第十三幕・第一話 若村長と船の旅


 べたべたする潮風に少々うんざりしながら、俺は風をはらんで膨らんだ、大きな白い帆を見上げた。空はすっきりと晴れたいい天気で、波も高すぎることはない。ゆらりゆらりと揺れる足元にも、若干酔いながらもだいぶ慣れた。
「釣れたか?」
 船員たちに混じって釣り糸を垂れる大きな背中に声をかけると、こちらを振り向いたガウリーに苦笑いで首を横に振られた。いつもの鎧姿ではなく、平服に短剣だけを腰に吊るした軽装だ。
「残念ながら。『永冥のダンジョン』から出た魔獣に、全部食われてしまったのではないでしょうか」
「やれやれ。笑えないな」
 単に魚のいないところを進んでいるならいいが、本当に生態系が狂っているなら大変だ。漁師や交易船に被害が出る前に魔獣を駆除したいが、海中探索は必要な技術が特殊だし、費用がかさむ。
 俺は階段を上がり、装飾が施された立派な船尾から、長く尾を引く白波を眺めた。
 俺たちは今、洋上にいる。


 北の森でカイゼルのダンジョンがプリマのいる『永冥のダンジョン』と行き来可能になったのを確認した後、俺たちはキャロルと別れて、領都シャンディラに戻った。
 そして、顔を赤くしたサルヴィアにキャロルからの手紙を渡し、だらしない顔をしたジェリドにノアを任せると、再び『星の遺跡』を使い、今度は『風の遺跡』に飛んだ。西の港町ウィンバーから船に乗り、旧エルフィンターク領にあるフィブロアという港町に向かうことになっていた。
「えぇ……ガレオンじゃねーか。でっけぇ……」
 ウィンバーの港には、豪華な船尾楼を備えた巨大な船が浮かんでいた。極太の四本マストには帆が綺麗に畳まれており、張り巡らされたロープが見えた。あれが、ドワーフたちが南大陸から乗ってきた船らしい。無事に修理が完了し、装甲も厚く張り直したそうだ。ロードラル帝国の船には、遠洋航海に必要な魔道具がキッチリと積まれているらしいが、それでも海洋棲の魔獣が相変わらず活発に動き回っているせいで、大陸間交易に危険が生じているんだ。
「私たちが乗る船は……あちらの方ですね」
「キャラックかな。それでもなんだかデカいな」
 ガレオンからひとつ桟橋を挟んだ反対側に、ずんぐりとした特徴的な船体が係留されていた。ガレオンに比べれば小さいが、外洋の波に耐えられる船で、輸送量も多い。なかなか高価な船なので、海洋交易をやっているなかでも大きな商会でないと、買うことも維持することもできないだろう。
 キャラックが停泊している桟橋には、いくつもの荷箱が積まれていて、船員が忙しく運び込んでいるところだ。中身は、この地で買い取られた魔獣素材や生産物だろう。
(あれが、リンドロンド商会か)
 サルヴィアが懇意にしている交易商で、商会長の一人娘ティアベリー嬢が、『フラ君V』のライバルキャラだ。ティアベリー嬢はサルヴィアの親友であり、サルヴィアの兄マーティン様の彼女でもある。
 リンドロンド商会には、今回の俺たちのエマントロリア行きに関して、全面的な協力をしてもらえることになっている。なにしろ、俺の存在を隠したいのは当たり前だが、元神殿騎士団大隊長だったガウリーの面も割れている。この状態で旧エルフィンターク領内を動き回るのは、ちょっと無理があった。
「お目にかかれて光栄です、聖者様。リンドロンド商会副会長のアルダスと申します。何なりとお申し付けください」
 四十歳位のアルダスさんは、柔らかく微笑みながらも身のこなしに隙がない。交渉事だけではなく、荒事にも対応できる人なんだろう。副会長自ら船に乗っているなんて、リンドロンド商会がディアネストでの商売に力を入れているっていうのは本当なんだな。
「聖者様は止めてください。リフ、と呼び捨てにしてください。こっちは護衛のガラです。ご迷惑をおかけしますが、よろしくお願いします」
「かしこまりました」
 こちらが人目を気にする道行きだと知っていて、無駄なことを言わないところも好感が持てる。
 俺たちはアルダスさんに続いて船に乗り、寝台をふたつ入れた小さな船室を貸してもらえた。うーん、本当なら、ここにも荷物を積み込みたかっただろうに、上客扱いなんだなぁ。
「当たり前ではないですか。リ……リフの働きは、本来ならば爵位をもらってもおかしくないのですよ。公爵代行閣下からのご依頼というだけでなく、万人にとって、貴方は敬われる存在なのです」
「えー……」
 ガラことガウリーから力説されても、イマイチぴんと来ない。いや、たしかに俺はたくさん浄化したけどさ。ディアネストの人に感謝されるならわかるけど、万人に敬われるなんて大袈裟だよ。
(まわりの雰囲気からバレたら困るんだよなぁ)
 俺たちの正体は、なるべく知られない方がいい。
 船員たちにいちいち畏まられると困るなぁと思っていたが、アルダスさんはそこまで言っていなかったらしく、俺たちは船を下りるまで、積み荷と同じくらい大事なお客程度の扱いを受けた。
「大聖女様に?」
「ああ。使いは出してもらっている」
 アルダスさんと夕食を共にした後、船室に戻った俺は、ガウリーにこれからの予定を話した。
