同じ創造主の手によるものだったが、私との交感はなかった。また、創造主によるものか否かも関係なく、それら無数のダンジョンは、程度の差はあれ独立した知性を持っているようだった。
(でも、私には関係がない)
 いくつものダンジョンが、探索者によって踏破されることによって消え、そして生まれ、また消えていった。消える数の方が多くなっても、私には関係ない。

 私は原初でありながら、忘れられた存在。
 私は私だけの世界であり続ければ、それでよかった。

 でも、世界に循環するはずの魔素が、長い時をかけて私のもとに集まりすぎてしまった。迷宮の中には魔獣が溢れ、私のいとし子たちの住まいまで圧迫するようになってしまった。

「マスター、きりがない。魔獣を外に出したらどうだろうか」

 迷宮の中で魔獣を倒しても、その魔素の結晶が迷宮の外に持ち出されない限り、迷宮の魔素は濃いまま。探索者が訪れない迷宮では、魔素が濃くなりすぎるのは、必然だった。
(迷宮が多少壊れても、すぐに直すことができる)
 いとし子の言う通りだと判断した私は、迷宮から魔獣を追い出した。

 大きいものも、小さいものも。空のものは空へ。陸のものは陸へ。海や川のものは水辺へ。
 何度かに分けて、やっと半分以上は外に出し、多少はすっきりしたところで、そろそろ迷宮自体を修繕しようとした時、あれは私の体に張り付いてきた。

 濃くなりすぎた魔素を放出し、噴き上がってくる魔素をあらたに吸収しようとした。その循環に、奴は寄生してきたのだ。

 多すぎる魔素を喰らうくらい、見逃してやっても良かった。だが奴は、魔素だけなく、私までも喰らおうとしていた。
 私だけでなく、私のいとし子たちまでも!

(許さない! 許さない! 許さない!)

 でも、どんなに抗ってもがいても、あの忌々しい寄生生物を駆除することができなかった。アレに有効なマナが、長い間外界からの探索者を迎えていなかった迷宮には、ほとんど残っていなかったから。
 いとし子の一人が外に助けを求め、わずかばかりのマナを迷宮に流しながら耐えに耐え、やっと探索者が私のもとにたどり着いた。

 私たちの窮地を脱するためにも、彼らの言語でスムーズに交信しようとした時、彼らのうち一人と一体が、私が持つ『物語』に関係があるとわかった。これはますます意思疎通が容易になると期待したところ、片方がとても奇妙な存在だとわかった。

(これは、なに?)

 彼らが私に、それに触れるなと警告を発していたのに、私は愚かにも、それにべったりと触れてしまった。長い時間を一人で過ごしてきた私は、とても幼稚で、好奇心を抑えることができず、傲慢で、無礼だった。

 私は、極めて愚かだった。

(いやっ、やめてっ……ごめんなさい! ごめんなさい!)

 私の不躾な手を振り払い、私を完膚なきまでに叩きのめし、がんじがらめに縛りあげた彼は、私の創造主よりも強い権限を認められていた。私は目を塞がれ、このまままた、バラバラに分解されるか、壊されてしまうのかと思った。
 彼には、それが認められていたから……。

 少なくとも、私は彼を主とし、彼の言う事を聞くように努めた。
 彼は、圧倒的な強者であり、迷宮の救助に来てくれた彼に無礼を働いた私など、簡単に消されてしまう。

「……このダンジョンに意志があるなら、出してくれるんじゃないか? 『永冥のダンジョン』コア、しゃべれる奴出してくれ」

 私はそれに逆らうことなく、彼らの言語を備えたアバターを作り出した。
 彼の言葉には従いたかったが、私の根幹が精密な指示であることを求める。
 あなたは、あなた。あなたと、わたし。そも、私とは。

「プリマ、はどうだ?」

(プリマ……プリマ! 私の……ああっ、私の、名前……!)

