第十一幕・第五話 若村長と深い穴


 俺の水流魔法はリューズィーの加護の影響を受けていて、破壊に関して使用する場合、あらゆる阻害や防御を受けないらしい。
 その特性を生かして、ダンジョンに縦穴を通すという、かなり暴力的な手段を取ったわけだが、ここに住んでいるゼガルノアの分身体であるノアの許可があるので大丈夫なはずだ。
「っ……」
「ガウリー、大丈夫か? なるべく視線を水平に保っているといいぞ。まわりが気になっても、真下は見るな!」
「はい!」
 シームルグに掴まえてもらっているとはいえ、エレベーターやジェットコースターのような経験がないガウリーは、この内臓が浮くような感覚は慣れないだろう。俺もさすがにパラシュート降下の経験はない……はずなので、真っ暗な下を見ないようにはしている。
「耳鳴りはしないけど、階層ぶち抜いていくのは酔うぅ! あぁぁ〜ッ!」
「ゲロってもいいけど、ノアとサンダーバードやシームルグにはかけるなよ!」
「酔い止めプリーズ!!」
 後続のメロディの声が上から聞こえてきたが、下に到着するまでは、なるべく我慢してほしい。空間魔法使いで【分析】もあると、俺には見えない色々なものまで見えてしまうんだろう。
 ひゅぅぅ〜んと、ほとんど自由落下で降りていく大穴だが、コッケ達が調整してくれているので、殺人的な速度までにはなっていないようだ。エレベーターで言えば、すごい勢いで階数がカウントされていくようなスピードではあるのだろうが、灯りが乏しくても階層の景色はわずかに見ることができた。これは、一階一階の高さがそれなりにあるせいだろう。
(天井が低いからと言って、その上や下になにもないとは言い切れないもんな)
 主に、罠とか、罠とか、罠とかだ。いまの俺たちはぶっちしているだけで、即死級のトラップも、いっぱいあるに違いない。
 一階のような洞窟タイプはすでに過ぎ去り、その次は広々とした環境タイプのフィールドが何層も続く。空気に混じる匂いや温度、湿度が、洞窟迷路とは明らかに違っていた。草木の匂い、乾燥した土埃、凍えるような風……そして、潮の香りがする、海が現れた。
「うおぉぉ……すっげぇ!」
 月明かりやシームルグの光を反射して、キラキラと輝く水面を眺め、俺は感嘆の声を上げた。見渡す限り、三百六十度海という景色は、なかなかお目にかかれないだろう。
「メロディ、海だ! さすがに、海に水流は効きにくかったんだろうな!」
「ぉ……おぅふ……」
「あー……どこか、降りられる場所を探そう」
 グロッキーなメロディがノアを落とす前に、俺たちはシームルグが見つけた小さな島に着陸した。ざざざざ、と打ち寄せる波の音以外、何も聞こえない、静かな浜辺だ。
「やーれやれ。今日はここまでだな。みんな、お疲れさん」
「お疲れ様でした」
 ガウリーも強がってはいるが、かなり足腰がガクガクしていることだろう。俺が座れと手を動かすと、素直に砂浜に腰を下ろした。
「メロディ、大丈夫か?」
「うぅ……だめ……」
 メロディはぐったりと倒れ込んでいるが、残念ながら、俺は乗り物酔いを治す魔法を持っていない。乗り物酔いって、三半規管がどうたらなるんだったよな?
「まあ、少し休んでいろ。使ったことのない回復魔法で、余計に具合が悪くなるよりましだろ」
「つっかえねー……」
「試行錯誤するほどのマナも、もう残ってねーんだって」
「あぁ、そうか……」
 人造人間のホープは平気なようで、抱えていた金鶏を地面に降ろすと、テキパキと警戒アイテムを周囲に設置して、無防備な俺たちが危険にさらされないようにしてくれている。
「うぉえぇぇ」
「マスター、乗り物酔いの薬ですが、三郎が持っているかもしれません」
「まぁじぃ? ちょーだーい」
「はい」
 ホープ三人衆は、能力アビリティ【インベントリ】という共有異次元収納場所を持っている。これにより、離れた場所にいるホープからホープへと、アイテムや手紙という形の情報を、素早く遣り取りすることができるそうだ。
「どうぞ」
「おう……ってこれ、サルヴィア製じゃん!」
「以前、王族との専属契約を持った時に、祝い品として頂戴した、回復薬セットの内のひとつです」
「あー、あん時の。ゴチでーす」
 メロディは遠慮なくポーション瓶を開け、ぐびぐびと飲んでいる。まあ、元気になればいいか。この薬は、サルヴィアが、まだ王都ロイデムにいた頃に、三郎ホープにあげたものらしい。サルヴィアはいい仕事をするな。
「ノアは、大丈夫か?」
「うん」
 メロディの傍に座っていたノアは、両腕をあげて俺に抱っこを要求する。可愛いなぁ。次のフライトからは、俺が抱っこすることにしよう。メロディには任せられん。
 俺たちが降り立った小島は砂浜と磯を備えており、釣りくらいはできそうだ。陸上はと言えば、ヤシの木(こちらの世界で見かけるパナームの木じゃない)が数本生えているだけで、あとは少ない下草があるだけ。
(端を歩いたとしても、三十分くらいで一周できそうだな)
 本当に小さな島で、嵐どころか満潮でも海水をかぶってしまいそうだ。
(でも、ここに大穴を開けるのは、ちょっとはばかられるな)
