第四幕・第七話 若村長と飛び立つ龍


 秋も深くなってきたころ、ジェリドは村の中を一人で歩き回れるほど回復していた。
「ただいまー! きょうねー、じぇーと、おしゃんぽした!」
 ノアとも仲良くしてくれているらしい。そう言えばノアも、ずいぶん言葉が多くなったな。
「そうか。楽しかったか?」
「うん! あのね、きんきらのどらごんが、ごーってきたから、のあが、どーんてしてね、やっつけた!」
「お、おう……すごいな」
 キンキラのドラゴン? ……あっ、ノアのリュックの中に、琥珀色のゴツゴツした皮が入ってる。ちょっと、見なかったことにしたい。
「相変わらず、この魔境ヤバいな」
「あとね、おにくもある。おっきいの、さんこ」
「わかった。そっちは明日、俺が解体するよ」
「はいっ」
 差し出された、コッケのアップリケが付いた手提げ袋マジックバッグを覗き込むと、たしかに野生の鹿ローグレが二体とブゴアが一体……小さいこれは、非ダンジョン産の角兎か。
 あまり上手くはないが、故郷で猟師たちの手伝いをしていたから、俺も多少解体はできる。塩漬けや燻製にして、余ったら難民キャンプにもお裾分けしてこよう。
「よし、それじゃあ晩御飯に行こう」
「ごはーん!」
 この村の食事は、ロータスさんとエルマさんが作ってくれている。あの微妙な味の、この村産野菜も美味い料理になるから、すごいんだよなぁ。

 翌日、ロータスさんと一緒に獣の解体をしていると、森の中から馬鹿でっかい巨人が現れたが、ノアがなにかの魔法で、すぱーんと一撃で首を刈り飛ばして終わった。
「ノアくんは、本当に強いですねぇ」
 金鶏と一緒にドロップ品を拾いに行ったノアの後姿を眺めながら、惚れ惚れとした様子でジェリドが呟く。
「あんなにちっちゃくても、魔王の一部ですからね」
「魔王……魔王なのに、あんなに強いのに、あんなに可愛いなんて……!」
「…………」
 どうもこの賢者殿、自分よりも強い上に、小さくて可愛いノアに陥落したらしい。ギャップ萌えとは、意外なツボだ。
「ジェリド卿だって、十分に強いじゃないですか。剣も魔法も使えるでしょう?」
「器用貧乏なのです。剣は騎士団長より強いわけではなく、魔法はそれぞれの属性を極めた魔法使いには及びません」
 比較対象がハイレベルすぎて、返す言葉に困る。普通、文官は剣術の強さを騎士団長とは比べないと思うんだが。
 ジェリドが習得している精霊魔法は、ほぼすべての属性魔法が使えるという優れものだ。ただ、精霊とのコミュニケーションが必要なので、常人には到底使いこなせないだろう。どちらかというと、戦闘ではなく、日常的な補助や、広範囲に効果を持続させる必要のある場面にこそ、真価を発揮するタイプだ。
「よし、こんなもんでいいか」
 脱水や送風の魔法が使える人がいると、生肉を保存食に加工するのが本当に早くて助かる。通常なら一日仕事になるところが、あっという間に終わった。
「では、お茶にしましょうか。先に行っております」
「はい。ありがとうございます」
 ロータスさんが家に向かっていくと、ジェリドから声をかけられた。
「少し、よろしいだろうか」
「もちろんです」
 少し前までは痩せこけていたが、元気になってきたジェリドは、貴族的というか、洗練された容姿の持ち主だった。派手さはないが、歳を重ねてもイケおじで通じそうな感じがする。ほっそりした鼻筋も滑らかな頬も、肌艶が良くなったおかげで、ずいぶん綺麗に見える。
「サルヴィア嬢から、貴方のことをうかがいました。この魔境の瘴気を浄化しているが、神殿とは関わりがないのだと」
「ええ。俺は、ただの農夫です。ただ、ちょっと大っぴらにしたくないアビリティがありまして」
「【身代わりの奇跡】、ですね」
 俺は頷く。ジェリドは能力アビリティ【人物鑑定】を持っていて、俺の能力アビリティについても、よく理解していることだろう。
「それを、サルヴィア嬢に捧げるおつもりか?」
「サルヴィア様は、俺にアビリティを使うなとは言ったけど、サルヴィア様の為に使えなんて、一回も言ったことはないですよ。一度、あいつの目の前でやって死にかけたら、阿呆と怒鳴られて、扇で殴られました」
 深いモスグリーンの目が驚いたように見開かれたので、俺は苦笑いを浮かべた。まあ、あの奇跡があったからこそ、コッケ達が神獣化して、ジェリドを助けられたんだけどな。
「あの方は、いい奴・・・なんです。だから協力して、見返りに、静かに暮らさせてもらうんです」
「そう、ですか……」
「ジェリド卿も、こっちで一緒に暮らしませんか? 大神殿から逃げ隠れする仲間ですし」
 なるべく軽く言ったつもりだが、ジェリドは一瞬、ぴくりと動きを止めた。
「なぜ、私も大神殿から逃げると?」
「だって、スキャンダルの生き証人でしょう。大神殿からしたら、面白くないんじゃないかな」
「……否定はしません」
 俺が考えついたことくらい、ジェリドは自分で把握しているだろう。
「正直、身の振り方を迷ってはいるのです。でも私は、セントリオン王国の貴族です。陛下と、民を護ることが、私の仕事です」
「え、いま無職になってるよね?」
「なっ、ぜ、それ、を……」
 俺もぽろっと言っちゃったけど、そんな、わかりやすく動揺するなよ。
「……サルヴィア嬢ですね」
「うん、ごめん。ステータス見ちゃった」
「私もリヒター殿を見ていますから、これでおあいこです。それと、敬称と敬語もいりません。本当はサルヴィア嬢にも、その調子なのでしょう?」
「あーうん。堅苦しいのは、得意ではないな」
「そうだと思いました」
 おお、笑って許してくれた。ありがたい。
 どうも俺は口を滑らせることが多いから、気をつけないとな。
「でまあ、話を戻すけど、まだ心残りがあって、ジェリドがセントリオンにいたいと思うなら、セントリオンに帰った方がいいと思う」
 嘘です。帰らないで。ここにいて。お願いだから!!
