幕間 ある王子の将来設計


 エルフィンターク王国には、二人の王子がいる。
 側室アデリアの子、ルシウスと、オデット王妃の子、アドルファスである。この国の王位継承権は、生まれた順番ではなく、正室の子に優先されることになっており、現在のところ、十六歳の次男アドルファスが王太子として立てられている。
「サルヴィア嬢は、聖者に続き、賢者を得たか。面白くなってきたな」
 友人を執務室に迎えたルシウスは、読み終わった手紙を暖炉にくべて、クスクスと笑った。
 華やか、というより、甘い印象の顔立ちである。体格は成人男性として見劣りすることのない逞しいものだったが、母親譲りのストロベリーブロンドと、向かって右目尻の小さななきぼくろが、柔らかな雰囲気を纏わせていた。ただし、本人の性格は決して甘くはない。側室の子として、二十三年も伏魔殿の如き王城に住んでいれば、それなりの性格に育つものだ。
 見た目や地位の微妙さで舐められることが多かったルシウスは、同じような経験を持つサルヴィアに、少なくない親近感を持っていた。ただ、より親交があるのは、サルヴィアの兄たちの方だった。
「セントリオンの神童、賢者の噂はロディアス殿から聞いていたが、まさかサルヴィア嬢がかっさらうとは思わなかった」
「私だって驚いていますよ。歳が離れているし、サルヴィアが知っているとは思いませんでした」
 柔らかなソファに深く腰掛けたルシウスの前で、次期ルトー公爵ダニエルが肩を落とす。サルヴィアの、二番目の兄だ。
 ロディアスというのは、サルヴィアの一番上の兄で、二年前に祖父と父と共に、凶刃に倒れていた。その凶報を聞いたときは、ルシウスも愕然として、しばらく椅子から立ち上がれなかったことを覚えている。
「ジェリド卿が助かったのは良かったと思いますが、これで、神殿との対立は避けられなくなりました」
「王家からの圧力にこれ幸いと、ブランヴェリ家に神官を出さなかったのは神殿の方だ。いまさら権威を振りかざしたところで……ふふん、いい面の皮だな」
 ご令嬢方の前ではけっして見せない冷笑を浮かべ、ルシウスは温かな紅茶に口を付けた。
 目の前にいるダニエルをはじめ、ルシウスと年の近い高位貴族の男子は、半分以上が結婚しているか婚約者がいる。その中でルシウスは、いまだに恋人すら作っていなかった。
 王位継承順位の二番手であり、母親からもそれとなくせっつかれ、国内外の貴族令嬢から秋波を送られてはいるものの、ルシウス自身が、どうにもその気になれないでいた。というのも、ここ数年、世情が不安定なうえに胸騒ぎがして、落ち着いて嫁選びなどしている気分ではないのだ。
「御母堂と妹の様子は、相変わらずのようだな」
「ええ。まったく……血が繋がっているはずなのに、不気味で仕方ありません」
「それは僕も同じだよ。最近は、血迷っている様子なのが、アドルファスだけではないようだ」
「なんですって」
 王立高等学院に所属しているマーガレッタという娘が、ブランヴェリ公爵代行の母サーシャの不義の子であるという噂は、半ば公然の秘密となっていた。一応、サーシャ夫人が引き取った養子という事になっているのだが、色彩や雰囲気が妙に夫人と似ていることも、噂に真実味を持たせている。
 仮に噂が真実ならば、サーシャ夫人はサルヴィアを生んだ直後に、誰とも知れぬ愛人と密通し、密かに子を生していたことになる。夫人の父親である先代ブランヴェリ公爵が知ったら大激怒していたことは間違いなく、父と夫と長男が死んでから娘を呼び寄せただろうことは、想像に難くなかった。
(ブランヴェリ家の兄弟が母親を嫌うのも、当たり前だ)
 なにしろ、末弟のサルヴィアなどは、生まれてすぐに性器をもぎ取られそうになったと聞く。まったく、鬼女の所業というほかない。
 そのサーシャ夫人とマーガレッタだが、現在なぜか、王家の支援を受けて生活していた。