 もっと大きな陸地を探して、見つからなければ仕方がないが……。いま俺たちがいる小島が、巨大生物の背中じゃないとは限らないわけで。
「コッケコッケコオォォォーー!!」
「サンダーバード、陸地を探してきてくれるのか?」
 返事の代わりに、再び巨大化したサンダーバードが空に飛び立っていった。太陽の光がなくても見えるのか。神獣すごいな。
「コッケは、元気だねぇ……」
「外の山の中じゃ、飛び回れなくて、かえってストレスだったんだろう」
 ようやく体を起こしたメロディがバンガローを出したので、俺たちは先に屋内で休むことにした。まだ時間は昼過ぎだったが、疲れた。

 遅い昼食として、さっぱりとした冷やし中華を食べる。爽やかな酸味とのど越しの良さは、落下運動でびっくりしている胃腸でも受け付けられるだろう。メロディはゼリー飲料だけだったが。
「どうだ、ノア?」
「ちゅめたくて、おいち!」
「そうかそうか」
 錦糸卵やハムを麺と一緒にフォークで食べながら、ノアはにこにことご機嫌だ。
「あとどのくらいで、一番下に着くか、わかるか?」
「んー」
 ノアは首を傾げる。
「はんぶん、くらい?」
「そうか。一回で、それなりには降りられたんだな」
「まえ、あったひとがね、ひゃっかい、って、いってた」
「百……それって、だいぶ前の話か?」
「うん」
 十中八九、それより増えているだろうな。つか、今日だけでも、たぶん二百階近くは降りている。
「メロディ、いま何階かわかるか?」
「百八十一階。ここから十階は、海フィールドってことだね」
 まじかー。
「空飛んで、下に行く道を探した方がいいか」
「その方が、マナの無駄にならないんじゃない? 急がば回れってことだね」
 目的地までは、少なくとも、あと二日以上はかかるな。
「百九十一階から火山だったら、これも穴開けずに行った方がいいだろ? 水ぶっかけた拍子に水蒸気爆発が起きそうだ」
「リューズィーの加護で壊せはするけど、壊し過ぎるのは問題ないっていう加護だからねえ」
「自爆しないように使わないと……」
 本当に、使いどころと言うか、制御と言うか、そういうのに気を使う加護だよな!
 この階の海だって、頑張れば底に穴が開くと思うが、その後で海水が下まで落ちてくるなんてなったら、危なくて、ちょっと降りられないだろう。無駄になる危険は避けるべきだ。
 その時、外でコッケの鳴き声がした。
「サンダーバードが帰ってきたな」
 バンガローのドアを開けると、そこにはやはり、こげ茶色のコッケが。
「おかえり。どうだった?」
「コッコッコッコッ……」
 屋内に入ってきたサンダーバードに、神獣(鳥)用の餌を用意しながら聞くと、なにやら不思議なことを言っていた。
「汚い陸地と、大きな滝があった?」
「コッケコッケコォォーー!」
 頭の中に流れ込んできた言葉のイメージを口にすると、その通りだと鳴かれた。
「汚い陸地って、ごみ溜めか?」
「まさか。むこうの世界じゃあるまいし」
 海岸沿いが不法投棄されたゴミでいっぱいになったスラムを想像した俺に、メロディは肩をすくめてみせた。
「ダンジョンイーターだろうね。遠目だと、赤黒くて汚く見えるんだ。暗いから目立たなかっただけで、環境エリアは全部侵食されていたね。洞窟エリアも、半分くらいはダメだった」
「マジか。全然気が付かなかった」
 そういうのが全部見えていたせいで、メロディは気分が悪くなったのだろう。ちょっと労わってやらないとな。
「侵食された陸地に上がるのは、危険かな?」
「わからんね。ただ、ノアたんは近付かない方がいいと思う。侵食された階には、魔獣がいなかったよ」
 メロディのその報告に、俺はぞっとした。
「全部、喰われたのか」
「ダンジョンの中なら、魔獣はいくらでもリポップするはずだ。それが機能していないってことは、だいぶマズい」
「リポップできないほど、ダンジョンのシステムまで侵食されているのか!?」
「そうじゃなくて、一時的に止めているんだと思う。魔獣を作ると、それだけ喰われるからな。労力の無駄なだけでなく、相手に栄養をやって強くするばっかりだ」
 ダンジョンイーターが魔素を喰らっているのならば、おそらくゼガルノアの魔素で作られたノアは、奴の餌にしかならない。どうやって護りながら進めばいいか……。
「ん? とすると、この階から下にも魔獣はいないのか」
「よっぽど強くて、ダンジョンイーターに対抗できるほどでない限りね」
「……」
 この先に、どれほどの生き残りがいるのだろうか。
「ノア……」
 ゼガルノアが孤独に戦い続けているのかと思うと、胸が痛んだ。早く行ってやらないと。
 冷やし中華を食べ終わったノアにマナポーションを渡し、俺も一本飲んだ。不測の事態に備えて、体内のマナをすっからかんにしておくのは避けたい。
「……リヒターたちは休んでて。ちょっと試したいことがあるんだ。シームルグとサンダーバードを借りるよ」
「わかった」
 乗り物酔いが治まったらしいメロディは、ホープも置いて、シームルグとサンダーバードを連れて一人で出ていき、そして夕方の時間に帰ってきた。