第八幕・第四話 若村長とジャイプル奪還戦・前編


 道化師レノレノが奏でる音楽は、人々に希望と活力を与えると同時に、猛り狂う魔獣を眠らせ、眠れないアンデッドの動きを止めることができる。
「だけど、ちょっとでも瘴気の中にはいられないんだよ〜。ボク、人間よりもそういうのにビンカンで★」
 レノレノの種族である妖精族というのは、アイアーラたちマグヌムの祖先である巨人族と同じ、古代種と呼ばれる、とても珍しい種族らしい。滅多に人前に姿を現さないので、ジェリドでも文献の中でしかその存在を知らないとか。
「それで、俺たちと一緒に行きたかったのか」
「そういうこと★ ボクも役に立てるよぉ〜」
 俺と並んで宿の廊下を歩くレノレノは、ホッピングのように、びよんびよんと体を弾ませて前に進むが、どういう身体構造と体力を持っているのか謎だ。一流ダンサーでもその動きを続けるのは難しいと思うぞ。
「それなら、ぜひ力を貸してもらいたい。ちょうど、この先を攻略するのに悩んでいたところだ」
「この先? たしか、ジャイプルだったっけ?」
「そうだ」
 俺たちが今いるユーパの町から、さらに南下すると、ディアネスト第三の都市ジャイプルに至る。北のマルバンド地方と、火山帯がある北東のヘイリン地方の、両方からの街道が繋がり、さらに傍を流れるプトロス川から水路が引かれ、船での輸送も可能になっている。陸路と水運の要衝で、先の戦争でも激しい戦闘が起こったと聞いている。
「瘴気の濃さもさることながら……オークゾンビに占拠されていてな」
「ぐへぇっ」
 大都市から溢れ出ている、豚頭のゾンビの群れは、ちょっとどころじゃない衝撃だった。ゴブリンゾンビも混じっているようだが、ジャイプルの城壁の内側もあの調子なら、一万匹以上いると予想されている。
 この世界には、いわゆるゴブリンやオークという二足歩行する魔獣が各国にいるが、その生息場所は森や山岳地帯など、人里からは少し離れている。それなのに、魔境に入ってから一匹も見かけなかったのは、すべてゾンビ化して都市部に流入していたからのようだ。
「スタンピードで強い魔獣に追い立てられ、南側に生息していた分も北側に流れたはず。それなのに、北の森でも一匹も見なかった。……平野部にいた人間は瘴気でグールになり、森の中にいたオークたちはオークゾンビに」
「腐った者同士が共喰いかぁ」
 その可能性が一番高いと、俺たちは考えている。オークゾンビたちもまわりに大型の魔獣が多くなりすぎて、まともに討伐する人間がいない森の外に出てきたのだろう。
「関わるの面倒だし、放棄したら? 迂回して進むとか、いっそのこと燃やしちゃうとか」
「それも考えた。でも、不利益の方が大きい」
 一万匹のオークゾンビを放っておいて先に進み、後ろから襲われたらたまったもんじゃない。もちろん、人間の軍隊のように正確な襲撃は難しくても、数が多すぎる。まだ相対していない、指揮官的なモンスターだっているかもしれない。そこにシャンディラ方面から世紀末アンデッドたちに挟み撃ちにされたら、俺たちは確実に負ける。いくら俺やノアの魔法が強くても、そうとうな死傷者が出るに違いない。
 また、陸だけでなく川の要衝、交易のハブという事もあり、ジャイプルに残された統治記録や資料は重要な情報源だ。そういうわけで、この地を治めていたはずの貴族の屋敷を含め、行政庁舎や各ギルドの建物は、無傷で確保しておきたい。町を燃やすことは、できるだけ避けたいのだ。
「そういうわけで、レッツ・オークゾンビ狩りだ」
