第七幕・第一話 若村長と新しい年


 夜間や雨の日は冷えるが、雪も降らず、小春日和が続いている。故郷の冬に比べたら、ずいぶん穏やかな気候の新年を、俺はブランヴェリ公爵領で迎えた。
 難民キャンプではサルヴィアとフィラルド様のあいさつに続いて、酒と食事が振る舞われ、リューズィーの村の住人も一緒に新年のお祝いに参加させてもらった。
 秋の内に大量の木材が確保できたこともあって、『大地の遺跡』の難民キャンプは、もはやひとつの集落と言っていいほど、立派な家が立ち並んでいた。サルヴィア曰く、「壊れないから」という理由で、遺跡の石壁などを挟み込むように木材で囲み、断熱材などはないが、吹き曝しとは比べものにならない、十分に冬が越せるほど温かな家を建てることが出来たのだ。
 俺は久しぶりに、フーバー侯爵領から一緒に来た仲間たちと話す機会に恵まれた。彼等も畑仕事を中心にキャンプに貢献し、順調にディアネストの難民たちと打ち解けていっているようだ。
「あー、奴らなら、やりかねねえな」
「とすると、いよいよ金に困っているんだろうな」
 ひそひそと声を落としたのは、フーバー侯爵家の経済事情を怪しんでのことだ。俺がキャロルに交際の打診があったらしいことを話すと、さもありなんと彼らは頷いた。
 キャロルの実家であるフィギス男爵家は、領地こそ持たないものの、製塩事業を営んでおり、たいへん裕福だ。いままでの領地を没収され、新しい領地はいまだ瘴気の中というフーバー家にとって、社会的に抹殺されたキャロルを引き取ることで、フィギス男爵家がいい金蔓になると思ったのだろう。
「あんなにいい子を、鬼畜の嫁になんぞできるか。冗談じゃねーぞ」
「まったくだ。フーバー家のバカ息子にはもったいねえ!」
 現在キャロルは、水神リューズィーの女神官として、難民キャンプでも浄化玉への魔力の補充や水魔法を使った支援に従事している。もちろん、水撒きという重労働をときどき代わってくれる、健気に働く可愛いお嬢さんを、農民のおっさんたちが応援しないはずもない。
「サルヴィアお嬢様といい、キャロルちゃんといい、頑張っている若い子が報われるといいだがなぁ」
「あんなに優しい子たちが苦労せにゃならんとは、世の中間違っとる」
 おっさんたちのしみじみとした呟きと憤りに、俺も深く同意するのだった。

 さて、のんびりとした新年の空気の中、サルヴィアとジェリドは、それぞれエルマさんとリオンを伴って、ブランヴェリ公爵領を留守にしている。主にセントリオン王国側の商会と交易する話を付ける為であるが、もうひとつ、重大な事柄を調べる為でもある。
 それは、俺たちがガウリーにはめられていた隷属の首輪を外せた直後にさかのぼる。
「「メラーダですって!?」」
 サルヴィアとジェリドが声を揃えて驚愕したのは、自由になったガウリーがもたらした、大神殿の秘密を聞いたからだ。
「メラーダ……って、なんだっけ? 聞いたことはあるんだが……果樹だったか?」
「ご禁制の植物だねえ。覚醒剤の材料って言えばわかる?」
「ああ」
 首を傾げた俺に、メロディが教えてくれた。覚醒剤っていうと、コカノキみたいなもんか。あれは葉っぱからコカインを精製するらしいが、メラーダは実や若芽から、そういう物を取り出すらしい。
「医療用には使われないのか」
「それは、同じご禁制でも、アブモダの方かな。アブモダは精製が面倒くさいけど、メラーダとは逆に、鎮静効果があるんだよ」
 ふーん、アブモダはケシや大麻みたいだな。
「アブモダは、国によっては管理されて生産されています。セントリオンでも、麻酔薬の材料として、専門の農場で厳しく監視されながら栽培されています。もちろん、取り扱える者も認可制です。免許取得の審査は厳しいですよ」
「だけどメラーダは、この辺の国では、どこでも全面的に禁止されているわ。中毒性が高いのもそうだけど、死を恐れない狂戦士を作れてしまうのよ」
「あー……」
 それは国としては不味い。
