第五幕・第六話 若村長と幽霊大行進


 耳はキンキン、目はフラフラ、頭はズキズキ。繰り返し吐き気がやってきて、とてもではないが戦える状態にない俺は、ノアを抱きしめたまま、しばらく動けなかった。
(くそっ、俺自身がスタンすると、デバフの解除もできないか)
 ノアの柔らかほっぺが俺の頬にぷにんと触れてくれたおかげで、少し心に余裕が出来た俺は、静かに深呼吸をした。
「……ブレス。ヒール」
 相変わらず耳鳴りがして、自分の体の中で反響する声も、ぼんやりとしか聞こえない。でも、少しはマシになった。
「ノア、大丈夫か?」
「……」
 声は聞こえないが、頷いてくれた。
「もう少し、待ってくれ。耳が、聞こえないんだ」
 こくこく、と頷くノアは、俺の声は聞こえているらしい。あの叫び声を耐えられたのか、すごいな。
 俺は大きく息を吐いて、状況確認をするべく周囲を見渡した。納屋の中には、俺たち以外、誰もいなかった。
(あの神殿騎士は、どうなったかな)
 壁に手をついてよろよろと四つん這いになった俺は、そろりそろりと出入り口に近付いた。
「うっ……」
 納屋の扉の外には、目や鼻や耳から血を流し、恐怖の叫び声を上げた表情で固まったまま、仰向けに倒れて死んでいる、白銀の鎧姿の男がいた。
(えっぐ……音波と精神攻撃じゃ、頑丈な鎧なんて役に立たないな)
 そういえば、森の中にいるときも、時々叫び声が聞こえていた。魔獣の声かと思っていたが、シュリーカーの叫び声だったのかもしれない。
(ハイレベルな怨霊みたいだな)
 死体から漂ってくる排泄物の臭いが、俺の感覚を強制的に正常化させたようで、ようやく柱に縋りながら立ち上がることが出来た。すると、剣戟のような音も聞こえてきた。
「……ノア、これを渡しておく」
 俺は【空間収納】から、『大地の遺跡』をリターンポイントに指定した、転移スクロールを取り出した。
「俺が使えと言ったら、これを使ってフィラルド様のところに行くんだ」
「びあのにちゃま?」
「そうだ」
 ノアの声も、ぼんやりとだが聞き取れるようになってきた。よし、もう少しだ。
「たーは?」
「俺も同じ物を持っている。だから、ノアと同じところに転移できるはずだ。ノアが使ったら、すぐに追いかける」
「……ん、わかった」
「いい子だ」
 同じ物を見せたら納得したのか、ノアは大人しくスクロールを握って、俺に背負われてくれた。
 実際、『大地の遺跡』行きのスクロールは、俺とノア用の二枚しか持っていない。そもそも、スクロール自体が高い。一枚で銀貨半分もした。それでも、メロディから買ったから、品質の割に安いはずだ。
「しっかりつかまったか? よし、こっそり行くぞ」
「しー、ね」
「そう。しー、だ」
 俺は死体を踏まないように気をつけながら、素早く納屋から出て、表通りの方を窺った。
(なんじゃこりゃあ!?)
 驚きすぎて、声も出ない。武器を持ったスケルトン、鬼火を纏った首のない馬、レイスを引き連れたリッチ、などなど……いわゆるモンスターハウス状態だ。それを、数名の神殿騎士だけで持ち堪えていた。振りかざされる剣、光るスキル、突進を弾き返す盾、さらにスキルの光がばっちばっちとアンデッドを駆逐していく。
(ひいぃぃ、神殿騎士すげえ! アホほどつえぇ!)
 無理無理無理無理。こんな大群、俺じゃ死ぬ。絶対無理!
