第四幕・第四話 若村長と聖女騒動


 ジェリド・タスク・フライゼルは、フライゼル侯爵家の長男として生を受け、文武両道の見本として、セントリオン王国の神童と称えられてきた。
 彼が王国の最高学府である王立学院を十九歳で卒業して(エルフィンタークでは三年だが、セントリオンは五年らしい)、宰相府の文官として働き始めて二年後……つまり、去年のことだ。セントリオン王国に『聖女』が現れたそうだ。
 といっても、突然現れたわけではなく、アスヴァトルド教が主導する「聖女選別の儀式」というもので、聖女候補の中から選ばれるのだとか。今回選ばれたのは、レーナという平民の少女だったのだが、その選考には忖度ないし買収の噂があった。いわゆる、貴族の隠し子の箔付けとか、そういう類だ。
 そこで選別にもれた聖女候補の中から、恨みを持つ者が現れる。それが、今回の呪いを作った、フェリシアという元聖女候補の魔呪使いだ。
「聖女候補が、魔呪使いになれるのか」
「魔法がマナとマナを合わせた魔力で使うように、魔呪というのは、自然発生した瘴気と、己から生み出した瘴気を混ぜて作るのです。ですから、そもそも神聖魔法を使える……瘴気に耐性のある聖女や神官の方が、かえって魔呪使いになりやすいのですよ」
「へー。なるほどなぁ」
 控えめに言って自殺行為だが、瘴気を扱える人間にとっては、あとは呪う気合いの問題なんだとか。
 ベッドの上で少し体を起こせるようになったジェリドは、退屈しのぎに色々教えてくれる。俺は神聖魔法と回復魔法が使える割に、魔法や神殿関係のことを、ほとんど何も知らない。博識なジェリドの話は、ありがたいし、面白かった。
 ジェリドは王命で、今年の初めから聖女レーナの巡礼の旅に付き従っていたのだが、その途中でフェリシアの襲撃にあい、呪いを受けたそうだ。サルヴィアに直談判したライナスという冒険者であるが、彼もこの巡礼の旅に同行していたらしい。
 そんなわけで、犯人のフェリシアはジェリドが倒したのだが、呪いの対象が『聖女』であり、しかも一般人に見境なく伝染するという事で、まずレーナの聖女の称号が剥奪された。元々、絶対に保護しなければいけないほどの、とても優秀な聖女、というわけではなかったらしいので、損切扱いだ。恨まれた聖女のせいで信者に被害が出たりしたら、神殿の支持が失墜すること間違いない。そんな汚れた聖女の駒を持っているわけにはいかない、というところだろう。
 ただ、神殿にもどうにもならなかったのが、ジェリドにかけられた呪いだ。
 そもそも、フェリシアはレーナを選んだ神殿にも恨みを持っていたから、とにかく神殿が困るような所をついてきていた。それが、神官や聖女による解呪と浄化が不可能な呪い、という形になった。
 俺がジェリドの呪いを解けたのは、まず『神官』や『聖女』などの職業及び称号を持たないまま、神聖魔法と回復魔法が使えたこと。そして、指導とブースター役のシームルグと、タンク役で呪いを(物理で)引き抜けた魔王ノアがいたことだ。俺一人じゃ、どうにもならなかった。
「そうですか、ライナスが……」
 堪えきれないようにジェリドが肩を震わせるのは、別に感動しているわけではなく、ライナスが大神殿のスキャンダルを大声で言いまわっているせいだ。どうも巡礼中は、国王派のジェリドと聖女派のライナスの仲は良くなかったらしい。ただ、ライナスが罪滅ぼしの為に俺を探していることは、ジェリドは知っていたそうだ。
