第四幕・第五話 若村長と自称水神リューズィー


 ジェリドの療養は進んでいるし、サルヴィアもエルマさんを連れてこの村に引っ越してきた。難民キャンプは相変わらずフィラルド様に任せたままだが、問題はないようだ。
「これはこれで興味深くはあるのだけれど、出来れば普通に育てたいですわ」
 魔素水を撒いて育てたせいか、異常繁殖してしまった薬草の山を見て、サルヴィアが溜息をつく。
「薬効とかに変わりは?」
「できれば、人間に使いたくないですわ。全部、ノアのおやつの材料ね」
「そ、そうか……」
「この土地自体にも、魔素が染みついているようなのよねぇ」
 『大地の遺跡』周辺はそうでもないのだが、この村の魔素の濃度は異常らしい。飲み水の問題も、俺が持っているのと同じ機能の魔道具を、サルヴィアが持ち込んでくれたので、いまのところ大丈夫だが……。
「びあー! みてー!」
 なにかを鷲掴みにしたノアが、金鶏と一緒に走ってきた。お前たち、仲いいな?
「なにを見つけたの?」
「ケロケロ!!」
「っひゃう!?」
 視線を合わせようとかがんだ目の前に、カエルの腹を見せられて、サルヴィアが仰け反った。
「ノア、女の子にいきなりそういう物を見せたら、びっくりしてしまうだろ」
「んんー……」
 ノアはちょっとしょんぼりしてしまったが、他所のお嬢さんにやらかす前でよかった。
「ぼ、僕は大丈夫。男だから」
「ん? あ、そうか。ノア、俺にもそのケロケロを見せてくれないか?」
「いいよー!」
 小さな手にがっちり掴まれていたのは、玉虫色のトノサマカエルみたいだったが……なんか、キラキラゴツゴツしてないか?
「変なカエルだな?」
「これっ、ジュエリーフロッグじゃありませんの!!」
「えぇ……」
 なんでも、成長して死ぬときに、純度の高い魔宝石になる魔獣らしく、サルヴィアが悲鳴を上げたのは、その市場価格のせいだった。なんと、たった一匹で、王都に小さめの屋敷が買えるらしい。ひえぇっ。
「よく捕まえられましたわね。すごいですわぁ〜」
「えへへへっ」
 サルヴィアに褒められて、ノアもご機嫌だ。なにか、捕まえておく水盆みたいな物を探してこないと。
「たしか、教会のそばの物置に、瓶とか鉢とかが置いてあったな。蓋もあるといいんだが」
 この村には色んな物が放置されていたおかげで、道具を揃える必要がほとんどない。多少片付ければ、意外と使いやすいものが掘り出されてくる。
 俺は適当な鉢に井戸水を入れ、蓋に良さそうな笊も見つけてきた。
「ノア、そのケロケロは、とりあえず、この中に入れておけー」
「はーい」
 ぽちゃん、と水中にジュエリーフロッグが潜ると、鮮やかな体の模様がキラキラと光を反射して綺麗だった。
「これ、びあにあげる!」
「本当に!? ありがとう、ノア」
 どうもノアは、サルヴィアにはキラキラした物をあげたがる。まあ、気持ちはわからんでもない。サルヴィアは見た目が可愛いからな。
「そういえば、この前の、キングヒポポタンクの角はどうだった?」
「あれ、やっばいくらい魔力伝導率が良かったから、いま短剣杖に加工してる。僕が知っている最高短剣杖より強いのが出来そうで、ドキドキが止まらない……」
「おお、よかったな」
 ぽそぽそと囁き返されて、俺も笑ってしまう。男の子はえてして、「すごくつよいぶき」が好きだからな。
 サルヴィアの主力武装は、細工物のペーパーナイフのように見える短剣杖だ。長杖や短杖よりも小回りが利いて、局所的な攻撃に向いているらしい。なお、素材により耐久力は高いものの、刃物としての切れ味はほとんどなく、見た目通りペーパーナイフ程度なのだとか。
「ノアのおかげで、この森の魔獣がどんどん高級素材に変わっていくな」
「逆に売りさばけなくて、困ってきましたわ」
 あまりにも希少で高価だと、買える人がいないのだ。
「エルフィンターク国内では限界がありますし、ジェリドに頼んでセントリオンに流すか、メロディの伝手があれば、南の大陸にも販路ができると思うのですけれど……」
「さすがに、いっぺんにはできないな」
「ええ。高価であればあるほど、信用問題が絡んできますから」
 ろくに取引実績もない相手との、高価な品の売買は、リスクが伴う。特に大商人は、横のつながりも権力者とのつながりもあるので、安易に話を持ち掛けることは、こちらの不利や厄介事を招くことになりかねない。
「やはり早急に、冒険者ギルドや商人ギルドの招致をしなくては……」
「こっちが来てくれって言っても、なかなか腰が重そうだな」
「場所が場所ですものね」
 自虐の微笑みでも、サルヴィアに初めの頃の固さはない。先日王都に戻った時に、あちこちに手を伸ばした成果が出ているのか、少しずつでも前に進んでいる手応えがあるからだろう。