(忠臣をないがしろにしたツケだが、さて困ったものだ)
 エルフィンターク王家は、ディアネスト王国との戦争で陥った財政難を、ブランヴェリ公爵家を取り潰す勢いで財産を搾り取って補填することで回避した。結果として、公爵代行であるサルヴィアは、新領地の再開発に邁進することになり、王都を離れた。そして王都には、サーシャ夫人とマーガレッタが残された。
 これには多少、前振りがある。そもそも、サルヴィアは戦争に反対する立場だったが、マーガレッタがアドルファスと一緒になって開戦派にいたのだ。
 ブランヴェリ家の兄弟を疎んじたサーシャ夫人の差し金だろうが、ブランヴェリ公爵家が開戦派とみなされることに困ったサルヴィアから、ルシウスの母であるアデリアに相談が持ち掛けられたため、ルシウスもサルヴィアの反戦ロビー活動に協力していた。
 もちろん、ブランヴェリ公爵家が不名誉をこうむった論功行賞の時も、ルシウスは発表されるまでなにも知らなかった。知っていたなら、馬鹿な真似は止めろと、父王や宰相たちを止めていた。
 ダニエルによると、ブランヴェリ家の財産没収は、サーシャ夫人も想定外だったそうだ。サルヴィアが「盛大な自爆」と評していたらしいので、やり過ぎた末の自業自得だろう。つまり、一連の出来事はマーガレッタがアドルファスを動かして誘導させたものであり、その裏にはサーシャ夫人が暗躍していたのだ。
 ただ、瘴気発生という偶然が重なったせいで、自分の暮らしが脅かされるとは、夢にも思っていなかっただろう。アドルファスが急遽マーガレッタを婚約者にしたことで、王家からの支援を引き出し、一応の体面は保っているが……。
「アドルファスは相変わらずマーガレッタ嬢にぞっこんで、そろそろ学院の成績が怪しくなってきたそうだ。いきなり婚約者にしたのも呆れたが、あの入れ込みようは、常軌を逸している」
 たしかにマーガレッタ嬢は、可愛らしい見た目をしている。あのサーシャ夫人が母親ならば、その美貌もうなずけるだろう。ただ、言動が貴族令嬢として相応しいかといえば、そうでもない。サルヴィアと比べてはなんだが、垢抜けなさや、逆に妙な婀娜っぽさが鼻について、ルシウスは苦手だった。
「……宰相の息子と、魔法師団長の息子の様子が、おかしいそうだ」
「それは……」
 顔をしかめたダニエルに、ルシウスは頷く。
 王太子の婚約者に懸想する者が、絶無とは言えない。だが、それを人に知られるほど表に出してしまうのは、自殺行為だ。
「多感な十代とはいえ、息子の変わりように、親たちは怒り狂っているらしい」
「下手をすれば、一族ごと潰れますからね」
「ああ」
 おそらく、親たちの視野には、廃嫡や幽閉も入っていることだろう。
 最も恐ろしいのは、マーガレッタがこのまま王太子妃となり、やがてこの国の王妃となること、それを現国王が容認していることだ。ルシウスもアデリアも確認したが、父であり夫であるはずのグレアムは、腑抜けと言っていい状態だった。
(少なくとも、暗愚とそしりを受ける様な人ではなかったはずなのに)
 次々と身辺に伸ばされてくる魔手の気配に、ルシウスも心穏やかにはいられなかった。現在の状況へは、二年前のブランヴェリ公爵一族暗殺事件から、急速に進んできたことは明らかだ。
「この国を、内側から食いつぶすつもりかな」
「殿下……」
「すまん、卿の身内だったな」
「いえ、あれらを身内とは思っておりませんので、そこはいいのです」
 ダニエルが心配そうな顔をするのは、あくまでもルシウスの身の安全に関してのことだ。
「万が一の時は、ここをお出になるお覚悟を。御身を大事にお考え下さい」
「民を捨てていけるはずがないだろう」
 ルシウスは、腐っても第一王子だ。国全体にたちこめる暗雲を予想しながら、自分一人の安全を取れるはずがない。
