幕間 ある妖精族が交わした約束


 ふと目が覚めて、僕は身を震わせた。悪い夢を見たからだろうか。ひどく寒い。
「ジャスミン……リリア……」
 愛する妻と幼い娘を呼ぶ唇が、ひび割れるほど乾いている。ここは何処だ? どうしてこんなに暗いんだ。
 雷のような轟音が聞こえ、髪を引っ張られる。わかっている。僕は、歌い続けなければ。
 首に巻きついた太い縄のせいで歌いにくい。なぜ僕は歌っている?
「―――♪」
 どうして?
(ああ、そうだ……)
 自分を呼ぶ妻の声が聞こえる。彼女たちを解放してもらわなければ。
(本当に開放してもらえるのか?)
 疑問に思ったところで、どうにもならない。歌わなければ、彼女たちが苦しむのだ。何度でも、歌わなければ。
「あ……あぁ……」
 誰か、救けて……。誰か……。


 どこからか、弦を爪弾く高い音が聞こえる。明るくて、楽しい音楽だ。
 一緒に歌い、笑った、泣きたくなるほど温かい思い出が、記憶の底から湧き上がってくる。
(せ、ん、せ、い……)
「スヴェン!!」
 切り裂くような光を瞼に感じる。懐かしい声。
(どう、して……?)
 あのとき別れてから、何年も会っていないのに……。
「スヴェン、約束通り、救けに来たよ!」




 そのやり口は、実に嫌らしく、腹立たしかった。
「ふっざけんなよ!」
 メロディが苛立たし気に床を蹴りつけるほど怒るのも、無理はない。
 かつてレノレノがスヴェンにあげた竪琴がマハム邸で鳴り続けているのは、シャンディラに入ってすぐにわかった。あれには魔法がかかっていて、緊急時には敵のやる気をそぐ曲を流すようになっている。仕組みを知っている者が止めない限り、ずっと鳴り続けるものだ。
 その竪琴が落ちていたのは、赤ん坊とその母親と思われる死体の傍らだった。自分よりも、最愛の家族を護るために、彼女たちに渡していったのだろう。
「演奏を止めるやり方は難しくないから、スヴェンが奥さんに教えていかなかったとは考えにくいね」
「じゃあ、なにかあってハープが鳴り始めたけど、デバフが効かない相手に殺されてしまって、この状態になったのか」
「たぶんね。この音楽は瘴気にも効かないから、一瞬で巻き込まれたのかもしれない」
 ここまで来る途中、アンデッドや怪物は見かけたが、人間の動かなくなった死体は一度も見ていない。この屋敷の中でも、死体として残っていたのは、彼女たちだけのようだ。
 メロディが怒りをあらわにしたのは、その死体に、なにかおぞましい呪詛が刻まれていたからだ。その呪詛のせいで、ボロボロのミイラのようになっても、触媒である遺体がここに残っていたのだろう。
「この呪詛……姐さん、わかる?」
「呪術は詳しくないけど、たぶん、魂を縛るとか、そういう類っぽい。つまり……人質なんだと思う」
 レノレノは魔法を解除した竪琴を、もう一度、彼女たちの傍らに戻した。竪琴が自動で奏でる音楽は、サルヴィアたちにも悪影響を及ぼすだろうから止めるが、彼女たちに竪琴を渡していったスヴェンの気持ちをないがしろにしたくはなかった。
「奥さんと子供の魂を人質にして、スヴェンに歌わせているんだね」
「てことは、このままスヴェンの所に行っても無駄だ。人質を解放しないと……」
 その方法を持っていないかと訊くように、お互いに目を合わせ、そして同時に首を横に振った。
「コッコッコッ……」
「んー、そっかぁー」
「コッケコッケコォォー!」
 しゃがみこんだノアの隣で、金鶏は胸を張って鳴いている。
「うーん……」
「どうした、ノアたん。金鶏、なんだって?」
「あのね、かみしゃまのこうげきなら、のろいこわせるんだって」
「神様の攻撃? 神罰? リヒターにできるかなぁ?」
 リヒターは神聖魔法使いだが、どちらかというと瘴気の浄化やアンデッドへの攻撃を得意としている。メロディの言う通り、解呪のような本来神殿にいる神官が担う作業は、得意ではないだろう。
「んーん。たーちなうよ。しゃんだー」
「サンダーバードが? ……あぁっ、あーーー……そういうことかぁ」
「どーしよー?」
 金鶏が伝えたいことを理解できたらしいメロディが、しゃがんで両頬を挟んでいるノアの前に、同じようにしゃがみこんで頬杖をついた。
「うーん……」
「どういうこと、姐さん?」
「あのねー、神獣の攻撃で、この死体を木っ端微塵にすれば、呪いは壊れるのね」
「それは……うぅん、あとでお墓を作るしか……」
 人質にされてしまうほど大事なスヴェンの家族を、遺体とはいえ木っ端微塵にするのは気がひける。
「ああ、そうじゃなくって。この屋敷ごと、木っ端微塵になっちゃうってこと」
「……はえ?」
 屋敷ごと木っ端微塵という状況がうまく頭の中に構築できなくて、レノレノは首を傾げた。
「ちっちゃいままで、雷出せない?」
「むり。ちからでないって」
「そっかぁ……じゃあ、仕方ないかぁ」
 ちょっと待ってて、と断りを入れると、メロディは金鶏を連れて屋敷の中を走っていった。
 やがて戻ってくると、リュートに似たずんぐりとした弦楽器を一張り持っていた。
「スヴェンの部屋に飾ってあった。この屋敷ごとなくなっちまうんだ。形見分けに持っていくといいよ」
「なんだか、ずいぶん高価そうなリュートだね」
「こいつはウードだね。たぶん、帝国製だよ」
 少し埃をかぶっていたが、瘴気の中にあったにしては、状態は悪くない。レノレノが指を滑らせると、異国情緒あふれる低い音がべおぉぉんと鳴った。掃除をして弦を張り直せば、もっといい音が鳴るだろう。
 レノレノはメロディに作ってもらったばかりのマジックバッグに、ウードを大切にしまいこんだ。流浪の道化師が持っていてもおかしくない、地味な色合いの肩掛けバッグで、ピエロのチャームがついている。所有者登録によりレノレノ以外は開くことができず、たとえ盗まれても位置情報を受け取れる機能まで付いた、セキュリティ重視仕様な上に、時間停止機能も付いた優れものだ。
「マハム伯爵の書斎にあった重要そうな物は、金鶏セレクトで全部回収した。もう用はないよ」
「わかった。行こう」
 メロディはノアと金鶏を抱え、レノレノは自分の楽器を抱え、足早にマハム邸から出た。
「コッコッ」
「しゃんだー!」
 ノアが手を振る先を見上げ、レノレノは自分の頭上を移動していく巨大な影に、頬がひきつった。
「でかっ!? なんかいつもより大きくない!? ジャイプルでも、もうちょっと小さくなかった!?」
「いいから走れ、レノレノ! 巻き込まれるぞ!」
 必死に走る背後から、キイィィィィンンという耳鳴りにも似た音が聞こえてくる。空気はパチパチと緊張して、肌といい髪といい、ちくちくぴりぴりとした痛みを感じる。

