第八幕・第三話 若村長とオルフェウス


「そこまで。いい加減に、自分の立場も理解したのではなくて?」
 扇で顔半分を隠したサルヴィアの登場で、ジェリドはやわ首を刎ねる前に剣を収めて、ヨシュアの頭からも足を退けて下がった。
「閣下、まだこれからというところなのですが」
「ジェリド、わたくしは彼らの説得はお願いしたけれど、あなたの手や評判を汚すことまでは許可していないわ」
「そうだとも。そんなつまらない事に労力を使うよりも、ノアと遊んでやってくれ」
「! せ、聖者殿が、そうおっしゃるならば……!」
 サルヴィアの後ろから、黒い長杖片手にシームルグを肩に乗せて姿を見せた俺に、ジェリドだけでなく、周りを取り囲んでいた冒険者や騎士たちまで畏まる。
(いやぁ、なんだこのローブ。威圧しすぎじゃないの?)
 メロディから渡されたローブは、啓示の聖衣クロスというらしく、白地に金と濃紫の刺繍が施された、ゴージャスな逸品だ。色々ボーナスが付いているらしいが、サルヴィアが目元を覆ったので、俺の心の平穏を保つために詳細は聞かなかった。
 そのサルヴィアは、深い群青色のドレスに毛皮のケープを羽織り、広げた扇の奥から若い冒険者たちを眺めおろしている。
「ヨシュア殿、祖国を取り戻したいという志はともかく、自分と周囲とを正しく見られる目を養ってからになさいな」
「うっ、ぐっ……!」
 顔面も下半身もびしょ濡れな情けない格好のままで、ヨシュアはもぞもぞと這いつくばった地面を睨みつけている。
「この地に潜入したい工作員に、いいように操られているようでは、まだまだですわよ」
「は……?」
 本当に気付いていなかったようで、ヨシュアだけでなく仲間の少年少女も、驚いたようにサルヴィアを見上げた。それをサルヴィアは、いっそ哀れなものを見るように見下ろす。彼等には、彼等を導いてくれる、まっとうな大人がいなかったことを、本当に憐れんでいるのだ。
 俺は目深にかぶったフードの下から、気弱そうな表情を張り付けた青年を油断なく眺めた。その正体は、扇動者にして国家を相手取れる腕利き工作員。
「道化師レノレノ、俺たちになんの用だ。事情があるならば、聞こう」
 俺たちの頭脳であるジェリドや、メロディが仕えたライオネルと並ぶ、『ラヴィエンデ・ヒストリア』のチート級キャラ、道化師レノレノ。俺は、彼と敵対したくない。
(味方にジェリドがいるとはいえ、レノレノは危険すぎる!)
 レノレノは人心掌握と情報工作に優れていて、道化師という隠れ蓑を駆使して国際的なパワーバランスをひっかきまわすトリックスターだ。ゲームだった頃は、味方になっていれば、どんな国難があっても反乱が起きないが、敵にまわると、あっという間にこちらの防御を崩されてしまった。
「ディアネスト王家は滅亡し、その係累、郎党も、瘴気に呑まれて生存していない。それ以外の国か大神殿の手先なら、スヴェン・マハムのふりをする必要はない。……あんたは権力者に義理立てするよりも、民の安寧を選ぶはずだ」
 道化師という職業から推測されるように、レノレノは基本的に楽しいこと、相手が笑ってくれることをするのが好きだ。もちろん、自分が面白いと思うから情報工作をして盤面を狂わせてくるわけだが、それこそ自分や民に害をなす権力者の鼻を明かすという側面が強い。
 俺はレノレノを、諜報員というより義賊の類だと思っている。ならば、魔境を浄化しているサルヴィアに近付いた事も、スヴェンに化けた事にも、何かしらの意味があるはずだ。
「もう一度言う」
 押しつけがましくないよう、されど侮りを受けないよう、注意深く声音を調整しながら、俺は膝をつかされた青年に向かって口を開いた。
「あんたほどの人が、なぜこんな無謀を冒した? 事情があるならば、聞こう」