「そういえばわたくし、まだこの村の浄化玉くんに魔力を入れたことがありませんでしたわ。どこにありますの?」
「教会に置いてあるよ。だいたい村の中心にあったからさ」
 俺たちは水神リューズィーを祀っている教会に入り、『さっぱり浄化玉くんDX』を安置してある祭壇まで進んだ。
「あれ?」
「……なにか、変ですわね、このリューズィーの像」
 決して大きくはないリューズィーの木像だが、なんだかユラユラと揺らめいて見える。像自体が動いているというより、水面の揺れに近い。
「真珠? こんな装飾あったかな?」
「掌中の珠とは言いますけれど、リューズィーが珠を持っているなんて、聞いたことありませんわ」
 俺たちが首を傾げていると、じぃっと像を見上げていたノアが、軽い助走をつけて、祭壇の上にひょいと飛び乗ってしまった。
「わあ、ノア危ない!」
「降りてくださいな!」
 祭壇の高さはノアの身長よりあるし、何年も放置されていたから、内部が傷んでいないとは言い切れない。落ちたら大変だ。
「おまえだれだ!」
「ギョェッ!」
「「!?」」
 ノアがむんずと掴んだリューズィーの像から悲鳴が聞こえ、俺とサルヴィアは口を開けたまま固まってしまった。
「ナ、ナニヲスル!」
「ここは、のあたちのむら! かってにいるの、めっ!」
「ヒイィッ!」
「えいっ!」
 ぐにゃん、とリューズィーの像が歪むと、木像が倒れ、ノアの両手に大きなゲルっぽい塊が移った。ノアはそれを、むぎゅっと潰そうとする。
「せいばいっ!」
「ギョエェェッ! ヤメテッ! モギョッ! ワガハイヲ、ダレダト……アダダダッ!」
「ちょっ、ノア、たんまたんま! 落ち着け!」
 成敗なんて言葉、どこで覚えたんだろうな。
「とりあえず、危ないから、そこから降りなさい。その……スライムみたいなのも、こっちに渡して」
「はぁい」
「ダレガすらいむデアルカ! ブレイナ!」
「どこからどう見ても、大きなスライムですわ」
「ムッ!?」
 ビーチボールくらいの大きさの、水色のスライム的な何かを抱えて、サルヴィアも首を傾げる。
「スライムではあるのですけれど……」
「すらいむデハナイ! ワガハイハ、りゅーずぃーデアルゾ!」
「なんだって」
 ノアを抱きかかえて聞き返した俺に、リューズィーを名乗るスライムは胸を張るようにむぎゅんと反った。
「ワガハイコソ、スイジンりゅーずぃーデアル! ヒザマズイテ……アダッ!」
 ノアの平手が、偉そうなスライムをべちんと叩く。痛そうだな。でも、話が出来そうな相手に、問答無用な暴力はいかんぞ。
「ノア」
「ぷぅ」
「リューズィーを名乗るのはおこがましいですが、まったくの無関係ではなさそうですわ」
 サルヴィアが【鑑定】してくれたが、困ったように眉尻が下がり、その表情はなんともいいがたい。
「このスライム、水精が魔素の影響を受けて変質して、リューズィーの眷属のようなものになったみたいですの。一応、リューズィーにはつながっているのですけれど、ぶっちゃけ、リューズィーの髭の先っぽ程度ですわ」
「リューズィーの感覚器官の末端ってことか」
「ええ。この辺りの水が魔素を含んだことと、精霊と繋がりの深いジェリドが滞在したことで、こんな形で現れたようですわ」
 なんだか不思議な縁だが、この村は元々リューズィーを信仰していたのだし、いてもらっても構わないだろう。
「この村に住んでも構わないが……」
「だめっ!」
「ノア?」
 さっきからノアは、妙にこのスライムに突っかかるが、なにかあるのだろうか。
「たー、あれとって」
 ノアが指差したのは、リューズィーの像が持っていた、小さな真珠のように白い珠。
「これか?」
「そう。これ、こあ」
 ノアに珠を渡すと、ノアはそれを握りしめ、スライムにパンチ一発。
「グッホォァッ!」
「こいつ、だんじょんますたー。びあ、それちょうだい。のあがもってく。たー、おろして」
「お、おう……」
「え、よろしいの? けっこう重いわよ」
「へいき」
 白い珠を体内に埋められて心なしかぐったりしたスライムを抱えたノアは、教会を出て、村の端へキュッキュッキュッキュッとサンダルを鳴らしながら走っていく。そしてそのまま、大きく振りかぶった。
「さっさと、だんじょん、つくれっ!」
「ホギャァァァァ……」
 ぶうぅぅん、と木々の上を弓なりに飛んで行ったスライムは、どこかに落ちたらしい。ずしん、と軽い地響きがあった。
「これで、よし」
 小さくとも、立派な背中だ。
「あー……なるほど? あいつがダンジョンを作って魔素を引き寄せれば、この村の魔素も消える、と?」
「うん! たーが、おみず、こまってた、から」
「そうか……ありがとうな、ノア」
「うん!」
 ものすごい魔王ムーブを見た気がしたが、とりあえず俺は、俺を思いやってくれた、花丸全開な笑顔を抱き上げた。