「そんなにレーナって子は、聖女に相応しくなかったんですか?」
「無垢というよりは、無知な人間でしたね」
「あー」
 一刀両断だよ。ジェリドの評価、キビシイな。
 そもそも、物乞いに化けたフェリシアを憐れんで、無理やり雇い入れたのがレーナであるらしい。弱者救済は行政や神殿が組織的にするもので、経済力のない聖女が直接手を出すことも、一人を贔屓することも避けるべきだと、ジェリドがいくら反対しても聞き入れず、結局連れていったら……という、聖女にしては、なんともお粗末な出来事だ。
 ついでに言うと、ジェリドは普段、マナーとして【人物鑑定】を使わないらしい。だけど、最初からフェリシアが魔呪使いだって気が付いていたとしても、まわりはわからないんだから、ジェリドがお優しい聖女様の邪魔をする悪者にされて終わりだったろう。……王命とはいえ、ジェリドも苦労したんだな。
 そんなレーナや神殿に肩入れしていたばっかりに、ジェリドを死なせそうになったことを、ライナス氏は酷く悔やんでいるそうだ。
「まあ、あれはどうでもいいのです」
 あれって言われたぞ、ライナス氏。
「当時、大神殿に私を救う手立てはなく、もちろん陛下をはじめとする王家や政府にもありませんでした。どうあっても権威には陰りが出るため……隠蔽するしかありませんでした」
 称賛されるのは、ジェリドただ一人。そして、嫡男を犠牲にしたフライゼル家に、王家は最大限の譲歩や優遇をせねばならず、大神殿も同じ。口と呪いを封じるために、ジェリド一人が犠牲になるほかなかったのだ。
「仕方がないことだと、納得していました」
 暗くくすんだ色調の、癖のある金髪は、まだ艶が戻っていない。
「こうして、生きていることが、まだ不思議で……信じられないというか」
 こけた頬が皮肉っぽい微笑みを浮かべるが、崩れて無くなったはずの右手を握っては開く動作は、滑らかで、嬉しそうだ。
「私が聖女をかばわず、レーナが死ねばよかった、という声も聞きました。その方が、護衛の私たちの罪を問え、神殿も王家も傷が少なかったから」
「そんな……」
 あんまりな考え方だと俺は眉をひそめたが、ジェリドはゆるく首を振って微笑んだ。
「いえ、統治者など責任のある立場であったなら、私でもそう評価します。さすがに、口に出すのははばかられますが。……その方が、後からいくらでもリカバリができます。大きくても一時的な傷は塞ぐことが出来ますが、膿を閉じ込めておくのは、苦しく、難しい」
 理性と理論に裏付けられたジェリドの眼差しは、冷静ではあったが、疲れ果てた心からは、押し込めていた気持ちが溢れ出てきた。
「……それでも、私は私の矜持を捨てたくなかった。私の実務能力を不当に評価されることは、我慢ならなかった」
 忠誠心が高いからこそ、ジェリドは全力を尽くした。ジェリドが失敗すれば、ジェリドを任命した、国王の責任になるからだ。
 だが現実には、相対的にジェリドが失敗した方が、国王にとって面倒が少なく、国の上層部から忌まれることもなかっただろう。どちらにせよ、ジェリドが泥をかぶることになるのは、腹立たしい限りだが。
「……すみません、少し、話し疲れてしまいました」
「ああ、たくさん話してくれて、ありがとうございます。ロータスさんに、お茶を持ってきてもらいますね」
「ありがとうございます」
 俺はジェリドの寝室を出てロータスさんと交代すると、ぶらぶらと村の中を散策した。考えをまとめる時間が欲しかった。