「……もう少し奥まで、もつと思ったんだけどなぁ」
 気弱そうなスヴェンの顔が、泣いているような笑っているような、怖気を催させる表情に歪んだ。
「まさか、ボクの名を知られているとは思わなかったよ。噂の聖者は、噂以上の人間だったらしい」
「どんな噂かは知らないけれど、俺一人でスヴェンがレノレノだと気付いたわけじゃない」
「ご謙遜を」
 すっと立ち上がったスヴェンは、縛られているはずの両腕をぱっと開いてみせた。まわりは驚いていたが、道化師レノレノにかかれば、縄抜けなど簡単だろう。
「事情を話したら、ボクをシャンディラまで……スヴェンの所まで連れて行ってくれる?」
 俺はサルヴィアと顔を見合わせ、頷いた。
「いいでしょう。彼をご案内して」
「はっ」
 サルヴィアの指示でブランヴェリ家の騎士たちが慎重にレノレノを囲むが、レノレノは足取り軽く自分を縛っていた縄を飛び越えて歩き出した。
「まっ、待て、スヴェン!? なぜお前だけ許されるんだ!? はやく私を助けろ!!」
 地面近くから叫ぶヨシュアの声に、レノレノは足を止めると、くるりと振り向いた。
「あのねぇ、坊ちゃん。ボクは何度も忠告したでしょ? ここはお屋敷の庭じゃない、他人様の領地だって。あの鳥も男の子も、ヤバいよって。やめときなさいよって。それなのに、魔法で攻撃したの? シンジラレナーイ!! んん〜、ゴシゴシゴシ、ゴシゴシゴシ」
 どこからともなく、手品のように布を取り出し、大袈裟な身振りで顔をごしごしと擦る。そうして現れた顔の変わりようが、どれほどのものだったか。ヨシュア少年たちの表情を見れば、察しが付く。長いおさげの髪をむしり取ると、その下からは癖の強い金髪がぽんと現れた。
「アハッ、助けろだって? スヴェンのお母さんと弟を殺したジューク公爵家の人間を、助けるわけないじゃーん! 死んで詫びて? キャハッ★」
 スヴェンの顔の下にあったのは、泣き笑いメイクのピエロ。コープス伯爵ほどの白塗りではないが、鼻の頭を赤くした、十分にインパクトのある顔面が、ばちっとウィンクをする。
「なっ、そ、そんな……!」
「あぁっ、そんなに驚いてもらえるだなんてっ! ボクの女優人生で、今日が最高の日ですっ! ありがとうございます。ありがとうございます! すべての人に感謝をっ! んまっ♥ んまっ♥」
 あっちこっちに投げキッスをしながら、指先だけでひらひらと手を振り、笑顔を振りまくレノレノ。お前さん、女だったのか? いやまぁ、どっちでもいいけど。
「ああ、ボク? 妖精族だから、性別ないよ」
「あっ、そうなんだ。っていうか、ナチュラルに心を読むな」
「んっふー★ 聖者くんって、面白いね!」
「そりゃどうも」
 俺はとりあえず、悪魔の如き道化師と敵対することを避けられたようだ。

 口の中からカードをベラベラと取り出してみせたり、体のあちこちから造花を取り出してみせたりして、レノレノはノアに大変気に入られていた。
「れろれろしゅごい!!」
「れろれろれろれろ〜★ ボクはレノレノ。なぁ〜めちゃ〜うぞぉ〜★」
「きゃはははは!」
 ノアがピエロを怖がらない子でよかった。
「ノア、道化師の芸が面白かったら、おひねりをあげるものだ」
「お、ひねり?」
「楽しませてもらったお礼だ」
「おれい! わかった!」
 ノアはさっそく自分のリュックを下ろし、なにやら吟味している。レノレノもその傍らにしゃがみこんで、首を傾げながらノアの手元をのぞいている。
「うーん、れろれろ、なにほしい?」
「ボクはみんなの笑顔が欲しいなぁ。あっ、おひねりってね、小銭なことが多いかな。小銅貨ある? ボクもねぇ、そのマジックバッグみたいな物は、いつか欲しいと思っているよ。だから、おかね……」
