第十一幕・第三話 若村長と地図


 雨が上がって、すっきりと晴れた翌日。
 俺の暦感覚だとまだ春なのに、この辺りでは、もう初夏の風と日差しを感じる。今日は雨上がりだから埃が舞っていないが、人間が暮さなくなった町というのは、なぜか埃っぽい。風化して崩れた建材が、人々の記憶から消えるのを拒むように、土に還らず漂っているのかもしれないな。
 俺たちはそろって、領都リブルを探索した。主に、領主の館や、冒険者ギルドの建物で、『永冥のダンジョン』までの道を記した地図を探すことが目的だ。
「コッコッ……」
「うーん、ここにはないか」
 領主の館と思われる、周囲に比して大きすぎるほどの建物は焼け落ちてしまっており、広い敷地に積み上がった黒焦げの瓦礫の山に、金鶏も「ないわぁ」と言いたげに興味が薄い。
「でも、冒険者ギルドにもなかったよな。建物も、ずいぶん小さかったし」
「この辺の冒険者は、魔獣討伐依頼を受けられなかったんじゃないかな」
「おそらく、領主の私兵の力が強かったのでしょう。かなり大きな兵舎や、広い練兵場がありましたから」
 うーん、領主の軍備がしっかりしているなら治安は良さそうだけど、その軍備を整えるために、ダンジョンへの遠征費用をケチっていたんだな。
「ダンジョンで兵士を鍛えればいいのに。『永冥のダンジョン』って、よっぽど行きにくい場所にあるんだな」
「そうみたいねぇ。ますます、地図が必要だなぁ」
 マッドゴブリンやシャドウバイトといった、比較的小柄なモンスターを倒しながら、俺たちはリブルの街中を歩き続けた。
 凶暴なマッドゴブリンは、ゴブリンから異常進化した特異個体だ。群れないだけマシだが、残忍な性質に磨きがかかっているうえにアサシン性能が高くて、一匹で村を全滅させたり、中堅どころの冒険者を一撃で殺したりするそうだ。シャドウバイトは、ネズミのバケモノだ。大きさはラグビーボールくらいもある。影のように真っ黒な体色で、いつの間にか囲まれていることが何度かあった。まあ、どっちもメロディとガウリーの敵ではないのだが。俺も水流魔法で溺死を狙うんだけど、まわりの瓦礫まで巻き込んで破壊範囲を広げるんで、二回やってやめた。
「街中に、骨すら残ってないな。アンデッドもいないなんて……」
「一瞬で踏み潰されたんだろうねえ。その後で、こういう掃除屋が食べつくしたんでしょ」
 津波のように押し寄せてくる魔獣の群れを想像して、俺は背筋を震わせた。壊れた城壁の近くでは、吹き飛んできた欠片が屋根に突き刺さり、巨大な足跡が家屋を押し潰した形跡があった。どんな巨大魔獣が蹴飛ばしたら、こうなるんだ? ゴ〇ラか?