 死を恐れない兵士は、戦闘をするうえで魅力的ではあるが、薬漬けでは戦いが終わった後の始末にも困る。それに、当事国が互いにそんな兵士を戦場に投入したら、お互いが死に絶えるまで戦いが終わらないだろう。それは政治的取引が求められる、国家間戦争のやり方ではない。共倒れになる可能性が高いからだ。
「そもそも、健全で理性的な兵士の方が有用です。薬漬けの兵士ばかりで戦線を維持するなんて、敗戦が見えた末期と言わざるを得ません」
 眉をひそめるジェリドに、俺は前世での歴史を思い出して頷いた。絶望的な戦場ほど、そういう薬物の需要が高いだろう。
「なんでそんなものを、大神殿が? 栽培するからには、使う奴や買う奴がいるってことだろ?」
「地下取引により、高値で流通している噂はありました。実際に、メラーダ中毒と思われる死体が見つかったこともあります。……その元締めが大神殿だとは知りませんでしたが、いざとなれば、神殿騎士にも投与するつもりだったのでしょう」
「大神殿、どこを向いているんだよ」
 ガウリーの返答に、俺は呆れるばかりだ。いったい誰を仮想敵として、そんなものを準備しているんだ。
「エルフィンタークのロイデム大神殿だけの話なのかしら?」
「いえ、これは聖地にも調べを入れなければなりません。セントリオンにも、メラーダ流通の噂は、出たり消えたりしていたのです」
「で、そのメラーダの現物はどこに?」
 大神殿が関わっているのだから、かなり大規模な産地でも隠蔽できてしまっているのだろう。ということは、置いておく場所も、よく考えられているに違いない。
 ガウリーは苦り切った顔で、その産地を告げた。
「メラーダの栽培地は、旧ディアネスト王国南東部、シューガス地方です」
「んなっ……」
 思わず扇を取り落としたサルヴィアは、絶句したまま額に手を当て、よろよろとソファに腰を下ろした。まさか、自分の領地にあるとは思わなかったのだろう。しかも、ディアネスト王国時代からあったという事は、ディアネストの大神殿も関わっていた可能性が高い。
「どの辺だ?」
「『海の遺跡』がある方だね。『永冥のダンジョン』があるバルザル地方の東隣だし、魔獣も多いと思う。王都を攻略してからじゃないと、難しいと思うよ」
 メロディに教えてもらい、俺は大体の見当をつけた。南の海岸の方か。
「そうか、それで神殿は躍起になっているんだな。俺が瘴気を浄化していったら、神殿が隠すよりも先に、サルヴィアに気付かれる」
「そうです。こちらに派遣された神殿騎士の任務は、リヒター様を探し出すことですが、その処遇については隊長のバルツァー卿に一任されていました」
「キャロルやガウリーを殴っていた、あのパワハラキレ芸おじさんか」
 先に殺しておいてよかった。
「スタンピードで栽培地に入れなくなって、メラーダの価格がさらに上がってうはうはだったのに、瘴気が発生してそれどころじゃなくなったってことか」
「なにもなければ、戦勝国として、しれっとディアネスト王国の大神殿を乗っ取っていたでしょうしね。そうすれば、利益はまるごと自分たちの物になるもの」
「話がデカくなりすぎて、ついていけねー」
 ギブアップと俺が両手を上げると、ジェリドが小さく微笑んで「お任せください」と引き取った。
「そちらは、私やサルヴィア嬢の守備範囲です」
「そうね。リヒターは、他の神殿騎士や神官に見つからないように、こっそり浄化を進めてちょうだい。もう少し暖かくなれば、魔獣目当ての冒険者もたくさん来るでしょう」
「わかった」
 護衛はノアとガウリーに任せるからな。森の中も、開いたばかりの南北路を中心に、どんどん浄化してしまおう。

 天気のいい日は森の浄化に行ったが、雨が降っている日と降りそうな曇りの日は、俺は眠そうなノアを抱っこしながら、村で魔法のお勉強会をすることにしている。
「……難しいですわ」
「ええぇ……」
「おそらく、根本的な考え方の違いだと思います」
