第八幕・第七話 若村長と道化師との契約


 一晩野宿した後、ジャイプルの城壁をぐるりと半周して本隊に合流した俺たちを、サルヴィアとジェリドがコッケ達を連れて迎えてくれた。
「おかえりなさい! 無事でよかったわ」
「本当に、無事に帰ってきていただけてよかった。申し訳ありません、私の見通しが甘かったばかりに……」
 顔を青くして恐縮するジェリドは、俺とサルヴィアが初めて北の森でリッチに襲われた時のような洗礼を、今回受けたのだ。
「北の森でノアくんが大型魔獣を倒すのを見ていたのに、まったく理解できておりませんでした。ここが私の常識が通じない、魔境だと」
「気にすんな。俺たちも、はじめはそうだった」
「そうよ。誰でも同じ事を経験するわ。無事だったのだから、良いといたしましょう?」
 特に、俺を死なせかけ、部下への責任を感じるサルヴィアの言葉は、実感がこもっている。
「ジェリドに予想できなかったことを、ここにいる誰かが予想できたか? あんなものが出てくるなんて、誰にもわからなかったじゃないか」
「私も、あんなにでっかいダンプウーズは見たことないぞ」
 俺のフォローにメロディも乗ってくれて、なんとかジェリドを励ますが、どうにもこの賢者殿は引きずりそうな予感がする。あとで癒し隊ノアを派遣するとしよう。
「それはそうと、そっちに犠牲は? 怪我人はいないか?」
「さいわい、金鶏や冒険者がいち早く異変に気が付いたので、軽症者が何人かでた以外は、全員無事に退避することができました。その怪我人も、サルヴィア嬢のポーションで回復しています」
「いまのところ、疫病も発生していないわ。たぶん、シームルグが護ってくれているんだわ」
「そうか、それならよかった」
 金鶏とシームルグにも、あとでちゃんと礼を言っておこう。
「ただ……」
「どうした?」
 眉をひそめて言いよどんだサルヴィアだったが、言いにくいことをちゃんと伝えてくれた。
「確かな情報ではないのだけれど、あのヨシュアたち一行が行方不明なの。リオンがユーパの町から北に帰らせたはずなのだけど、昨日ジャイプルの城壁内で見たって言う冒険者がいるのよ」
「えっ、それって……」
 あの悪ガキどもは、大人の言う事を聞かずに戻ってきたってことか。
「ですが、城壁外に退避した中に、彼等はいませんでした。ブリーフィングにも参加していない彼等ですから、退避合図を知りません」
「……巻き込まれた、か?」
「プトロス川の方に逃げられたかもしれませんが、確認はとれていません」
 俺は額に手を当てて、溜息をついた。己の間違いを反省して、忠告に従っていれば、少なくともここで臭い死に方をしないで、大人になれたかもしれないものを。
「……後味は悪いが、仕方がない。再調査で、痕跡が見つかるかもしれないし」
「ええ。そう思うわ」
 サルヴィアの同意に、俺は頷き返した。切り替えていくしかない。
「俺たちからも、報告したいことがある。レノレノ、話してくれ」
「うん」
 一晩たってメイクもいつもと変わりないレノレノは、まだ平和だったころのディアネスト王国であったことを話し始めた。

