第四幕・第一話 若村長と呪われた賢者


 その日、モーラトレ村の住人は、秋の太陽から猛スピードで降りてきたものに度肝を抜かれたことだろう。

 きぃぃぃぃぃぃぃんんんんんばさっばさっばさっ……

 タッチダウン!

 ずごごごっごごごっごっごんっごんっごんっざっざざざざざざぁ……

「コッケコッケコォォォォーーーー!!!!!」

 高らかに響くコッケの声。
 その主は、つい一瞬前までは、巨大な翼を広げていたはずだが、いまは頑丈なコンテナの上で、コッケの標準よりも少し大きなサイズに戻って、誇らしげに胸を張っている。
「な、なんだべ?」
「竜巻け? 雷け? 何の音だっぺ?」
「おぉい! オサぁ呼んでこぉい!」
 わらわらと寄って来たのは、昼休憩を終わりにして、薪割りや家畜の世話をしていた農民たちで、金属で作られた荷車のような物を取り囲んだはいいが、どうすればいいのかと首を傾げるばかり。
「これは、なんだべ?」
「鉄の塊け?」
「おっ!?」
 ばこん、とコンテナの扉を押し開けて、外に這いずり出た俺は、思いっきり息を吸い込んで、吐き出した。
「げはっ、はっ……し、死ぬかと、おもった……」
 まだ、目がまわってるのが治まらない。シートベルトなしで、よく着陸でミンチにならなかったな。シームルグが護ってくれなきゃ、コンテナの内装が血色に染まるところだった。
 それにしても、すごいGだった……酸素、酸素……うっぷ、気持ち悪い……。
「ブ、ブレス、ヒール……」
「コケッ!」
「ああ、サンダーバード……ありがとう。きっと、この世界新記録のスピードだったに違いない。次からは、戦闘機に乗る設備と装備が必要だ。シームルグも、ありがとう。俺という存在が血の染みになるところだった」
「コッコッ」
 羽ばたきながら降りてきたサンダーバードと、コンテナから出てきたシームルグをそれぞれ撫でると、俺はよろよろと立ち上がり、コンテナ一式を【空間収納】にしまった。
「ふぅ、やれやれ。お騒がせして、申し訳ない。ここは、フライゼル侯爵領のモーラトレ村で間違いないですか?」
 周囲を囲む、ぽかんとした表情の村人たちを見回し、俺はその向こうに、大きな針葉樹が庭に生えている、農民の家とは明らかに趣の違う屋敷を見つけた。
「あれかな」
 俺が歩き出すと、シームルグとサンダーバードは飛び立ち、一足先にとフライゼル侯爵の別荘へ向かっていった。


 エルフィンターク王国ブランヴェリ公爵領……旧ディアネスト王国の北の森から、北東に向けてサンダーバードでフライトすること、約四時間。大国セントリオンの王都アタナスの北西に位置する、フライゼル侯爵領モーラトレ村に到着。この世界に、ジェットエンジンを搭載した飛行機はまだない……はずだ。飼いならした飛竜とかはいるみたいだが。
 まさか、こんなに早く到着できるなんて、予想以上で良かったけれど、それなりにあの世が見えそうな体験ではあった。帰りはもうちょっとゆっくりでいいから、安全第一でシームルグに飛んでもらおう。
「すっごい瘴気漏れてんだけど……」
 思わず玄関のノッカーを叩くのをためらってしまうほどに、二階の一室から嫌な空気が漏れ出ているのが見える。ここが、ジェリドが療養しているはずの、フライゼル侯爵所有の別荘だろう。
「ごめんください」
 ゴンゴン、とノッカーを鳴らすと、中から慌てた様子で少しだけ扉が開いた。こちらを覗く、顔色の悪いお爺さんの眉間に険しい皺が刻まれている。
「……どちら様でしょうか」
「あー……」
 いかん、いかん。あからさまな警戒オーラをぶつけられて、思わずジャパニーズサラリーマンスマイルを浮かべそうになった。いきなり訪ねてきた俺が不審者なのだから仕方がないが、ここはハッタリとロールプレイが必要な場面だ。
 俺は急いで今の自分の容姿を思い出して、せいぜいイケメン聖者っぽい自信と慈愛に満ちた微笑を心掛ける。
「前触れもない訪問をお許しください。エルフィンターク王国のブランヴェリ公爵代行より、ジェリド卿にかけられた呪いを解くよう依頼を受けてまいりました。リヒターと申します」
「ブランヴェリ公、ですと……!?」
 さすがに隣国の公爵家の名前くらいは、侯爵家の家人なら知っていて当然。
「こちらが、ジェリド卿のいる、フライゼル侯爵家のお屋敷で……間違いなさそうなのですが」
 瘴気が漏れている二階の部屋の方をわざとらしく見上げて、視線を戻せば、明らかに扉の開き具合が緩んだが、呪われて廃嫡された御曹司に付き従うほどの忠誠心は、まだ警戒を解かない。
「なんでも公爵代行閣下は、こちらの国の冒険者に直談判を受けたそうです。俺も、本来は瘴気の浄化という仕事を閣下から仰せつかっておりますので、むこうを長く留守にはできないのですが……」
「瘴気の浄化というと、ディアネスト王国の……」
「ええ、そうです。現在はブランヴェリ公爵領になっている、あの一帯です。あ、すみません。公爵代行の兄君である、フィラルド様からの紹介状があるので、どうぞご確認ください」
 俺が手渡した書状は、正真正銘フィラルド様直筆の紹介状だ。訪問先が、曲がりなりにも侯爵家の屋敷であるから、必要だろうって用意してくれたんだ。
「……失礼しました。どうぞ、お入りください」
 紹介状が本物だと確認できたのか、俺の手元に書状が戻ると同時に、玄関扉が大きく開かれた。

