第十一幕・第四話 若村長と『永冥のダンジョン』


 それから五日ほどかけて、俺たちは少しずつ山の中を進んでいた。
 魔獣に踏み荒らされたせいで、道なのか田んぼなのかわからない泥沼になった場所を慎重に進んでいたら、低層ビルくらいの大きさがあるタニシが集団で行く手を阻んでいたとか。山道に入った夜間には、バンガローの外を人間大のカマドウマの群れが飛び跳ねていたとか。地図に無い岩場があると思ったら、寝ているドラゴンの尻だったとか。橋が壊れているから浅瀬を探そうと思ったら、川の中からザリガニとサンショウウオを混ぜたような奇怪な生物がゾロゾロ出てきたとか。雨宿りしようと入りかけた洞窟全体が、正体不明な粘体で出来ていて消化されそうになったとか。その辺に生えている木が話しかけてくるのは普通だが、一緒に歩いている人間が木に向かって話し始めたら精神撹乱系の植物が近くに生えているせいだから、殴ってでも引きずってでも、とにかくその場を離れなければならないとか。
 とにかく、命がいくつあっても足りない物を見た。無理。
「いっそのこと、トンネル掘ろうぜー。そうすれば、『永冥のダンジョン』まで一直線だ。メロディ、よろしく」
「阿呆。水脈ぶち抜いたらどうすんのよ。崩落しないように山に穴開ける技術なんて、私には無いわい。トンネル掘るのは賛成だけど、そういうのはジェリドに任せよ」
「ごもっともです」
 俺たちは上ったり下ったりしながら、草木に覆われて見づらくなっている古い山道を歩きとおし、ついにそれを視界に収めた。
「山崩れてるじゃん」
「あれ、全部入り口かぁ」
 山肌にぽっかりと開いた、光を吸い込むような黒い裂け目。遠くからでもはっきりと見える、あれが、『永冥のダンジョン』の入り口だ。
 質屋の書庫で見つけたいくつかの本の中にも、『永冥のダンジョン』についての記述があったが、入り口がこんなに大きいとは書かれていなかった。
「スタンピードで広がったのかな? 資料には、こんなに大きいとは書かれていなかったけど」
「そうだろうね。あんだけでっかいドラゴンとかも出てきているし」
「だよなー」
 見上げた山の峰に、翼竜のような形をした中型ドラゴンの影がいくつか見える。あれよりも大きな個体が飛んでいるのも、この数日で何度か見かけたし、ダンジョンの入り口が山崩れを起こす勢いで広がったのもうなずける。
「便秘した後の切れ痔みたい」
「きったねー例え方すんな!」
「声がデカい。静かにしろ。またでっかいアリの群に追いかけられたいか」
「むぐ……」
 おかしなことを言うメロディが悪いんじゃないか。
「なあ、ノア。ダンジョンって、壊れても自動修復されるんだよな?」
「うん」
「いまだ修復されていないのは、ダンジョンイーターに襲われているからか?」
「この様子じゃ、ダンジョンの中も、スタンピードで壊れた後のままかもしれないね」
 俺たちは『永冥のダンジョン』の入り口周辺を眺め下ろしながら、今いる山を登り、夕日が沈むころに『空の遺跡』にたどり着くことが出来た。
「わあ……」
「素晴らしい景色ですね」
「ああ」
 感嘆の声を漏らすメロディと、ため息のように呟くガウリーの横で、俺も黄昏の空を見上げて頷いた。
 赤味の強い夕焼けに眼下の山々は影と沈み、深い藍色が広がっていく薄闇の中に、ぱらぱらと星が瞬き始めている。遮るもののない深夜の星空は、さぞ迫力があることだろう。
 ただ、『空の遺跡』で一夜を過ごした俺たちは、巨大な山サソリと、これまた巨大な鬼猿のファイトを間近で見るという大迫力を経験し、星空観察などという余裕はなかったのだが。
