第十一幕・第一話 若村長と快適な遠足


 人の住めない魔境と化したディアネストの地、旧王都シャンディラにて、俺たちは瘴気を出していたカオスディメンターを駆除し、国王デニサス二世に憑依した厄災の神エイェルを退けることに成功した。国を憂いた心残りによって利用されたガルシャフや、妻子を人質にされて利用されたスヴェンを解放し、かつてのディアネスト王国を思わせる憂鬱は払われ、汚染された大地に陽の光が届くようになった。
 これにより、ディアネスト王国だった場所に満ちていた瘴気は、それ自体が瘴気を出しているモンスターや陰気な場所を除き、だんだんと薄くなっていくことだろう。
 現在、シャンディラにはサルヴィアの四番目の兄であるマーティン様がいて、暫定統治の総指揮をとっている。マーティン様自身は脳筋らしいが、彼の下には先代ブランヴェリ公爵の執事だったイヴァンさんと、同じく筆頭護衛だったハワードさんがいるので問題ない。シャンディラ攻略に参加したブランヴェリ家の騎士たちも、マーティン様と一緒に来た騎士たちも、ハワードさんの下で再編成され、シャンディラを中心に治安維持にあたっている。
 北と西から、人と物資がシャンディラに入ってくるようになり、復興作業の計画が発表されると、荒廃したかつての都は、朝日が昇る度に、その表情を明るくしていくようだった。
 北の森からずっと一緒にやってきて、シャンディラ攻略に貢献してくれた冒険者たちも、いまはブランヴェリ家が依頼を出す形で、シャンディラとその周辺の魔獣調査をしている。王都攻略中はシームルグが回復のバックアップをしていてくれたおかげで、多少の怪我人は出たものの、なんと死者ゼロという偉業を達成していた。冒険者からシームルグへ向けられる視線は、ほとんど信仰と言っていいかもしれない。まあ、そもそも神獣だが。
 いまのところ、旧王都シャンディラを中心として、人が住んでいた平野部に徘徊しているのはアンデッドばかりだとは思うが、それでも瘴気が発生する前は、王都の南側は魔獣で溢れていた。特に、アイアーラたち『赤き陣風』をはじめとするS級冒険者たちは、戦争前に築いた緩衝地帯を見回り、その様子をみてから次の攻略先を決めるそうだ。何もなければ、スタンピードの原因になった『永冥のダンジョン』に、すぐ向かってくれることになっている。
 サルヴィアとジェリド達は、大神殿が隠している、ご禁制植物メラーダの大規模栽培地を探しに、南東のシューガス地方へ向かった。
 そして、俺はというと……。
「押し返されない浄化って、こんなに楽だったんだなぁ」
 夕暮れが迫るゴーストタウンの端で、片腕にノアを抱え、片手でスタッフオブセレマを掲げ、俺はほとんどぼーっとしたまま浄化の魔法を使っていた。これだけで、終わりの先がわからないほど浄化できてしまうのだ。気合を入れてしまうと、かえってマナが無駄になる。
(いまは、少しでもノアにマナをあげないと)
 デニサス二世の姿をした災厄の神エイェルを倒すために、力を振り絞って極大魔法を撃ったせいで、『永冥のダンジョン』にて苦戦中のゼガルノアに負担がかかり、分身体であるノアもあれからずっと元気がない。こうして四六時中俺にくっついてマナを吸収し、いままではおやつだったサルヴィア謹製高級マナポーションを三食毎に飲んでいる。
 俺は青銅色にテカテカした埴輪みたいな馬(?)が繋がれた幌馬車に戻り、地図を広げている同乗者たちの中に入った。
「おつ」
「ああ。半分くらいは進んだか?」
「そんなもんだな」
 出発前にジェリドにもらった地図を眺め、メロディは頷く。
 俺、ノア、ガウリー、メロディ、ホープの、総勢五人と……。
「コッケコッケコォォォォーーー!」
 シームルグ、サンダーバード、金鶏の三羽が、『永冥のダンジョン』に向かうパーティーとなっている。
