第十幕・第一話 若村長とシャンディラ王宮


 旧ディアネスト王国王都シャンディラ攻略において、俺たちは最も困難なパターンを引いたらしい。
「……男の歌声が聞こえるな。やっぱりスヴェンを傍に置いているか」
「わたくしが同じ立場でもそうしますわ」
 王宮に居座っているビッグアンデッド、生前の名前はアフダヤン公ガルシャフと目されている。その傍に、アンデッド化したスヴェンが、バッファーとして捕らえられているはずだ。
 俺がずっと浄化を掛け続けているにもかかわらず、王宮は厚い瘴気の中にあり、けぶるように影が見えるだけ。このままでは突入もままならない。
「あのハープは何処で鳴っていたんだろうな?」
「おそらく、マハム邸でしょう。少しでも瘴気がある場所には行けないレノレノですから、この状態の王宮に行っているとは思えません。先に、ハープの音を止めに行ったのでしょう」
 デバフがつきそうなハープの音色の出処を、ジェリドがシャンディラの簡易地図の上を指して予測した。
 この地図の作成に関して、シャンディラに住んでいたことのあるレノレノの貢献が大きい。フィラルド様の婚約者であるミリア様が、いくら元ディアネスト貴族でも、市井の道や施設の正確な場所までは知らない。彼女はどちらかと言うと、学校や研究所のような場所の方が詳しく、もっと言えば国内の動物の分布図を書かせたら、右に出るものはいなかっただろう。
(スタンピードと瘴気のせいで、その動物もほとんどいなくなっちまっただろうけどな)
 ミリア様やフィラルド様のような研究者が活躍できるように、自然豊かな地に早く戻してやりたい。
 いま俺たちが見ている王都シャンディラの地図には、いくつかの印がつけられている。王宮、王宮前広場、シャンディラ魔術学園、シャンディラ大神殿、王立大劇場、それ以外には、市街地にいくつか散らばっている。これは、俺が感知した瘴気の塊がいる場所だ。かなり強い敵がいる。市街地にいるのは、騎士や冒険者たちでも対処ができそうだが、拠点に巣くっているような奴は、俺が行かないと無理だろう。
 ただ、まずスヴェンを何とかするついでに、王宮のガルシャフを倒してしまえば、他の場所の攻略も楽になるはずだ。特に、処刑が行われた王宮前広場には、下手に手を出せないし、大神殿は俺たちが調査を行うまでは、害虫除けの為に放っておいた方がいい。
 その時、急な耳鳴りがして、貴族街の方に閃光が走った。続いて、凄まじい轟音が空気を震わせて、こっちにまで届いた。
「いったぁ……」
「な、なんだ?」
「サンダーバードの攻撃のようです」
 思わず耳をさするサルヴィアや俺に、精霊から報告を受けたジェリドが教えてくれた。
「むこうにそんな大きな瘴気の塊はなかったぞ。あいつは何を攻撃したんだ。ああ、まだキンキンする……」
 耳の穴に指を突っ込んだりして元に戻そうとしていたら、ノアと金鶏を抱えたメロディとレノレノが走ってきた。
「いたいた!」
「メロディ! さっきの音はなんだ? いったい、なにがあったんだ?」
 メロディが言うには、かつてレノレノがスヴェンにあげた魔法のハープが、マハム邸で緊急用の音楽を奏で続けていたらしい。
「女の人と赤ん坊が、呪詛の触媒にされていた。スヴェンの奥さんと子供だと思う」
「それじゃあ……」
「ああ。それでスヴェンを縛っていたんだと思う。人質として」
「……ふざけたことしやがって」
 怒りで腹の底がぐらぐら沸き立ったが、その呪詛を壊すための、サンダーバードの攻撃だったとわかり、ひとつ留飲を下げると同時に納得した。
「マハム伯爵の書斎から、金鶏セレクトで重要そうな物は持ってきたから、あとでジェリドとサルヴィアが確認して。屋敷はサンダーバードの攻撃で無くなっちゃったから」
「わかりました」
「ありがとう、メロディ」
 そうだよな、あの規模の攻撃じゃあ、呪詛も屋敷も、何もかも吹っ飛んでいるだろう。
「そうか、あれはスヴェンの演奏じゃなかったんだな。こっちはこっちで、王宮の方から、歌声が聞こえるんだが……」
「奥さんたちの魂は解放できたはずだから、これでスヴェンも歌わずに済む」
「ボクの演奏で、聖者くんの浄化を強化するよ。行こう」
「わかった」
 俺は丁寧に魔力を練り、レノレノの音楽に合わせて、王宮の瘴気をじわじわと侵食していった。
「んぐぐぐぐっ」
「その調子ですわ、リヒター!」
「たー、がんばれ!」
 サルヴィアとノアの声援を受けて力を振り絞るが、なかなかどうして、元凶から出ている瘴気は手強い。
「人質を取って言う事を聞かせようとする卑怯者め。ボクの弟子を返してもらうよ!」
 レノレノの怒りに満ちた叫びが鋭い響きと共に突き刺さり、俺の浄化魔法を後押しする。
(俺の魔法に、たくさんの人の望みがかかっているんだ。頼む!)