カッッッ!!

 真っ白いなかに、自分の影だけを見て、レノレノは持っていた商売道具を護るように抱きしめて地面に転がった。

ッドオオォォォォォンンンン……!!!

 体の中を、衝撃が走り抜ける。自分の口がなにか叫んだかもしれないが、その声すら聞こえない。
「げほっ……げほっ……」
 脳を揺さぶられて吐き気がしたが、チカチカする目を開けて、レノレノはなんとか起き上がった。
「げっほ……か、神様の攻撃って、げほっ、容赦ないネ。あぁ、メイク落ちちゃう」
「それだけ軽口叩けるなら、生きているな」
「死ぬかと思ったけど」
 しっかりと立ったメロディの側では、ノアと金鶏がきゃっきゃっと楽しそうだ。
「しゃんだー、しゅごーい!」
「コッケコッケコォーー!」
「……」
 振り返れば、マハム邸があった辺りを中心に、黒焦げの地肌が露出していた。直撃を免れた周囲の家からも煙が上がっており、そのうち火事になるかもしれない。
「……呪詛が壊れたみたい。行くよ」
「ハァイ★」
 よろよろと立ち上がったレノレノは、いつもの足取りが出来ないほどふらつきながら、メロディたちを追いかけた。
「メロディ! さっきの音はなんだ?」
 王宮前で合流したリヒターたちに、メロディはあったことを簡潔に報告した。
「そうか、あれはスヴェンの演奏じゃなかったんだな。こっちはこっちで、王宮の方から、歌声が聞こえるんだが……」
 その歌声のせいで、王宮にこもる瘴気がなかなか取れないらしい。
「奥さんたちの魂は解放できたはずだから、これでスヴェンも歌わずに済む」
「ボクの演奏で、聖者くんの浄化を強化するよ。行こう」
「わかった」
 レノレノはさっと構えると、魔力を乗せて弦を爪弾いた。この音が、スヴェンに届くように。
「人質を取って言う事を聞かせようとする卑怯者め。ボクの弟子を返してもらうよ!」
 レノレノの演奏で威力を増した浄化魔法が、真っ黒な瘴気に覆われた王宮にぶつかっていった。




 熱にうかされて、ぼんやりとした視界の中。そばにいてくれる人の気配に安堵する。
 見飽きた自室、そのベッドの傍で、シャララランと綺麗な音がする。フライパンの柄を長くしたような形のそれは、彼の故郷で作られた伝統的な楽器らしい。
「妖精族はね、嘘はつくかもしれないけど、一度交わした約束は破らないよ」
 ホントだよ、と水玉模様の派手な衣装を着た、泣き笑いメイクの道化師は真面目に言う。
「キミが救けて欲しい時、ボクが必ず、救けに行くからね。約束するとも。スヴェンは、一人ぼっちじゃないよ」
 ベッドの中で苦しい時、彼はいつも僕の頭を撫でて、そう言ってくれた。


――― 約束するよ、スヴェン。