 メロディの幌馬車は、ロードラル帝国の高級品で、駆動部も荷台部も含めて、ダンジョンや古代遺跡から出た高度なテクノロジーが、ふんだんに詰め込まれた魔道具だそうだ。馬っぽいのも生物ではなく、ロボット寄りのゴーレムみたいな物らしい。【十連ガチャ】産ほどのトンデモ性能はないが、乗用車に慣れた現代日本人の感覚でも、そこそこ耐えられる性能だ。つまり、道が舗装されていれば、速いし揺れないし、少しだが空調も効く。しかも、砂地や沼地のような、極端なオフロードでも、スピードや揺れは仕方ないとして、ある程度の走破性能があるというから驚きだ。
「道に迷わなければ、明日の昼前にはバルザル地方に入るね。夜までにリブルへ到着できるかどうかは、びみょ」
「どれだけ魔獣がいるか、わからないもんな」
 バルザル地方はディアネストの南西辺境にあり、『永冥のダンジョン』があるザナ山地を抱えている土地だ。険しい山がそのまま海岸になっているせいで、小さな漁村こそあるが、交易港はない。山の上の方は夏でも涼しいが、内陸側の山麓は温暖で、ザナ山地を水源とする豊かな田園地帯を形成している。かつてはディアネスト王国の消費穀物の三割近くも賄っており、ザナ山地は避暑地としても人気があったらしい。スタンピードによってバルザル地方からの食糧供給が無くなった当時を考えると、背筋が凍る思いだ。
(瘴気と魔獣被害さえなければ、めちゃくちゃ豊かな土地だよな)
 サルヴィアはこのバルザル地方を、旧国境の町ハルビスがあるマルバンド地方と交換売買して、金に困っているフーバー侯爵家から手に入れた。いますぐ人が入って現金を稼ぐならマルバンド地方もいいだろうが、長期的に見ればあきらかにバルザル地方の方が有用だろう。
 かつてバルザル地方を治めていたのは、カラマ侯爵家といい、国王デニサス二世の有力な後ろ盾のひとつだった。ただ、ザナ山地の秘境にある、『永冥のダンジョン』の魔獣討伐費用を代々横領していた疑いがあり、ダンジョンの魔獣が間引きされなかったせいで魔素が濃くなりすぎ、スタンピードが起こったとされている。
 スタンピードによる被害を最初にこうむったのは必然であり、こうして俺たちが進む、バルザル地方へつながる街道沿いの町も、あらかた破壊しつくされていた。魔獣が押し寄せて破壊の限りを尽くされたあと、反対側から瘴気が押し寄せたので、うろついているモンスターも、人間が元になったグールやスケルトンより、ゾンビ化した魔獣や、より強く変異した魔獣が多かった。
 メロディの幌馬車は速く、シャンディラを出発してから、まだ二日目だというのに、俺たちはすでに道のりの半分以上を踏破していた。ただ、山の中にある『永冥のダンジョン』の正確な位置がわからないので、領都リブルでカラマ侯爵の屋敷か、冒険者ギルドを家探しして、地図を見つけなくてはならなかった。
 俺たちは最速で『永冥のダンジョン』に向かっており、襲ってくる魔獣はメロディとサンダーバードが、不死系統はガウリーと俺が倒していた。ノアを戦力に数えられない現状で、超大型の魔獣に遭遇するのは、なるべく避けたいと思っている。
「とりあえず、今日はここまで。ご飯食べて、あとは明日だよ」
「了解だ」
 俺たちは一度幌馬車を出ると、メロディが出した「キノコの下のバンガロー」に入った。使用者たちには普通の平屋の建物に見えるが、野生の獣や魔獣、無関係な通行人たちの目には止まらないという、便利な野外宿泊アイテム。もちろん、【十連ガチャ】品だ。
 幌馬車を【空間収納】にしまったメロディが最後にバンガローに入ると、外からは、手入れのされていない空き地が広がっているようにしか見えないだろう。

 バンガローの中は、現代日本仕様で快適だ。調理器具・食器完備のキッチン、水洗トイレに風呂、洗濯機と乾燥機まで付いている。四人分の各個室には、ふかふかのベッドがあった。
 それらを初めて見たガウリーは固まっていたが、俺が使い方を教えるとすぐに覚えて使いこなした。
「ガウリーって堅物そうなのに、意外と順応力たっけーな」
「リヒター様やノア殿で慣れました」
「俺をトンデモアイテムと一緒にするな」
 メロディはゲラゲラ笑っているけど、メロディ自身だって、ステータスこそ俺たちには見えないが、かなりオカシイスペックしているはずだからな?