「噂によると、ハルビスで聖騎士たちの慰霊をしてもらった後、どうも体調を崩されがちのようでさ。お年でもあるし、一度会っておこうと思って」
 旧国境の町ハルビスでは、コープス伯爵たちによって死体タワーにされていた聖騎士たちを弔った。その後、サルヴィアが大神殿に慰霊式を依頼したところ、大聖女クレメンティア様がお出ましになったらしい。
 三十年ほど前に聖女の職務からは退いているクレメンティア様は、もう八十歳を超えており、国の重鎮の中では最長老だろう。直接会ったサルヴィアとジェリドによると、大変善良な方のようで、風精霊の祝福を受けた人らしい。神聖魔法や回復魔法はそれほど得意ではないが、エルフィンターク王国の聖女を何十年も務め、現役中も引退後も、人心の安定に貢献してきたそうだ。
「そういえば、クレメンティア様は、なんで聖女認定されたんだ?」
「大聖女様には、遠見の力があるそうです。当時は、それが女神のお告げと言われたそうです」
「おおー」
 千里眼の人なのか。情報伝達技術が育ってないから、預言者みたいな扱いをされたんだろうな。
「聖女なんて言われて、大変だったろうな」
「お若い頃に大神殿に入ってから、その管理から出られたことがありませんからね」
「うわぁ」
 俺なんかからすると気の毒に思うが、長年生活の場にしてきた彼女にとっては違うのかもしれない。その辺の農村で暮らしていたら、そんなに長く生きられないし。
(そういえば、チェルも六十歳を越えていたな)
 村に残してきた、物心ついたときから世話をしてくれていた老女を思い出す。俺の養父もいないし、彼女には楽な暮らしをしてもらいたかったが、いまどうしているだろうか。
「大聖女様の荘園はフィブロアから少し行ったところですし、エマントロリアへ行く前に寄ることはできると思います。リフに手を出さないよう大神殿に進言してくださった大聖女様への御挨拶は、私も賛成です」
 ガウリーが賛成してくれるなら、俺も行きやすい。先方の体調次第だろうけれど、お見舞いに行けるといいな。
「フィブロアって、どんな町?」
「すみません、よく知りません。陸側へ進んだ隣の、メーアの町の方が栄えていますよ。メーアからなら、大聖女様の荘園はすぐです」
 交易港と言うなら、フィブロアの手前にあるサン・テーゼか、もう少し北上したところにあるオーバスの方が有名らしい。ただ、大聖女様の荘園に近く、エマントロリア方面への街道にアクセスしやすいのが、フィブロアというだけの話だ。
「あまり人がいない町だと目立つな」
「リンドロンド商会の商いに混じって進むつもりではないでしょうか」
 つまり、少なくともメーアの町までは、俺たちもリンドロンド商会の関係者として進むという事か。
「リンドロンド商会が便宜を図ってくれているが、今回は王都ロイデムに行く予定はないから、お礼のあいさつは次の機会だな」
 まあ、ロイデムに行く予定なんて、今後一切ないけどな! どこか他の町にいる時に会えたらいいかな。
「王都に行かないとすると、トゥルネソル侯爵令嬢とはどこで?」
「デンゼリンっていう町で落ち合うことになっている」
 俺が町の名前を言うと、ガウリーは知っている場所なのか、ああと納得した顔をした。
 トゥルネソル侯爵令嬢って言うのが、今回エマントロリアの情報をくれることになっているオフィーリア嬢だ。サルヴィアの親友の一人で、彼女もリンドロンド商会の娘さんと同じく『フラ君V』のライバルキャラだ。サルヴィアが言うには、「金髪ドリルのツンデレお嬢」らしい。なんとなく想像がついた。
 オフィーリア嬢は、上級貴族の令嬢らしく社交界に顔が効くだけでなく、とても優秀で、今回もマーガレッタが神託を受けたという話を聞いて、すぐに詳細を調査したらしい。
「拠点をメーアとして、大聖女様のところへは馬車で半日程度。デンゼリンまでは二日ほどで到着します。デンゼリンからエマントロリアまでは、一週間程度でしょうか」
 ガウリーの移動基準は、だいたい馬騎乗でのものなので、馬車に換算すると少しあやふやらしい。
「エマントロリアって、けっこう遠いんだな」
「エルフィンターク王国の北の端ですからね。その向こうは、遊牧民が暮らしているそうです。寒すぎて、あまり農耕に向かない土地なのだとか」
「そんな寒い所に、大昔は国があったんだな。気候が今とは違うのかもしれないけど」
 プリマによると、ソルヴァレイド協商連邦が栄えていたのは、四千年ほど前になるらしい。大陸の南側を支配したリガドラ帝国と長く争ったが、北極圏にあるダレス海底火山が噴火した影響で滅びてしまったそうだ。激しく隆起したり陥没したりした大地は、広く海水に洗われ、寒冷な気候と相まって、いまも農作に不向きな土地と言われているらしい。
 エマントロリア遺構は、そんな土地から少し南に行った場所にあり、近くにはぽつぽつと牧場や農村があるようだ。
「神殿騎士団が駐屯しているので、辺境の割には、治安は悪くないですよ。ただ……」
「ただ?」
 言いよどんだガウリーは、苦く表情を歪ませて、声を落とした。
「そのせいで、我々を隠れ蓑にして、メラーダの取引があったのです」
「!?」
 なるほど。辺境にいたガウリーが、大神殿のメラーダ取引に気づいたのも、納得だ。