第九幕・第五話 若村長と前哨戦


 ジャイプルを通過して十日目。俺たちはついに、王都シャンディラの手前までたどり着いた。
 いまいるのはダーブズという衛星都市で、立派な城壁に囲まれている……はずだった。
「ボロボロだな」
 たぶん、攻城兵器が使われたんだろう。街を囲む城壁はあちこちが崩れ、城壁の内側も、火災で焼け野原になっていた。
 ここを過ぎれば王都シャンディラはすぐそこで、最終防衛ラインだったのだ。必死の抵抗がうかがえる。
「カタルシス!」
 俺は念入りに浄化をしてまわり、浄化玉くんがはまった石碑を置くたびに、鎮魂を祈った。
「リヒター様、斥候が戻ったようです。本営にて公爵代行閣下がお呼びです」
 伝令からメッセージを受け取ったガウリーに促され、俺は石碑の前から立ち上がった。
「わかった。すぐに行こう」

 破壊しつくされたダーブズの町の中でも、おそらくエルフィンターク軍に利用されたのだろう広場に、いくつもの天幕が張られていた。その片隅には、壊れてボロボロになった天幕資材が積み上げられている。
(逃げるのに必死だったろうな)
 あれはエルフィンターク軍の物だ。シャンディラで瘴気が発生したので、慌てて占領地を放棄して逃げたのだろう。
 瘴気に巻き込まれたのは、従軍していた貴族とその私兵が多く、王国騎士団は半分くらい助かっている。つまり、シャンディラでの処刑イベントを見物・警備していたか、そうでなかったかの違いだ。シャンディラの外で撤収の指揮を執っていた騎士団長が助かって、熱狂した貴族たちの残酷な遊びに付き合わされていた副団長が巻き込まれたと聞いている。
「聖者殿がいらっしゃいました」
「入ってもらって」
 衛士の敬礼に手をあげて応えながら、俺は内側に持ち上げられたカーテンをくぐって本営の天幕に入った。
「お待たせしました」
「いいのよ。あなた一人に慰霊を任せてしまっているんだもの。ご苦労様」
 地図が広げられた大きなテーブルの向こうで、サルヴィアが微笑んだ。ここにいるのは、サルヴィアとジェリドと従者のリオン、俺とガウリー、そしてハワードさんをはじめとするブランヴェリ公爵家の騎士が五名。
「ハワード、始めてちょうだい」
「はっ。では、斥候が持ち帰った情報の共有から」
 今日はしっかり姿が見える騎士隊長のハワードさんが、地図の一点に指示棒を指した。
「ここから半日ほどの距離、聖者殿に浄化してもらった範囲までは、障害物は存在しません。街道も壊れておりませんので、直進できます。街道周囲にも、魔獣及びアンデッドはおりません」
 ただ……、とハワードさんは眉間にしわを寄せて続ける。
「瘴気の濃度が尋常ではありません。浄化玉に込めた魔力が、二日ともちません」
 公爵家の騎士たちや、後発隊を含めた冒険者たちにも、浄化玉への積極的な魔力提供をお願いしてはいるが、それはいまのところ目立った戦闘がないから成立しているようなものだ。いざ戦闘が始まったら、戦闘に使う彼等のマナを浄化玉にまわす余裕はないだろう。
「長期戦は無理だな。ヒットアンドアウェイができればいいけれど、その逃げ場の保持も難しい。俺が完全に浄化に徹して、直接戦闘に参加しないのならば、話は別だが」
「ナンセンスね」
 俺の仮定を、サルヴィアは一言で切り捨てた。まあ、そうだろうな。俺が環境を維持して、みんなでペチペチ削るのが一番安定するが、何年経っても終わらないだろう。それだけ、アンデッドに対する神聖魔法と、それ以外の攻撃とは効果が違うんだ。
「まずは、シャンディラの城壁まで近づくことが目標ですが、この城壁付近に、高濃度の瘴気を放つ者が確認されております。強い敵性とみて間違いないかと」
「門番かしら?」
「おそらく。そして、周囲から集められた、ヒトだったものたちである可能性も」
 ハワードさんの見解に、誰とも知れない唸りが複数湧く。
 何千人、何万人分のアンデッドが、俺たちをシャンディラに入れないよう立ち塞がっている。それを、遠征隊だけでなんとかしようというのだ。
「さすがに、初戦からのゴリ押しは無理だぞ」
「わかっているわ。まずは、敵を見定めることから始めましょう。それまでに、後方からの受け入れを急いで整えて。全面攻勢に備えて、万全にしてちょうだい」
「「「はっ」」」
 サルヴィアが命じたのは、もちろん後発隊や兵站の輸送に関することもそうだが、つまり、入り込んでいる邪魔者を早々に消せってことだ。
「どうやるんだ?」
 俺がコソコソとジェリドに耳打ちすると、賢者殿は優雅に微笑んでみせてくれた。
「さしあたって、最前線の浄化をおこなう聖者殿に同行してもらおうかと」
「丸投げされた……」
 瘴気の中に置き去りにするいい方法ないかなと考え始めたが、ジェリドに真顔で呆れられた。
「冗談ですよ。これ以上、貴方に負担を強いては、そこの聖騎士殿に怒られます」
「え?」
「こちらにお任せください。我々の方が、手馴れておりますので」
「お、おう」
 ジェリドって、きわどい冗談も言うんだな。ちょっと意外だった。
「そんなことより、ノアくんの好物で、白いぽんぽんと黒いしわしわが入っているお肉がぽろぽろの料理、とはなんでしょう? ぽんぽんとしわしわが野菜だというのは、聞き取りのすえ、理解できましたが」
 クソ真面目な顔でノアの好きな食べ物のことを聞くな。
 ぽんぽんは魔素カリフワワ、しわしわは魔素冬キャベチのことだよ。それに塩漬けしたブゴア肉を細かく刻んで、一緒くたに煮込んだシチューのことだ。あのチビッコ魔王は甘いお菓子が好きだし、エルマさんが作った料理は美味しいってなんでも食べるけど、俺の雑な料理でも意外と食べるんだよなぁ。