 バンガローのキッチンにあるタブレットで買い物をすると、備え付けの大型冷蔵庫やパントリーに食材や調味料が現れ、それで自炊するようになっている。料理は二郎ホープがやってくれるが、食べたいものがあれば自分で料理もできる。
(冷凍食品に混合調味料……え、総菜まで買えるのか。すげえな)
 スーパーに売っている物は、大抵手に入るという、大変ありがたい仕様だ。おかげさまで、昨夜、久しぶりに白いご飯とみそ汁を食べた。
「たー。あしたも、おににり・・・・と、たこしゃん」
「気に入ったか?」
「うん」
 今朝、昼のお弁当にと、おにぎりとおかずを適当に作ったら、けっこう好評だった。ノアはシャケとツナマヨが好きらしい。あと、タコさんウインナー。ガウリーの好みは高菜や昆布で、なぜか出汁巻き卵にいたく感動していた。意外と和食もいけるらしい。メロディも普段はパン食が多いらしく、遠足みたいだと喜んでいた。
 今夜は中華で、麻婆豆腐と春巻と小籠包だ。アツアツで美味い。ホープは食事が必要ないそうだが、食べられないわけではなく、メロディが命令すれば、一緒に食卓を囲んでくれた。
「……」
「どうしました?」
「いや、楽しいなって」
 箸が使えないのでフォークを持ったガウリーの、まるで保護者のように気づかわし気な視線に、俺はちゃんと笑えただろうか。
(思い出せない……)
 こうして食卓を囲んで、日本で食べたことのある料理を味わい、「懐かしい」とは思うのに、それを裏付ける風景が思い出せない。狙ったように塗りつぶされ、欠落した記憶のせいで、なんとなく気持ちが悪い。誰と一緒だったのか、それとも……『俺』一人だったのだろうか?
(忘れちゃったものは仕方がない。もう気にしないでいよう)
 俺がリヒターとして生きている現在、同じテーブルに、ノアがいて、ガウリーがいて、メロディとホープもいる。それが、俺の記憶だ。
「サルヴィアにも、同じバンガローを貸したんだろ?」
「うん。でも、あの面子で料理するかなぁ?」
「総菜やインスタント食品も買えるみたいだし、大丈夫じゃないか」
「あの三人でカップ麺食べるの? シュールだな」
「あははは……」
 貴族の坊ちゃんたちと、その従者だからな。リオンって料理できるんだろうか? 転生前のサルヴィアが、料理できる男子高校生だったことを祈る。
 夕食が終わると、ノアにマナポーションを飲ませ、歯を磨いて、風呂に入る。
 ほかほかになったノアを先にベッドに入れると、俺は木彫りの女神像を取り出した。ブランヴェリ公爵領に入る直前に、ラベラの町で買ったうちのひとつだ。
(創世神様……元気になるといいな)
 厄災の神エイェルに『リヒター』の魂を壊されたせいで、本格的に拗ねてしまった幼い創世神。それまでも、だんだんと胡散くさくなっていくアスヴァトルド教をどうにかしたいと思っていて、神託を受け取れる『リヒター』の誕生を、心待ちにしていたんだろう。それを台無しにされてしまったのだから、心が折れても仕方がない。
(混ざりものの俺でもよければ、神託受けるからさ。これからも、俺たちを護ってくれると嬉しいな)
 俺が深く考えもせず、ほぼ思い付きと勢いだけでバカスカ魔法を「創れる」のは、たぶんアスヴァトルドの後ろにいる創世神の権能なんだろう。【女神の加護】には、そこまでの性能はないらしいし。
「女神アスヴァトルドよ、我らをお護りください」
 ついでにリューズィーにもお祈りしてから、俺はノアと一緒に眠りについた。