第八幕・第六話 若村長とジャイプル奪還戦・後編
スタッフオブセレマのおかげで、十全な攻撃力と効果範囲を発揮するメメントモリだが、いかんせん、俺本人が凡庸な農夫なので、抵抗されると支えきる体力に不安がある。魔王の分身体であるノアほど魔法に馴染みがあるわけでもなく、エリート神殿騎士だったガウリーのようなタフネスがあるわけでもない。
ターンアンデッドは、相手の方が強いと弾かれることがある。だから、数撃ちゃ当たるの精神で、連続で叩きこみ、さらに単体指定から範囲指定にしたのが、メメントモリだ。 「がんばれ! がんばれ!」 「ぐぎぎぃ……ッ」 ノアの応援があるから頑張っているが、少しでも気を抜くと吹っ飛ばされそうだ。クリティカルで即死させられなければ、相応のダメージが多段ヒットで入るメメントモリは、俺が攻撃を受けるか、抵抗されて集中が切れるとキャンセルされ、そこで消えてしまう。だからこそ、ガウリーに護ってもらっているのだが、とにかくこの馬の強いことといったら、尋常じゃない。 チャリオットに繋がれたままでは壊れた塀を越えられなくて、神聖魔法によるダメージを受けながらも、大きな蹄を何度も叩きつけ、噛み付こうとしてくる。その度に、ガウリーの剣や盾が火花を散らしながら弾いているが、執念ともいえる攻撃は一向に衰えない。 (二発でも削りきれないか……!?) 一発分くらいは温存しておきたかったが、背に腹は代えられない。撤退するにしても、援軍に牽制してもらわないと、むこうの脚が速くて追いつかれる。 「ヒィイィーーーーン!!」 「もうっ!」 俺のキャストタイムをカバーする為にノアの魔法も飛んでいるが、ほとんど威力が減殺されてしまっているようで、ひるむ様子もない。俺はもう一度しっかりと魔力を練り直し、三回目のメメントモリを放った。 「いい加減に、消えろぉ……ッ!」 ばつんばつんと両腕が抵抗に震え、長杖を手放してしまいそうになるのを、歯を食いしばって耐える。 だがその時、青い炎が灰色の巨躯を不気味に包んだ。鬣が伸びて、こちらに振り下ろす蹄がさらに大きくなったように見えた。 (ここからさらに本気モードなのか!?) 冗談じゃない、と思った瞬間、ガウリーの体がふらついた。 「ライオンハート!」 ガギィン、という音と共に、体勢を立て直したガウリーの盾に蹄が振り下ろされる。 「ぐっ……ッ」 あれは高位のアンデッドや悪魔などが使用するという、俺が『テラー』と認識している魔法に違いない。コープス伯爵のような、独特のオーラによる恐怖付与よりも効果が高いと、俺はガウリーに教わっていた。この魔法への抵抗に失敗すると、シュリーカーの絶叫をまともに浴びて死んだ神殿騎士のような死に顔になるらしい。 「エクストラヒール! ガウリー、下がれ!」 吹き飛ばされはしなかったが、膝をついてしまい、盾越しにもすごいダメージが入ったように見えた。腕が折れていたとしても、いまので治ったと思うが……。 「リヒター様!」 メメントモリをキャンセルしてしまったので、これ以上はもう打つ手がない。 「撤退する。屋敷を通り抜けて、反対側の……」 そこまで言いさして、俺は空を見上げた。誰かに呼ばれた気がした。 「サンダーバード?」 大空に、力強く羽ばたく翼があった。 「コッケコッケコォォォーーーーー!!!!」 普段より少し低い鳴き声と共に青紫色が走り、閃光と轟音が、空気を震わせた。 ッバリバリバリバリドドドドォォーーンンン!!! 「ッ……!」 俺はノアを、ガウリーは俺を、抱えこむように地面に伏せた。それでも、耳の奥がキーンとして、髪の毛や肌がチリチリパチパチする。 「リヒター、無事!?」 「メロディか!?」 屋根や塀の上を走ってきた長身美女が、俺たちのいる中庭にひょいと降りてきた。 「退避命令だ! このまま町の反対側に抜けて!」 「えっ、反対側?」 それはまだ倒していないオークゾンビがうじゃうじゃいる中を突っ切るという事なのだが、俺たちはメロディに急かされるままに走った。 「話はあと! ヤバいモンが出てきた! 逃げるぞ!!」 中庭から屋敷を抜けて通りに飛び出すと、かなり先から軽快な弦の音が聞こえてきた。 「レノレノ!? あいつ戻ったんじゃ?」 「いいから走れ! レノレノが敵を止めてくれるから!」 先行するレノレノが立ち止まらなくてすむように、俺はマナの残量を全てつぎ込んで、城壁の外まで力任せに浄化した。 メロディがノアを小脇に抱えて走り、俺とガウリーがそれを追う。だが、なにか走りにくい。 「はぁっ、はぁっ、おいっ、揺れてないか!?」 「そうだよ! やっべぇモンが地下から出てきたの!」 はぁはぁひぃひぃいいながら走り、南の大門に続く市場に到着した時、それは排水路から噴き上がってきた。 「なんだぁっ!?」 汚い色をしたスライムと言えばいいのか、とにかく濁った粘液っぽいものが大量に地表に現れ、その辺で動かなくなっているオークゾンビを取り込み始めた。 