 俺は作戦会議が行われる会議室のドアを開け、サルヴィアたち首脳陣と、実働隊の冒険者の代表たちが居並ぶ中に、レノレノを招き入れた。

 対アンデッドという戦いは、基本的にマイナスをゼロにする行為であり、利益というものがほぼない。
「クレイジー! クレイジーだよ、本当に!」
 作戦会議をやった日から、レノレノはずっとこんな調子だ。言いたいことはわかるが、仰け反りながら額に手を当てたり、両腕を広げて首を振ったり、とにかく動作が大袈裟なので、かえってたいしたことがないように感じる。
「れろれろ、できない?」
 ガウリーに肩車で運ばれているノアに見下され、レノレノの動きが錆びついたようにぎこちなくなる。
「ンッ!? ンン〜、出来ないとか出来るとかそういうアレはソレなんだけど、ボクはすごい道化師だから、出来ちゃったりするんだなぁ、こ・れ・が!」
「ほんと!? れろれろしゅごい!!」
「アッハハ〜★ おっほっほほ……ハァ」
 レノレノ、道化師なら笑顔を忘れるな。笑顔だ。
「安心しろ、数が多いだけで、ものすごく強い奴がいるわけじゃない」
「現在確認できないってだけで、これからものすごく強いのが出てくるフラグでしょ!?」
「よくわかっているじゃないか。気張ってくれよ」
「おぉ〜ん、おぉ〜ん」
 大きなハンカチを出して泣き真似をするレノレノだが、足取りは軽くステップを踏んで、もつれもよどみもない。本当に、真意の読めない人物だと思う。
「あのー、さも当然のようにノアくんが一緒なんですけど、いいの? いえいえいえいえ、すごいお子様だっていうのは、感じていますけどね? ふふ〜ん、ボクにはわかりますよ。ええ! じ・つ・は、人間じゃないでしょ、この子? なぁ〜んちゃって……」
「ああ、魔王だからな」
「あぁ〜、魔王ね。なるほど、なるほど。魔王……はぁぁ〜〜〜っ!?!?!?」
「俺の神聖魔法が効かない相手には、ノアの魔法を撃ってもらうのが一番早いんだよ」
 特に、『ターンアンデッド』と『メメントモリ』は、アンデッドにしか効果がない。ハルビスで襲ってきたハエ女のような化物に対して、俺には有効な手が無いんだ。
(あの時は、本当に危なかった……)
 旧国境検問所での、コープス伯爵とハエ女との戦いを思い出すと、いまだに胸が少しドキドキする。強敵と戦ったスリリングな体験だったが、それとは別に付随するおびただしい数の死体のことは思い出したくない。冷えた空気に染み付いたカビ臭さの混じった腐臭は、忘れたくても鼻が忘れてくれない記憶になってしまったが。
(でも、これからオークゾンビの臭いも記憶に追加されるのか。あー、憂鬱だ)
 ユーパの町から進軍した俺たちは、攻城部隊を引き連れて、ジャイプルの堅牢な城壁を見上げた。かつてここを攻めたエルフィンターク軍は、どう攻めたのだろうか。そして、籠城したディアネストの民は……。
「……。行くぞ」
「はっ」
「おー!」
「がんばりまぁっす★」
 先頭突入部隊は、俺、ガウリー、ノア、レノレノの四人。ジェリドと金鶏は騎士たちと道中の重要拠点の確保。サルヴィアとシームルグは冒険者たちと後詰。メロディはサンダーバードと待機して、遊撃可能な予備戦力だ。
「カタルシス!」
「陽光の輪舞!」
 俺の浄化に続き、レノレノがバンジョーに似た弦楽器を掻き鳴らす。
「ヒャッホゥ★」
 よく張った高い音が軽快な音楽を紡ぎ、城壁の外と城門の上でのそのそと動いていたオークゾンビたちの動きが止まった。
「突撃!」
「イエーイ★」
「いえーい!」
 走り出した俺たちの後ろで、前進を指示するジェリドの号令が上がる。騎士たちが城門を確保し、その辺にいるオークゾンビの始末は冒険者の役目だ。