 さっきのシュリーカーの叫び声が、これだけの数を呼び寄せたんだろうか。それか、街道の方へ逃げて行った神官を追いかけた二人が、こっちに向かって引っ張ってきちゃったのか……。そういえば、逃げた神官……あ、あそこで倒れているのがそうか。うわぁ、轢き潰されたのかな。連れ戻されたけど、アンデッドにやられちゃったか。ザンネン。
(それにしても、あいつ強いな)
 一人だけ装備がぼろいのに、他の連中よりも前に出て、神官を護っている。そこで死んでいる神殿騎士の装備を出してあげたい。剣ぐらい拾っていくか。
(名前、なんだっけ? ガウリーとか呼ばれていたな)
 俺はコソコソと移動して、神殿騎士たちの後ろに回った。ようやく、話している内容がわかる程度に声が聞こえる。
「はぁっ、はぁっ……陽の女神たるアスヴァトルドさま、従順なるしもべに……」
「キャロル! こっちを回復しろ!」
「は、でもっ」
「私はいい」
「……!」
 一人で回復役を務めている小柄な神官は、やっぱり実戦は初めてなのか、あっちへこっちへと回復量の少なそうな魔法を飛ばしている。本当は目の前で護ってくれているガウリーにかけたいのに、他の神殿騎士が怖いのだろう。
(まあ、仕方がないな)
 俺はノアを背負ったまま、なんとなくその様子を眺めた。俺は元々、ここで神殿騎士たちをアンデッドたちに殺させるつもりだった。自分たちで魔境に乗り込んできたのだから、あとは自己責任というか、こちらも知らぬ存ぜぬを通せるはずだ。
(でも、なんか変なんだよな)
 俺を探すにしては深入りしすぎているし、アンデッド討伐にしては戦力が少なすぎる。偵察にしては強行だし、レベルだけなら精鋭と言えそうだけど、そもそも瘴気の浄化ができる人間が二人しかいないっていうのも、おかしな話だ。
(おかしいと言えば、陣形も……)
 ガウリーとキャロルを残して、他の連中は徐々に後退している。ここは凹型にして火力を集中させるべきだろうと思うのだが、それぞれが個別に戦場を設定しているような状態……つまり、バラバラだ。凸型の陣形は中央突破に用いるはずだが、その様子もない。
(最初から、この二人を犠牲にするつもりか)
 方角からして、森へ逃げるわけじゃなさそうだ。そろそろ、俺の浄化範囲も消える。
「ノア、銀ピカの鎧を着ている奴、わかるか? 四人だ」
「うん」
「あいつらもたぶん、スクロールか、なにかアイテムを使って逃げるはずだ。そうなったら、ノアはあいつらが持っているアイテムを壊せ。ついでに、足止めの魔法とかもできるか?」
「うん」
「頼んだ」
 俺はそっとキャロルに近付くと、背後から無詠唱でバフをかけた。
「!?」
「声を出すな。死にたくなかったら、これを使え。合図はする」
 綺麗な白い手にスクロールを押し込んだところで、俺の浄化範囲がバリバリと削られるように消え始めた。
(おいでなすった。カタルシス!)
 神殿騎士たちに気付かれるのを少しでも遅らせるために、俺はあえて狭い範囲の瘴気を浄化した。おそらく、街道を行き来している強いアンデッドだ。すごい速さで、こっちに向かってくる。
「ヒール! ガウリー、前列を薙ぎ払え!」
「!?」
 たぶん、ガウリーは俺が瘴気を浄化したことに気付いていた。だから、自分を回復させた俺の指示に従ってくれた。
「グランドスラッシュ!!」
「ターンアンデット!」
 ガウリーが削りそこなったリッチに俺がとどめをさし、すぐにスクロールを押し付けた。
「キャロル、ガウリー、使え!」
「は、はいっ!」
「な……!?」
 青い顔で返事をしたキャロルと、反射的に使ってしまって慌てるガウリーが消えると、かけたばかりの浄化範囲に、巨大な瘴気が侵入してきた。
「わぁお。世紀末デュラハンかな」
 思わず、かっこいいと言いそうになった。なんだあの、トゲトゲのチャリオットは。すごくかっこいい。しかも、取り巻きがいっぱいいる。デスナイト? ヘルライダー? 名前はわからないけど、騎士タイプのアンデッドだ。
 チャリオットを引いているのは、青い炎の鬣をした巨大な灰色の馬。すごく強そうだ。手綱を握っているのは、黒い鎧を着た……女? 腕に抱えた首は、長い金髪の娘に見える。
「なっ、て、てった……」
「ノア!」
「ふぬっ!」
 おぉ、四人分のアイテムを壊すと、足止めを、同時にやったよ、この子。地面から剣山が生えるとは思わなかったけど。
「ぎやぁぁぁ!」
「ぐああっ!」
「よ、寄るな! 来るなぁっ!」
 剣山な棘はすぐに消えたけど、鎧ごと貫かれた痛さで転んだり武器を落としたりして、近寄ってくるアンデッドに対応ができない。
「よくやった。ノアも転移するんだ」
「うん。はやくきてね」
「ああ」
 背中からノアの重みが消えると、俺は急いで悟りの聖杖を手にして、傷付いた神殿騎士たちの元に走った。そして、浄化のカタルシスと、死に返りのターンアンデットから着想を得た、範囲タイプの対アンデッド攻撃魔法を唱えた。
「メメントモリ!」
 俺の実力では、まだ半径五メートルも効果がない。だが、いまはこれで十分だ。神殿騎士たちに覆いかぶさっていた、スケルトンやグール、それに魔法の詠唱を始めていたリッチも、まとめて消滅していく。
「た、たすけ……」
「期待させて悪いな。俺、自分で確認しないと、安眠できないタイプなんだよ」
 フルフェイスな兜でなくてよかったよ。わざわざ持ってきた神殿騎士の重い剣なら、ほとんど落とすだけで、ぐちゃっと刺さるしさ。でも、抜くことを考えていなかった。四回もやるのは大変だった。
「アンデッドになって、また俺を殺しに来てもいいよ。もう一度、あの世に叩き返してやるから」
 俺って、こんなにしつこい性格だったかなぁ。
「またね」
 俺は血が付いた剣を放り出すと、世紀末デュラハンたちが俺に向かってくるのを眺めながら、転移スクロールを握りつぶした。