 『空の遺跡』が安全地帯であることに感謝しつつも、うるさくてなかなか寝られなかったよ。

 翌日、激闘の結果と思われる、魔石や甲殻や毛皮や脳や毒腺といったドロップ品を拾うと、俺たちは『永冥のダンジョン』に向かって山を下った。
 あ、ドロップ品の生ものは、ちゃんと壺とか瓶とかにパッケージされているんだよ。さすがは、ダンジョン産の御都合……いや、親切設計だよな。非ダンジョン産だと、解体して保存してって、かなり技術が必要だし、人間に有害な病原体や寄生虫がいるかもしれないし、大変だと思う。
「ごたごたが治まったら、普通にダンジョン探索するのもいいな。楽しそうだ」
「くくっ。リヒターと組んでカイゼルのダンジョンに行けば、安定して荒稼ぎ確定じゃん」
「『永冥のダンジョン』は難度高そうだからなぁ。ノアに案内してもらわなきゃ」
「いいねえ。そのためには、さっさとダンジョンイーターを片付けないと」
「おう」
 威勢のいい事を話してはいるが、ダンジョンイーターへの対抗策というものが、実はあまりわかっていない。メロディにも、転生前にやったゲーム『グローリー・オンライン』での戦い方しかわからないし、そもそも『永冥のダンジョン』を襲っているのが、本当にダンジョンイーターなのすら確認が取れていないのだ。
「げー……むこうでは、メロディたちはどうやって戦っていたんだ?」
「本体があるバトルフィールドに転送されて、はい皆で殴って倒してください、って手順だった」
「足場とかは?」
「あったよ。室内フィールドで動き回る敵でもなかったから、虚空に向かって殴るとか、そういうのはなかった。だから、実際に『永冥のダンジョン』の何処に本体がいるのか、それを探すところからだね」
「実物が、手の届かない場所にある可能性もあるってことか」
「その時は、遠距離攻撃しかないねえ」
 現地入りしてから、手探りで攻略法を考えないといけない。それでも、可能性は事前に知っておきたい。
「弱点とか、逆に無効は?」
「物理攻撃よりは、魔法攻撃の方が効く。物理でも属性乗っていれば、それなりに。ただ、こっちのダンジョンイーターが、魔素を喰って増えているらしい、っていうのが、どこまで影響するか、わからんのよねえ」
 ダンジョンイーターと思われる者が魔素を喰らっているというのは、ノアから得た情報だ。
 この世界のダンジョンは、魔素が濃い場所に出来る。そして、世界中の小さなダンジョンが攻略されまくったのと、長年魔獣の間引きがされなかったことが重なったせいで、『永冥のダンジョン』は魔素が濃くなりすぎた。そこに、ダンジョンイーターが喰いついてきたのだと、見当をつけている。
「そもそも、この世界のダンジョンイーターって、どういう生態なんだろうな? それによっては、解決方法がありそうだが」
「その辺も、ダンジョンマスターに聞ければいいけどねえ」
 俺たちは辺りを警戒しながらも、土砂が積もった山裾を駆け上がった。目の前に広がるのは、漆黒の闇。
「この広さなら、シームルグとサンダーバードもいけそうだな」
 シームルグとサンダーバードが体を大きくし、金鶏は二郎ホープが抱えてくれた。
「ノア、本当にあの方法でやっちまっていいんだな?」
「うん。だいじょうぶ」
 メロディに抱っこされたノアが頷くのを確認すると、俺たちはシームルグの発光を頼りに、暗闇の中に足を踏み入れた。
「?」
 なにか、空気抵抗のようなものを感じて、俺はいま入ってきた後ろを振り向いた。柔らかいビニールを突き抜けたような……子供の頃に遊んだ、ポリバルーンのような感触だった。一瞬の圧迫感はあったが、いまは普通に息ができる。
「どうした?」