 スヴェンが元気になってマハム邸から退いたレノレノは、今度は王族の女の子……つまり、王女様に芸を披露することになったそうだ。
 彼女の名はアイナ。ディアネスト王国の第三王女で、当時十二歳の、溌剌とした気性の女の子だったらしい。ただ、彼女の場合、その性格に体の方がついていかない質で、すぐに疲れて熱を出し、床に臥すことが多かったらしい。
「彼女の夢は、騎士として国の役に立つことだったよ」
 自分よりも体が弱かったスヴェンが、学校に通えるほど回復したことを知ったアイナは、自分にも不可能ではないと、素直に療養をするようになったのだとか。
 そんなアイナの慰めは、レノレノの芸と、葦毛の若い牝馬アシだった。体調の良い時はアシにまたがり、また城下に行くときも、必ずアシに馬車を曳かせたそうだ。
「ボクが最後に彼女たちに会ったのは、スタンピードが起こった直後くらい。ボクは、アイナ殿下に逃がしてもらったんだ。聡明な殿下は、王都まで魔獣が来てからでは遅いと思ったんだね」
 レノレノはその後、セントリオン王国に渡ったので、アイナ王女たちがどう過ごしていたのかは知らないそうだ。ただ、サルヴィアが警告していたにもかかわらず、ディアネスト王国が『永冥のダンジョン』を放置していたのか、その理由を明かしてくれた。
 サルヴィアの警告通り、スタンピードの予兆はあったが、『永冥のダンジョン』を有するバルザル地方の領主が隠蔽工作をしていたらしく、その実態はほとんど中央に伝わっていなかったそうだ。どうも、代々討伐費をちょろまかして、ダンジョンの魔獣間引きを怠っていたらしい。
「王様が即位する時に、後ろ盾になった一派の貴族らしくてね。バルザル地方には、あまり強く言えなかったみたいなんだよ」
「なるほど。そういう原因だったのですね」
「『永冥のダンジョン』の入り口は人里から離れているそうだから、最新の情報もない状態では、命令でもない限り、冒険者も行きたがらないでしょうね」
 ジェリドもサルヴィアも、杜撰な統治に呆れている。
 スタンピードでダンジョンから溢れだした魔獣の勢いはすさまじく、ディアネスト王国の南半分は、ほぼ魔獣に蹂躙されたと言っていい。討伐に向かった王国軍は壊滅。アイアーラたちS級冒険者が何年も頑張って、王都シャンディラの向こう側に、なんとか緩衝地帯を築くことができた、というのが実情だ。
 さいわいと言ってはなんだが、そのおかげで王都シャンディラは魔獣被害から免れ、アイナ王女も無事だった。だが、エルフィンターク王国に攻め入られ、亡国の姫となってしまった。その結末は、彼女の家族と同じ……。
「アシは、人間から姫様を護りたかったんだな」
「っ……たぶん」
 声を詰まらせるレノレノに、俺も深く同情する。あの馬の異様な強さの源は、主人に対する愛情と忠誠からだった。瘴気のせいでアンデッドになってしまった後も、主人の無念に寄り添っていたに違いない。
「でも、キミのおかげでダンプウーズに食べられちゃう前に、きちんと滅びることができた。無念だったとは思う。だけど、これ以上は……。礼を言うよ、ありがとう」
「レノレノのように悼んでくれる人がいるのだから、彼女たちも、もう安らいでいるだろうよ」
「エヘッ、そうかな。……そうだといいな」
 泣き笑いメイクの道化師が、ほっとしたように微笑んだ。この先で、同じようなことが、確実にあと一回はあるとしても、ひとつずつ乗り越えていくしか、すべはないだろう。
「俺が必ず、スヴェンのところに連れて行く」
「ありがと……うん、ありがとう。頼りにしてるよ。ボクも、できるだけ手伝うからさ」
 よっし、言質とったぞ。
「……あれ? どうしたの? ボクなにか変なこと言った?」
「またリヒターが、聖者がしてはいけない顔になっていますわ」
「レノレノ殿、彼をただのお人好しだと見くびってはいけませんよ」
「えっ? えぇっ!?」
 サルヴィアとジェリドを交互に見るレノレノの肩に腕をまわし、俺はにっこりと笑顔を見せた。
「しっかり手伝ってもらうからな。もちろん、最前線・・・でだ」
「エッ!? あ、あの……ボクは、ね? ほら、道化師であって……」
「そうとも。人を笑顔にする道化師だ。ほら、俺はこぉんなに笑顔になった。それを、やっぱりなし、なんて言ったら、悲しくて泣いてしまうな。それは、道化師の沽券に係わるんじゃないか?」
 なー、っと俺が視線を向けたのは、こっちを困惑の面持ちで見上げているノアだ。
「れろれろ、できないの? たー、ないちゃう?」
「ぁうぅっ……!? こ、この人、悪魔だ……」
「失礼な。俺はただの農民だ」
 慎ましい暮らしをしていた農民だからな。使えるものは、なんだって使うぞ。
「お、王都シャンディラまでだからね!? スヴェンに会うところまでだからね!?」
「十分だ。超優秀な道化師が仲間になってくれて、とても嬉しいよ。歓迎する」
「な、なんだか、どんどん堀を埋められていく気がするよ!?」
 ついでに『永冥のダンジョン』まで付いてきてくれたら、もれなく高級魔獣素材ゲットのチャンスなんだがな。まあ、そこまで無理強いはしないさ。
 気分屋な道化師レノレノを引き留めておこうとするほど、俺も欲張りじゃない。必要な時だけでも味方にいてくれれば、本当に十分だ。


 具体的な懸念のひとつだった世紀末アンデッドたちだが、交易都市ジャイプルを墓標とすることができた。聞いて驚け、あのトゲトゲ装備は、ディアネスト王家の伝統らしい。文字通り尖ったセンスだが、『フラ君』の時はどうだったのか気になる。
「特に描写はありませんでしたわ」
「そうか。なんだかちょっとホッとした俺がいる」
 直接見て、直接戦った俺は、強敵を退けることができて、いまは力が抜けているのだが、統治責任者とその参謀が頭を抱えている。
「問題は、これをどうするかなのよねえ」
「困りましたねえ。一朝一夕での解決は、難しいかと」
 サルヴィアとジェリドが困っているのは、めちゃくちゃになったジャイプルの処理方法だ。
 下水施設を占拠していた巨大ダンプウーズは、自分で壊した都市に圧し潰されたが、そのせいで分裂して動き回っているらしい。とんでもない生命力だ。
 地下が崩落したせいで、無傷で残したかった地上の大部分は崩壊・沈下しており、調査の為に入ることすら危険が伴った。
「だからと言って、放置しておくわけにもいかないの。犯罪に使われる可能性が高いわ」
 ダンプウーズは死体を食べるし、廃墟をねぐらとして、ならず者が利用することも考えられる。
「瓦礫の撤去とダンプウーズの掃討も急務ですが、ひとまず立入禁止にして、河川から完全に切り離す工事をしなければなりません。地下水も豊富なので、水脈を掘り当てられるのを阻止することはできませんが、少しでもダンプウーズに供給される水分を減らすのです。同時に、ダンプウーズから発生する疫病が、運河を通じて他の地域にまで波及することを防ぐ効果もあります」
 ジェリドの提案は必要なものだったが、そこに費やされる費用と時間を考えると、俺もヤバいと頭を抱えたくなる。
「悪い。きっと、市場で詰まった排水溝を通すために、水流魔法を使ったせいだ」
 あそこでダンプウーズを刺激しなければ、もうちょっとやりようがあったかもしれない。知らなかったこととはいえ、申し訳なさで胃が痛い。
「リヒター殿のせいではありません。貴方が言ったことですよ。あんなに巨大なダンプウーズがいたなんて、誰にもわかりませんでした」
「うぅっ……」
「それにね、リヒター」
 サルヴィアが扇を口元に当てて、こしょこしょと耳打ちしてきた言葉に、俺はあっさりと開き直った。
「……そう言えば、そうだったな」
「でしょ?」
 ああ、そうだった。
 俺はメロディに付き従うホープの姿を視界から追い出し、もうこのことで自分を責めるのをやめた。
 勝手にやってくる不運を、人間がどうこう出来るはずがないのだから。