 城壁から戻って大通りを歩いていると、急に金鶏が走り出した。
「コッコッコッコッ……」
「何か見つけたか!」
 慌てて追いかけると、金鶏は一軒の店舗の前で鳴いていた。
「コッケコッケコオォォォーー!!」
「ううん? 何の店だ?」
 その店は、建物こそ潰れていなかったが、出入り口が壊され、中もずいぶん荒らされているようだ。商品は何もなく、何の店だかわからない。
「うーん、質屋か、高利貸しかな?」
「その可能性は高いです」
 あたりを見回すメロディに、ホープが頷いた。
「たしかに、オタカラはありそうだけど、地元の地図なんか質草にするか?」
 この世界では、精密な地図はまだ軍事機密に属するけれど、地元の人間や冒険者が私用に作った、簡易的な地図は存在する。ただ、それを必要とする人間は少ないし、必要としている人間が手放すなんてことは、まずありえない。
 懐疑的な俺を置いて、金鶏は荒れた店内を横切って、奥へ奥へと入り込んでいく。俺たちはそれに続き、なぜか建物を通り抜けて、中庭らしきところに出てしまった。
「お?」
「あれ?」
 目の前にあったのは、離れと思われる家。蔵ではなく、住居だろう。金鶏はその建物に入っていき、俺たちも続く。
 住居の中も少々荒れていたが、店舗ほどではない。そして、金鶏が立ち止まったのは、壁にそって、ぎっしりと本が詰まった本棚が並ぶ、書庫だった。
「ほぉ。これはすごいな」
 メロディのおかげで印刷技術が普及しつつあるが、それ以前の写本が多いようだ。紙の本よりも、羊皮紙を綴った大判な本が、いくつもあった。
「研究者や好事家垂涎の蔵書だね」
「どんな本が多いんだ?」
「ざっと見た感じ、神話とか伝承とかが多いかな。歴史書や魔獣関連もあるよ。こっちは植物図鑑だし……外国の本もあるね。これは帝国にいた時に、見たことあるわ」
 メロディが手に取ったのは、魔術書のようだ。ふむ、違う大陸で発展した魔法というのも、ちょっと興味があるな。
「よし、いただいていこう」
 ここに置いておくのももったいないので、とりあえず全部俺の【空間収納】に入れておくことにした。公爵家の蔵書にしてもいいし、公的な図書館に収めてもいい。あればあるだけ、これからこの辺りを治めるサルヴィアに喜ばれるだろう。
「ん? なんだこれ?」
 ぽいぽいと【空間収納】に本を入れていると、丸まった羊皮紙が棚から落ちてきた。手入れをされていなかったせいで、ところどころ黴で黒ずんでいたが、間違いなく地図だった。ここには、領主のカラマ侯爵家に関する本があったが……そうか、郷土史の棚だったのか。
「メロディ!」
「あった?」
 俺たちが持っている、ジェリドが書き写してくれた地図と見比べる。王宮で管理されていただけあって、かなり縮小されているとはいえ、地方の地形もそれなりに正確なはずだ。
「ここが、リブル。山の数も同じだ」
「印が二つあるね」
「どちらかが、『空の遺跡』だと思う」
「なら、山の上にあるのが遺跡で、こっちがダンジョン……うっわ、本当に山の中だよ」
 メロディがうんざりした声をあげたのもわかる。『永冥のダンジョン』と思われる場所につけられた印は、びっしりと山に囲まれ、そこへ行く道はうねり、いくつか橋が架かっているようだ。
「……この橋、生きていると思う?」
「無理じゃね? むしろ、こんなに細い道が、魔獣に潰されていないとは思えん」
「ですよねー。メロディの馬車でも通れなかったら、トレッキング確実……」
「ないわー……。また痩せてしまうわー……」
 気にするところはそこかよ。

 とにかく、俺たちは目的地までの地図を手に入れた。
 道中の様子はまったくわからないが、いざとなればシームルグたちに運んでもらうしかないだろう。空を飛ぶのは目立つし、襲われても対応がしづらい。着陸場所の安全も確保できないから、なるべく避けたいのだが。
「ま、行けるところまで行ってみましょ」
「そうだな」
 俺たちは幌馬車に乗り込み、領都リブルを後にした。
 この先は、町がひとつと、山裾を回り込みながら、村をふたつ抜ける。その先には、別荘が点在する他に狩人の山小屋のようなものはあっても、もう人が住んでいた集落はないはずだ。