「わかった。めろり、これでかえる?」
「ちょ、ぉ!?」
 小さなリュックから、巨大な毛皮がずぼっと引き抜かれたので、レノレノがごろんとひっくり返るように尻餅をついた。うん、誰でもびっくりするよ。
「わぁお、ローズタイガーの毛皮じゃないの! えっ、魔石もつけてくれるの? さっすが、ノアたん。すごぉー! えぇ、どこで手に入れたのさ?」
「かいじぇるのだんじょん!」
「おうふ。あそこ、そんなに発展したのか」
 メロディでさえ視線が遠くなった。
「オーケイ。承った。ノアたんの頼みだし、いい感じのマジックバッグ作ったるわ。レノレノ、素材性能デザインその他要望聞く。カモン」
「エッ!? アッ、ハイ……」
 まさか本当にマジックバッグを、しかもフルオーダーメイドで作ってもらえるとは思わなかったらしいレノレノは、若干素のような声を出しつつ、ノアと一緒にスキップしながら、メロディについて部屋を出ていった。
「……レノレノの話、本当だと思う?」
 紅茶のおかわりを口に運びながら、サルヴィアの目が俺とジェリドを見る。
 交渉が決裂してレノレノが逃げる為に振りまくデバフ対策として、メロディからレジストアイテムを借りていたが、とりあえずは平和的に話し合いが終わった。
 応接室に残ったのは、俺とサルヴィアとジェリド。ガウリーとエルマさんは扉の外に待機、リオンはジェリドの指示でヨシュア少年たちの対応中だ。
「嘘ではないと思う。本当のことを、全部しゃべっているかどうかはわからないけど」
 啓示の聖衣のフードを外しながら俺が言うと、ジェリドも賛同してくれた。
「リヒター殿と同意見です。額面通りに受け取るのは危険だと思いますが、少なくとも、我々を騙そうとしている気配はありませんでした」
 道化師レノレノが、『フラ君U』の攻略対象であるスヴェン・マハムの、音楽の師であることは、本当だった。それも、スヴェンがまだ十代になる前の、体が弱い頃の話で、いつもベッドで退屈しているスヴェンの為に、両親が道化師を手配したことが発端らしい。
 レノレノの芸を見て笑顔が増えたスヴェンが、レノレノに影響されて、竪琴を始めたそうだ。
 やがて、丈夫とまではいかないが、健康になったスヴェンが学校に行くようになると、レノレノはマハム邸から退いた。それでも、スヴェンとレノレノの間には、師弟というほど堅固ではなくても、道化と客という関係を越えた、友情と呼べそうな絆が出来ていたそうだ。
「スヴェンの母親と弟が殺されたのって、確認できないよな?」
「いまは無理ですわね。ミリア姉さまなら、なにかご存じかしら?」
「当時を知る者がほとんどいませんし、シャンディラを攻略してから関係資料を探すことになりますね」
 ヨシュアの実家であるジューク公爵家が宰相の座を狙っていたらしく、スヴェンの家族がその争いに巻き込まれたようだ。ただ、その後もスヴェンの父ダリウスは宰相の座にいたし、ディアネスト王国滅亡の際には、王族もろとも処刑されている。
「じゃあ、スヴェンも……」
「処刑されたかどうかは、わかりませんわ。でも、シャンディラにいたのなら、間違いなく瘴気に呑まれているはず」
「生存は、絶望的かと」
 俺は唇を噛んで、ため息が漏れないよう、拳で額を拭った。
『可哀そうなスヴェンを迎えに行って、もう歌わなくていいって、休んでいいって言ってやらなきゃ。それが、師匠の役目だよ』
 レノレノは、自分の目的を、そう語っていた。それはつまり……。
「アンデッド化したスヴェンが、シャンディラにいるってことか!」
 旧王都シャンディラ攻略に追加された、胸の痛くなるミッションに、俺は拳を握りしめ、暗澹たる気持ちが湧くのを抑えきれなかった。