ジェリド・タスク・フライゼル(23歳)
レベル:92
職業 :なし
天賦 :【賢者の情熱】
称号 :【廃嫡された侯爵令息】【精霊の友】【臥龍】

能力 :【精霊の寵愛】【人物鑑定】【敏腕】【大図書館】
特技 :精霊魔法Lv10、精霊召喚Lv10、魔力増強Lv9
     剣術Lv10、身体強化Lv9、政略Lv8、地図作成Lv5
     書類作成Lv8、経営Lv8、社交Lv7、礼儀作法Lv8

武勇 :95  統率:50  政治力:75
知略 :98  魅力:65  忠誠心:27


(サルヴィア以上のバケモノなんだが?)
 サルヴィアに書き出してもらってあった、ジェリドのステータスを眺めて、乾いた笑いが出た。武勇と知略がカンスト寸前な人間なんて、きっとどこ探してもいないよ。
(政略は生えているのに政治力が若干低いのは、若さと生真面目な性格が祟っているか。でも、忠誠心が27まで低下している。これはチャンスだ)
 本来のジェリドなら、忠誠心も90以上をキープしているはずで、こんなに下落しているところを、俺は初めて見た。なんとしても、こちらに引き込みたい。
(むしろ、あんな目に遭っても、まだ30近くもあるのがびっくりだ)
 義理堅いというか、なんというか……。味方になってくれたら、全幅の信頼をおける逸材だ。
(もしも、元気なジェリドがセントリオン王国に戻ったら、王家や神殿はどうするだろう?)
 国王は面の皮を厚くして、また働かせるだろうか。それは、ありえる。ジェリドの才能も実力も、使い捨ててしまうには、あまりにも惜しい。
 死期を悟ったジェリドは、フライゼル侯爵家の家督相続権を放棄している。いまさら復帰させようとしても、一族の混乱を嫌うジェリドは辞退するだろう。それよりも、国王から新しい爵位を用意して、フライゼル家との仲を裂くのではないか。その点から言うと、実家のフライゼル家も、ジェリドに戻ってきてほしくはないかもしれない。聞いたところによると、親父さんがけっこう厳しい人らしい。他人様の父君に対する印象としてどうかと思うが、冷徹、という雰囲気だ。
(ジェリドは優秀だ。いまはまだ立場が強くないから、十全に発揮されていないだけで、実権を与えたら、それこそ無双しはじめるだろう)
 セントリオン王国では、まだ従順な若い臥龍だったとしても、サルヴィアの下でなら、今すぐにでも世界と渡り合えるだろう。
(神殿はどうだろうか)
 わかりきっている。ジェリドが何処にいようと、不祥事の生き証人には、さっさと死んでほしいはずだ。
(うーん、俺の代わりに表立ってもらうつもりだったけど、危険かなぁ)
 魔境を浄化してまわる俺を大神殿から護ってもらうためにジェリドを助けたけど、ジェリドも違う理由で、俺と同じくらい神殿に暗殺される危険があった。
(でもなー、ジェリドにはサルヴィアの軍師になってもらいたいし、なんとかなんないかなぁ……)
 うんうん唸りながら俺は歩き、整え直した畑に差し掛かる。
 魔素水を撒いて育てたせいか、異様に大きく早く育つ上に、なんだか奇妙な作物になっている。根菜は根が分かれてマンドラゴラっぽいし、葉菜は収穫が遅れると人型の茎や花が生えてくるし、蔓性の物は風もないのにワキワキブラブラ動いている。
「……これ、本当に人間が食べていいのかなぁ? 逆に人間が喰われそうなんだけど」
 サルヴィアによると、一応可食のようだ。ただ、味は微妙だった。なお、ジェリドには怖くてまだ食べさせていない。
「ノアには好評だったから、これなら野菜嫌いにならないかな」
 幼児の食事には気を使っているつもりだが、魔王の食事がどんなものなのかは知らん。
(こんなアヤシゲな作物を育てて、魔王の保護者している俺が、『聖者』認定されることはないと思うけど……)
 ただ俺には、【聖者の献身】という天賦ギフト、【女神の加護】と【身代わりの奇跡】という能力アビリティが揃っている。良くて、体のいい軟禁あたりが予想される。
 大神殿という巨大な組織が、俺を取り込もうとするか、抹殺しようとするか、それはまだ五分五分といったところだ。でも、俺が恭順を拒否すれば、間違いなく排除に動くだろう。
(この世界のアスヴァトルド教って、なーんか胡散くさいんだよな)
 まかり間違って大神殿にちやほやされるなんて、ごめんこうむる。さっさと瘴気を浄化して、ノアの本体を救助して、安穏とした暮らしをしたいものだ。