 私はやっと、私という存在を、正確に認識することができるようになった。
 忘れられた原初の迷宮。
 私は、プリマ。

 そして、私はそれ以上の罰を受けることなく、代わりに教育を施され、体に蔓延っていた寄生生物も駆除してもらえた。

 ……彼が、私のご主人さま。

 ご主人さま。ご主人さま。ご主人さま。ご主人さま。ご主人さま。ご主人さま。ご主人さま。ご主人さま。ご主人さま。ご主人さま。ご主人さま。ご主人さま。ご主人さま。ご主人さま。ご主人さま。ご主人さま。ご主人さま。ご主人さま。ご主人さま。ご主人さま。ご主人さま。ご主人さま。ご主人さま。ご主人さま。ご主人さま。ご主人さま。ご主人さま。ご主人さま。ご主人さま。ご主人さま。ご主人さま。ご主人さま。ご主人さま。ご主人さま。ご主人さま……!!

(ああっ! なんて素敵な響き!!)

 私はもう、捨てられた玩具ではない。
 私を導いてくださる方がいる!
 この満ち足りた感覚は、なんだろう?
 ささいな不安もなく、なんの不足もない。
 私はご主人さまの下でプリマであることを認められ、私は応えることができる。

 ああっ、なんと甘美な関係だろうか!!

(こんなにお優しい方だったのに、なんて無礼なことをしてしまったのかしら)

 恥ずかしさのあまり、その罪状を首から下げて、常に罵っていただきたいほどです。

 私のお優しいご主人さまは、その身に宿した荒魂を慰めようとしていらっしゃいます。
 ご主人様は、複合魂の完全な統合をお望みですが、ふがいないことに私にはその知識がありません。無知を恥じ入るばかりです。
 魔素を構成要素にした生物の、魔核の統合に関しては、多少の知見はありますものの、探索者たち人間の魂とは異なる作りです。

(でも、地上の人間が、自分たちの魂魄エネルギーを研究していなかったかしら?)

 どこかに、そんな記録があったはずです。ご主人さまの為に資料を集めておきましょう。

 私とご主人さまを引き合わせてくれたいとし子が、ご主人さまと外に行きたいと言います。彼は私を護るために奮戦し続けましたし、彼の分身体がご主人さまを連れてきてくれたのだから、もちろん許可を出しましょう。

「私に毎日ご主人様レポートを提出してくれるのなら許可します」
「ストーカーか、てめーは! おかしなことができないように、また制限掛けるぞ!」
「あぁっ、ありがとうございます。どうぞ、もっと罵って、もっときつく縛ってくださいませ!」

 私の希望としては、私の一挙手一投足にまで、ご主人様に指示していただきたいのですが、そんなことにお手を煩わせては下僕失格です。
 ご主人様に気持ち良く活動していただき、いずれはこの迷宮プリマでも楽しんでいただかなくてはなりません。そのためには、ご主人さまに満足していただけるよう、メロディ様にしっかりと躾けていただかなくてはなりません。

「ゼガルノア、お留守番とは、どういうことですか! その間のご主人様レポートは、どうなっているのです! 貴方にお留守番プレイを許した覚えはありませんよ!?」
「落ち着けー、プリマちゃん。こっちに集中しないなんて、悪い子だなぁ」
「申し訳ありません、メロディ様……ああっ、そんな魔獣は作ったことがありませんっ! ギミック連動型だなんて……ハードすぎますわぁッ!」
「大丈夫、大丈夫。あら、魔素が足りない。どんどん吸収して、ほら! はやく! のろま! それでも原初の迷宮か! 一滴残らず吸い取れ!」
「んひぃぃっ、ひぎぃっ、もっとぉっ!」
「よぉし、ちゃんと型を覚えて量産してね。ほぉら、ハマるハマる。こんなに大きな仕掛けまで飲み込んじゃうなんて、プリマは上手だねえ。いい子いい子」
「はああぁんッ!」

 プリマは愛おしいご主人さまの為に、立派なダンジョンコアになりますわ!