第五幕・第七話 若村長と罪なき咎人


 『大地の遺跡』に転移で戻った俺は、ぽつねんと待っていたノアに抱き着かれた。
「たー!」
「ノア。フィラルド様のところに行っていていいって言っただろ」
 むぎゅう、と俺の脚に抱き着いて離れないノアを、俺はよいしょと抱き上げた。
「ごめんごめん、寂しかったな。さ、ちょっと忙しくなるぞ。ノア、まずは手を洗って、ご飯にしような」
「うん! ごはーん!」
 ひっつき虫になったノアを抱えたまま、俺は遺跡の扉を開けて、難民キャンプへと歩いていった。

 まだアイアーラたちは戻ってきていなかったようで、俺はジェリドと、港町ウィンバーから戻ってきたらしいサルヴィアを捉まえることができた。ついでにフィラルド様にも同席してもらって、俺はアイアーラたちと別れた後の、事件のあらましを話した。
「なるほど。不可解ですね。彼等はどちらかと言うと、リヒター殿ではなく、そのガウリーという男を始末したがっていたようにみえる」
「そうなんだ」
 俺はノアのほっぺについたパンくずを取ってやりながら、ジェリドに頷いた。
「俺の捜索も、たしかに任務だったんだろう。だけど、それにしては人数が少なすぎる。半個小隊なんて、冒険者や見習い騎士ならまだしも、神殿騎士がとる正規の作戦にしては、違和感がある」
「むしろ、神殿からその部隊が、まるごと厄介払いされたような気がしなくもないわ。リーダーの横暴なこと、ありえませんわ」
 サルヴィアも皿の上の肉を切りながら、ぷんぷん怒っている。
「それで、その二人を保護したんだ。リューズィーの村の、礼拝堂に転移しているはずなんだけど」
「ええ、二人とも無事なようです。取り急ぎ、エルマさんに対応していただいています」
「ありがとう、ジェリド」
「どういたしまして」
 にっこりと微笑むジェリドの精霊がメッセンジャーをやってくれるおかげで、俺たちはずいぶんスムーズに事を進められるな。
「とりあえず、森の南端まで道筋を通すことはできました。アンデッドも魔獣も多いので、倒木の撤去や整備をはじめ、安全に行き来するにはまだ時間がかかりそうですが、一応の成功とみてよろしいかと。これが、森の出口にあったミルバーグ村の資料と、その先の街道の町リルエルの資料です」
 俺は【空間収納】に放り込んであった紙束を、レンバーさんに渡した。
「リルエルは、たしかに伝令に使う町だと聞いている。ありがとう、リヒターくん。ご苦労だった」
「恐れ入ります」
 フィラルド様に労わられると、公務をこなした感があるな。やったことは、どっちかっていうと、公共事業だけど。
「そういう事なので、俺はこれからリューズィーの村に向かいます。アイアーラさんたちが戻ってきたら、あらためて顔を出しますので」
「わかった。リヒターくんたちの無事は伝えておこう」
「ありがとうございます」
 俺は留守番させられて拗ねたシームルグに頭を突かれつつ、ノアと一緒に、サルヴィアとジェリドを伴ってリューズィーの村に帰った。今後の神殿対策の参考にするためにも、二人にはいてもらった方がいい。

 エルマさんによって食事と休息を与えられ、半ば放心状態になっていたガウリーとキャロルだが、俺たちが現れたことで、土下座せんばかりに床に跪いた。そして、それに対して、驚いたように声を上げたのは、なんとサルヴィアだった。
「まあ! あなた、ジュリアナの妹ではなくて? フィギス男爵家の! どうしてこんな所に……いえ、それより、その髪はどうなさったの!?」
「は……いえ、わたくしは、もう……」
 あれっ、小柄だとは思っていたけど、この神官は女の子だったらしい。男みたいに髪が短かったし、背の高い神官と同じ格好だったから、ちらっと見ただけじゃわからなかった。
 細い肩がガタガタ震えているが、たしかに男爵家の娘が、公爵代行に詰め寄られて怯えないはずないな。
「なるほど。こちらの方も、訳ありのようですね」
「そうらしいな」
 俺はジェリドに頷き、跪いたまま俺を見上げてくるガウリーにも、首を傾げてみせた。こいつもたぶん、良いところの坊ちゃんなのだろう。