 だが、祖父と父と長兄を一度に失ったダニエルは、自分の母の恐ろしさを身に染みて知っていた。
「あれらが殿下を立ち塞がる障害だと認識したならば、排除する必要があると判断したならば、必ず殿下に危険が及びます」
「…………」
 もしもそうなった時、王家の状況は、国政の状態は、どうなっていることだろう。
 国王と王太子が、王太子妃とその母親の言いなりでは、まず王妃の安全が絶望的だ。傀儡となった王や王太子が、サルヴィアを追放したように忠臣を排して佞臣を起用すれば、無茶な政策がまかり通るようなるだろう。それまでに、次代を担う貴族の若い子弟が失われていたなら、この国の組織は再生不可能になってしまう。
 だとすれば、ルシウスにとれる選択は、極めて限られてくる。
(はたして、そこまでして永らえさせる価値が、エルフィンターク王家にあるだろうか……)
 自分の住処を壊すことに、ルシウスはさほど悲嘆的ではない。ただ、そこには国民の生活がかかっており、治安の悪化や外国から攻められるリスクが絡むのだから、慎重になるのは当たり前だ。
(ディアネスト王国を攻め滅ぼした我が国を、誰が助けてくれるというのか)
 方々の隣国から領土を食いちぎられ、領主同士の内紛で酷いことになるに決まっている。いまはブランヴェリ公爵領に溢れている瘴気が、そのうちエルフィンターク王国の中心である王城から噴き出したとしても、ルシウスは決して驚かないだろう。
(そうなる前に、なるべく穏便にアドルファスを失脚させ、必要があれば、父上にもご退位いただく必要がある)
 王太子を廃することに、穏便も何もないのだが、まかり間違って周辺国を巻き込むような大事件にでもなったらと思うと、ルシウスの胃がキリキリと痛みだす。
 サーシャ夫人とマーガレッタだけを排除できるのが一番いいのだが、すでに王家の中心に食い込んでしまっている。母子を暗殺するという最終手段も選択肢としてはあるし、その道を模索することも諦めたくはないが、大鉈を振るう覚悟は持っておかねばならない。
「勘弁してほしいよ、まったく」
 ルシウスは第一王子だが、国王なんて面倒くさいものになりたいとは思わない。優秀な弟がいれば、任せておきたかった。
「まず、母上を安全な場所に。説得に応じてくれるかは、わからないけど……」
「早急に、準備いたしましょう。まずはご実家や、我が領地などに」
「頼む。僕は母上を、なんとか説得してみるよ」
 サルヴィアが領地を平定したならば、ブランヴェリ公爵領も避難先の候補に挙がるだろう。サルヴィアの侍女頭であるエルマは、若い頃にアデリアの侍女だったことがあるし、アデリアもサルヴィアのことを気に入っている。
 サルヴィアは頭も性格も良いが、なにより美しい。男であることを除けば、完璧な貴族令嬢である。秋に会った時も、苦労を感じさせない健康的な微笑みを見せてくれた。しかも、領地を順調に開拓している様子で、早々に住人を戻す計画を立て、冒険者ギルドや商人たちへ大量の魔獣素材を卸していた。
「はぁぁーーー。サルヴィア嬢が、本当に女性だったらなぁ。誰かにとられる前に、僕が一番に結婚を申し込んだのに」
「いきなりなんですか、殿下。お戯れを」
 ダニエルにはバッサリ切り捨てられたが、ルシウスは半分以上本気だった。いまでも臣下として申し分ないのだから、女でさえあったならと思わずにいられない。
(ちょっと歳が離れているからって、構うものか。あんなに有能な人が伴侶だったら、僕の将来は絶対に安泰だったのに!!)
 市井に紛れていた聖者を拾い上げ、賢者を味方につけたサルヴィアならば、一国の広さがある領地だって、見事に治めてみせるだろう。
 だが、王城に縛られた立場のルシウスの先の見通しは、手の先すら見えないほど霧が濃く、悪い予感がじりじりと胸を焦がすのだった。