 貪欲に魔力を吸い込んでいくスタッフオブセレマを、俺は祈るように握りしめた。
「いっけぇぇぇぇぇ!!」
 ぐりぐりと錐揉むように穿ち、すべてをひっくり返すように覆っていく。
「おお……」
「瘴気が……」
 王宮を覆っていた瘴気が、俺たちのいる大正門から剥ぎ取られるように、少しずつ消えていく。一歩、また一歩と歩みを進め、やがて堀にかかる橋を渡る。
「堀の中に何かいます!」
 騎士からの報告に警戒が高まるが、これ以上速く進むことも、戻ることも難しい。
「リヒター殿はそのまま」
 ジェリドに言われなくても、こっちは集中を切らせられない。外敵の対処は、任せるしかない。
 ざっぱぁぁ、という音に続き、ぱたぱたと水飛沫が落ちてくる。
「おしゃかなぁっ! おっきいいぃぃぃ!」
 ノアの嬉しそうな声が聞こえるが、まわりの人間の緊張がひしひしと伝わってくる。
「骨が多そうね。食べられるかどうかはわかりませんわよ、ノア! ジャベリン!」
「では、釣り上げて捌いてみましょうか。我に風の翼を与えたまえ!」
 サルヴィアの魔法が飛び、ジェリドが珍しく剣を振るっているようだ。どかっと落っこちてきた巨大な魚の頭には、ピラニアみたいなギザギザな歯がいっぱいだった。見なかったことにする。
「ちょっとぉ、何匹いるのよ」
「ねーねー、めろり! かいじぇるのだんじょんで、おしゃかなかえるかな?」
「それは楽しそうだけど、このまま持っていくのは、ちょっと無理じゃねーかな!?」
「あのダンジョンであれば、お供え物として死体を吸収させれば、そのうち発生するのではありませんか?」
「ナイス、ガウリー! その手があった! ノアたん、手提げのマジックバッグに入れてくるんだよ!」
「わかった!」
 俺が間違っていたようだ。緊張したのはブランヴェリ家の騎士だけだ。なんでこいつらは、こんなに緊張感のない会話をしているんだ。
「キミら、楽しいね!?」
「ゆかいな連中だろ?」
「さすがは、クレイジーな聖者くんのお友達だよ!」
 真面目に働いている俺を一緒にしないでくれ、と言ったつもりだったのに。どうしてそういう評価になるんだ。
 キュッキュッキュッキュッ、とノアがサンダルを鳴らしながら走り回り、橋の上に落ちている怪魚の死体を、コッケ印の手提げマジックバッグにぽいぽいと吸い込ませていく。
 おかげで、歩きやすくなった。
「堀は越えられたけど……」
 俺たちの前に広がる枯れ果てた庭園が、王宮の奥からぞろぞろとやってくる鎧たちで埋まっていく。
「またリビングアーマーか?」
「あれは近衛兵の鎧だよ、聖者くん」
「それだけ強いってことか」
 たしかに、みんな揃いの鎧と槍と剣を持っているように見える。
「カースドナイトですわ!」
「近衛兵は、国王に忠誠を誓っていたのでしょう。ガルシャフに従うのを拒んだばかりに……」
 サルヴィアの警戒が滲む声に続き、ジェリドが痛まし気に唇を噛む。
 カースドナイトたちの動きは統率されているが、意思は感じられず、言葉を発することもない。少なくとも、ゴドリーのように欲に目がくらみ、自ら進んで配下になったのではないようだ。
「生前の職務をなぞっているだけで、近衛兵たちもガルシャフに利用されているのか」
「利用されていようがなんだろうが、私の前に立ちふさがるとはいい度胸じゃない」
 はい、メロディ先生のスイッチが入りました。
「のあもやるー! めろり、きょうそうね!」
「よぉっし! 受けて立とうぞ! どっちが多く倒せるか、勝負だ!」
 お、ま、え、ら、ぁ……!!
「落ち着いて、聖者くん。魔力が乱れてるから! 落ち着いて! ボク、瘴気に当たったら死んじゃうから!」
「すぅ、はぁ、すぅ、はぁ……集中、集中……」
 ノアとメロディは好きに暴れさせておいて、俺はガウリーがカースドナイトを倒して切り拓いてくれた道を進んで、王宮の建物内部まで入ることに成功した。
「ガルシャフと思われる者までの進路を確定しました。場所は、謁見場と思われます」
 ジェリドの精霊による探査のおかげで、すぐに進むべき道が決まる。
「リヒター……」
 サルヴィアが差し出してくれたマナポーションをありがたく飲み干し、ちゃぽちゃぽしはじめた腹に憮然となった。
「ありがとう。そろそろ、ぶっかけてもらった方がいいかもしれない。トイレに行く暇なんてないだろうからな」
「任せなさい。いくらでもぶっかけてさしあげますわ」
 エルマさんの「お口がはしたのうございます」が聞こえてきそうだったが、俺はサルヴィアに向かって笑ってみせた。
 目的の場所まで、もう少しだ。