 サルヴィアやジェリドが、俺の知らない方法で後方を整えおわると、俺たちはいよいよ王都シャンディラの城壁が見えるところまで歩を進めた。あまり長くはいられない、決戦と言っていい。
「……なんですの、アレ」
 俺は先に見ていたから驚かないが、サルヴィアをはじめ、それを初めて見た騎士や冒険者たちは、動揺を隠せなかった。
「あれ、全部骨だよ」
「…………」
 サルヴィアが絶句したのも、仕方がないだろう。王都シャンディラを囲う城壁の、その十メートルくらいはありそうな高さを越えて、白い山が二つできていた。
「門番は、デカブツが二つと、強そうな騎士が一人。騎士は……たぶん、ゴドリーだ」
「ディアネスト王国騎士団長……」
 唸るようなサルヴィアの声に、俺も苦々しく頷いた。ゴドリーは王家のごたごたの中で頭角を現した騎士で、騎士団内ではガルシャフ派の筆頭だったらしい。スタンピードのせいで、近衛騎士団以外が壊滅状態のディアネスト王国騎士団を、かなりのスピードで立て直しかけていたが……。
「浄化玉のことを考えないで浄化すれば、空の瘴気も掃える高さまでいける。今日が曇りでなければ、お日様の下で戦えるはずだ」
「雨が降りそうな曇りだったら?」
「そん時は、キャロルお手製の聖水雨を降らせてやる。瓶詰三十本ぐらいの量を使わせてもらうけどな」
 クックック……。このために、流水魔法を練習したからな! メメントモリに代わる、お手軽神聖属性大魔法だ!
「……。リヒター、また聖者がしてはいけない笑顔になっていましてよ」
「気にしないでくれ。サルヴィアだって、努力の成果が見えるかもしれないと思うと、嬉しくなってしまうだろ」
「それは否定しませんけど」
 俺は先頭に進み出て、スタッフオブセレマを構えた。これが、開戦の合図になる。
「女神アスヴァトルドを讃えよ! カタルシス!!」
 城壁を越えるほどの空間が一気に浄化され、さっと明るい日差しが届く。

フオォォォォォォ……

 それが悲鳴であれ、怒号であれ、うすら寒い鳴き声だった。
 地響きを伴ったガラガラザラザラという音は、まるで山崩れのようだ。
「出たぞ。こっちで何て言うか知らないが、がしゃどくろ・・・・・・だな」
 大地から上半身を起こした巨大な骸骨は、積み上がっていた骨の集合体だ。それが二体、城壁の前に陣取っている。肋骨の辺りまでしかないので、機敏に動き回ることはなさそうだが、あの長い腕と大きな手は厄介だ。
「では、先制攻撃といたしましょう」
 サルヴィアが短剣杖を構え、静かに呼吸を整えた。長い髪が浮き、ドレスの裾がはためいて、横に立った俺にも凄まじい魔力の高まりがわかる。
「不浄を弾く炎の鉄槌を! ヴァルカン!!」
 天空から落ちてきたのは、『ハンマーフォール』の鎚とは比べものにならない、まさに神の鉄槌を思わせる、黄金色に燃える巨大なハンマーだった。それが、まずは右側のがしゃどくろを叩き潰す。
 バラバラになった骨が、再度集まろうともぞもぞしているようだが、地震のような揺れに耐えた騎士たちが、それを許すはずもなく突撃していく。その間にも、再度呼吸を整えたサルヴィアが、鋭く短剣杖を振る。
「ヴァルカン!!」
 再びの鉄槌を、左側のがしゃどくろは手をあげて防ごうとしたが、その両手ごと圧し潰された。大勢の冒険者たちが、対アンデッド用の素材で作った武器や、キャロルが作った聖水をまとわせた武器を振るう。
「お疲れさま」
「はぁ、緊張しましたわ」
 キングヒポポタンクの角で作られた短剣杖のおかげで、魔力を無駄なく大魔法に使えるようになったサルヴィアだが、その手は少し震えている。きっと、脚もガクガクになっているだろう。
「ジェリド、閣下を護っていてくれ」
「お任せください」
 サルヴィアをジェリドに託した俺は、ガウリーを連れて城門に向かって歩き出した。
 浄化範囲の中にも関わらず、濃い瘴気を噴き上げる人影が、そこにある。
「元騎士団長だそうだが、ずいぶん落ちぶれたもんだ」
 ボコボコと地面から現れるリビングアーマーは、ディアネスト王国軍の物と、エルフィンターク王国軍の物が混ざっている。着用者も仕えるべき主も失った、中身のないボロボロの鋼たちだ。
「好きなのは外側だけで中身はいらないなんて、鎧フェチって噂は、本当なんだな」
「神官見習いごときが、身の程をわきまえよ」
 金属同士がこすれ合うような、耳障りな声だった。
「我こそが騎士団長。我こそが国軍である」
「ワンマンアーミーを気取ったところで、所詮は門番だからなぁ」
 噴き上がる怒気と瘴気をせせら笑い、俺は長杖を構えた。
「メメントモリ!!」
「!?」
 一瞬で爆砕していくリビングアーマーたちのむこうで、ゴドリーの重い腰が上がった。