 ガウリーに苦笑いされ、俺も頭を抱えた。たしかに、キャロルやガウリーの魔法は、多分に信仰心が含まれていて、俺からするとなぜそうなるのかという疑問が出てしまう。
「リヒター様にとって、女神の力はすでにそこにあるもので、それを知覚することによって、顕現されるのでしょう。対して我々は、信じているという割には、女神の力というものを確固として知覚できず、あやふやなまま……。そう、目を開けて剣を振るうのと、目隠しをして剣を振るうくらいの違いがあるのではないでしょうか」
「むむむ……」
 ガウリーのいう事も、一理あるような、ちょっと違うような……。そもそも俺は、シームルグの力を借りた事はあっても、女神の力をあてにしたことはなく、女神さまの祝福があるといいな、というお気持ち程度しか載せていないはずなのだ。
(たぶん、俺には前世の知識がベースにあって、実現させたいものに現状を近づけようと魔力を投入する……つまり、より具体的な過程と完成のイメージを持っている、ということが大きいんだろうな)
 キャロルたちは、まず信仰心があって、魔力を通じて女神にお願いするという、実にふわっとしたプロセスなのだ。彼女たちにとって、瘴気は瘴気という悪であって、マナのように自分たちの益になる物ではない、だから女神さまに消してもらうようにお願いする、という具合だ。
「おかしいですわ。リヒター様から知識がないから教えてほしいと言われたはずなのに、わたくしたちが実践的なことを教わっています」
「うん、ごめん……」
 いや、俺もだいぶ神話や教義に関しての知識は、キャロルとガウリーに教えてもらったんだよ。ただ、それがまったく魔法の実技に役に立っていないだけで。
「回復魔法による怪我の治療と一口に言っても、骨や筋肉のつき方、体液循環の概念、内臓の正確な位置、皮膚の構造まで……貴族の家庭教師でも知らない事ばかりだと思いますわ。どなたに教わりましたの?」
「えー……っと、その、シームルグから?」
 前世での一般常識です、なんて言えるか。俺が知っていることだって、そんなに専門性が高いことじゃなくて、せいぜい高校生物とか家庭の医学とか、そのあたりだ。
 だけど、この世界では、人体構造なんて医者か死体を見慣れた戦士か、あとは物好きな芸術家くらいしか知らないらしい。回復魔法を使う神官でも、俺ほど詳しい人はほとんどいないとか。まあ、解剖なんて、あんまりしないもんな。
「神聖魔法に至っては、もはや私の常識を超えています」
「わたくしも、さっぱりわかりませんでしたわ」
「二人そろって、そんなにきっぱり言わなくても!」
 二人にとって、神聖魔法はもっとも女神の威光が輝く魔法らしい。たしかに俺には女神の加護があるが、それだけでオリジナルの魔法が作れるかっていうと、そんなわけあるかって言われた。
「『メメントモリ』なんて、究極魔法ではございませんの?」
「あんなちょっとの範囲しかできないのに、どこが究極なのさ。それに、使い勝手が悪いし、消費も激しすぎる。改良の余地あり」
「では、『アイアンメイデン』は? たしかに『コフィン』からの発展形だとは……言われなければわかりませんが。なぜあんな極悪を形にしたような神聖魔法が存在するのですか?」
「俺に聞くな。できちゃったんだから、女神に聞け」
 まったく、なぜ俺が理不尽なもののように見られなきゃいけないんだ!
「公爵代行閣下が、リヒター様はおかしいと言われていた意味、分かった気がしますわ」
「神々の加護を宿していらっしゃるのだから、そうでない人間からは不可思議に思えても、仕方がないのかもしれない」
「くっ、それを言うな、ガウリー」
 ああ、そうだよ。俺には能力アビリティ【女神の加護】があるよ。いまはそれに、【水神の加護】が追加・・されちゃってるけどな!! 代わりに【幸運】が消えた・・・。ちくしょう……。
「リューズィーには感謝している。しているけど……!」
 俺の安穏スローライフが、どんどん遠ざかっている気がするのはどうしてだ!?