 心の中の大懇願を表に出さないようにしながら、俺はジェリドを引きこもうと、必死に言葉を探した。
「だけど、ステータスに出てないってことは……もう義務も義理もないんじゃないかなって。庶民の感覚だけど」
「…………」
 これまで尽くしてきた対象から見限られた、もう不要だと捨てられた、と直視するのは、辛いだろう。
「まあ、そこは急がないで、納得ができるように折り合いをつけていけばいいんじゃないかな。できれば、サルヴィアと一緒に、俺をいろんな権力者から護ってくれると嬉しいけど。一国の宰相に匹敵する頭脳を持った天才が味方なら、こんなに心強いことはない。それに、ここにいてくれると、ノアも喜ぶ」
「っ……!」
 手提げ袋を振り回しながら金鶏と一緒に走って戻ってきたノアが、今度はサルヴィアを探して行ったので、きっと見慣れない物を拾ったか、捕まえたのだろう。
「……とても評価していただいているのは嬉しいのですが、多くの国に信者を持つ大神殿や、大国の支配者を相手取るなど……正直、難しい仕事だと言わざるを得ません」
「【臥龍】に難しかったら、誰にもできないと思うよ」
「私が臥せた龍ならば、貴方はおおとりの雛でしょう。隣国の在野に、これほどの人物が隠れていて、助けてもらえたなんて……私は、とても運がいい」
鳳雛ほうすうだなんて、過大な評価だな。実際、すごいのは俺じゃなくてコッケたちだし」
「ご謙遜を」
 いや、背中がムズムズするから止めて欲しい。本当に、すごいのはコッケの方なんだからさ。
「仮に……」
「ん?」
 ジェリドの癖毛が風に揺れて、いまだに迷いや戸惑いの多い眼差しが、遠くから俺の顔に焦点を絞ってきた。
「命を救っていただいたことには、感謝しております。ですが仮に、私がブランヴェリ公爵代行と結託し、貴方を護ることにしたとして……その難しすぎる仕事に対する報酬は? 私が得る利益について、示していただきたい」
 この時俺は、ジェリドに向かって、会心の笑みを浮かべていたことだろう。
「ダンジョン。魔境と化した旧ディアネスト王国の奥には、スタンピードの原因になったダンジョンがあるはずだ」
「……なるほど。再開拓して、その利益を我々で総取りするわけですね」
「話が早くて助かる。それに……」
 これは、ジェリドに伝えておかねばならないだろう。
「スタンピードの原因になった『永冥のダンジョン』では、ノアの本体が救助を待っているはずだ」
「ノアくんの?」
「ああ」
 まだ詳しいことはわからないが、『永冥のダンジョン』が何かしらの脅威にさらされており、魔王ゼガルノアが動けなくなったので、分身体のノアが助けを求めに来たことを、俺はジェリドに話した。
「ダンジョンイーターの仕業じゃないか、っていう意見もあるくらいだ。なるべく早く助けに行ってやりたいんだが、道中はこの状態だし、そもそも『永冥のダンジョン』のある場所は、ブランヴェリ公爵領ではなく、フーバー侯爵領になっているんだ。この問題も解決しないといけない」
「……それは、困りましたね」
 こと、ノアに関しては、ジェリドは妙に真剣になるな。そんなに気に入ったのか。
「これからこの領地は、瘴気の浄化や『永冥のダンジョン』攻略と並行して、避難した民を再入植させて豊かにし、さらにエルフィンターク王国の上層部を殴り飛ばさなきゃならない。やることも、問題も、山積みだ」
 人手も足りなくて忙しいはずなのに、優秀な実務経験者がいないせいで、なかなか問題処理が進まず、困っているのだ。
「だから、ジェリドに任せられたらいいなって、俺もサルヴィアも思っている」
「……ふふっ、せっかく生き延びさせたのに、私を過労死させる気ですか?」
 冗談めかして言っているが、ジェリドは基本的に仕事が好きな人間だと、俺は思っていた。そしてその読みは、ジェリドの目の輝きで、正しさを証明した。
「いいでしょう。私の故国とのことは、私自身の問題です。その話、乗りました」
「よろしく頼む、賢者殿」
 俺は、昇龍となることを決意した男と、しっかり握手を交わすことに成功した。