 夕方まで金鶏と遊んでくると言って、マジックバッグ片手に外に飛び出していた元気なノアを見送り、俺たちはひとまず、談話室のソファに腰を落ち着けた。
 まず、キャロルはフィギス男爵家の次女で、サルヴィアの同級生ジュリアナ嬢の実妹らしい。水魔法に関して才能があり、少しだが回復魔法も使えるという事で、貴族社会の中では、お嫁さん候補として、かなり有望株なお嬢さんだったようだ。まだ十三歳なんだけど、この世界じゃ、わりと一般的な話だ。
 ただ、いざ結婚相手を探そうとした時に難航した。はじめは伯爵家の何某から、ぜひ我が家に、と乞われて婚約していたのに、最近になって急に心変わりだとかで、一方的に破棄されてしまった。それだけでも腹立たしいのに、その後の縁談も、ことごとく相手から断られてしまったのだ。
 何かおかしいと調べたところ、最初の婚約相手の心変わり相手が王太子の婚約者……つまり、サルヴィアの妹マーガレッタで、男の秘めた恋路を邪魔する激重なヤバい女、みたいな噂を、双方から社交界に流されていたそうだ。
 結局、このままでは姉の縁談にも影響が出るし、両親にもどうしようもないと見放され、神官見習いとして実家を追い出されてしまったそうだ。
「あったまきましたわ!!!」
 扇をへし折らんばかりに握りしめるサルヴィアを、俺たちはどう宥めたらいいのかわからない。
「なんて卑劣な! なんて下劣なのでしょう!! 許せませんわ!!」
「お館様」
「だって、エルマ! こんなの、あんまりだわ! ひどいじゃない!!」
 どろどろした社交界を知っているサルヴィアだが、それでもなにより、自分の妹が加害者として関わっていることが、悔しくて仕方がないのだろう。
「あの恥知らずをぶちのめす理由が、またひとつ増えましたわ」
「お館様、お口がはしたのうございます」
 サルヴィアの言葉遣いが、たまに激しく庶民的になるのは、中身がセージなので仕方がない。
「閣下にまで、ご迷惑をおかけして……も、申し訳ございません……っ」
「そんなことないわ! わたくしの方こそ、なにも知らずにいて……さぁ、もう大丈夫ですから。ここなら安全ですわ。安心なさって」
 堰を切ったように泣き続けるキャロルを抱きしめたサルヴィアは、エルマさんに彼女を休ませるよう指示し、自分もキャロルを支えて、談話室から出て行った。
「……馬鹿みたいな話だな。たとえ家同士のものだとしても、婚約が成立したからには、結婚したとほとんど一緒だ。どうしても他に好きな人が出来て、婚約解消するにしたって、元婚約相手を中傷する噂をばら撒く必要が何処にある。浮気や不倫が正当化され、被害者が悪者にされているのに、その筋道ストーリーになにも疑問を抱かないなんて。阿呆しかいないのか」
 自分でもびっくりするくらい冷たい声が出たが、徹夜明けで戦ったせいで疲れているのかもしれない。
「善悪は別として、社交界ではそのような、一般的な倫理観から外れたゴシップが、往々にしてまかり通るものです。いかに自分を正当化できるかが大事であり、大勢を味方につけられなければ、社会的に抹殺され、生活すらままならなくなる。彼等にとって、社交界が戦場と呼ばれる所以です」
「ジェリドもそうだった?」
「どうでしょうか。結婚に関しては父に任せていましたし、私は仕事の方が好きなので。パーティーにも、仕事や親戚の付き合い以外で参加した記憶がありませんね。実行力のない義理だけで、現実を処理することはできませんから」
 そういえば、ジェリドはそういう奴だったな。恋愛に重きを置くような人が相手だと、「私と仕事のどっちが大事なの!?」って言われそうだし、迷いなく「仕事」って答えるタイプだ。
「ごめん、失礼なことを言った。これじゃあ、八つ当たりだ」
「とんでもない。相互理解には、そのような質疑も必要です。私はリヒター殿が、そういう分野に潔癖であることに、とても安心いたしました」
 ジェリドに笑顔を向けられ、恥ずかしくて顔が熱い。たしかに、浮気とかそういうのは大嫌いだけど、俺の態度は子供っぽくなかったかな。
「んんっ、それで……ガウリー。あんたの話を聞いてもいいか?」
 俺は無理やり話を変えたが、ジェリドもそれに乗ってくれた。
「私も気になります。貴方が首につけられているそれ、隷属の首輪ではありませんか?」
 うん? 首輪?
「……」
 よく見たら、ガウリーの太い首に、金属っぽい首輪がはまっていた。オシャレ防具ではなく、あまりよろしくない魔道具らしい。
「なにそれ? 逆らえないの?」
「おそらく。彼は、誰かにとって不都合なことをしでかしましたが、神殿騎士の身分を剥奪できない理由があるので、懲罰代わりに理不尽な命令を受けさせていたのでしょう。違いますか?」
「……」
 太い眉を寄せ、厚い唇を噛んでいたガウリーだったが、観念したように青い目を瞬いた。
「自分は、王都ロイデム大神殿、第八大隊隊長……だった、アイザック・ガウリーと申します」
「だった?」
 目を丸くした俺の前で、プラチナブロンドをクールカットにした、いかにもマッチョな軍人の外見をしたガウリーは、その大きな肩を落とし、身の上を語ってくれた。
 ガウリーは騎士爵の家に生まれ、自分も王国騎士になるつもりでいたのだが、たまたま適性があったので、自動的に神殿騎士に転向させられることになったそうだ。その後、真面目に修練と任務遂行に務め、三十歳になる前に大隊長に抜擢されるほどの栄達を叶えたそうだ。
(ええっと、大隊長ってことは、少なくとも佐官クラスってことかな。うわ、エリートだ)
 神殿騎士団の組織構造はよく知らないが、大隊というからには、五百人くらいの部下を率いていたってことだろう。個人の武勇もさることながら、指揮官としても有能に違いない。
 ただ、残念なことにガウリーは家庭に恵まれず、結婚はしたものの、奥方は子を生す前に事故で亡くなり、両親も相次いで流行り病で亡くなったのだとか。幸か不幸か、身寄りがなかったおかげで、その後、事件に巻き込まれた時に人質を取られることがなく、一人でひっそりと屈辱に耐えてきたそうだ。
「……」
「そうか、その首輪のせいで、肝心な部分はしゃべれないのか」
「はい。この首輪を外すには、少なくとも神官長三名と神殿騎士団長の許可が必要です」
 俺はジェリドと目を合わせ、ガウリーが見つけてしまったのが、そうとう不味い案件だったと見当をつけた。なんだその、ガッチガチな縛りは。
「暗殺しようにも、返り討ちにされそうだしな。それで魔境送りにされたのか」
「死罪となる罪をでっち上げようにも、素行が良すぎて隙が無かった可能性があります。せいぜいできたのが、大隊長職の解任」
「大神殿の外に放り出すことが出来ないほどの情報かぁ」
「これは……大当たりですね」
 ジェリドが黒い笑顔を浮かべていたが、たぶん俺も、同じ笑い方をしていただろう。