 俺の後から入ってきたメロディが、きょとんと俺を見詰めている。
「なんか、ビニールを突き抜けたような感じがした」
「ああ。ダンジョンとの境目を通過したからね。ダンジョンって一種の異空間だから、敏感な人はなんとなくわかるみたいよ。私くらいになると、がっつり見える・・・けど」
 そういえば、メロディは空間魔法のエキスパートだったな。
 ガウリーを先頭にして入った『永冥のダンジョン』の内部は、シームルグの光の下で、すっかり荒れ果てた姿をさらしていた。
「見た感じ、道幅広めの洞窟迷路型……だったのかな?」
 きょろきょろ見回しながらメロディが呟くとおり、自然な感じの濃い灰色の岩肌が辺りに広がっていて、その壁はほとんど壊されていた。迷路も何もあったもんじゃない。
 壊れた岩陰のそこかしこで、ガサガサと動く影があり、ここをねぐらにしている魔獣もまだいるようだ。
(外がアレじゃあ、ダンジョンの浅い階層の方が、まだ安全かもしれないな)
 ダンジョンのまわりはなんて言うか、修羅の世界だったな。スタンピード前のダンジョン深部も、きっとあんな感じだったんだろう。怖い怖い。
 俺たちは迷路の痕跡を跨ぎ越しながら、まっすぐに進んだ。これだけ破壊されていると、次の階への階段もすぐに見つかりそうだが、俺たちに一階ずつ攻略していくような時間はない。
「この辺でいいか?」
「うん」
「それじゃあ、やるぞ」
 ノアの了承を得て、俺はスタッフオブセレマを構えた。
(できるだけ、魔力を練り込まなきゃ)
 これからやる魔法は、少しのマナも無駄にできない。マナを励起させ、魔力を増強させ、俺は今までにないほどの精神統一の末に、乾坤一擲とばかりに叫んだ。
「水神リューズィーを讃えよ! 『水滴石穿すいてきせきせん』!!」
 カッと光を放ったダンジョンの床に、渦巻く水流が大瀑布のようにぶち当たり、突き抜けた。がつんがつん、という痛いほどの手応えが、連続して俺の腕を震わせた。
「お、お、お、おおおおおッおッおぉぉッ!?」
 がががががががががががががッ、とダンジョンが轟音を立て、魔法を制御している俺の手から、スタッフオブセレマが吹っ飛んでいきそうになる。
「んがあああああッ! 根性ォォォッ!!」
 大量のマナを消費するせいで、一日に一回しか撃てない魔法を、最初から失敗はできない。
 特技スキル「マナ励起」を発動させているはずなのに、周囲のマナは涸れ、体内のマナがぎゅんぎゅんと減っていく。ノアがずっとマナポーションを飲んでいたことから、もしかしてと思ってはいたが、『永冥のダンジョン』では空気中のマナ密度が異様に低くなっていた。おそらく、長年外界からの侵入がなかったせいで、魔素の割合が圧倒的多数になってしまったのだろう。
(想定よりも、いかないか……?)
 しかし、不発を起こしてマナを無駄にするわけにもいかないので、手応えを感じなくなった時点で、俺はすぐに魔法を終息させた。
「っふぅぅ〜」
「技名と実物の乖離が酷い。ボルテクスアタックとか、ボーリングドリルとか、そういうのでよくね? 水滴石穿はミヤビすぎっしょ。この大穴の何処に、慎ましさとか侘び寂びとかを見出せっつーのよ」
「うっせぇ。結果が出ればいいんだ。結果が出れば」
 メロディのダメ出しに言い返すが、たしかに直径十メートルを超えそうな大穴を目の前にして、水滴は言い過ぎだったかもしれない。実際に、穴開けたのは水流だったし。
「それじゃあ、シームルグ、サンダーバード。狭いかもしれないが、よろしく頼む」
「「コッケコッケコォォォーーー!!」」
 俺たちは二羽のコッケの足にそれぞれ掴まれ、ダンジョンに穿った大穴を深部に向かって降下していった。