「どんな魔獣が出てくることか」
「ねえ、ノアたん。どんな魔獣がダンジョンから出たかわかる?」
 メロディに聞かれて、ノアは「んー」と首を傾げた。
「わかんない」
「……」
「ダンジョンの奥に住んでいるゼガルノアが、浅い所にどんな魔獣がいるかなんて、気にしていなかっただろうな」
「うん」
「そっかー」
 ダンジョンの奥にいる強い魔獣も出てきただろうが、浅い階層にいた魔獣はそれに追われるように外に出てきたはずだ。勢いのままディアネスト王国の南半分に広がり、瘴気が発生してからは、中央を避けて辺境沿いに北にも広がっていった。
 アンデッドなど一部のモンスターを除き、生物である魔獣は、基本的に瘴気を避ける。それは、肉体が魔素で構成されたダンジョン産の魔獣も同じだ。どうも喜怒哀楽があり、普段はフラットな感情を維持する魔獣は、たとえ肉体的に強く進化できるとしても、瘴気による精神汚染を好まないらしい。同じダンジョン産だとしても、そもそも負の感情で構成されたアンデッドは瘴気を心地よく感じるし、感情のないゴーレムなどは、マナセンサーを備えていない限り瘴気を感知できない。
 いままでにノアが狩った巨大魔獣が、『永冥のダンジョン』から溢れ出てきたのは疑いないが、それ以外にも、たくさんの魔獣がいたはずだ。戦争が始まるまでに、アイアーラたちS級冒険者が狩っていただろうが、それでもまだ、瘴気を避けながら各地に残っているだろう。
「ましゅたなら、きっとわかる」
「ましゅた? マスター? 『永冥のダンジョン』のダンジョンマスターを、知っているのか?」
「うん」
 俺の膝の上に座っているノアが、たどたどしく話すことには、『永冥のダンジョン』のダンジョンマスターは、魔獣が元になったわけでもなく、人間に似た姿もしておらず、ゼガルノアとはうまく意思疎通が出来ない存在らしい。
「でもね、のあのおねがいは、きいてくれるよ」
「一方通行なのか」
「ましゅたのこえね、しらないことばなの。じもね、わからないの」
「長く生きていて、古代魔法も使うゼガルノアがわからない言葉ねえ……」
 うーんとメロディも首を傾げる。
「もしかして、プログラミング言語みたいなものなのかも」
「あー、そういう可能性もあるか」
 俺たちが意思疎通に使う言葉ではなく、世界を構成し、正確に運用するための言語だ。ダンジョンというひとつの世界を作成し運営しているコアなら、そういう言語を使っていても不思議ではない。それでは柔軟な会話が成立しないだろうし、文字と記号の区別もつかなければ、法則を感じ取れても、どういう結果をもたらす意味なのかを理解できない。もしも創世神たちが使う言語だとしたら、いくらゼガルノアでもわからないだろう。
「『永冥のダンジョン』の成立は有史以前と言われるほどで、南大陸にある『霊廟のダンジョン』や『蒼穹のダンジョン』、東大陸の『ダンジョン都市』なんかより、ずっと古いらしいんだ。大昔からダンジョンがあるとわかっていても、挑戦者が極端に少なくて、いまだに謎が多い」
「それだけ秘境にあるってことか」
 あの地図を見る限り、なかなか行こうって気にはならない場所だもんな。収益よりも経費が掛かりすぎるんだ。継続的に戦うバックアップや、帰還するための安全確保を考えたら、莫大な金がかかる。だから、魔獣の間引きを領主の責任において公共事業化していた……機能はしていなかったけど。
「話は戻るけど、もしも『永冥のダンジョン』のダンジョンコアが、最初から知性を持っていて、生物をマスターとしてたてなかったとしたら……」
「『永冥のダンジョン』にラスボスがいないのは、そのせいか。魔王という役職クラスを持ったゼガルノアがいれば、一応の体裁が整う」
 『フラ君』の設定上必要なゼガルノアと、ダンジョンマスターの都合がかみ合ったわけだ。卵が先かニワトリが先か、みたいな話だが。その辺の調整は、創世神様がいい感じに繰り合わせたんだろう。
「ノア、俺たちもマスターの所に行けるか?」
「がんばってまもる」
「そうか。頼りにしている」
 ふんす、と拳を握るノアの頭を撫でた俺だが、がんばってまもる対象を勘違いしていることに、この時は気付いていなかった。