「きゃーっ、くっしゃいぃ!」 「ひいぃぃぃっ!!」 脇腹も喉も脚も痛くて、もう走れないと思いつつも踏み出した俺の足は、揺れる石畳に滑った。 「どわっ」 「リヒター様っ!」 すっころんだ俺を助けようとガウリーが足を止めるが、すぐそこに、どろりとした汚水が迫っている。 「逃げろ、ガウリー!」 「コッケコッケコォォーー!」 粘液の表面にバチバチバチッと雷が走り、俺とガウリーは野ネズミのようにサンダーバードの両足に掴まれて空中に浮かび上がった。 下を見下ろすと、ノアが魔法で空中に出したらしい漆黒の道を、メロディがオリンピックの陸上選手のような速さで走っている。地表に溢れた汚水は、その辺にあるものを手当たり次第に飲み込んで、建物にすら覆いかぶさっていく。 「こっちこっちぃ!」 レノレノが飛び跳ねている城壁の外の草むらに着陸した俺たちは、開いたままの城門の向こうを、恐る恐る眺めた。 「あれは、一体何なんだ?」 「ダンプウーズだよ。それも、見たことがないくらいでっかい奴」 「!?」 息を弾ませて漆黒の道から降りてきたメロディは、ノアをおろしながら、うんざりとした声で説明してくれた。 「放置されたゴミ溜めや下水にいる、スライムの一種。疫病の付与や装備の腐食をしてくるけど、体力は多くない。都市部に住む、駆け出し冒険者の金稼ぎ相手だね。都市衛生に関わるから、討伐に褒賞や補助金を出している自治体も少なくないよ」 「ゴミ溜めで育ったスライムが、こんなにデカくなるのか……?」 いくらなんでもデカすぎだろうと思ったら、普通サイズに戻ったサンダーバードを腕にとまらせたガウリーが首を横に振った。 「いえ……普通なら、ここまで大きくなる前に分裂します。おそらく、ジャイプルが特殊な環境だったのでしょう。運河が張り巡らされた大都市だったことと、瘴気に当てられたことで、ここまで大きくなったのかと」 「それプラス、餌だよ。あいつ、オークゾンビを引き寄せて、餌にしていたんじゃないかな」 「……なるほどな」 それが、ジャイプルにオークゾンビばかり集まっていた理由か。 「たー! あのおんましゃんだよ!」 ノアが指を差したのは城門の向こう。汚水が蠢く街道を爆走してくる影がある。 「うっそだろ。どんだけバケモン体力してんだ……」 青い炎の鬣をなびかせ、灰色の馬がチャリオットを曳いて走ってくる。 「あれは……アシ? まさか、そんな……!」 「レノレノ!?」 思わず城門にまで走りだして、ダンプウーズに飲み込まれそうになっている馬を確認したレノレノは、悲鳴を上げ損ねたかのように喉を鳴らした。 「アシ! なんてことだ! 殿下はどうした、アシ!?」 「レノレノ、あのデュラハンの馬を知っているのか?」 「デュラハン!? キミは、あの馬の騎手を見たのか!?」 がしっと肩を掴まれ、必死なピエロ顔に迫られた俺は、勢いに呑まれてコクコクと頷いた。 「え、うん。女騎士だった。長い金髪の……」 「そんな……」 その時、悲痛ないななきが響いた。馬の巨体が半分近くダンプウーズに絡みつかれ、壊れたチャリオットにしがみついた鎧姿の女の頭が、悲しそうに馬を見上げている。 「お願いだ。このままじゃ、ダンプウーズに食べられちゃう! そんなのあんまりだ! あの子たちを眠らせてあげてくれ。もう、苦しまなくていいように、女神さまのお慈悲を……!」 お願いだ、と跪いて俺に縋るレノレノの様子に、俺は頷いた。なにか、事情があるんだろう。 「俺の魔法が抵抗で弾かれないように、サポートしてくれ」 「っ……! わかった!」 高い音が優しく弦を震わせるスローテンポな曲を聞きながら、俺は続けてマナポーションを飲んだ。それでも、すぐにメメントモリを撃てるほどは回復しない。 (アイアンメイデンでなら出来た。きっと出来る) 俺のメメントモリに三回耐えたあのデュラハンを送るのに、試したことのないテクニカルなやり方を行使しようとするのもどうかと思うが、たぶん、これが一番いい方法だと思う。馬と、騎手の、両方を、それぞれに。 (人の望みを、叶えてくれ) 俺は、スタッフオブセレマを構えた。 「女神のご加護を。眠れ、安らかに。ダブル・ターンアンデット!!」 覚悟していた不発や抵抗はなく、俺の魔法はあっさりととおり、いつもの光が溢れる。そして、道化師が奏でる葬送曲が満たされている中で、ダンプウーズが掴んでいた獲物は空のチャリオットだけになり、そしてすぐに、飲み込まれていった。 「……やった……やっと倒せたよ。本当にもう、強すぎだっつの……」 俺は長杖を抱えながら、その場に座り込んだ。こうして疲れ果てるほどの、困難な戦いだったが、素直に勝利を喜ぶ気にはなれなかった。 「…………」 俺たちが見たのは、ダンプウーズに呑まれて崩壊していくジャイプルの街並みに向かって、静かに弔いの曲を奏で続ける、泣き顔を見せない道化師の後姿だった。 |