 俺たちは、道中の敵には構わない。ひたすら、ジャイプルの町の中心を目指し、動きが止まったオークゾンビたちの間をすり抜ける。
「ぷぅーっ、くしゃいよ、たー!」
「ノア、ガウリーにしっかり掴まっていろ!」
「ぜぇっ、ぜぇっ。すんごい数なんですけどぉ!? 元々オークの都市だったのかな!?」
「一万匹以上という予測も、当たっているようですね」
「はぁっ、はぁっ……オークキングゾンビが、いないことを、祈れ!」
「いやぁぁぁ! 神様、お助けぇ〜!」
 俺たちは腐った豚頭の巨体が林立する石畳の道を駆け抜け、指定されたポイント、城塞都市の北側にある市場にたどり着いた。
「おえっ。しぬっ。こんな、中で、ぐふぇっ、歌えない……っ!」
 売り物は何もなかったが、掃除をしないままで排水が滞っているのか、水が腐った臭いが充満していた。
「なんとかする」
 俺は長杖を片手に、排水溝を探した。
「……あった。ピュアー!」
 リューズィーの村では魔素水の浄化が出来なかったが、普通の水が腐っているくらいならなんとかなる。
「詰まった水も流れてくれるといいんだがな。貯水放流!」
 水流に魔力を乗せて、水路を削る勢いで詰まりを粉砕しながら突破させる。水流魔法はコントロールが大変だけど、勢いだけはあるからな。
「どうだ?」
「うぐぇっ。ちょっとは、マシかな」
 ぱたぱたと鼻の前で手を振ったレノレノは、あらためて楽器を抱えた。
「耳塞いで。いくよぉ〜★」
 俺たちは言われたとおりに耳を塞ぎ、レノレノの歌を聴覚から追い出した。
「悪戯妖精の即興曲!」
 細かに変調する超絶技巧を披露するレノレノだが、それを俺たちは聞いてはいけない。……もっとも、俺は聞いても何にもならないだろうけど。
「「「「ウオォォォォォォォォォォ!!」」」」
 城壁に反響して、何重にも響くオークゾンビの雄叫びに続き、足元から地響きが伝わってくる。
「来るよ!! ボク知らないからねー!?」
「上出来だ。こっちに来い!」
「ノア殿、足止めをお願いします」
「うん!」
 レノレノが俺の側で頭を抱え、ノアがガウリーの肩の上から魔法を飛ばして、ぞろぞろとやってくるオークゾンビたちを、片っ端から転ばせる。
「あぁっ! は、反対側からも来た! ひいぃっ!」
 自分の歌のせいで激怒状態になったオークゾンビの大群を目にして悲鳴を上げるレノレノを放っておいて、俺は硬質な輝きを持つ長杖を構えた。
「リヒター様、建物の上からも降りてきます。少し早いですが、ここが限界です」
「わかった。マナ励起。魔力増強」
 俺は無尽蔵に魔力を吸い取っていく新しい杖に、さらに力を込めた。枷が外れたように広がっていく効果範囲をきちんと指定して、どんどん膨れ上がる力を解放する。
「メメントモリ!!」
 メロディが俺にくれたスタッフオブセレマは、悟りの聖杖では十分に活かしきれていなかった俺の魔力を呑み込み、燃費に相応しい範囲と威力を俺にもたらしてくれた。いままでは、自分を中心として、半径五メートルもないくらいしか攻撃できなかったのに、この瞬間、半径五百メートルは収めていた。さすがにカタルシスほどの効果範囲には届かないが、これなら十分に大魔法と言えるだろう。
 町中にいたオークゾンビたちが俺たちに向かって無闇に突き進み、その足元からの光を踏んでは塵になって消えていく。
「す、すっご……」
「……よし、魔法の効果があるうちに、次の地点に急ぐぞ」
「はっ」
「れろれろ! おいてっちゃうよ!」
「ま、待ってよぉ〜!」
 まだ浄化の光が放たれている石畳の上を、俺たちは次の地点に向けて走り出した。