 サルヴィアからの又聞きなので、ジェリドに何があったのか、詳しいことはまだよくわからない。ただ、そうとうタチが悪い呪いを受けているというのは、すぐにわかった。
「うっ、これは酷い」
 思わず煙を払うように手を振ってしまうほど、ジェリドの寝室は悪臭と瘴気が詰まっていた。
「カタルシス!」
「お、おお……!」
 とりあえず空気を浄化して、窓を大きく開く。外の空気が気持ちいい。
「シームルグ! サンダーバード!」
 ばさばさと大きな二羽が窓辺にやってきたので、まずは旅の労いに、ホープ商店の神獣(鳥)の餌と水を出してやった。
「コッコッ……」
「リヒター殿?」
「ああ、室内ですみません。この二羽は神獣ですので、機嫌を損ねるわけにはいかないんですよ。そうだ、俺もお世話になった、この浄化ポーションをどうぞ。毒虫をすりつぶしたジュースの方がマシなほど不味いですが、体内に入った瘴気をきれいに浄化してくれますから。……水を用意してから飲むことをお勧めします」
「うぐっ!? し、しつれい、しま……」
 ばたばたと水を飲みに行った彼は、この家の家令でロータスさんというらしい。呪われてしまったジェリドを、たった一人で世話をしているそうだ。ジェリドが生まれる前からフライゼル家に仕えていたそうで、「ジェリド坊ちゃま」を心配する使用人の代表としてついてきたのだとか。……あ、戻ってきた。うん、顔色も良くなっているな。
「……申し訳ありません。しかし、すごい効き目ですな。スッキリいたしました」
「製薬上手なブランヴェリ公爵代行お手製ですからね」
「なんですと!?」
 まあ、びっくりするよね。自分が飲んだのが、大貴族の手作りだったんだから。
「さて……これで、よく生きているな」
 ベッドに寝かされている青年は、だいたい俺と同じくらいの年齢だろう。ただ、呪いのせいで肌がほとんど灰色になってしまっていて、わずかな胸の動きがなければ生きている人間には見えない。右腕が肩からと、右脚も腿のあたりから無くなっている。
(壊死……の一種なんだろうか?)
 肉が腐った酸っぱい臭いというより、下水みたいな色々混ざった胸の悪くなる臭いがする。状態も腐敗というより、変質しているように見えるが、医学や呪術に詳しくない俺にはよくわからない。ただ、四肢が崩れていくなんて、どれほどの苦痛を伴うのか、俺の想像を超えていることは確かだろう。
「んっ!」
 ジェリドの体にまとわりつく気持ちの悪い気配が、ベッドのそばに立った俺に向かって、威嚇するように鎌首をもたげた。
(すごい恨みというか、口惜しさ? 聖女に対する執念、というべきか……? いったい、なにがあったんだ?)
「呪いを受けたのは、いつ頃ですか?」
「今年の春、暖かくなってからですので……そろそろ四ヶ月前になるかと」
「四ヶ月!?」
 素直にすごい。こんなに強烈な呪いを一人で四ヶ月も持ち堪えたなんて、まさに超人だ。
「……呪いの内容は、『聖女の即死』と『触れた者への伝染と死病』。聖女に至るまでこの呪いは消えず、呪いをかけた呪術師はすでに死んでいる。これに間違いは?」
「ございません。その通りでございます」
 聖女を呪い、その呪いをジェリドに植え付けた呪術師は、ジェリドが殺したらしい。それでも呪いが消えないので、ジェリドは自分に結界魔法をかけて、人との接触を避けていたようだ。
 だがジェリドが自分自身にかけた結界も、ジェリドが意識不明になったことで消えてしまっている。寝室に充満していた瘴気は、そのせいだろう。
「自分一人で、終わらせるつもりだったのか」
 この呪いの嫌らしいところは、最終的に聖女にたどり着くまで、触れた人間すべてに無差別に伝染するというところだ。この呪いが広がれば、多くの国民が死ぬが、それを止めるには呪いで聖女を死なせなくてはならない。
 いまアスヴァトルド教に認められた聖女が何人いるのか俺は知らないが、この国に聖地がある大神殿が、彼女たちを犠牲にするとは考えられない。呪いに感染した民が、悪しき呪術師の手先として皆殺しにされる未来もありえる。
「坊ちゃまは、陛下とこの国の民を護ることに、誇りを持っていらっしゃいました。何人も、犠牲を出してはならないと」
「そうだろうな。……自分が犠牲だという自覚も、薄そうだ」
 『ラヴィエンデ・ヒストリア』の賢者ジェリドも、やたらと忠誠心が高かった。すでに国家に所属していたら、そこから引き抜いたり寝返らせたりするなんて、ほぼ無理だった。
(それだけ、尽くしてくれるのに……)
 なんとなく、【身代わりの奇跡】を使って死んだ、ゲームでのリヒターと重ねてしまった。
 最小の犠牲で、最大の成果を上げることは、その逆よりもはるかに正しい。まして、自分自身をその犠牲にするのならば、成果の範囲に入る者は、誰も文句は言えない。
 ただ、本人が納得し、周囲が承認し、最大の恩恵がもたらされるのだとしても……。
「俺が、諦められるか……!」
 力が及ばない、手立てがない、それは仕方がない。
「シームルグ」
 でも、俺にはそのロジック呪いを崩すだけの力があるはずだ。
「力を貸してくれ。どうすれば、彼を助けられる?」
「コッコッ……」
 長杖の上に飛び乗ったシームルグが、大きく翼を広げた。